ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

気軽に

2019-12-20 | 手作り

 DAVORLOVINCIC/GETTY IMAGES

 

 

 

 

夫はグロサリーストアやコンビニ(日本とは別物のようなアメリカのコンビニエンス・ストアだが)の店員さん、ガスステイション、(金曜日のデートナイトで)行きつけのレストランのウエイター、かかりつけの医師オフィスの受付や看護師さん、行きつけのメカニック、そんな方々に、よく名前を知られていて、夫もその方々もファースト・ネームでの挨拶は欠かさない。私がよく行く布地・クラフト用品店のキャッシャーにまでそうである。それは彼がクレイマーではなく、いつも笑顔で挨拶を欠かさず、まず名札を見てそのお名前を憶えて、次回からは必ず「やあ、ケヴン、元気?」と言う具合に。愛想がいいと言えば、いいわけである。


私は、メカニックがショップで愛犬と一緒に働いていると、むしろその愛犬と友達になってしまう。メカニックのアロンさんのショップは父親から継いだもので、父親同様アロンさんも非常によく躾られた愛犬をいつも仕事場に連れてきている。父親の時は、チョコレート色のピットブルで、この犬は吠えもせず、車を見てもらっている間、私の傍へやってきて、遊んでくれた。息子のアロンさんは、やはり同系色のボクサーの愛犬で、これまた人懐こくて、行くといつも自分の玩具を持ってきて、私にくれる。この父親と息子は、働く人には便利な午後遅くから深夜近くまで営業しているから、番犬として愛犬も一緒にショップにくるのだ。この二頭はあまりに人懐こく、優しく、可愛いので、本当に護衛してくれるのか、と疑問だったが、荒々しい声や挙動不審だと、繊細に判断して、危険と感じると途端に頼れる番犬になるそうだ。私には心を和ませる可愛い可愛い犬たちである。クリスマスには毎年クリスマスカードにお礼を添えて、ペプシの12パックを届けるが、ドッグビスケットも添えている。

 

 

 

例え職場の誰かがすごく愚かしい質問をし、今耳にした質問は正気で、「マジで」したのか聞き手が確認するのに手間をかけなきゃいけない、そんな同僚でも、思い起こせば、いつかどこかで自分を助けてくれたことがあるかもしれない。



ダンスの好きなスヌーピーは、ひらひらと舞い落ちる葉にも、感謝する。小さなことでも感謝の気持ちがあると、その日一日穏やかに過ごせそうなのは、スヌーピーだけではないはずだ。





 

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素晴らしいこと

2019-12-19 | 人間性

 news.colgate.edu

学生から教授へのお礼状

 

 

 

 

先日ユニオンの昼食会があって同じユニットの同僚と出席した。過去二十年間そのユニットの代表を務めたナンシーが今月引退することになったと知った。この二十年の間に何度もカリフォルニア州は経済的危機に見舞われ、州職員はfurloughと呼ばれる一時的対策として無給休暇を週一度取らされたり、長い間昇給のない期間を過ごし、職員の中には、早期引退を迫られた者もいた。そうした荒波の中、ナンシーは百年戦争の国難を救ったジャンヌ・ダルクのごとく、州政府や大学組織にも屈せず、州職員のこのユニットのために文字通り戦ってきた。そのおかげで、私や同僚は今仕事についていられる、と言っても過言ではない。


こうした代表を務めるのは、容易にできることではなく、州都に赴いて知事に直訴したり、23あるキャンパスを司る本校の大学総長と協議したり、ユニオン集会を計画・遂行したり、そしてそれらをフルタイム勤務の合間に行ってきた。理想を言えば、ユニオンがなくともやっていける世の中だが、現実には一人一人の被雇用者を代弁する誰かがいないと、労働者の生活歯車は潤滑に回っていかない。ナンシーは、良くない上司に対する対策も整えてくれた。昇給や昇格についても、である。


二十年前、彼女がその代表になって最初のユニット会議・昼食会を催したところ、集まったのはたったの九名だったと言う。それがいまでは、ほとんどの職員がユニオンメンバーとなり、軽く百名を超える昼食会である。労働組合と聞くと、闘争だとか、ストライキだとかの言葉が浮かび、その働きは誤解されることが多い。しかし、少なくとも州立大学の職員の待遇は私が働き始めた頃よりもずっとよくなってきているのは否めない。ナンシーとその仲間のおかげである。


先ほどナンシー宛てに、彼女の成した私たちへの素晴らしいことの箇条書きを入れたThank You ノートをしたためて、ポストに投函してきた。ありがとう、ナンシー!



12月19日のクリスマス・キャンペイン・チャレンジ:人生の先輩や大切な人が自分にしてくれたすばらしいことを,できる限りたくさんのリストにしてみよう。感謝のセージとともに,そのリストを相手に送ろう。


weareteachers.com

ある生徒からオルソン先生へのお礼の手紙

オルソン先生へ、

先生は素晴らしい教師です。

先生が教えている時は、僕は何も習っていないと感じるのに、授業が終わると

何かを習った、と実感します...






