幸せについての考察 【桐棺三寸】

桐鳳柳雨が贈る、幸せについての考察。
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亀田父子問題、一番悪いのは?

2007-10-19 | 日記 Ⅰ
1992年6月23日、両国国技館で、あるボクシングの試合が行われた。

ダブルメインイベントと銘打たれてはいたが、事実上のセミファイナルが、ユーリ・アルバチャコフ(当時:ユーリ海老原)対ムアンチャイ・キティカセムのWBC世界フライ級タイトルマッチ。

そして「結びの一番」はなんと、米国俳優の「6回戦」であった。

この興行は、「日本ボクシングコミッション公認」だったはずである。

言うまでもなく、「世界チャンピオン」はボクシング界の最高峰だ。
そのチャンピオンの座をかけたタイトルマッチが、米国俳優の試合の前座扱いである。

この試合が、芸能プロダクションか何かの主催によるものだとしたならば、まだいい。
しかし、そうではない。
少なくとも、日本ボクシングコミッションやプロボクシング協会は、あの試合を認めるなり知っているなりしていたわけだ。

つまり、「自分たちの最高権威を自分たちの手で引き摺り下ろしている」或いは「引き摺り下ろされていることを認めている」ことになる。
しかも「国技館」で、米国俳優を使って。

その、日本ボクシングコミッションが、亀田父子及びその関係者を処分するにあたって、「崇高な世界タイトルマッチを…」とか、「世界のボクシングを冒涜」だとか言っている。

よく言えたものだと思う。

過去に自分たちの手で「錦の御旗」を汚すような行為をし、人気を集めているからと亀田父子を放任し続け、批判が高まると見るや否や冒涜云々吐(ぬ)かし出す。

米国俳優の一件から日本のボクシング界に嫌気がさしていたのだが、今回の件で更に嫌になった。

ちなみに、この試合を仕組んだのも「協栄ジム」だった。

亀田父子の処分の軽重や、各メディアの手のひらを返したような豹変振りについては、いろいろなところで言われているので、ここではあえて触れない。

各紙の社説から。

毎日社説の
『これまで多くの世界チャンピオンを取材してきたが、共通していたのはハングリーな精神と、ストイックな生き方だった。そうしたボクサーのイメージを亀田父子は一変させた』との一節。

そうだろうか。
キャラクター的には辰吉丈`一郎だって似たようなものだし、渡辺二郎は「『飢えた狼』はもう古い。今は『洗練された猟犬』だ」という意味のことを主張していた。
また、ハングリーさなど微塵も感じさせないボクサーだって、多数いる。
いい加減、こういうステレオタイプな見方は変わらないものだろうか。

また、産経社説の一節、
『JBCにも混乱を招いた責任がある。大毅選手は実力不足にもかかわらず、派手な演出で注目を集めて世界戦を実現させる手法を黙認し、結果的に支援してきた。また、WBCのルールでは、セコンド(選手に付き添い、アドバイスをおくる役)に親族がなることを禁止しているにもかかわらず、「JBCでは過去に例がある」として認めてしまった。試合後、多くのファンから抗議を受けると一転して、事情聴取さえ行わずに処分を下すちぐはぐさだった』
は、正にその通りだと思う。

東京新聞の社説には、
『スポーツはスポーツらしくあってほしい。まずフェアプレー。それから、おのずと定まっているマナー。無理やりショーにしようとすると、そうした大事なものが崩れていく。そんなことをしなくても、スポーツには自然な感動がたくさん詰まっているのだ。スポーツに関係するすべての者たちは、無理に何かをつけ加えようとすればするほど、中身そのものもゆがんでいくことを肝に銘ずべきだろう』
とあるが、ボクシング界については、むしろ朝日社説の
『処分が出て、問題が解決するわけではない。選手育成や収益構造の見直しなどにボクシング界全体で取り組まなければ、ゆがみはまた別の形で現れる』
のほうが、的を射ているように思う。

…長くなってしまった。
キリがないので、このくらいにしておこう。

最後に1つだけ。

試合前まで「いじめられっ子キャラ」だった内藤チャンピオンが、試合後、マスコミが亀田父子へのバッシングを始めだしたとたん、イメージが変わったように見え出したのは私だけだろうか。
「この人、ホントはこうだったの?」という感じだ。

