Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2012年4月号 カクマ2で殺人事件発生

2012年06月29日 | 最新ニュース




カクマ2で衝撃的な殺人事件が発生、14歳のソマリア難民の男の子が射殺された。

2011年11月19日の夜10時ごろ、カクマで、アブドゥラヒ・モハメド・アブディ少年が見知らぬ人たちに銃で撃たれて死亡した。事件はカクマ2ゾーン1ブロック13で起きた。その夜、少年は家族と共に夕食を食べてから、フットボールの試合を見に近所の家に出かけていった。

帰宅途中、アブドゥラヒ少年は突然、AK47銃で武装した強盗団に行く手を阻まれた。強盗団は何も言わずに少年の頭を撃った。銃弾は頭を貫通し、脳や組織の大部分をえぐりとり、後頭部に大きな傷跡を残した。アブドゥラヒ少年はその場で死亡したが、そこはまさに自分の家の入り口だった。

少年を襲ったギャング団の人数は、はっきりと分かってはいない。しかし、銃撃した人間はおそらく地元の村出身だろうと言われている。彼らは、カクマ2の市場にある境界のフェンスを壊し難民居住区に侵入したと見らる。銃撃者たちは大通りを渡り少年の家の背後に隠れ、そして少年を奇襲し殺害した。

周囲に騒がれるのを阻止するため、拳銃を持った男たちは10発の弾を乱射し、少年の家族やコミュニティーの住人を脅した。そのため、周辺の住人は家の外に出て少年を救うことができなかった。翌日の朝、地面に散らばっていた薬きょうを警察が採集していった。

少年の家族は、「安全上の問題」からUNHCRによってダダーブ難民キャンプから移動させられることになり、2008年にカクマ難民キャンプに到着した。UNHCRから保護を受けるべき時期に子どもを1人亡くしてしまった家族は、少年の殺害動機をはっきりさせない警官やUNHCR、キャンプ治安部隊に迫害されるのではないかという根強い恐怖心を持っていることが明らかになった。

難民キャンプの治安部隊によると、キャンプ内の治安については、いくつか予期しない事件は起きるものの、比較的平穏だという。「治安は落ち着いています。警察は24時間パトロールを行っていますし、地元の難民警備員たちも、治安部隊と連携して動いています」と、匿名の治安部隊職員がKANEREに話した。

殺された少年の家族は、事件以来ずっと恐怖におののいている。死亡した少年の兄は、何度も悪夢にうなされている。「ぜんぜん安心できません。何で弟が殺されたのかも分かりません。ダダーブ難民キャンプを離れてここに来ても、毎日こんな状態ではとても暮らせません」と、被害者の兄は言う。母親は下半身が麻痺しているので、誰かが手伝わなければ食事をとることも歩くこともできない。それに加えて高血圧も患っている。

カクマ2は、カクマ1とカクマ3の間に位置している。その地域には、治安部隊が全く配備されていない。ホンコン警察とカクマ3警察の管轄の間にあるからだ。カクマ2の住民がKANEREに語ってくれたところによると、銃声がキャンプ中に響き渡った後、ケニア警察の一般サービス部隊(GSU)が殺害現場に到着した。しかし地元の警備員やコミュニティーの住民は、誰一人として家の外に出てGSUの兵士に声をかけることができなかった。だからGSUの兵士たちは、殺人事件についての情報を得ることができなかった。また無線機の電源も弱かったので地元の警備員たちも警察やUNHCRに情報を伝えることができなかった。

少年の遺体は、夜が明けるまで殺害現場に置かれていた。朝になって家族や起き出してきた住人たちは、地面に脳みその破片が散らばり、血まみれになって横たわっている少年の遺体を見る事になった。住民はみな少年の不幸な死を悼み、地域は重苦しい雰囲気に包まれた。警察は、少年の遺体をカクマ難民病院に移送した。

ブロック13の住は、カクマ2に広がる治安の悪化に激しい怒りを感じていた。「私たちは夜、安心して眠ることができません。子どもたちは泣いています。警官がパトロールに来ない夜もあります。みんな怖がっています」と、ソマリア人女性のアミナは言っていた。住人たちは、大通りにつながるわき道が犯罪につながっていると考え、カクマ1とカクマ3につながる大通りをホンコン警察の管轄地域まで封鎖した。

事件後、死亡した少年の家族と他の2家族が自分たちの家から立ち退いた。警察の話によると、少年殺害の動機は未だに明らかになっておらず、事件の調査もまだ未解決のままである。


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