
東京にわりと多めの雪が降りました。
去年一瞬降りましたが、すぐにやんでしまったので、
本格的に降ったのはこの冬初めてです。
雪が降るといつも思い出すのが、
以前の記事でも取りあげた、川南工業浦之崎造船所の巨大廃墟です。
画像は何年か前の冬の造船所跡ですが、
この日九州地区は30年振りといわれる大雪で、
移動する車の窓外の風景は
とても常夏の九州とは思えないものでした。
限りなく寒く、途中ユニクロで購入したダウンコートを、
ダウンジャケットの上から着てもまだ寒かったのを憶えています。
東条英機の娘婿、川南豊作が経営していた、
いわくつきの造船所跡。
この造船所がここまで雪景色になることは、
滅多にないのだと思います。
偶然にも出会った風雪の川南造船所の様子は、
オープロジェクト制作『萌の季節』に、
データコンテンツと共に収録しました。
http://homepage1.nifty.com/masay/nagasaki/kawanami.htm
全然誤報ではありません!
川南造船所は香焼にもありました。
一介のガラス・缶詰製造業を営んでいた川南豊作氏が、
香焼に最初に建設された造船所を引き継いだのが、
川南工業香焼造船所で、
ここではあの南極観測船<宗谷>も造船されています。
またこの記事やご紹介して頂いたサイトに掲載されている川南造船所は、
佐賀県の伊万里湾のほとりにある、
川南工業浦ノ崎造船所で、
香焼同様、川南豊作氏が経営していたものです。
造船王と言われる川南氏ですが、
実はもともと造船に長けた人ではなく、
それよりは思想的な主張が強い人で、
戦中は帝政国家に組して躍進しますが、
戦後その理想的思想があだとなって、
逆に戦犯となってしまう激動の人生を歩んだ人です。
教育にも重きを置いていた人物で、
川南高等造船学校
(旧長崎造船大学、現長崎総合科学大学)
の創始者でもあります。
戦前の小規模なガラス工場から・・・
川南造船所のことを話だすと止まらないので、
このへんにしておきます。
ちなみにご紹介いただいたサイトの、
一番最後のカラー写真に写る遺構は、
拙blogで紹介した、向山炭鉱跡です。
▼
http://blog.goo.ne.jp/ruinsdiary/e/13bbfc29139e1cd69a7f58da890b28df
ご参考までに。
実は、長崎県香焼島の川南工業香焼造船所跡を覚えていまして、川南工業香焼造船所跡をバックに航行している「野母商船」の写真も見たことがあります。
また、香焼在住の方に聞きますと、旧長崎造船大学(現長崎総合科学大学)は香焼に有ったとも聞いてました。
拙者HPのPRで申し訳ありませんが、管理人さんが、長崎に来たくなるなるようにと思い、下記URLを書かせて頂きます。(ご迷惑なら削除願います。)
http://www1.cncm.ne.jp/~m8512215/hasima/nakanosima.html
香焼の造船所をバックに航行する「野母商船」の光景!
みたかったものです!
『想像と記憶』の掲示板を拝見すると、
みなさん、船には特に思い入れをもってらっしゃるのが伝わってきます。
夕顔丸、平戸口丸、大洋丸・・・
航行しているのをみたかったものです!
長崎造船大学時代のことは全然知らなかったので、
長崎総合科学大学のサイトの沿革をみてみると、
短期大学時代に香焼から市内へ移転してるみたいですね。
▼
http://www.edu.nias.ac.jp/infomation/history/
勉強になりました。
ありがとうございます。
中ノ島の大写真を沢山アップされていたのですね。
端島の更新部分を拝見していて、まだ未拝見でした。
ありがとうございます。
ところで下から2番目の写真ですが、
海中になにやら遺構らしきものが半水没していますが、
以前中ノ島へ行った時にはなかったような・・・
これはなんでしょうか?
中ノ島に限らず、いつもいつも長崎へ行きたいと思っていますが、ままなりません。
中の島に行く機会がありましたら確認しておきます。
遺構ではなくて、ただの岩かもしれませんね。
この角度でみると、
なんとなく遺構のように見えるだけかもしれません。
部屋へ戻ったら中ノ島の画像をいろいろ見てみます。
ウソ書くな
川南豊作が東条英機の娘婿、のお話ですが、
当方ももともとそんな事は知らない事で、
もちろん出典があっての記述です。
「~ではない」という話をご説明頂くのは難しいと思いますが、
よろしかったら、もう少し詳しくお聞かせ頂ければと思います。