今度は彼が、マスコミに踊らされることにならないよう祈るばかりだ。


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自分の年老いた時の姿を想像してみる日

2007-09-17 | 日記 Ⅰ
私自身、20代の前半くらいまで、結婚などには全く興味なかった。
むしろ、一生独身がいいと思っていたくらいだ。

しかし、父親がガンで亡くなる時。
入院していた父が日に日に衰えてゆき、満足に一人で食事も出来なくなってゆく様を見た時、「こんな状態になった時、家族も誰もそばにいなかったらどうなんだろう…」と、ふと思った。

それですぐに結婚相手を探し始めたということでは、もちろんない。
また、結婚したからといって、自分が死ぬ時そばに妻子が居てくれるなどという保障も、どこにもない。

だが、自分の価値観・考え方が変わる大きなきっかけになったことは確かだ。

事実、それまで「正社員」などという立場には全く興味なかった私が、以前から「社員に」と乞われていたバイト先への「就職」を決めるようにもなった。

それは、フリーターやパラサイトシングルとされる人が多いこととも関係しているかもしれない。

実際、「彼は将来どうするんだろう」と思ってしまうような人も、私の周囲に少なくない。

就職など、自分の意思だけでは困難な事情もあるだろう。
しかしそれよりも、「自分が高齢になった時に独りで居るようになるかもしれないこと」に対する概念に、欠けているように思えてならないのだ。

今はいいかもしれない。
バイト仲間と楽しく過ごし、パチンコや競馬、ゲームなどに興じる。
親も存命かもしれない。
日常生活についても、自分でなんでもできるだろう。
また、「今のままじゃおわらない」という自負も、あるのかもしれない。

しかし、年月はあっという間に経過してゆく。
自分の気持ちは若いままだとしても、近い将来「現実」が実感させられる時が必ずやってくる。

結果的にどう生きるかは、もちろんその人の自由だ。
というよりも、自分自身の将来には、自分で責任を負うしかない。

「敬老の日」は、その名の通り高齢者を敬う日である。
しかし若い人には、「自分の年老いた時の姿を想像してみる日」であってもいいように思う。


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JRの特急列車内における強姦事件について

2007-05-13 | 日記 Ⅰ
「40人の人が何もしなかった」ということを、どう見たらいいのでしょうか。
「そんなに人がいたのに何もしなかったとは…」という見解がほとんどだと思います。

しかしこれを、「世の中の人たちのサンプル」として捕らえることはできないでしょうか。
ちょうど、視聴率調査のようなものです。
たまたま現場に居合わせた40人が、特別な人だったということではないと思います。
言ってみればそれは、それが世の中の人たちの姿を表しているというものです。

この事件について、どんなメディア、どんな人の意見を聞いても、「周りの乗客が行動を起こさなかったのはけしからん」というような主張となります。
しかし世の中、それほど「行動」を起こせる人たちばかりなら、少なくとも40人のうちの1人でも、行動を起こせていたはずではないでしょうか。

もちろん、メディアで「怖くてできませんよ」などということが言えないということはよくわかります。
ただ、こうしたキレイゴトばかり並べても、実際の解決策にはほど遠いように思えてなりません。

私が現場に居合わせたら…。
恥を承知で本音を言えば、行動を起こしたであろう自信はありません。

おそらく「どうしたらいいんだろう」ということばかり考え、悩み、冷静な対処など頭に浮かばなかったことでしょう。

或いは、「今から警察や乗務員に知らせてもどうにもならないだろう」などと考えたかもしれません。

また、仮に乗務員に報告したとしても、それにより乗務員が適切な対処ができたという保証はどこにもない。
報告後、被害に遭った女性や乗務員がどんなにひどい状況になったとしても、「俺は義務を果たしたんだからもういいんだ」とは、安心してはいられないと思います。

そして、激しい自己嫌悪にさいなまれ、自宅に帰ったかもしれません。

当日の40人の方々も、おそらくこれに近い状況だったのではないでしょうか。
この世の中は、世間で言われているような行動を起こすことのできる、勇気のある冷静沈着な立派な人ばかりではありません。

被害に遭われた女性の方には、本当にお気の毒です。
この不幸な出来事を今後の教訓として活かし、自分が目撃者になったら、被害者になりそうになったら、どのように行動するべきなのかよく考えておきたいものです。

鉄道会社なども、既に行われてはいるのでしょうが、こうしたトラブルに対する乗務員の対処方法の教育を施すと共に、乗客にも「このような時はこうして下さい」という旨の表示を明確にしておくべきかと考えます。


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JR西の事故から2年

2007-04-30 | 日記 Ⅰ
全く同じ経路、同じ料金のA社、B社2つの電車があったとします。
そして毎朝、通勤・通学のため、そのどちらかを利用する必要があるとします。

