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大津あちこち

2022-01-17 | 行った所

大津歴史博物館

 エントランス前の琵琶へ向かう眺望がいい。

大津京や京へ向かう街道、琵琶湖の水運など興味深い展示が多いが、ロビーにこんなものもある。

 

福井県敦賀市もまた1945年の7月から8月にかけ何度かの空襲を受け、大きな被害を出した。その中の1回は原爆の投下実験だったという。これだったのだろう。敦賀でも東洋紡績の工場が狙われている。地方都市の工場がターゲットだったのだろうか。武器弾薬の類を作る工場ではなかったはずだが。

屋外展示の車輪石と穴太遺跡のオンドル。

 

 
朝鮮系の遺跡と知られている。非常に合理的なものだろうと思うのだが、日本で普及しなかったのは何故だろう。
穴太の石積みは技術集団として戦国時代終わりごろには城の石垣づくりに知られるが、渡来系のものだったのか。

渡来人歴史館

展示は人類史から始まる壮大さである。日韓(日朝)関係のみならず世界史的に見ていこうという意図だろう。古代中世の日本の歴史には東アジア情勢が不可欠に絡まるのに、知らなすぎることが多い。参考になり、かつ面白かった。ソウルが城砦をめぐらした中にある都市だと実は初めて知った。
近現代史は「加害者」側として辛いものがある。
知ろうとしない、学ぼうとしない怠惰な者たちのみが、空疎なヘイトを口に出して平気だ。


矢橋帰帆

近江八景は中国の瀟湘八景をそのまま無理やり当てはめたもののようで、道理でなかなかぴんと来ず、覚えられないのも道理というものだ。
石山秋月・勢田夕照・粟津晴嵐・矢橋帰帆・三井晩鐘・唐崎夜雨・堅田落雁・比良暮雪

 http://www5e.biglobe.ne.jp/~komichan/oumi8K/oumi8kei.html から画像拝借

矢橋(やばせ)は近江大橋を東岸へ渡り、北へ行くと直ぐだ。湖岸からわずかに離れ島のようになっている。琵琶化東岸には安土の西湖(にしのうみ)のような内湖がたくさんあったというが、その名残の一つだろうか。

 矢橋から見た比良

大津歴史博物館の敷地は南で三井寺と接している。

 長柄公園入口の案内板より
三井寺の南に長柄神社があり、その脇から小関越えの道がある。旧東海道の逢坂越えはもう少し南から行く。

 案内板の地図は北が下になる。
札ノ辻とはいえ、何もそれらしい物はない大通りの交差点だった。

 とはいえ東行きが東海道、まっすぐ奥の道を行けば東海道を東に下る。京へ行くには写真の右手へ、南に登って行き、逢坂山を越えるのだ。

 西行きが西近江路とも呼ばれた北國街道となる。

  近くには蓮如道、蓮如の御座所だったところや代官所跡があった。

札ノ辻を北へ下ると琵琶湖に出る。

 浜大津の大きな地下駐車場だが、大津城のあったところらしい。


 札ノ辻から東への東海道は細い道が通っているが、途中で分からなくなった。

石坐神社前の東海道表示

 

粟津晴嵐から採ったであろう晴嵐町、粟津の戦いは義仲最後の戦いだ。

 近くに今井兼平の墓もある。

瀬田唐橋を渡る

 唐橋からの比良

唐橋を渡って、旧東海道は1号線に吸収されたか、またわからなくなり、一里山の山の神遺跡へ行く途中で見た標識を探す。

道なりにこれだろうという道を進むと弁天池だ。

 

野路に入る。大津を出て草津市になったらしい。


「雲雀揚がれる野路の里」平家物語の「海道下」の野路はのどかな田園の里だが、全くの住宅地の道だ。

南草津駅の南付近でまた1号線と一緒になったようだ。

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