ニュースの疑問

日々のニュースの中で、疑問を感じたことを、分析して、裏側をえぐり、真実を探っていく。

21日の記事の後半

2008年08月29日 | Weblog
 記事を書いた後、タイミングよく、28日の毎日新聞に、その後の経過が載っていました。

 「おれが保育園の時、よく周りの子から泣かされていました。おれの泣き声を聞くと、兄ちゃんはすぐに来て助けてくれました。今回はおれが兄ちゃんを助けたいんです。力を貸してください。」
 真っ赤に焼けた顔で、安永浩太さん(24)が呼びかけた。 

 知的障害があり、授産施設に通っていた兄ちゃんは昨年9月の夕方、佐賀市の路上で意識を失い、息を引き取った。
 警察の説明はこうだ。国道を蛇行運転している自転車を通りかかったパトカーが見つけ、歩道に上がるように指示をしたが反応がなかったため、サイレンを鳴らしたところ、原付バイクに追突した。歩道に連れていこうとしたら暴れたので、取り押さえたら、直後に意識がなくなった。
 ところが、5人の警察官が、コンクリートの路上に投げつけられ、這うように逃げる兄ちゃんを何度も殴っているのを女子高校生たちが目撃していた。
 女子高校生は警察でもそう証言したが、「殴ってはいない。(証言は)不確かだったので調所にしなかった。」と警察は黙殺した。
 兄ちゃんの頭や顔には多数の傷があった。警察官を告訴したが、半年後に検察庁が出した結論は不起訴。現在は付審判請求をして、刑事裁判が開かれるのを待っている。

 毎日新聞より転載。

 

 前の記事に追加されることは、「警察も検察も同じ穴のむじな」ということ。

 裁判所も、仲間だったら、、、、、

水没した車からの脱出

2008年08月27日 | Weblog
 高架下で水没。消防も、警察も、救助に来なかった。
「おかあさん、さよなら」

 悲しすぎるニュースです。行政に対する怒りもわきあがってきます。

 しかし、忘れていることがあります。パワーウインドウのなかった時代には、簡単に窓を開けて脱出できた、ということを。

 1997年、ひたちなか市で、水没による死亡事故の多発を受けて、実験が行われています。
「水没した車からの脱出実験」

 結論だけ取り出すと、「特殊ハンマーを、用意しておく」でした。

 この結論はまちがっています。
 
 私の出した結論は、
「パワーウインドウは、欠陥商品である」

 エンジンが止まると、動かない。ここに最大の問題があるのは明らかなこと。

 欠陥商品であることを認識しながら、今日まで、放置してきた、メーカー、行政、マスコミ、責任は重大です。

 私は、10年以上前、明るい昼間、港で転落した車。人もたくさんいたのに、救出できず、全員死亡するというニュースを聞いたときに、すぐ、このパワーウインドウは欠陥商品だと思いました。

 死の恐怖からパニックに陥った状態で、特殊ハンマーを探し出し、正しい使い方で、窓ガラスを割り、脱出する。そんなことができるでしょうか。

 窓を開けるためのハンドルを残しておく。あるいは、昔の三角窓のようなもの。
これは水没しても、簡単に開けられるので、水を入れて、圧力がなくなったところで、ドアを開けられる。
 こういった簡単な方法をできるようにしておくことです。

14ip 596pv

2008年08月21日 | Weblog
 昨日は異常な数字が出ています。14アクセスに対して596ページビュウ。14人が596ページですから、はじめから終わりまで、すみずみまで見ていった、ということです。殺人という言葉に反応した、当局の人間が、危険人物かどうか、調べにきた、ということでしょうか。
 
 犯罪を犯したかったら、警察に就職しろ、という言葉があります。組織ぐるみで隠蔽してくれるからです。
 
 最近も、知恵遅れの青年が、挙動不審者という扱いを受けて、地面に引き倒され、胸を強打されて、心停止、死に至るという事件がありました。目撃者までありながら、病死扱いになっています。実行行為者は、今日も変わらず、勤務しています。

なぜ人を殺してはいけない

2008年08月18日 | Weblog
 グルジアとロシアの戦闘は、ロシアの大統領が、終了宣言書に署名して終わりになるのでしょうか。
 「女王の教室」というドラマの中で、主人公の教師が過去に、再教育センターに送られた原因。
「なぜ、人を殺したらいけないの」と質問した生徒に、暴力をはたらいたから。
 
 私も、同じ質問をします。正しい答えを知りたいから。

 ロシアは、グルジア人を、2000人以上も殺した。人を殺すのは、悪いことではないのでしょうか。

 現在でも、「戦争」という状態になると、価値観が逆転してしまうのはなぜ。

 国家の名で行えば、殺人も、「正当な行為」になってしまうのは、なぜ。

 映像でも、グルジアのテレビレポーターが、背後からの銃撃を受けて、負傷していました。これは、殺人未遂も、傷害罪も成立しないのか。
 別のテレビクルーのカメラマンにむかって、ロシア兵が銃をむけて、
「カメラをどけろ、殺すぞ」と、どなっていました。テレビカメラを下げなければ、本当に発砲していたでしょう。なんの躊躇もなく、平然と人を撃ち殺すことができるのが兵士です。

 ブッシュも、命令ひとつで、何万人ものイラク人を殺しています。ロシアの行為も、軍隊どうしの戦闘ではなく、爆撃による、一般人の被害者がほとんどです。

 素手、刃物、弓矢、銃、大砲、航空機爆撃、ミサイル。この順に、殺人という認識が薄れていきます。
 
 大統領は、紙にサインをするだけ。殺人という意識は、まったく持っていない。

 殺人が悪である、という価値観は、他人の手によって、人生を中断されたくない、という意識から生まれたものではないでしょうか。
 それなのになぜ、人間は、戦争になれば違う、という条件を残してしまったのか。

 ルールとは、権力を握った者が、自らに、都合のよいことを決めた事柄のことである。
 
 結局、ここにたどり着いてしまうのか。