桶狭間とは文字通り狭い窪地のようなところかと思っていたが、どうやら違うらしい。今川義元が陣取っていたのは桶狭間山という小高いところだったという。確かに敗れはしたが、東海一の弓取りと言われた武将が、狭い窪地に陣を敷くはずもない。名古屋市緑区に桶狭間という地名があり、桶狭間公園というのも行ったことはあるが、実際には、公園から西南に名古屋と隣接する豊明市の栄町一帯が桶狭間と言われたところらしい。豊明に前後という地名があるが、桶狭間の戦いで、獲った首を前後に並べたところ、という伝承があるそうだ。
名古屋と豊明の間はほぼ一体化した住宅地で、元の地形はよくわからないが、アップダウンのある丘陵地のようである。
今川義元は駿府を出立し、桶狭間の戦い前夜は沓掛城にいた。
豊明市内の桜の名所、なかなか良いところである。
沓掛城から桶狭間までは4~5キロ程だろうか。軍隊の行程としては短すぎる気がするが、激しい雨に早い休憩となったのか。
一方の信長は清州城にある。
平成になってから作られた清州城模擬天守
清州から桶狭間は20キロほどあるだろうか。信長は中間地点となる熱田神宮で戦勝祈願をしている。
戦いに先立ち義元は尾張の城をいくつか落とし、今川方の武将を入れた。織田方はその周りに砦を築き対抗する。大高城は後に徳川家康と名乗る松平元康が、兵糧を入れ、自らも入って守っていた城だ。
大高城址と丸根砦に行ってみた。
どちらも住宅地に囲まれている。
丸根砦は特別保全地区になっていて、大高城との関係がわかる説明版があった。お互いを警戒しつつ対峙していたのだろう。
近くに鷲津砦もあったはずだがよくわからなかった。
大高城は一部公園になっている。
大高城址
鳴海城も公園になっていた。