リリーの備忘録

日々の生活の記録を綴ります。

「四国八十八か所感情巡礼」

2019-03-25 21:57:38 | 歩き遍路

こんばんは。

お遍路ブログの更新は、なかなか進まないけど人の歩き遍路を読んでみると、視点が変わって興味深いです。



読みやすい文章で、飾らない人柄がにじみ出ている。
名前を聞いてもピンと来なかったが、年齢が高くなって「赤目四十八滝~」で直木賞を受賞で思い出した。
受賞するとお嫁さんになってあげるという人が増えて47歳で結婚。
「才能と金と根気がこの世の命である」とある。同行しているお嫁さんに失礼ではないか


平成20年2月から62歳で歩き遍路を始めている。焼山寺は朝6時に宿を出て午後3時過ぎに到着したそうだ。雪が降って凍結した山道を何回も転んだとか。寒かっただろうな~
お遍路は春と秋が多いけど真冬に歩いている人は少ない。

「雑誌「○ライ」四国遍路特集を読んでお遍路に来る気になったが、掲載されている写真は楽なところばかりで苦しいところは一枚も紹介されていない。で行けるところばかりの紹介で編集部の良心のなさが際立つ」と辛辣な批判

ごみについても多くを割いている。
「愛媛県はよく歩道が整備されている。
徳島県は愛媛県の百分の一。高知県の六十分の一ぐらいだ。
なのにゴミの量は徳島県は愛媛県の百五十倍だ」

日経新聞に「お遍路巡礼の記」を載せるため、お遍路をしながら原稿を書いている。
徳島県はごみが多いと書いたことが、徳島県から裁判で訴えられかねないという理由で預かりになったそうであるが、この本の版元は文芸春秋社。思いっきりごみのことが書いてある

香川が気になって読み進めると歩道が整備されていない。愛媛の百分の一くらいか。
自動車優遇でこの30年間県知事を勤めた人は何を考えていたのだろう、と。
香川は歩くに従って、ごみの量が増えてくる。山の中にたくさん捨ててある、と。
讃岐のごみは土佐の国と同じくらいで阿波の国の十分の一くらいか。
高松市内は遍路道に歩道がなく、高架橋、地下道が多く、歩く人のことを全然考えていない街づくりだ、と。
同感

彼は播州の生まれで生い立ちから現在に至るまでの苦労などを日記の所々に詳しく度々記されている。
彼は強迫神経症の持病で 飲んでいる薬のせいで?お腹の調子が悪く、毎日それを記録している。
私はその部分だけ読み飛ばしたが、P67については(書けないけど)思わず吹き出してしまった

73歳まで執筆予定表はできていると。
彼は、生イカをのどに詰まらせて亡くなっている。(2015年69歳)さぞ無念だっただろうな~合掌

またお遍路に行ってみたい、この次はで。
本に載っている旅館や気づかなかった史跡を訪ねてみたい。
私がお遍路をしていた時は、時間に余裕のある時は観光もしたけど、ほとんどは次の宿まで前を目指して必死で前へ前へ歩いた。一日30km以上歩いたこともある。

昨日、女性のお遍路さんを見かけた。
私も3年前はあんな感じだったのだなあと懐かしく思い出される。
いつもの中にお接待を用意しているのだけど、その日は見当たらなかった。
今は気力も体力もないけど、自分と向き合う機会をくれた仲間のOさんに感謝したい。
「お遍路に行こ~っと」「私も~~」 動機は軽いけど貴重な体験だった。

 

 

 

 

 


31番 竹林寺

2018-07-07 13:04:38 | 歩き遍路

こんにちは。
2015年5月27日。

高知リッチモンドホテルの朝食はバイキング 

 はりまや橋


外国人グループについてゆこう 

 急な石段を登って

 標高146mの五台山からの景色。 


山門は入母屋造り楼門。
 竹林寺は聖武天皇の命により行基が自ら文殊菩薩像を彫り山上に本堂を建てて安置した。

 目が大きくて怖そうでかわいい仁王様。


趣がある長い参道

 


本堂 


大師堂 


総檜造り 

 

 

 

 

 

 


鎌倉時代後期(1318)夢窓疎石の作庭と伝えられる池泉式庭園。
国指定名勝、素敵な庭園だった。 


 

書院からの眺め~この次はゆっくりお庭を拝見したい
 

次の禅師峰寺へ

 

 


29番国分寺(高知)~30番善楽寺

2018-07-07 12:07:46 | 歩き遍路

こんにちは。
2015年5月26日の歩き遍路です。 
早朝自宅を出て、土佐くろしお鉄道阿佐線(ごめん~奈半利線)奈半利駅で下車。
 
第29番札所国分寺は「土佐日記」の紀貫之が国司として4年間滞在した国府。
聖武天皇が天平13年(741年)頃、天下泰平と五穀豊穣を願って開創。
1655年建立の入母屋造り桜門。

