リリーの備忘録

日々の生活の記録を綴ります。

45番岩屋寺まで

2016-01-19 21:18:51 | 歩き遍路
今日は青空が見えたりの中厚いが近づいてくると粉が舞い時々でした。
ポジティブな年長の人たちに引っ張られながら寒空の下でプレイしました。
傍から見るとようやるわ~私が一番年下なので寒いなんて言ってられません。

先ほどの9時のニュースで久万高原町の中心部、私が下りたバス停近くの積雪の風景が報道されていました。山深い岩屋寺はもっと雪深いんだろうな~


4月19日(日)岩屋寺に宿から約2時間半かかって到着しました。
ニューヨークタイムズの「2015年に行くべき52ヶ所」(35位)

http://www.nytimes.com/interactive/2015/01/11/travel/52-places-to-go-in-2015.html
四国が選定され

記念に溢れる日本の最も小さな主要の島のタイトルで1200年続く88ヶ所のお遍路の道を楽しむことができるなど~書かれています。

紹介の写真に岩屋寺が掲載されていたのでとても興味を楽しみにしていました。

岩屋寺は海抜650mに位置し、弘法大師が弘仁6年にこの地を訪ねた時はすでに岩窟に籠る法華仙人がいたが、大師の修法に篤く帰依し全山を献上しました。
大師は木造と石像の不動明王を彫りご本尊とし木造は本堂に石像は岩窟に安置されました。

山門を内側から見ると


大師堂


本堂





梯子で岩に登ってみました。




岩肌



祀られています















もう下りよう







手水場の水はツツジが咲き始めている岩場から





山門






樹齢数百年のトチの木が100本以上の原生林で海抜600mの高度で見られることは珍しいそうです。




















































45番岩屋寺の山門が見えてきた

2016-01-18 10:37:34 | 歩き遍路
今朝はの日差しはあるのですが、気温が低く冷たい風が吹いてとても寒いです。
お出かけ予定もないので、途中からだけどA.オープン錦織選手の試合を観ました。
どちらもラリー戦が得意でアグレッシブで速いスピードのゲームがとても参考になりました。(明日の頑張ろう

4月19日(日)は6時朝食。

宿の入口にロッカーがあり、おかみさんのすすめで不要なものを預かってもらって、リュックを軽くして出発しました。歩き遍路道は山道なので店はなく行動食と飲料はしっかり備えていざ出発。
車道を1kmほど歩いて山道へ入ります。


急な階段


坂道


ショウジョウバカマ




休憩所に人が


人形でした


励ましの詩~ありがたいけど立ち止まってゆっくり読んでいる時間はない


ミヤマカタバミ


標高730mの八丁坂の峠の茶店跡。
野尻~槙ノ谷から上がるコースとの出会い場所。1748年に槙ノ谷の七鳥村の人たちが建てた「遍照金剛」と彫った石碑があります。


が出てきました。道迷いに注意

花名?光沢のあるぶ厚い葉。


お地蔵さまの数が増えてきました。あと十七丁??


岩屋寺まで十一丁と刻まれています。

急登




岩肌にお地蔵さまが


ここを下ったところで初めて人にいました。白衣姿の人が見え動かないので最初人形かと思ったらガイドブックを見ているフランス人の男性でした。
外国人用のガイドブックの八丁坂ルートの岩屋寺近辺の地図のページを広げ、大宝寺への道を問われ、慎重に言葉を選んで指でなぞり教えてあげました。
間違って教えて遭難されたら大変ですから。

不動尊の後ろの岩の割れ目がせり割行場です。
法華仙人が弘法大師に通力を見せた跡。山岳修行者たちの古くからの修行場で大岩の裂け目を鎖を使って登る荒行。
山を下りながら、大岩、丁石、お地蔵さま、不動尊など今までと違った風景に気を取られ「せり割行場」に気付かず撮れませんでした。
また、いつか行きます。






