国内初の廃道DVD『廃道クエスト』リリースから1年、
新作廃道DVD『廃道ビヨンド』のリリースを前に、
作品に収録した物件の探索リポートをアップしています。
◆
その前に本日『廃道ビヨンド前夜祭』@東京カルチャーカルチャーが、
無事終了致しました。
会場にお越し頂いた方々、
そして最後のところだけでしたが、Ustでご覧になって頂いた方々、
ありがとうございました!m(_ _)m
イベントは終了しましたが、
今回収録した物件の探索はまだ残っているので、
そろそろとアップして行こうと想います。
◆
離島の廃道撮影でやって来た神津島の初日が天候に恵まれず、
撮影が翌日に延期になったので、島内を散策した時のリポート。
前回はDVDには未収録の大黒根の廃隧道でしたが、
今回はそのすぐ近くにあった鉱石軌道跡にちょっと寄り道。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/b5/ed4ecdc9cf947661350754169e3209f7.jpg?random=6b41383c547c1a48ce8542bead933e99)
google mapで見るとmapでは当然表示されませんが、
航空写真に切り替えると、しっかりと軌道の跡が写っています。
ほぼ中央を少しずつ曲がりながら、左右に伸びている筋がその軌道跡です。
この場所が面しているのは名組湾という湾で、
その名前がつい名組湾の鉱石運搬軌道跡と呼ばれているようです。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/46/24563ac92c6b4038cb991fd59d7f8c17.jpg?random=3be9f82cfb67ef43cd0df067c00eb4de)
車道から防風松林越しに軌道跡がみえますが、
コンクリートの橋脚が波風で劣化して自然石のようになり、
あたかも海岸にあった岩肌をくり抜いて造った様な感じで、
なんか妙な光景です。
この光景を見た時に、もう10年以上も前に、
ウェブで見て一度行ってみたいと想いながら、
すっかり忘れていた軌道跡だったことを思い出しました。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/f5/54bf8de911380c4f305d2669163d6ee3.jpg?random=d5d49d779c158722fd738f68cb960e3a)
軌道跡の背後には神戸山という山があり、
その山から採掘される坑火石という、
主に建材に使われる石の運搬のための軌道跡です。
採掘した鉱石を海岸線までは索道で運び、
そこから港までの運搬に、このトロッコを使っていたようです。
画像の頂上付近の山肌は崖崩れか採掘跡かは分かりませんが、
山頂には今でも採掘現場が残されています。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/44/40039554bf162adae943dcdb7e3988a3.jpg?random=90f489dfc66867337458bcba995e7cda)
荒涼とした瓦礫が一面に広がる山頂には、
ところどころに石切場の跡が残っています。
採石は昭和17年(1942)に始まり、
平成12年(2000)まで続いたというので、
50年以上の長きにわたって採掘されていたことになります。
戦中に採掘が開始されているのはちょっと気になるので、
機会があったら郷土史でも見てみようと想います。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/25/79142132d55788bd5fcff37dedf9346f.jpg?random=2b216beb733e89fd34b8f601b7a4ebbc)
採掘は50年以上続いたものの、
索道&トロッコによる積み出しは昭和30年代には終了し、
その後はトラックによる運搬に変わっていったそうです。
なので、トロッコの軌道跡は、
約50年、風雪波浪に耐えて来たわけですね。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/57/1602a90c51ef2116c4cc96a75bebf263.jpg?random=8e6733751b10bdee5f46a153864a869f)
近づいて見ると、レールや枕木はないものの、
かつてトロッコが走っていた様子を
彷彿とさせるような橋脚にびっくり。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/f9/0ba098b90564fb8ca44d8c2b3df2e6be.jpg?random=b0c10cd058baa385d70d3cbfe6e4a8e6)
かつてレールがあった時の光景。
1つ前の画像の奥の方の部分だと想いますが、
レールがあってもなくてもさほど印象がかわりません。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/2d/497a4bd1cd43780a719b18efc8f2b62b.jpg?random=917f287b5f6bacc2c178ad8cdbb8f2f6)
ためしに橋脚の中へ降りてみました。
