物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

南滋賀廃寺

2022-01-15 | 行った所

大津京の中心線をまっすぐ北へ伸ばすと南滋賀廃寺がある。

 実際には近江神宮から一方通行の細い道をたどってやっと行き着いたのだけれど。

高台なので琵琶湖も望める。

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大津の御霊神社

2022-01-15 | 行った所

京都で御霊神社と言ったらその祭神の筆頭は決まっている。井上内親王(大皇后)か早良親王(崇道天皇)
井上皇后は桓武帝の父光仁帝の皇后だ。聖武の娘で孝謙(称徳)の異母姉、伊勢斎宮を経て、白壁王に嫁す。白壁は長く皇統から離れていた天智系の皇子で天智の孫にあたる。既にかなりの年配で成年に達していた息子たちもいた。井上内親王は皇后に立てられ、息子他戸親王は皇太子だ。ところがある日、この親子は夫である光仁帝を呪詛したとしてとらえられ、五條(奈良県)に幽閉され殺される。
早良親王は桓武の同母弟、桓武即位後皇太弟になるが、長岡京遷都の責任者藤原種継暗殺に加担していたとして捕らえられるが、抗議の断食自殺をする。
疫病が流行したりすると、彼ら恨みを飲んで死んだであろう者の祟りを恐れ、御霊と敬い鎮まることを祈る。御霊と祀ること自体自分の後ろめたさを吐露することではないかと思われる。

大津の御霊神社は弘文天皇(大友皇子)を祭る。

しかしながら一方的に無実の罪を着せられ、殺された者たちに比べると、壬申の乱で敗れ死んだ大友皇子は、少なくとも二つに割れた勢力がぶつかり戦って敗れたのであるから、不運は嘆くとも祟るだろうか。殺した側もそこまで恐れるだろうか。

 近江国庁址北側にあった御霊神社

 大津市鳥居川町(瀬田唐橋西)にあった御霊神社

鳥居川町御霊神社の少し北側にも御霊神社があった。いずれも初詣や七五三も普通に行われるようで、少なくとも現在、御霊という意味は薄いようだ。

 こちらは石坐神社

てっきりイワクラ神社と読むのだと思った。イワイ神社だそうだ。
祭神は、天智・大友・伊賀宅子媛である。伊賀宅子媛は大友の母だが、伊賀の豪族の娘らしく「卑母」と言われる。
天智・天武の兄弟の母、宝皇女(皇極・斉明天皇)とは比ぶべくもないというわけであったか。

大津市の坂本の北に木の岡本古墳というものがあり、伊賀宅子媛の墓だという伝承があるそうである。

 丘陵地で高級住宅街の様相なのだが、丘陵全体古墳群かと思われる。一部が下坂本陵墓参考地として宮内庁の管理だ。

  近くのあちこちに参考地の飛び地もある。

古墳の時代も合うとは思えないし、なぜここに伊賀宅子媛の伝承があるのかわからない。

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