先日、茅野市の北山鉄鉱山後へ行ってきました。
案内者は終戦の直前ごろ、捕虜と一緒に鉄鉱山で働いていた中学生(現清陵高校生)だったかたです。体験談を交えた説明は、捕虜たちとの交流を含め、厳しかった状況が語られました。
この奥にコンクリートの残骸が今も残っている
道ばたに転がっていた鉄鉱石
説明にあった「石遊の湯」は軍事用の
鉄鉱石を掘り起こしていた跡地から
湧き出た温泉だそうです。
詳しくは
諏訪鉄鉱山
その後南相木村の不戦の像を見て、
さらに決して戦争をおこしてはならないと強く思いました。
不戦の像は
『不戦の像』の建立について
~ 平和への誓い新たに ~
ここ村境の「別れの松」は、過ぎし戦いの日、大命を受けた若者たちが、一言の抗弁も許されずに、村民総出の歓呼の声に送られて、愛する人々と、最後の言葉を交わした、まさに戦争の悲劇が凝縮した場所であります。
当時、出征するということは、死を決意することであり、肉親に対する断ちがたい愛情と、国に対する忠誠のはざ間に苦悩しつつ、征途についたのでした(南相木村HPよりさらにはHPへ)
近くに植えられていた花
この右側が日航機事故があった山
途中で休憩した松原湖付近
不戦の像