黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

巌窟ホテルと岩室観音

2013-12-18 02:53:34 | 産業遺産
前回の記事でアップした吉見百穴の見学は、
所用の後の訪問だったので、
じきに日も暮れて来たので帰途につくと、
道沿いに金網のフェンスで封鎖されたエリアがあり、
その奥に百穴と同様、岩肌を穿ったあとが見えました。
そうそう、吉見百穴のすぐ近くには『巌窟ホテル』がありましたね。
すっかり忘れていました。

巌窟ホテル

明治から大正にかけての21年間、
一人の男がノミ一本で彫り上げた伝説の穴蔵跡。
「巌窟を彫ってる」が転じて、
『巌窟ホテル』と呼ばれる様になったとか。





巌窟ホテル

かつては見学もでき、多くの観光客で賑わったそうですが、
今はもう入ることはできません。
部屋は勿論、家具から花瓶まで、
完全に岩を彫り貫いて作られた内部は、
一度見てみたいものです。





巌窟ホテル

目の前には『巌窟売店』
御休所の下には小さく「巌窟ホテル発掘の家」とあります。
時間が遅かったのでやってなかったのが残念。
温泉入口の看板と土産物店兼御休所。
ほっこり観光地の見本の様な光景は心和みます。





岩室観音堂

巌窟ホテルもいいのですが、
隣接して建つ古色蒼然とした建物に惹かれました。
岩を穿って観音様を祀ったことから
『岩室観音堂』と言うのだそうです。
創建は800年の初頭とも。
秀吉の松山城攻略の時に焼失し、
現在のものは江戸中期に建てられたものだとか。





岩室観音堂

敷地に入ると確かにくり抜かれた岩の中に観音様が沢山。
この他にも、お堂の下部がやはり岩をくり抜いた状態で、
沢山の観音様が並んでいます。
堂内に安置された観音様は全部で八十八体。
どれもが四国八十八ヶ所の本尊に似せて造られているそうです。
四国へ行かずともお遍路が出来ちゃうノリは、
富士塚にも共通しますね。





岩室観音堂

御堂の一階にはやたらと急な階段があり、
二階へ昇れます。





岩室観音堂

御堂の二階からは奥の山の景色が見えます。
と言ってもご覧のように鬱蒼と繁る森。
石畳があるので一見平坦のように見えますが、
奥に行くに従ってかなりの急斜面です。
石畳の先を登ると、
石田三成に陥落された松山城跡だそうですが、
もう暗いので断念、

画像中央に写る岩肌の見える大きな石の左側は、
岩肌を昇る急斜面になっていて、
その奥に「胎内くぐり」があるといいます。
もうあたりはかなり暗いですが、
とりあえず行って見ることに。





岩室観音堂

補助用に設置された鎖を頼りにつるつる滑る岩肌を昇ると、
そこにはかがんでやっと通れる位の狭い胎内くぐりが。
「諸難を除き、安産その他の願いごとが叶うと言われている」
だそうです。





岩室観音堂

胎内くぐりは国内に数多ありますが、
基本的には女性の胎内に模して、
そこを通ることによって生まれ変わり、
魂の浄化を行なうための装置です。

死後も次の世界へ行ける様にとの配慮から、
横穴式に造られた吉見百穴を見て、
エジプトの死後の世界観を思い出しましたが、
胎内くぐりもまたエジプトを連想させます。

世界最大のピラミッドは未だにその目的が分かっていません。
様々な説がありますが、その中の1つに興味深い説があります。

大ピラミッドの中には大回廊と呼ばれる急傾斜の広い通路があり、
その手前に外界と繋がる極めて細い通路があります。
これらを女性の胎内に模し、
王子が玄室である日数を過ごし、
やがて大回廊から細い通路を通って外へ出た時に、
王、すなわちラーとなって復活する
という説です。
すなわち、ピラミッド=胎内くぐり説ですね。

吉見百穴と岩室観音、
埼玉県のほっこり観光地で意外にも、
古代エジプトに想いを馳せてしまいました。

吉見百穴


最新の画像もっと見る

post a comment