A社は、安全第一。慎重にも慎重を重ね、絶対にミスは起こさないという厳しい姿勢で運営されています。
しかしそのためか、B社より目的地までの所要時間が多くかかり、本数も少ない。
一方のB社は、もちろん安全には配慮しているが、A社ほどではない。
ちょうど、事故を起こした当時のJR西くらいと考えて下さい。
そのかわり、A社よりも目的地に早く到着し、本数も多い。

この、A・B両社の選択、それぞれどのくらいの割合になるのでしょうか。

私の場合、本来は「A」と模範的な回答をすべきでしょうが、B社の電車を利用すると答えるでしょう。
事故といっても毎日起こるわけではないし、遭う確率も極めて少ない。だったら、利便性を重視するかと思います。

しかしその僅かな確率でも、万一事故が発生してしまった時には大惨事となってしまうわけです。
たくさんの人たちが不幸になってしまうことになります。

JR西の事故から2年とのことで、「安全を最優先する企業風土の構築」ということが言われているようです。
しかし、それを言うならむしろ、「社会全体」が安全を最優先する風土となる必要があるのではないでしょうか。
つまり、私のような人間の考え方や価値観を変える必要があるということです。

社会全体が、「より便利に・よりラクに・より利益を」ということを追い求め過ぎているように感じます。


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銃を入手したいという方へ

2007-04-18 | 日記 Ⅰ
奇しくも日本とアメリカそれぞれで、銃による悲劇が起こってしまいました。

犯罪以外の目的で、人はなぜ銃を手にしたいと思うのでしょう。
「護身」か「趣味」のどちらかと答える人が大半を占めるのではないでしょうか。

もしもアメリカのように一般人が銃を入手できるような環境にあるとしたならば、確かにそうした願望を持つ人の要求は満たされることでしょう。
しかし、それはすなわち、他の誰もが手にできるということにもなるかと思います。

皆が皆、護身や趣味で手にするのならまだよいでしょうが、犯罪目的の人や暴力で自分の意見を通したいと思っている人、或いは精神的に危険な状態にある人などまでもが、銃を入手できてしまうことになるかもしれません。

また、今現在は護身・趣味目的の人でも、いつどのように心情が変化するかわかりません。

銃を手にするという権利を主張するのであるならば、それによって撃たれるかもしれないというリスクも背負うことになります。

一般人が銃を購入する際には、身分証明他、様々な手続き等があるのだと想像します。
ついでに、「私は、銃により被害を受けることになっても構いません」という意味の誓約書でも書かせたらよいのではなどと思ったりもしてしまいます。


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アジア統一を!!

2007-03-25 | 日記 Ⅰ

実現は極めて困難でしょうが、個人的にアジアが統合するということ、とても理想的に思います。

EUの総人口が約5億人ということですが、中国、インド、インドネシア、パキスタン、バングラデシュ、日本の人口を合わせるだけで、約30億人。
世界の総人口の約半分を占めます。

人口が多ければよいというものではないでしょうが、世界に与える影響力・発言力には、ものすごいものが出てくると思います。
例えは適切ではありませんが、アジアによる世界制覇も可能になるかもしれません。

主義主張や考え方における差異が顕著ですので夢物語の域は出ないのでしょうが、白人至上主義の今の世界を一変させることができるかもしれないと思うと、なんだかワクワクしてきます。

日本が音頭をとると「大東亜共栄圏の復活」などと言われそうですが、中国主導というのもどうも…。

維新前夜、日本国の未来のため、それまでいがみ合っていた薩摩・長州を薩長同盟に導いた坂本龍馬のような人が、アジアにも現れないでしょうか。
少なくとも日中が手を結ぶだけでも大前進でしょう。

もしも、そういう人が日本から出るとしたならば、左右両派の意見をとりまとめることで早くも挫折しそうですが…。


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国旗掲揚・国歌斉唱に反対という方々へ

2007-03-03 | 日記 Ⅰ
強制されることについて反対であるとの報道はよく見聞しますが、「ならば、どうしたいの?」という部分については報じられていないように思います。
このあたり、個人的に大変興味があります。

日の丸・君が代そのものに反対なのか。
或いは、強制されることが嫌なのか。
違う国歌・国旗が良いと思うのならば、どんな旗、どんな歌が良いと考えるのか。
そして、それをどうやって決めるのか。
もしも国歌も国旗も不要というのなら、例えばオリンピックなど、それらを必要とする場面ではどうするのか。
…など。

