Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2013年12月号 人間倉庫の中での権利侵害――ブレット・シェイドル准教授の寄稿

2014年08月09日 | 寄稿
難民は、自分たちが封じこめられている間に未来や人生が勝手に決められてしまうと様々な悪影響があることを知る権利があるのではないか。

アメリカでは、難民キャンプとは、思いやりのある無欲のNGO職員によって死から救われた無力な人々の集団、というイメージがある。カクマキャンプを3回訪れた現在、よく友人や同僚、学生たちにキャンプとはどのような所かと問われる。それは答えに詰まる質問で、難民になるのがどのようなことか、私自身、知るべくもない。そのかわりに、私に語られたことをそのまま伝えることにする。特にアメリカ人が理解しやすいように、キャンプ住人がケニア政府やアメリカ政府、UNHCRとの関係をどうみているかを話そうと思う。ただそれは私がキャンプで暮らしている人たちと交わした非公式な会話から得たものである。私はカクマで調査を実施したわけではなく、正式な面談もしたことがない。私が聞いた話が難民の総意なのか、特異な意見なのかもわからない。しかし、ここの難民が彼らに権威を振りかざす人々と関わるなかで、どんな経験をしているかを記述しておきたい。

〈気まぐれな意思決定〉
難民の将来はある意味、当局者――難民認定や第三国への再定住申請書を調査している人たち――の手の中にあると言える。 多くの人々がUNHCRやアメリカ政府の決断は恐ろしく気まぐれだと感じている。申請書が理不尽、不合理な理由で、あるいはまったく理由なしに、却下されているという。面接官の機嫌が悪かったために申請が却下された、カクマで何か月も延々と待たされている、申請者の話にとにかく耳を貸さない、などというという話をたくさん聞かされた。

面接官が一人の難民に対して必要以上に厳しかったり疑い深かったり、そして次の者にはやさしく面倒見がよかったりすることもある。難民は自分たちの将来に対して発言力もなく全くの無力であることに、苛立ちを感じている。多くの者がカクマを牢獄に喩えている。両者の違いは、牢獄の囚人は出所する日を知っているが、難民は永久に拘留されているように感じていることだ。彼らが自由になれるかどうかは、自分たちにはどうしようもない要因や、彼らの知りえないところで決められている。

〈コミュニケーションの欠如〉
共通の悩みのひとつは、当局者からのコミュニケーションが欠如していることにある。難民たちはしばしば、なぜある申請が許可されたのに他の者が却下されるのか、推測するしかない。数か月も数年も結果が知らされないこともしばしばだ。彼らは、難民認定や再定住の結果通知を何年もだらだらと待たされるより、却下される方がまだましだという。同じように、再定住の許可が出た者も、カクマを出る時期を知らされるまでに何年もかかる。UNHCRの動きを知るのに最も信用できる情報源は、噂のようだ。

〈腐敗〉
腐敗には二つのタイプがあるそうだ。一つは、難民が政府やNGO職員をうまく買収すると再定住しやすくなるというもの。申請書が「山ずみの書類の一番上」に置かれると噂されている。ときには新着難民の写真が長期難民の書類に張り替えられ、そうすると再定住しやすくなるとも言われる。腐敗の2つ目のタイプとして非難されているのは、ケニア警察の内部の人間だ。警察官が主要病院近くの道路を定期的に見張っている。彼らは午前中に一回、道路を通行するすべての車とオートバイ、タクシーから賄賂を受け取っている。聞くところでは、運転者が要求通りの小銭の持ち合わせがないと、おつりまで出すという。

〈暴力〉
ここでもまたケニア警察がらみの話しだ。数年前、キャンプの安全管理の欠如を訴えようと数百人の難民がUNHCRのコンパウンドまで行進した。その場に居合わせた者によると、一人の当局者が群衆に、この件は考えるから解散するように求めたが、難民側は聞き入れなかった。するとUNHCRはケニア警察に出動を要請。警察は棍棒を振りかざして難民を攻撃し、一人が足を骨折、数人が怪我をしたという。警察による暴力は他にも報告されている。これらについては、KANERE 2012年4月16日号の記事「反感を買っていた警察官、深夜に病院へ」と、2012年12月28日号の記事「不穏な事件の続発に難民が抗議」を参照してほしい。

これらの非難をどのように受け止めたらよいのか? もし真実なら、国内外の組織に、難民の扱いを根本から変えるよう要求しなければならない。UNHCR、ケニア政府、アメリカ政府は、職員が難民の権利を踏みにじるのではなく、尊敬と思いやり持って難民に接し難民の権利を擁護するよう、保証しなければならない。不公平な扱いに抗議し、気まぐれな決定が行われていることを訴える、確実で安全な手段があるにちがいない。

もしこうした非難が間違いや誇張だとしたら、どうだろう? おそらく当局者が難民認定時に注意深く熟考している姿が見られるに違いない。決定が公表される前に本人に知らされないのには、それなりの理由があるのだろう。それでもなお、難民の人生が、よそよそしい当局者の気まぐれな決定によって形作られているという気がしてならない。

難民たちが自らの人生や将来に関して詳しい説明もしてもらえないのなら、彼らはある種の精神的拷問を受けているのではなかろうか。それはあたかも、ルールを知らずにゲームをしている、あるいはルールがたえず変化する中でゲームをしているようなものだ。少なくとも、はるかに透明性のある対応と、難民とのより良いコミュニケーションが必要だ。難民たちは、どのようにして決定が下されたのか、もっと知らされるべきだ。難民に対して一方的に話すのではなく、難民ともっと話し合ったほうがいい。

この記事の中の意見はすべて、著者独自のもので、著者が属している大学や他の組織の意見を必ずしも反映しているわけではない。

ブレット・シェイドル氏は、アメリカ、バージニア州、ブラックスバーグのバージニア工科大学、アフリカ歴史学の准教授。


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