Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2011年8月号 2011年世界難民の日

2012年06月26日 | 最新ニュース

今年のテーマは、「希望を持たない難民は望ましくない」である。

KANEREは、今年の難民の日のテーマを全面的に支持する。難民としての境遇が長期化する中で、希望はとりわけ適切なテーマだ。この日は、何百万人もの難民と入植地やキャンプに強制的に移住させられた人たちに、捧げられた。

カクマでは、2011年6月18日のこの日を、難民や現地の人々の多彩な寸劇、ダンス、演劇、生演奏で祝った。人道的支援機関の担当官や政府の代表者が、カクマ1地区2のナパタ広場で力強いスピーチを行った。難民による寸劇は、キャンプでの社会生活が脆弱で、希望がないことを認識させた。その一方で、意味のない人生だと感じることはあっても、多くの難民はまだ希望と勇気を持っていることも強調した。

UNHCRは「Do One Thing (難民の為に何か一つやろう)」キャンペーンを立ち上げ、難民の日を支援した。この構想は、難民の日の支援を世界中に奨励、発展させる事を目的としている。こうした目標は、難民や庇護希望者がこのキャンプで自分達のために何らかのことをやってほしいという期待の表れでもある。いずれにせよ、多くの難民や庇護希望者は何年も続く極端に虚しい生活で、希望を失っている。ひとりひとりの難民の才能が育てられていない。事実、難民は許可なくして日々の糧を稼ぐことさえ許されない。しかも若者はキャンプの教育課程で、こうした技術を教えられることもない。このキャンプでは自発的本国帰還が可能なのは、スーダン人とルワンダ人だけなのに、ケニア政府は国際社会に、受け入れる難民数の縮小を求めている。

ソマリアの紛争は、世界中に何千人もの死者と何百万人もの避難民を残した。ケニアはこの紛争地域から最も多くの難民を受け入れた国である。一万人以上の亡命希望者が、安全と庇護を求めて国境を越えてきた。その多くが戦争で荒廃したソマリアと大湖地域、スーダン、エチオピア出身の人々である。UNHCRカクマ支部の代表である マクハムド・クアシム博士はスピーチで、紛争中のリビアで膨大な数の避難民が出ていると話した。ヨーロッパへ行く事が出来たたったのはわずか2%。多くの人が安全を求めて他の地域へ逃げのびたと推測される。これらの難民の多くは子供達だ。実際、世界の亡命希望者の31%が18歳以下である。

UNHCRの代表で7月に任期を終えるクワシム博士のスピーチは、その在任中の進歩について強調していた。クワシム博士は改善計画を遂行するにあたり、治安の優先を基本理念とした。「我々は多くのことを一緒にやってきた。私がキャンプに来た時は治安が悪く、難民は自分の家で安心して寝ることも出来なかったが、今では自分の家は安全だ」とクワシム博士は述べた。さらに「本国帰還が減る一方、難民や新規に到着する人達はサービスに重点を置いたプログラムに期待を寄せている」と語った。

カクマ地区弁務官が、移民登録省の大臣に代わってスピーチを読んだ。弁務官は現地の人々と難民との関係がこの2年間で改善されたことを讃えた。また難民に保護と安全を与えるケニア政府の任務を強調した。「2006年、2007年、2008年には、キャンプを襲撃する武装強盗がいたが、保安機関の協力により、現在のキャンプに襲撃はない。犯罪者からキャンプを守る為に、24時間巡回パトロールが行われている。ケニアは世界水準に則って避難所を提供している。また政府はキャンプでの法律と秩序を維持している」と語った

カクマキャンプの管理者は難民行政長(Ag.Commissioner for the Refugee Affairs)(DRA)の代理としてもスピーチを行った。DRAは難民や庇護希望者の登録を始めており、キャンプの住人は2006年ケニア難民条例のガイドラインに従うよう要請した。

90,000人の受け入れ体制で作られたダダーブ難民キャンプに、実際は355,00人が収容されている。世界で一番大きな難民収容所ということになる。これに次ぐのが84,409人が収容されているカクマ難民キャンプだ。これ以外の難民は都市に点在している。ケニア難民行政局はUNHCRから難民登録を引き継ぎ、域内の難民統治でさらに大きな役割を果たそうとしている。難民統治は21年以上にわたり、UNHCRに委ねられてきた。ケニアは約50万人の難民を受け入れ、難民を認め、庇護するという国際的な責任を果たしてきた。ケニアは21951年のジュネーブ協定、1967年の議定書、1969年のアフリカ連合機構協定の調印国であり、それらは自国の法律、特に2006年難民法として制定された。 

〈街のニュース〉

2011年の難民の日に、ナイロビでは難民達が警察の嫌がらせに対して抗議した。静かなデモがナイロビのイーストレイ、ウモジャ、カサラニで行われ、政府の怠慢に抗議した。ケニアの都市中心部に住んでいる難民が、イーストレイ地域でのデモについてKANEREに話してくれた。「これらの町で我々は何度も逮捕されている。我々の持つ書類など気にかけもしない…。生きて行くためには賄賂を贈るしかないのだ」と明かすのは、イーストレイの匿名希望の住民はだ。

キツオ・シャ・シェリアと国際救援委員会の平和なキャラバンが、イーストレイで、都会の難民が直面する課題を理解してもらおうと、説明会を開いた。キツオ・シャ・シェリアはケニアの都市で難民や庇護希望者に法的支援を行っている。

アフリカ諸国で混乱や貧困が起きていることが報告されているが、祖国の状況が変われば、難民は皆、祖国に帰ることを望むだろう。世界全体で1000万人以上もいる難民が一番望んでいるのは、祖国に戻ることなのだ。しかし、予測可能で永続的な解決策はなく、これがケニアをはじめとする世界の難民にとって、最も重要な課題となっている。



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