反対論者の考え方をぜひともお聞かせいただきたく思います。

ちなみに私は、
「国旗掲揚・国歌斉唱を求められる場でそれに従うことには異存ない私ですが、反対論者の気持ちは理解できます。私も嫌なことを強制されたくはありません。しかし、先日の判決は妥当なところじゃないでしょうか。というより、そもそもこうした問題を法廷に持ち込むということが、私の価値観とは異なります。」
というところでしょうか。


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フジテレビ番組捏造について

2007-01-22 | 日記 Ⅰ
私も「あるある大事典」とか「おもいッきりテレビ」などで紹介される食材など、ついつい気にしてしまうタイプかもしれません。

今回の番組内容の捏造はともかく、そうでないものについても、あくまで「この食材にはこういう成分が含まれる」そして「その成分にはこうした働きがある」ということであって、「これさえ食べればこうなる」というようなものではないことを、改めて認識しておくべきかと思います。

特に、いわゆるダイエットについて。
食事全般、及び運動なども含めた広範囲にわたる対策が必要になるものと考えます。
当然そこには、理想の自分の姿を得るためにはらう努力というものが要求されることでしょう。

「金を払って横になっているだけ」「特定の食品を摂るだけ」「何も食べないだけ」ということで理想の体型を得ようという発想をするその人自身に、容姿云々以前に、既に魅力がないのでは、などとも感じてしまいます。


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不二家問題について

2007-01-17 | 日記 Ⅰ
このような報道がある度、「どこもやってるんだろう」という感想を持つ方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

期限切れの原料を使おうという判断に至る理由として、「廃棄するのがもったいない」「コストがかさむ」ということがあるかと思います。
そして、多少の期限オーバーなら大丈夫だろうという認識もあるのでしょう。

確かに、多少期限をオーバーしたくらいの原材料なら食中毒なども発生しないかもしれません。
要するに問題となるのは、健康云々ということもあるでしょうが、それよりもむしろ「隠蔽したこと」「信頼を裏切ったこと」なのだと思います。

で、あるならば、「モッタイナイ精神」が尊ばれている昨今。
いっそのこと、「期限切れ原料使用」や「工場の床に落下したもの」といった「ワケあり製品」を、堂々と情報を開示して格安で販売したらどうでしょう?

「細菌検査済みですが、ご購入の際は自己責任でお願いします」といった注意書きを添えて…。

…このタイミングでこんなこと書いたら、叱られますね。


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「賢い主婦はスーパーで手前に並んでいる古い牛乳を買う」?

2007-01-01 | 日記 Ⅰ
12月31日付「東京新聞」、
『大晦日に考える 『私』でなく『公』の意識を』の社説。

内容的には、ほぼ同感です。

しかし冒頭の、「賢い主婦はスーパーで手前に並んでいる古い牛乳を買う」の話。
同じ値段で売られているものなら、新しい日付のものを買うのは当然のことではないでしょうか。

同じ金額を支払うなら、できるだけ価値のあるものを選ぶ…。
それは、消費者のエゴなのでしょうか。

だったら牛乳に限らず、パンでもキャベツでも豚肉でも、何でも古いものから買っていけばよいということになります。
「新鮮な野菜や魚の選び方」など、消費者に教えてはいけないのではないでしょうか。

もっと言ってしまえば、人間だってそうかもしれません。
使えそうな人材であるなら、企業も就職機会に恵まれにくい「古い人」から採用すべきでしょう。

売る側も、たとえ10円でもいいから日付の古い牛乳を安くするなどしてもいいように思います。
「利益を減らすのはイヤだから、買うヤツが古いのから買っていけ」とは、逆に売る側のエゴのようにも感じます。

それを冒頭のような惹句(じゃっく)に置き換えるという感性、企業側になびいているように思えてしまい、個人的にあまり好きになれません。

因みに、このキャッチコピーのキーワードは「牛乳」というところにあるような気もしますが、いかがでしょう?


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絶妙のタイミングでのリーク?

2006-12-31 | 日記 Ⅰ
安倍政権「身内」の相次ぐ不祥事発覚、そして辞任。
誰かが情報をリークしたことによるものなのでしょうか。
だとするならば、絶妙のタイミングのような気がします。

国会開催中、または直前ならば、野党にとって恰好の攻撃材料となったことでしょう。
しかしこのタイミングならば、安倍政権へのダメージとはなりますが、自民党に対しては、さほどでもないように思えます。

それにしても、佐田前大臣。
明日、「行政改革担当大臣」との肩書きが誇らしげに書かれた年賀状が各所に配達されるのでしょうか。
或いは「力」によって、事前に回収されるのでしょうか。


