リツゲイ稽古場日誌

劇団立命芸術劇場の稽古場日誌です。日々演劇と向き合う団員たちの思いが垣間見える、かも...?

リツゲイ

2024-06-18 21:09:50 | 2024年度夏公演
こんにちは。一回生の尾崎巧光と申します。
稽古場日誌ということで、入って二ヶ月弱の私ですが今まで感じるリツゲイの舞台、稽古場で感じたことをつらつら書き連ねていこうかと思います。
まず稽古場。本当にみなさんレベルが高いと思いました。私がこの団体に一目惚れした理由でもあるんですが、このレベルなのにほとんどの役者が1〜2年前に初めて劇をやったっていうんだから驚きです。それだけこの団体の稽古における考え方とか、受け継がれてきた演技観が良いものだったのかなと思っています。
ただ、そこに関して最近悩んでいることがあります。自分の培ってきた練習方法やら演出方法と流派が違うような気がするんですよね。自分は中学の終わりから演劇を勉強しだして、高校からちゃんと役者をやり始めたのですが、浪人期含めた5年間で凝り固まった演劇観?をうまくこの団体に適応させるのが難しいのなんの…
まず発声練習の方法も違いますし、居方立方への意識の向け方の違い、役者の役作りに関する意識や計画の速さの違いやら、数えたらキリがないんですよね………
もちろんどの流派も一定の役者の理想像は持っていて、同じゴールに向かっているのですけど、いかんせん流派が違えばそこのアプローチの早さとか段階が違うわけで、そこにどうしても違和感とかモヤモヤが発生するわけです。
これがなかなか苦しい。つい先輩方が積み上げてきたであろうものに口を出したくなってしまう。よくないですね。新参者が伝統を破壊することが一番この世の中で邪悪なことです(断定)。
これに自分が適応できるようになるのはいつになるのやら。自分も法輪をガコンっと回して簡単に適応できればよかったのになーと思う日々です。

そんな話は置いておいて、これから舞台を作っていく身分になった上で一つ迷っていることがあります。リツゲイが重視している「会話性」と「写実的」のうち、写実性についてです。

まず初めに、辞書によれば写実的とは「事実をありのままうつし出そうとする傾向のあるさま」とあります。しかし自分はこのリツゲイという団体が「演劇における写実性」がどういったものであると考えているのかがわからないのです。

大前提として、自分は舞台は自由を体現するものです。舞台では何が起きてもいいし、家に家具がなくたって、畦道に標識が立っていたっていい。舞台にとって限りなく現実的であることはその自由さや無限の可能性を狭めることだと思っています。

また「写実性」と「現実性」は明確な違いがあると思っています。
これは芸術の話になりますが、写真の現実性に比べたら肖像画の現実性なんてカスじゃないですか。だからって価値がないわけじゃない。その価値にはもちろん作者の手間暇とか技法によって生まれているのはありますが、その肖像画が愛されることの本質には、それが「現実を限りなく再現しようとした偽物」であることがあります。これこそが写実主義の本質だと思います。
みんな偽物だから愛されるんです。

さて演劇の話に戻ってきますが、演劇では話は複雑になります。なぜなら、役者は自分と違う人間の現実性を追い求めるのが理想であるのと対照的に、舞台は現実性を追い求めすぎるとクソつまんなくなるからです。

高校演劇にありがちなことなんですが、実は次の大会に進めない学校ほど、場面によって大道具を使い分けたがるんですよね。もちろんその中でも全国大会まで進むような学校もありますが、進めない学校の劇を見てみるとやっぱり「家」のシーンではちゃんと大道具を使って舞台を家に、外のシーンでは何にも置かずに、みたいな。
別に家のシーンだからといって机がある必要ってないじゃないですか。外のシーンだからといって何も置かない必要はないじゃないですか。またどんな鉄筋RC造の高層ビルでも、舞台の上でなら好き勝手動いていいんです。

それと同時に、「舞台の面白さ」はいったいどうやって作っていくのかという問題も関わってきます。ここには二つの要素があって、
一つは「内容の面白さ」、これは脚本のおもしろさや役者が演技によって観客に伝える熱量、迫力などで構成されています。
そしてもう一つ、自分が問題視しているのが「視覚的面白さ」です。これは役者の動き、演出、舞台上での動きで構成されています。
この面白さは男の子がロボットの合体シーンにワクワクを覚えるアレに近いものがあります。
女子にもわかるようにいうなら、「アイカツ!」で女の子たちがフィッティングルームに入って徐々に衣装を着ていくシーンでのワクワク感ですかね。

そしてこの面白さを出す具体的な手法というのは、大雑把にいうと舞台上での動きを増やすことなんですよね。新歓でのちひろ先輩みたくようけ動くキャラを作ったり、舞台上を縦横無尽に駆け回るキャラがいたり、舞台上の大道具が動いたり…とか様々です。
では果たしてこれが全て現実的かというと全然違うと思います。アニメとドラマとかなら全然いるけど、実際リアルで動き回って話す人や激情的に話す人いないじゃないですか。半沢直樹の片岡愛之助みたくくねくねくねくねしながら問い詰める人とかいないじゃないですか。
つまりこの面白さを引き出すには、「舞台の演出があるていど現実性から離れること」が必要なんです。その上で、こと会話を重視するリツゲイにおいて役者の動きというのはあまり期待できないですから、その面白さは舞台上の演出が担う他ないと思うんです。

ただ、リツゲイが目指す写実性がどういうものであるかがわからないものですから、この面白さをどう導入すれば良いかがわからないのです。
見ての通り自分はかなり強い思想持ちですしその自覚もあるので、これをそのまま導入するのはリツゲイの伝統を壊す可能性があります。私はこれが嫌です。

リツゲイの重視する「写実性」の実態が、現実性を追い求めるものであるのは、あるいはそれは役者だけのものなのか。
これがわからず終いなのですが、誰が教えてくれるんですかね。

最後に私個人の話をば。
まず初めに、というかもうお分かりかもしれませんが、私は会話が下手です。
こういう文の構成の下手さもありますが、適切な話題選びとか、そういうコミュニケーションのテクニックが下手です。
自覚している分それなりに努力はしているんですが、すればするほど先輩方の会話に混ざっていいのか、どうやって話し始めたらいいのかわからなくなります。
折角会話を重視する団体に入ったんだから、そこらへんもっと上手くなれたらなーって思ってます。
長々と話してしまいましたが、私はまぁこのようなタイプの人間です。
団長が「あの新歓を見た上で入ってくるやつは気持ち悪いけど、俺はそんな奴と演劇がしたい」とおっしゃっていましたが、さすがに変わり者(ユニークという意味で。悪口とかじゃないです。)が集まりすぎではないですかね。今年の一回生。自分も例に漏れず、ですけど。
というわけで、これからの私、並びに一回生の歩みを是非見守っていてください。
みなさまお世話になります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする