黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

旧佃島を歩く1

2018-02-19 22:29:56 | 東京 URBEX
先日オフ会的に催行した街歩き『東京古埋立地と呑み散歩』で、
久しぶりに訪れた佃島。
前回までは、明治以降に東京湾澪浚計画で埋め立てられた、
新佃島(佃二丁目〜三丁目)を巡りました。
今回から、元来の佃島だった佃一丁目を巡ります。
※佃島の概要はこの回の記事を参照





佃島の魅力は、なんといっても江戸の初期から存在した埋立地だったこと。
現在、東京湾には覚えきれない程の埋立地がありますが、
北に隣接する石川島と共に、群を抜いて歴史が古いのが旧佃島。

江戸時代からあった元来の佃島は小さな島で、
佃小橋を挟んで西側のほぼ正方形の島と、
東側の縦長の島ででき上がっていました。
いずれも周囲は500m弱ほどで、
徒歩でもすぐに全島を巡ることができます。






→google map

新佃島方面から歩いて来たので、
佃島へは東側から入ることになります。
画像は東側の佃島にある、佃天台地蔵尊。
幟がなければ、まず入ることはないと思うほどの狭い路地の奥に、
参詣所が造られています。







参詣所の間口も狭く、
小さな手水の上に、縁起が掲示されています。
その奥に、通路を一段と狭くしているのが、
大きな銀杏の木の根本。
祠の天井を突き抜けて、大きく育っています。







お地蔵さんといえば、
ほっこりした表情をうかべながら路傍に佇む、
小さめの立体彫像仏を思い浮かべますが、
このお地蔵さんはご覧のように、極めて珍しい2D。
過去にも何度か訪れた際に、いつも供花が手向けられ、
必ずお参りに訪れる地元の人とも出会います。
いまでもしっかり地元の信仰を集めているのがわかります。







お参りを済ませて路地を抜けると、
目の前に、こぢんまりとした神社が現れます。
扁額には「於咲/浪除 稲荷大明神」とあるので、
二つの神社が合祀されているのでしょう。
確かに神殿も2基あります。

浪除神社は、築地の場外市場の隣や、
江東区木場の洲崎神社の境内に残る波除碑など、
東京湾の古い海岸線だったエリアによく見られるもの。
今でこそ、防潮が行き届いて、水害はほとんど無くなりましたが、
かつては水の被害に悩まされたエリアだったことを改めて痛感させられます。







神社の境内には、画像のように「さし石」と書かれた石が、
いくつか点在しています。
その昔、佃島の漁師達が時化などで漁に出られない日に、
力自慢を競った重い石。
よく「力石」と書かれているのは見かけますが、
さし石という表現は初めて見ました。
さし、すわち「差す」で、差し上げる=持ち上げる
という意味だと思います。

ちなみにちょっと試してみようと思いましたが、
持ち上げるどころか、動かすことすら容易ではありませんでした。
昔の人って、腕力、あったんですね〜







神社の裏は、かつて二つの旧佃島の間にあった運河の跡。
現在でも、屋形船を運行する会社の船溜として使われている様子は、
江戸時代へタイムスリップしたかのような錯覚を覚えます。
さらに船溜の塞き止めまで移動して北方を眺めると、
佃小橋の奥にリバーシティの高層ビル群が林立する、
江戸と平成が同居した、時空の歪んだ絶景が広がります。


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