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消費者金融、及び多重債務について

2006-12-26 | 日記 Ⅰ
私は、必ずしも多重債務者擁護論者ではありません。
止むを得ない事情により債務多重状態に陥った方ももちろんいらっしゃるでしょうが、遊興目的など、自己責任を問われるような人も多くいるものと考えるからです。

しかし、消費者金融業者の「注意喚起文」?は、好きになれません。

例えば、
「契約内容をよくご確認ください」
「無理のない返済計画を」
「無理な借り入れにご注意を」
「ストップ!借りすぎ」
など…。

それを言うなら、
「契約内容をよくご『説明』ください」
「無理のない『貸付』計画を」
「無理な『貸し出し』にご注意を」
「ストップ!『貸し』すぎ」
とも言えると思います。


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安倍首相の支持率低下について

2006-12-12 | 日記 Ⅰ
確かに、リーダーシップがあまり感じられない、パッとしない、というような印象を受けるように思います。
当初の期待が大きかっただけに、そのギャップということもあるのでしょう。
また、派手なパフォーマンスで大衆受けした、小泉氏の後ということも影響しているのかもしれません。

以前、弊誌で書いたことがあるのですが、安倍氏は本当に心底この時期に首相になりたかったのか疑問に思うことがあります。

小泉氏が首相当時に行った党首討論だったかの時。
その様子を食い入るように見つめる麻生氏と対照的に、安倍氏の様子は居眠りをしているかのようでさえありました。

もちろん、いずれは総理総裁にという気持ちはあったでしょう。
しかし、時流に抗うことができぬまま、そして、この時期を逃しては或いは二度とチャンスが巡ってこないかもしれないという気持ちもあり決意した…。

そんな邪推を勝手に抱くことがあります。


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元スパイ変死事件について

2006-11-30 | 日記 Ⅰ
英国に亡命した元ロシア連邦保安庁(FSB)中佐のアレクサンドル・リトビネンコ氏が死亡した事件について。

ヒネクレ者の私としては、ロシアが、こうも簡単に疑われかねないようなことをするだろうかと勘ぐってしまうことがあります。

ましてやロシアの大統領は、元KGBのプーチン氏です。
仮に暗殺するとしたら、もっとロシアが疑われないような方法でできそうな気もします。

例えば、行方不明という形にしてしまうとか…。
少なくとも、わざわざ「ポロニウム」などというややこしいモノを使う必要はないものと思います。

もしかしたら、プーチン大統領を窮地に追い込もうとする一派の仕業なのでは…。
「ゴルゴ13」の読み過ぎかもしれませんが。


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高校野球について

2006-08-22 | 日記 Ⅰ
中学時分まで大好きだった高校野球ですが、高校進学を境に興味を失ってしま
いました。
あえてその理由を考えてみると、3つあるようです。

東東京に属するわが母校野球部は、予選が行われる神宮球場の電光掲示板に自
分の名前がのったということだけで喜ぶほどの弱小校だったのですが、その部
員たち。
普段は、開襟シャツにダボダボのズボンという出で立ちでタバコなどふかして
いるのですが、予選で球場に向かうときになると「純朴な高校生です」といっ
たファッションに変貌していました。
そこに、高校野球の真の姿を見たような気がしたということが、まず1つ。

次に、TV中継など。
例えば、9回裏2アウトといった場面になると、負けている側のスタンドで泣
きながら手を合わせている女子学生の姿を映すなどして「感情を強要されてい
る」ように思えたことが、2つめ。
「この場面を観て、泣こうが笑おうが感動しようが俺の自由だろ!?」などと
思ったものでした。

そして最後に、同年代の選手がキャーキャー騒がれていることに対する嫉妬。
前回の早実快進撃の立役者・荒木大輔投手などは、その典型でした。

そうした理由から久しく高校野球から遠ざかっていたのですが、今大会につい
て、新聞紙上等で劇的な試合が繰り広げられていることを知り、昨日の決勝戦
はTVでところどころ観戦しました。

高校生の体格・技術の向上にまずびっくりしました。
以前は飛び抜けた選手が数名といった感じでしたが、今では全員が、30年く
らい前の「一般的な」プロ選手のようです。
そしてもちろん、試合自体もなかなか素晴らしいものでした。

斎藤、田中両投手の投げ合い。
そして、「絶対に負けない!」という選手たちの気迫。

今後は変な意識を拭い去り、スポーツの1ジャンルとして純粋に楽しんでみて
もいいかな、などと思いました。
ただし、「感情の押し付け」だけは相変わらずゴメンですが。


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