 

 梵鐘は重文。

 大師堂

 
本堂に続く参道
金堂(本堂)は杮(こけら)葺きと寄棟造り 

 1250年余の面影を残す庭園は国史跡の土佐の苔寺庭園と呼ばれる。  


 30番の善楽寺へ。

 国分川


昼食 
 
米菓子

 蒲原(かもはら)お遍路休憩所


R384を歩いてもうすぐあと2kmほど 

 30番善楽寺に到着

 桓武天皇の頃(781~806)弘法大師が開祖。31番竹林寺に急いでいたのか写真がない。
御朱印は頂いている。
 


竹林寺への遍路道は「牧野植物園」のそばにある。
納経は5時まで。あと、15分しかない。この立札を見て、今日のお参りをあきらめた。
予約していた市内の宿へ。

高知駅前のcoco壱番屋の株主優待券を利用して夕食。

 

 


一人遍路 75番善通寺

2017-12-31 21:20:03 | 歩き遍路

こんばんは。
前日、雲辺寺と大興寺をお参りし自宅に戻り,今朝5月23日自宅を出て善通寺にお参りしました。


善通寺は弘法大師の師である恵果和尚が長く住した長安の青龍寺を模して建立し弘仁4年(813年)の落慶したお寺。真言宗善通寺派総本山。屏風浦五岳山誕生院善通寺と号される。
奥が本堂。

五岳山は香色山、我拝師山、筆山、中山、火上山が寺の西にそびえていて、毎年「五岳山登山」のイベントがあり私も参加して一日中かかって縦走したことがある。


「ART AT THE TEMPLE 2015」が5月16日~5月31日まで善通寺東院で開催中。 

 
 

 

  


今までお参りしたお寺のお線香は細いのが一束だったけど、こちらはたくさんの太い祈願線香が並んでいてお願いを文字で記されている。 

 

 
五重塔は伽藍(東院)に建立されている。


手水場も広くたくさんの柄杓。 

 


こちらからは誕生院(西院) 


大師堂 は誕生院


 

 
45000平方メートルもある広い運動場のような境内。

  

 


アート作者の方よりソラマメをお接待に頂いた。 


善通寺に向かう遍路道で後方から「おおい、ちょっと待ってくれー」と叫ばれ、振り返ると窓を開けておじさんが手を振っている。
引き返して、頂いたお地蔵さま。可愛い~ 


後日、この話を歩き遍路ツアーのガイドさんにすると、近くの工場で働いている人が、お遍路さんが通るとそのおじさんの家に連絡が入り、おじさんの親族でお体の不自由な方が手作りなさっているのだとか。願いが込められているお地蔵さま。大切にしよう。

東院と西院があり広すぎる上、アート作品ばかりにが奪われ、まとまりのないブログになってしまった。

 

 


一人遍路 66番雲辺寺~67番大興寺

2017-12-26 19:26:02 | 歩き遍路

 テーブルの脚に二重に敷くと傷みにくいし籠編みが畳に違和感なくなじんでいてアイデアね  


6時半、民宿岡田を出発。久しぶり同行者が男性3人いて心強くしっかりあとをついて行こう。 


宿から15分くらい歩いて登山口。そのあと直登。
しんどくて写真を写す時間はなかった。二人について行くのが精いっぱい。

宿を出て一時間で雲辺寺山の中腹の平らな場所に出てきた。ホッとしながら歩いていたら、野宿しながら別の道から歩いてきた男性二人と出会った。「その道はきつかったでしょう」と。 


 

 

 

 
雲辺寺山門

 


弘法大師は雲辺寺に3度登っている。
最初は16歳の時に善通寺の建材を求めに。この時深遠な霊山に心を打たれ堂宇を建立。
二度目は唐からの宝物を秘密灌頂(かんじょう)の修法をされた時。
三度目は弘仁九年(808年)嵯峨天皇の勅を奉じ、本尊を彫り仏舎利と仏法石を山中に納め供養し霊場と定めた。 


標高911mにある雲辺寺は四国霊場最高峰。徳島県にあるが、讃岐の打ち始めの寺で関所寺。
麓から山頂までロープーウェィで登ることができる。


大師堂 


本堂







 


五百羅漢 



乳イチョウ 

 

 




車道に出て

 








お遍路休憩所


大興寺は742年に東大寺末寺として建立され、弘仁13年(823年)に嵯峨聖帝の勅により再興。





樹齢1200年のイチイの木は弘法大師が種まきをされたと伝えられる。

急な石段を登って

本堂


大師堂


おにぎりを食べていたら、横の人が「昨日は岡田屋さん?お弁当、新聞紙に包んでいるから」と。お隣の人も岡田屋さんに泊まられたことがあったのかな。


神恵院に到着した時は納経時間を過ぎていた。


仁王像










 



次の機会に納経しよう。