黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

同潤会上野下アパート #01

2010-06-30 09:15:33 | ・同潤会アパート
前回まで同潤会の三ノ輪アパートをアップして来たので、
ついでに上野下アパートもアップしようと思います。
三ノ輪アパートが解体されてしまった今、
同潤会アパートでは唯一残る物件になってしまいました。

JR上野駅から徒歩で約10分、
地下鉄なら稲荷町からすぐの所にある上野下アパートは、
ウェブ地図にも名称が掲載されていて、
とても分かりやすい場所にあります。
Mapion



稲荷町から清洲橋通りを北上すると、
道沿いに同潤会特有の壁が見えて来ます。
上野下アパートは三ノ輪と同様2棟だけの造りですが、
三ノ輪がほぼ同じサイズの2棟だったのに比べて、
上野下は横長の大きな2号館と、
その横におまけの様に建つ小さな1号館という、
極めて変則的な造りです。
画像はそのおまけの棟ですが、1階には店舗が入居しています。



道を入ると、大きな2号館があります。
中期同潤会アパートに多い4階建てですが、
特に4階部分が張り出して、
独身用の部屋になっている所など、
三ノ輪アパートと共通しています。



2号館のほぼ中央にある門が、一応正門になるのでしょうか。
三ノ輪の翌年、昭和4(1929) 年に竣工していますが、
ほぼ同じ時期の建築とは思えない位奇麗です。
三ノ輪は空襲で焼けてますが、
上野下は空襲を受けていないので、
ここまで奇麗に残ったのだと思います。



こちらの門は、1号館と2号館の間の門。
手書きの看板が今でも使われているのがいいですね。
ダストシュートが見えますが、
これもまた同潤会が作り出した集合住宅の技の一つと
言われていますね。



アルミサッシュに変えられている窓もありますが、
画像のように今でも木枠サッシュの窓枠も、
奇麗な状態で沢山残っています。



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2 Comments

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Unknown (pulin)
2010-06-30 12:25:16
こういう超古いアパートに住んでいる人が気になります。

昔借りた人の子孫が代々住んでいるのか、
同潤会アパートは最後は居住者に払い下げられたようですが
それにしても現代からすれば住環境が良好とは言い難い老朽住宅に住み続けるのは?

現住している人は何かしらの事情があるのでしょうが・・・・
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▼pulinさんへ (KLO@廃墟徒然草)
2010-07-01 01:40:08
戦火の被害を受けていない上野下アパートは、
戦前から入居されていた方やそのご家族が、
今でも多く住んでおられるそうです。

また今日の記事でも触れましたが、
組合を作って、増築改築をしないように徹底しているそうです。
ずっと住んでおられる方にとっては、
誇りに思える住まいなのではないでしょうか。

ちなみに、現在は新規の入居者は、
一切受け付けていないようですね。
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