これまた摩訶不思議な光景です。
橋脚の下部を見ると、フジツボなどが付着しているので、
橋の下部は時により海水に浸ることもあるのだと想います。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/3f/31bb3f51f52bb2794e2f31ef02876c0d.jpg?random=d3c4b4200327eb56280b648849e927b5)
橋脚のしたの砂地には、
真っ赤に錆び付いた鉄の車輪が眠っていました。
確かに、トロッコが運行していたんですね。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/d4/ff0c4143fda57236970d401b96d57790.jpg?random=326a120f59d9f6b52a244e0abaf0f3d0)
少し海の方へ移動してみました。
劣化が激しい橋脚。
特に、画像右奥の橋脚などは既に折れてしまってます。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/c2/b9a736d7784829fbf2b3fd26389638c3.jpg?random=7caf1d165e192b47160408096166725d)
更に海よりに進み、軌道が橋脚ではなく、
自然の岩石を路盤として利用している所へたどり着くと、
そこには枕木がしっかりと残っていました。
おそらく自然石を削り取って軌道スペースを確保し、
路盤にコンクリートを流し込んで、
そこに枕木を敷いたんだと想います。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/64/62984459c642be8f81569a32fdcedc3d.jpg?random=699838c5c54e6fef266899c9bfe8b010)
枕木の残る路盤を進み、海っ端までたどり着くと、
「ポンプ」と呼ばれた船積み施設にたどり着きます。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/1d/d038dc70476fab0db2c9074afb52ba6d.jpg?random=4d8d2ca13521420ee92335e89dddc58f)
当時の写真を見ると、
極めてシンプルな構造の船積み施設だったことが分かります。
人知れず働き、人知れず廃止され、
そして悠久の時を刻みながら眠りにつく産業廃墟。
廃道撮影で訪れた神津島でしあたが、
おもわぬ発見がありました。
新作廃道DVD『廃道ビヨンド』のリリースを前に、
作品に収録した物件の探索リポートをアップしています。
◆
その前に本日『廃道ビヨンド前夜祭』@東京カルチャーカルチャーが、
無事終了致しました。
会場にお越し頂いた方々、
そして最後のところだけでしたが、Ustでご覧になって頂いた方々、
ありがとうございました!m(_ _)m
イベントは終了しましたが、
今回収録した物件の探索はまだ残っているので、
そろそろとアップして行こうと想います。
◆
離島の廃道撮影でやって来た神津島の初日が天候に恵まれず、
撮影が翌日に延期になったので、島内を散策した時のリポート。
前回はDVDには未収録の大黒根の廃隧道でしたが、
今回はそのすぐ近くにあった鉱石軌道跡にちょっと寄り道。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/b5/ed4ecdc9cf947661350754169e3209f7.jpg?random=6b41383c547c1a48ce8542bead933e99)
google mapで見るとmapでは当然表示されませんが、
航空写真に切り替えると、しっかりと軌道の跡が写っています。
ほぼ中央を少しずつ曲がりながら、左右に伸びている筋がその軌道跡です。
この場所が面しているのは名組湾という湾で、
その名前がつい名組湾の鉱石運搬軌道跡と呼ばれているようです。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/46/24563ac92c6b4038cb991fd59d7f8c17.jpg?random=3be9f82cfb67ef43cd0df067c00eb4de)
車道から防風松林越しに軌道跡がみえますが、
コンクリートの橋脚が波風で劣化して自然石のようになり、
あたかも海岸にあった岩肌をくり抜いて造った様な感じで、
なんか妙な光景です。
この光景を見た時に、もう10年以上も前に、
ウェブで見て一度行ってみたいと想いながら、
すっかり忘れていた軌道跡だったことを思い出しました。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/f5/54bf8de911380c4f305d2669163d6ee3.jpg?random=d5d49d779c158722fd738f68cb960e3a)
軌道跡の背後には神戸山という山があり、
その山から採掘される坑火石という、
主に建材に使われる石の運搬のための軌道跡です。
採掘した鉱石を海岸線までは索道で運び、
そこから港までの運搬に、このトロッコを使っていたようです。
画像の頂上付近の山肌は崖崩れか採掘跡かは分かりませんが、
