Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2013年12月号 みんなの声:ソマリアへの本国帰還

2014年08月09日 | コミュニティーとカルチャー
KANEREは、ソマリア人コミュニティーの年齢の異なる人たちに、「ソマリアへの本国帰還についてどう思うか」という質問をした。難民たちはそれぞれ自分の意見を語ってくれた。世論にはさまざまな視点があることがよく分かる。

2000年にケニアに逃げてくるまで、私はゲドに住んでいました。ソマリアの和平は今もテロ組織の手中にあり、現時点では帰れません。帰る人にとって安全な地にすることが先決です。教育や医療、安定した食物を与えられる権利が約束されるべきです。そのためには、安全な組織がつくられるよう、国際社会が支援していくべきです。石のように人を砂漠に放り投げて、人がむざむざと死んでいくのを見ているのはおかしい。人間にしかないものがあるのです。
―M・サイド(ルーテル世界連盟ソーシャル・ワーカー)

ソマリアで内戦が勃発した1991年に、ケニアに来ました。UNHCRかケニア政府かによって1995年に沿岸の難民キャンプが閉鎖されてから、キスマヨに戻りました。でも現地では暴行が続いていて、再度2009年にケニアに逃げました。生まれはモガディシュで、そこで高等教育を受けました。内戦前は、未来への希望にあふれていました。ソマリアを愛していますが、安全が確立するまでは帰れません。今がその時ではないし、暴力が半減したとも言い切れない。アル・シャバブは未だに国の平和を脅かしているし、武装団は今も強力な武器を持っている。一部の都市はケニア防衛軍(KDF)がいるから安全だと言われるけれど、キスマヨのわずか15キロ先は不法組織の手中ですよ。自分にとっても、子どもにとっても、ソマリアよりカクマのほうが安全だと思っています。ケニア政府とUNHCRがこうして受け入れてくれていることに感謝しています。三度目にソマリアに戻る時には、もっと平和な国になっているといいなと思います。
―アブディカディル・アブシール(NGO職員、難民リーダー)

2009年からカクマに住んでいます。ソマリアのジョウハルのある中部シャベル州から来ました。改めて自分の身を危険にさらしてまで、帰る気はありません。安全ではないから、今がその時ではないです。私の愛する父は殺されました。私の部族は国の大多数を占めていますし、住んでいた中部シャベル州は1992年から部族を標的にした暴力が続いているだけでなく、ひどくなっています。
―アブディ・マガフェ(ルーテル世界連盟警備員)

私はケニアのマリンディ市生まれですが、両親はキスマヨから来ました。九人家族とカクマに住んでいます。ソマリアへ行ったことはなく、知っていることはケニアのことばかりです。生まれたときに国籍が決まったものの、ケニアの市民権はありません。ソマリア人にとって本国帰還は時期尚早です。安全でもなければ、安定してもいない国だからです。50パーセントよくなったかもしれませんが、戦争でボロボロになった国に難民を戻す時期だとは思えません。難民のリーダーがまず行って、確認して、ソマリアの和平状況をまず見て戻って来るよう許可されるべきです。ソマリア人難民が本国帰還を強制されるのはおかしいです。
―アーメド・ユスフ(ボー・タウン学校生徒)

私はカクマに住む芸術家で、2009年にカクマに来てから、家族と住んでいます。自分はソマリアに戻りません。自分がマドヒバン族という、少数派の部族の人間だからです。子どもと妻は、ほかの部族との結婚を許さないハウィエ族なので、ソマリアに戻ったら自分は家族から引き離されてしまいます。アル・シャバブに爆撃されたモガディシュに、大きなスタジオを持っていました。父はスタジオで殺され、皆すべての資産を失い、ケニアに逃亡しました。内戦で母もなくしました。2007年以来、きょうだいも行方不明のままです。
―アブディナシール・アブディ(芸術家)

1998年にカクマに来て以来、キャンプでは苦しいことばかりでしたが、それでもソマリアには戻れません。ハウィエ、ダロッド、イサックといった部族の人は、政府に入っていて銃も持っているので帰れるでしょう。力もあるし。でも少数派の部族は、安全が約束されていない地域には戻れません。私はUNHCRの面談に行ってきましたが、家族と、アメリカでの再定住を望んでいます。
 ―フセイン・イブラヒム(七人の父)

私は母と、2007年にカクマに来ました。父はモガディシュで爆弾によって殺されました。今私はキャンプで勉強しています。カクマに来て唯一よかったことは、学費が安いことです。ソマリアはまだ安全ではないし、心配な点が山ほどあります。ソマリア人が現時点で強制的に帰還されるべきではないです。
 ―アブドゥラヒ・ファラハン(学生)

