Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2009年3-4月号 カクマ・コミュニティーにおける児童虐待の話

2009年08月16日 | オピニオン
これはKANEREの最も若いジャーナリストで身寄りのない16歳の少年が、個人的な見解に基づいた書いたもので、カクマ・キャンプで一人暮らしをする難民未成年者に対する児童虐待の話である。

〈養子縁組をした家族の中で、子ども達はどのように虐待されているか〉

養子になった子ども達は里親家族との生活の中で、多くの困難を抱えている。彼らの権利に気を配る者が誰もいないから、養子の権利は無視され、法律に違反することが行われている。彼らには学習や勉強をする時間がない。多くの養子は家事すべてをやらなければならない。他の子ども達には勉強する時間が与えられるのに。

養子になった子ども達は他人からないがしろにされていると感じている。遊ぶ時間も、生活を楽しむ時間もない。彼らはいつも家で多くの仕事をさせられ、自分の権利を要求すれば罰せられる。養子は他の子ども達と同じ物を食べさせて貰えない。同じ物を食べたとしても十分与えられない。

これらの問題が原因で、養子は他の子ども達のように健康に成育できないのではないかと懸念される。その結果、これらの若者の中には里親の家を離れ、自分の生活を探し求めて他の場所に行く者もいる。その場合、死ぬ者もいれば、強盗になったり、薬物中毒や泥棒になる者もいる。親が死んだために自分は辛い目にあっているのだと気づくと、親を亡くした子ども達のなかには自殺をする者も出てくるし、人命に関わる多くの問題を引き起こしている。

ルーテル世界連盟児童保護ユニットがカクマの養子達の安全を保護し、監視するように任命されているのは事実であるが、私の経験から判断すると、キャンプで暮らしている身寄りのない未成年者の約20%しか保護されていない。身寄りのない難民未成年者としてやってくる非常に多くの子ども達を、そのプログラムは実際には無視し忘れているように思える。ルーテル世界連盟児童保護ユニットは養子達を家庭で監視するためのケースワーカーを任命しているが、現実には子ども達が養子縁組を完了した後で、家庭訪問を受けることは滅多にない。

〈僕自身の話〉

ここまで書いてきたことはこのキャンプでの僕自身の話だ。僕はカクマに親類がいないのにやって来た。ルーテル世界連盟児童保護ユニットは里親の家族に僕を入れてはくれたが、ずっと放って置かれ、ケースワーカーは2度と再び来なかった。その間に、僕は泥棒に遭い、衣類、料理用品、ジェリー缶や他の品物などを盗まれた。里親はこの事件を報告しようと言っていたが、実行しなかった。僕はさらに3回も盗難にあった。

学校に行くにも苦労した。ルーテル世界連盟児童保護ユニットはある人に僕を学校に連れて行くように命じた。その人はいつも僕から逃げ隠れていたが、ついに僕にこう言った。「路上で誰でもいいからつかまえて学校に連れて行ってくれと頼め」。これを聞いて、自分で学校に行こうと決心した。教科書が欲しいと言っても、誰も何もくれなかったから、級友に頼もうと決めたのだ。

法的保護を受けるにもまた苦労している。他の未成年者はみんな難民認定の決定を受けているのに、僕はUNHCRからの回答を待ち続けている。

食料配給を受け取るにも苦労している。UNHCRは僕に(というよりも、僕の配給カードに)食料配給センター3で受け取るように指示しているが、僕はセンター3から8km離れたカクマ1に住んでいる。食料配給センターを変えるように子ども保護ユニットに報告してみたが、何の返答もない。今のところ、受け取りに遠い所迄歩いていかなければならない。

食料配給センター3までの道のりには実際危険が多い。配給を取りに行くときに、警察官に襲われるという恐ろしい目に遭った。里親は児童保護ユニットに事件を報告に行ったが、ユニットはその時も、今もまだ何もしてくれない。

自分の経験から、児童保護ユニットは本来何をするのか、またその役割が何か、僕にはまったく理解できない。ユニットは、僕の幸せを守るのが任務だとは、明らかに考えていない。もしまた別の問題に直面したら、誰に訴えたらいいのか僕には分らない。

〈アブディの話〉

アブディ*は、ソマリアが不穏なので国を出てきたソマリア人の少年だ。10年間カクマ・キャンプにいるが、時々姿をくらます。多くの問題を抱えているからだ。カクマでは養父母と一緒に暮らしていた。実父はソマリアで死に、実母はカクマで死んだ。次に書くのは彼が話してくれたことだ。