岩と樹林の間を下ります




山門が見えてきました。



もうすぐ











久万高原町へ

2016-01-17 09:44:20 | 歩き遍路
4月18日(土)は10時前に自宅を出て志度駅で10時15発うずしお8号に乗り高松で乗り換え高松発10時47分でいしづち7号で松山で下車。
松山駅前からJR四国バス久万高原線「落出行き」14時15分発に乗り久万中学校前で下車。(15時30分頃着)片道バス料金1420円は、地域の人たちの通院となると病気にもなれないな~と自分のことのように思いました。
バスを下車したところのお店でふるさと村の方向をお聞きしたら
 「この道をまっすぐ」




沿道は椿や


手作り風の花壇も整備され清潔感があり町の人たちの気持ちが伝わります。


途中から山道に

車道に出て、長い峰御堂(とうの)トンネル(623m)

トンネルを抜けたところに平成21年に完成した六角形の久万高原遍路小屋があり


また山道に入り


しばらく歩くと集落が


車道に出て。もうすぐかな。


バスを降りて1時間歩いて、今夜の宿癒しの宿八丁坂がやっと見えてきました。


2014年開業で室内は明るく清潔。


くままちひなまつりのイベントを4月26日までしているので食堂もお雛様で華やか。
 

夕食

デザートのいちご大福


この日に岩屋寺を目指したのは、山中6kmほど私の足では3時間近くかかりそうなので、土曜日だったらだれか連れがいるかも、と期待していたのだけど同宿の人たち5人は今日岩屋寺のお参りを終えて、明日は46番浄瑠璃寺を目指すそうで一人旅になるかも、…。







73番出釈迦寺 72番曼荼羅寺 74番甲山寺

2016-01-16 22:28:24 | 歩き遍路
今日も風なく暖かでで心地よい汗をかきました。
屋島も

麓に紅梅の咲いた八栗山もくっきり見えます。


4月15日(水)は午前中はをし、午後はお遍路に変身です~笑
で善通寺駅へ行き


で先日の地点まで戻り

ため池のそばを通って


出釈迦寺は弘法大師が7歳の時救世の大誓願を立て我拝師山から飛び降り、落下直前に天女に抱き止められ「一生成仏」と宣り捨身ヶ嶽に寺を建立。
本堂

大師堂

子宝三この松は

葉が3本の珍しい松です。

72番曼荼羅寺は出釈迦寺から約500mの場所にあり、四国霊場では最も古い推古4年(596年)に佐伯家の氏寺として創建され、唐から帰朝した弘法大師が伽藍を建立。母の菩提寺。
唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の曼荼羅を安置。
山門

仁王像

本堂

樹齢1200年の空海お手植えの傘を伏せたような「不老松」は松くい虫侵食のため平成14年に伐採。

真新しい大師堂は2013.5.26に落慶法要。

74番甲山寺(こうやまじ)は弘法大師が幼少時代よく遊ばれた場所と言われる。
名前の由来は毘沙門天の鎧、兜に似ているから。
弘仁12年(821)堂を建立。

中門の向こうが本堂

大師堂

岩窟内に毘沙門天が奉られている毘沙門堂

そのあと善通寺まで歩いたが納経時間に間に合わなかった。
午前中してからだもの。無理無理~笑


次にしよう。




川島城~11番藤井寺

2016-01-15 23:41:54 | 歩き遍路
4月12日の続きです。

藤井寺へ行く途中、お遍路さんとベンチがほほえましい

遍路小屋「空海庵」

20分ほど歩くと、また遍路小屋

吉野川にかかる潜水橋・川島橋

満々と水を湛える吉野川~いつも夏は水不足の私の地域にとっては羨望の眼差し


が一台しか通れないので待避所があるけどあまり私は通りたくないな~笑

川島城は観光用の模擬天守閣

天守閣からの眺め



11番藤井寺は弘仁6年、弘法大師42歳の時自らの厄難を払いを堂宇を建立。
真言密教の道場として栄え、七堂伽藍の壮大な寺院になったが天正年間の兵火で全山を焼失。
現在の伽藍は万延元年(1860)に再建されたもの。

本堂

大師堂

境内の藤の古木は大師が悪疫退散の祈願のあとお手植えされたと伝えられる。