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パワースポット 沖縄編 末吉宮

沖縄編

末吉宮

那覇市の末吉公園にあるうっそうとした森の奥に建つ神社で、琉球八社の一つです。公園の入り口付近は綺麗に舗装された遊歩道になっているけれど、奥に行くに従って舗装もなくなり、場所によってはかなり歩きにくい山道になります。
行ったときはそこに神社があることを知らず、ただ、公園内の桜を見ながら何があるのだろうと奥へ奥へと進んでいきました。歩くままに行き着いたのが末吉宮です。




グスクと同じような石灰岩の石垣の上に、清水寺を思わせる作りの社殿があります。本殿は、またその後ろ側に建っていて、横に回り込まないと見ることは出来ません。また、社殿の下の石灰岩の土台にはトンネルみたいなアーチ型の通路があります。
末吉宮の右側には、ガジュマルの樹の根が岩肌を這っている間に階段があり、その先にウタキがあります。行こうと思いましたが、呼ばれていないような気がしてやめました。




末吉公園の中には、拝所(ウガンジュ)が沢山あります。荒らさないように気をつけて歩きましょう。





一番危ないのはこちらかも知れません。



戻る途中に「子ぬ方(ニーヌファ)」入口という石碑がありました。案内板によると「子方の神」は「事始の神」となっています。
この石碑の先には、こちらも案内板に「周辺はイベ、拝所が多く、古くから一大聖地を形成し、霊場として朝野の信仰をあつめてきた様子が偲ばれる」とあるように、多くの神様を祀った石碑が建っています。
御先天孫子、宇天みるく神、宇天美女の神、宇天不動明王、宇天天の川母神、獅子神、宇天火ぬ神。その奥には、黄金軸という石碑が建ち、宇天親加那志、子ぬ方軸ぬ神加那志、宇天十二神の名前があります。
一番奥にあるのが「最高拝所 宇天軸」の石碑です。
こちらの石碑群の写真はありません。




末吉宮跡の案内より。

国指定史跡 末吉宮跡 昭和47年5月15日指定
沖縄県指定有形文化財 建造物 末吉宮磴道 昭和31年2月20日指定
末吉宮は、かっての琉球八社の一つで、俗に「社壇」と呼ばれている。尚泰久王代の1456年頃、天界寺住持鶴翁和尚が熊野三社権現を勧請して奉祀したのにはじまるという。本殿は三間社流造り本瓦葺きで、前面に向拝を付している。磴道は、参道を登りつめたところから祭場までの8段、祭場から拝殿跡までの21段および拝殿跡から本殿までの7段の一連の石造階段部分をいう。本殿と祭場はそれぞれ別の岩盤の上にあり、両間は切石積みの石造単拱橋(アーチ橋)で継いでいる。なお、磴道は昭和46年に修理され、本殿は昭和47年に復元された。
末吉宮の下方には、末吉宮の神宮寺で俗に「末吉の寺」と呼ばれる遍照寺(もの万寿寺)の跡がある。この寺は山号を大慶山といい、真言宗に属し、沖縄における神仏混淆の信仰形態を知るうえで重要な資料である。また、社殿の周囲の崖下には点々と拝所が設けられ、信仰の対象となっている。

末吉宮の起源

尚泰久王時代(1454~60)に首里の天界寺僧鶴翁が大和での修業中、熊野権現を崇信、学問成就せばさらに参詣することを誓った。帰国後参詣を願い出ても国王が許さなかった。あるとき、夢に熊野権現が現れ、これより北方の山に大声で呼び、応ずるところがあれば霊験ありという。果して前山に応ずる声があったが、そこは険阻で人跡のおよぶところではない。登る途中一鬼面出現したので、鶴翁叩首九拝する。その旨を国王に言上すると同様の霊夢があったという。そこで神社をその地に創建、鶴翁が見つけた古鏡を宮内に蔵した。


御祭神:伊弉冉尊(イザナミノミコト)、速玉男神(ハヤタマヲノミコト)、事解男神(コトサカヲノミコト)



番外編

竹富島 西糖御嶽




石垣島 唐人墓
神社仏閣以外にもパワーを感じる場所があります。石垣島の観音崎にある唐人墓は、1852年のロバート・バウン号事件で犠牲になった中国人の慰霊のために建立されました。










パワースポットはひとりひとりそれと感じる場所は違うと思います。ここで紹介した場所は、私がパワースポットだと感じた場所ですので、すべての人に当てはまるというわけではありません。

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