山頂には今でも採掘現場が残されています。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/44/40039554bf162adae943dcdb7e3988a3.jpg?random=90f489dfc66867337458bcba995e7cda)
荒涼とした瓦礫が一面に広がる山頂には、
ところどころに石切場の跡が残っています。
採石は昭和17年(1942)に始まり、
平成12年(2000)まで続いたというので、
50年以上の長きにわたって採掘されていたことになります。
戦中に採掘が開始されているのはちょっと気になるので、
機会があったら郷土史でも見てみようと想います。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/25/79142132d55788bd5fcff37dedf9346f.jpg?random=2b216beb733e89fd34b8f601b7a4ebbc)
採掘は50年以上続いたものの、
索道&トロッコによる積み出しは昭和30年代には終了し、
その後はトラックによる運搬に変わっていったそうです。
なので、トロッコの軌道跡は、
約50年、風雪波浪に耐えて来たわけですね。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/57/1602a90c51ef2116c4cc96a75bebf263.jpg?random=8e6733751b10bdee5f46a153864a869f)
近づいて見ると、レールや枕木はないものの、
かつてトロッコが走っていた様子を
彷彿とさせるような橋脚にびっくり。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/f9/0ba098b90564fb8ca44d8c2b3df2e6be.jpg?random=b0c10cd058baa385d70d3cbfe6e4a8e6)
かつてレールがあった時の光景。
1つ前の画像の奥の方の部分だと想いますが、
レールがあってもなくてもさほど印象がかわりません。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/2d/497a4bd1cd43780a719b18efc8f2b62b.jpg?random=917f287b5f6bacc2c178ad8cdbb8f2f6)
ためしに橋脚の中へ降りてみました。
これまた摩訶不思議な光景です。
橋脚の下部を見ると、フジツボなどが付着しているので、
橋の下部は時により海水に浸ることもあるのだと想います。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/3f/31bb3f51f52bb2794e2f31ef02876c0d.jpg?random=d3c4b4200327eb56280b648849e927b5)
橋脚のしたの砂地には、
真っ赤に錆び付いた鉄の車輪が眠っていました。
確かに、トロッコが運行していたんですね。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/d4/ff0c4143fda57236970d401b96d57790.jpg?random=326a120f59d9f6b52a244e0abaf0f3d0)
少し海の方へ移動してみました。
劣化が激しい橋脚。
特に、画像右奥の橋脚などは既に折れてしまってます。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/c2/b9a736d7784829fbf2b3fd26389638c3.jpg?random=7caf1d165e192b47160408096166725d)
更に海よりに進み、軌道が橋脚ではなく、
自然の岩石を路盤として利用している所へたどり着くと、
そこには枕木がしっかりと残っていました。
おそらく自然石を削り取って軌道スペースを確保し、
路盤にコンクリートを流し込んで、
そこに枕木を敷いたんだと想います。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/64/62984459c642be8f81569a32fdcedc3d.jpg?random=699838c5c54e6fef266899c9bfe8b010)
枕木の残る路盤を進み、海っ端までたどり着くと、
「ポンプ」と呼ばれた船積み施設にたどり着きます。
![神津島・名組湾の鉱石運搬軌道](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/1d/d038dc70476fab0db2c9074afb52ba6d.jpg?random=4d8d2ca13521420ee92335e89dddc58f)
当時の写真を見ると、
極めてシンプルな構造の船積み施設だったことが分かります。
人知れず働き、人知れず廃止され、
そして悠久の時を刻みながら眠りにつく産業廃墟。
廃道撮影で訪れた神津島でしあたが、
おもわぬ発見がありました。
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