「僕は15歳で、妹のファツマは13歳。両親は何年も前に死に、僕たちはお祖父さんの弟夫婦の養子になった。

両親の死後、親類全員が何回も話し合い、お祖父さんの弟夫婦が僕たちを養子にすることを承諾した。 承諾したのは親類の人たちが父の遺産を全部あげると決めたからだ。

お祖父さんの弟夫婦の妻はすべての仕事を僕たちに割り当てた。そこから僕たちの困難な生活が始まった。妹は体が弱いので両親は大切に育てていたというのに、僕たち二人はいつも体を酷使させられ、妹は毎日泣いていたし、骨と皮ばかりにやせた。僕でさえ膝を痛めて働けないようになった。ところが実際には、ムチで脅されながら仕事をすべてやった。

僕たちはこんなにひどい目に遭ってきた。勉強も同じだ。他の子ども達のように勉強する機会は与えられなかった。全部あの継母のせいだ。あの人が仕事に行っている間、僕たちは家にいて、学校に行く子ども達の昼食を作った。ムチが怖くて何も言えなかった。

ある日、酒飲みで麻薬中毒の男達に会った。仲間に僕を紹介し、歓迎してくれ、酒を飲み麻薬を吸えば何も心配することはないと教えてくれた。他人の物をどうやって自分の物にするかも教えてくれた。一緒にいて楽しかったし、今でも楽しい。いつも助けてくれるので、あの人達から決して離れられない。妹も良い思いをさせてもらった。僕の人生を救ってくれたから、あの人達から絶対離れられない」

〈母親を亡くした子ども達がいかに困難な状況にいるか〉

母親を亡くした子ども達が私達のコミュニティーにいる。 家の長は常に母親であり、家の中はすべて母親の監督下にある。母親を亡くし、父親が新しい妻と結婚した時、子ども達に問題が起きる。この子ども達があらゆる問題の対象となっている。

新しく妻となった人は、母を亡くした継子達の成長を見たくない。継子達が父親の持ち物や遺産の相続人になるのを恐れ、これを阻止するためには何事もいとわない。学校に行かせまいとする。 財産を要求するような知識を身につけられては困るからだ。自分の子どものために家族の財産は取っておきたい。そのため継子達が敵に見えてしまう。

どんな場合にも新しい母親は自分の子どもを守り、継子に辛い労働を押しつけようとする。継子は家では何も発言できない。こういう中では継子は無力で、その状況を変えられずにいる。

この子ども達は疎外されていると感じ、希望を失っている。この困難な状況が原因で、この子ども達は現実から目をそらそうと、アルコールを飲み始めたり、バングを吸い始めたり、なかには自殺をする者までいる。

〈ジェームズの話〉

ジェームズ*はスーダン人の少年で、危険の多いスーダンを離れた。カクマ・キャンプにはこれまで6年暮らしている。母親は死に、父親はカクマで再婚した。「ケニア人の女の人が、僕を助けたいから一緒に暮らそう、と言っている」と、最近彼は話している。

「僕はジェームズ、17歳だ。母は僕が9歳の時に死に、9ヶ月後父は別のコミュニティーにいた人を奥さんに貰おうと決めた。

一年後新しい奥さんが出産することになり、彼女が仕事に出ている間、僕は家にいて、赤ん坊の世話をして欲しいと言われた。父は言うなりになり、僕は学校をやめざるを得ず、ずっと家にいた。

2年後、僕は2回毒を飲んだ。毒をくれたのは、こともあろうにあの継母だ。僕が死んだらといいと思っていた。でも神様のおかげで、病院に運ばれ、薬を貰い、回復した。

父親でさえ僕を殺そうとした。僕が継母を強姦しようとしたと継母が吹き込んだからだ。彼女はすぐにいなくなってしまった。父が僕に言った言葉は「家を出ろ!」だけだった。継母の話は全部でたらめなのに、父は本当だと思ったので、僕は無性に腹立たしかった。

数日後、僕は首つり自殺をしようとしたが、ある人たちがやって来てロープをはずし助けてくれた。母はこの世にいないし、実の父親にさえ拒絶されたから、僕はすっかり人生に絶望している。 あの時から今まで、父親については何も聞いていない。僕はまるで死んだ人みたいだ」

*印の名前は本名ではない。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