私は下部ジュバ州ジャマメから逃亡し、1992年にケニアに着きました。ケニア沿岸部の難民キャンプで登記をし、そこで育ち、1998年にカクマへ移転しました。私はソマリアへの本国帰還を支持し、自分も帰ることを望んでいます。国が今ほど私たちを必要としている時は、ありません。ソマリアは二十年間戦地でした。最初の十年は部族争いで、その後の十年は外国人、アル・シャバブや過激論者対ソマリア人の戦争でしたが、部族争いは終わったのです。人のイデオロギーは時間が経てば変わる、というのが戦争の特徴です。たとえば、アル・シャバブのイデオロギーはソマリアの権利のために立ち上がることができる、という主張でした。何百万人ものソマリア人がアル・シャバブと生き、自衛しています。アル・シャバブへの批判は人々が判断したことであり、その内容は十分な法的整備がないということでした。アルカイダとのつながりがあり、支持したくないということです。でも私が思うに、ソマリア人の帰国は平和をもたらし、社会経済的な面で大きな貢献になります。ソマリア人は商才があり、ケニアの多くの都市で経済を活性化してきましたから、母国でも同じことができます。
 ―ヤシン・モハメド(難民による組織、アリフォーム・ソマリア・ジェネレーション代表)

生まれはモガディシュのワベニです。安全を求めて、1997年にケニアに逃げてきました。私はもうあの地に戻るつもりはありません。父も母も、部族間の争いによる差別で、モガディシュで殺されました。自分が少数派の部族生まれであることは屈辱だと感じていましたが、それは私のせいではありません。モガディシュの周囲はまだ安全ではなく、爆撃もあれば罪のない一般人の殺人もあり、武装団が政府関係者を殺すこともあります。
 ―アディ・アドウ(NGO職員)

本国帰還は2013年1月14日開始といわれていますが、私にはその準備ができていないし、カクマのソマリア人も同じです。12月にリーダーたちがUNHCRと協議し、キスマヨのある下部ジュバ州とバイドアのあるバイ州が解放され、帰国者にとって安全な地域になったと明らかにされました。ダダーブ・キャンプにいる難民たちはジュバランドから来ている人が大多数なので、その人たちは問題なく帰れるでしょう。本国帰還の手続きはUHCHRの現地事務所や国の難民関連機関がやります。それからUNHCRはこの協議で、安全だとされた地域から来たソマリア人にのみ予算が計上されていると言ったそうですよ。
―アブディラティフィ・M(ソマリア人難民リーダー)

2002年、リボイでケニア国境を越えました。内戦が起きたとき、私はやっと歩き始めたばかりでした。母が私を10日間背負っての旅でしたが、そのせいで私は障がいを抱えるようになりました。ソマリア人がソマリア人を殺したあの地では、生きること自体、汚れたこととなりました。なぜそんなことになったのか、この年になっても分かりません。ソマリア政府は安定していません。保安組織がさらに必要なため、AMISOM(アフリカ連合ソマリア・ミッション)が面倒を見ているわけですが、こんなに甘やかされている国に帰ったところで誰が私たちの安全を保証してくれるのでしょう。私はソマリアへ二度と帰れません。両親はもう年老いています。二人を養えないし、私も養ってもらえません。また戦争が起きたら、また死ぬのです。援助に来た人や政府関係者含む、何百人もが今も死んでいるのですよ。
 ―アブディ・アリ(障がい者グループ青年リーダー)

戦争で町が攻撃される前、私の家はゲドにありました。2007年10月、やっとのことで8人の子どもを抱えてケニアに逃げてきました。私がまだあの地に戻れないのには、理由があります。あれからかなり時間が経っていますし、現状もよく分かりませんが、私が知る限り平和も安定もありません。政府も機能していません。一部の町では、アル・シャバブのほうが機能しています。テレビで見たのですが、大統領事務所と首相事務所の間でアル・シャバブが国会議員を殺したそうですね。恥ずべきことです。でも代わりになるものは、ない。私たちは難民で、変化をもたらすこともできず、なんの力もないのです。
―ファーハン・ディリエ(国際救済委員会職員)

キスマヨに逃げ、1991年ケニアにたどり着きました。難民キャンプはここが二つ目です。政府が自らの民主主義を守る力を持っていないソマリアへ帰る気にはなれません。そのため、ここで難民を返すことは1951年のジュネーブ条約に違反していることになります。キスマヨの治安は99パーセント悪くなっていますし、ここ数年なんの変化もありません。一部の地域ではアル・シャバブのような武装団が力を握り、シャーリア法が課されています。アル・シャバブのイデオロギーは、コーランのイスラム教義をねじ曲げています。部外者に会いたくないがために、支援に来たNGOを攻撃します。国の軍隊やアル・シャバブ部隊と見分けのつかない武装団が女性や少女を強姦する、という性的暴力も増えています。
―アリ・アメッド(ゾーン2の難民リーダー)

17年前にキスマヨから来ました。今では、カクマキャンプが自分の家のようになっています。治安が今も非常に悪いソマリアへ今帰ることはできません。内戦は終わったように見えますが、アル・シャバブは人々の生活を揺るがし、ソマリア政府や平和維持活動を攻撃し続けています。
 ―アリ・ダヒール(カクマ1の商売人)

アル・シャバブの兵力集めから逃げて離れるまで、ゲド州に住んでいました。ダダーブまで追ってきたので、カクマに逃げました。この時期に本国帰還というのは、間違っていると思います。ソマリアが平和な国だとは、まだ言えませんから。強制的に帰還しても、援護を求めて、ケニアやほかの国にまた人が逃げていくでしょう。UNHCRには意見を伝えましたが、私のことはどうでもいいみたいです。2014年、いったいどうなるのでしょうね。
 ―匿名希望(カクマ1市場のソマリア人難民)


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