 

 

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一人ではない

2019-12-18 | アメリカ事情

vegansbaby.com

 

 

 

 

 

 

12月18日のクリスマス・キャンペイン・チャレンジ:最近否定的な感情を抱いてしまった相手のことを考えてみる。その人のために祈ってみよう。勿論否定的な感情を持っていなくとも、気になったり心配な方のためにも。ひとりぼっちではないと知ることは誰にとっても暗闇に灯である。


 *******


ダイアナ・レジスターは、強い妻であり母親であるため、彼女の深い痛みと苦しみを周囲の人から隠していることがよくありました。夫の癌診断後の数週間から数ヶ月で、ダイアナは、痛みを伴うような制御の利かない涙を流すことができる「隠れ」場所を探すのでした。


「クローゼットはお気に入りでした。シャワー室も。でも家にいないときは、駐車場がアスファルトで覆われたオアシスになりました」と彼女は書いています。


夫が亡くなった後、駐車場はダイアナにとって悲しむための安息の地でした。


ある日、ダッチブラザーズのドライブスルーでコーヒーを注文しようとしたとき、悲しみの波が友人との会話の途中にもかかわらず津波のように彼女を襲いました。


「私はかろうじて息をすることができ、するとみっともない号泣が始まったのです」とダイアナは言いました。 「問題は、コーヒーを注文する車の列の中で立ち往生していたことでした。ダッチブラザース・コーヒーショップで。そこに働く人たちは、皆若く、音楽の溢れた職場で幸せそうな所です。私には車の列から出る術はありませんでした。すぐ後ろのSUVを越して逆戻りしない限り、私は本当に混乱しているところを見られてしまいそうでした。」


窓際のバリスタは、ダイアナにアイスコーヒーのカップの上に何かをメモして手渡しました。


「それを受け取ってカップホルダーに入れて見下ろしたとき、何が書かれているかを見ました。ピンクのストローと、その周りに『We love you』という言葉がありました。」


ダイアナの痛みや彼女の話を知らないその若い女性は、あきらかに、この客が心が傷ついているのを見て取り、それを自分では直せないとわかっていたのでした。ところが、隣人を愛するということを、神はこの若いバリスタを使って、最もダイアナが必要としていた大きな慰めをもたらしたのでした。


「バリスタの彼女は私が一人ではないことを知ってほしかったのです。そして、私が経験したどんな試練にでも、私を気遣う人々がそこにいることを教えてくれたのです。詳細を知っているか否かにかかわらず、あなたを気に掛けている人々がいる、ということを。」


ーFaithItから。


Faith.com


We love you!  :)

 

今おひとりで涙していらっしゃるかもしれませんが、

あなたはおひとりではありません、二千年の昔にも、昨日にも、今日でも、明日でも。



 


You're Not Alone
 

 

Here’s a little song to help you get along.
It will see you through when you’re feeling blue.
And though it’s not profound when you’re feeling down, so down,
Sing this little tune, and you’ll feel better soon.

 

You’re not alone, even when you’re feeling on your own,
You are loved in ways that can’t be shown; your needs are known;
You’re not alone.
And when you cry, you’re just letting go of heartache deep inside,
And tomorrow there’ll be sunshine and sky and love close by;
You’re not alone.

 

And we know that it’s not easy, but we know that it won’t last,
’cause one that loves you more than me is sending blessings fast.
You’re not alone, say it one more time,
“I’m not alone,”
And even when it’s hard to find the words, our prayers are heard;
We’re not alone.
You’re not alone.


Text:  Michael McLean

 

Music:  Michael McLean




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赤いお鼻の

2019-12-17 | アメリカ事情

 leaderchat.org

 

 

 

ルドルフーあの驚くべきトナカイ

 

何年も前のシカゴの12月の夜、幼い娘が父親の膝に上り、質問をした。それは子供らしい好奇心からの簡単な質問だったが、父親のロバート・メイにとっては、悲惨な気持ちでいっぱいだった。「パパ」と4歳のバーバラは尋ねた。「どうしてママは他のママのようではないの?」

 

ボブ・メイは、古びた二間のアパートを見渡した。ソファの上には彼の若い妻エヴェリンが伏せていて、彼女は癌を患い、この二年間ほとんど寝たきりだった。その二年間でボブの収入と少額の貯金は妻の膨大な医療費に消えていった。

 

この辛い試練は、妻の、夫の人生を粉々にしてしまったのだ。そしてボブはこの幼い娘の幸せもそんな危険にさらされているのを気づいた。娘の柔らかい髪を撫でながら、ボブはこの娘への答えを祈っていた。

 

娘が言う「違う」ことがどんなことなのか、はっきりと知っていた。子供の頃、彼は虚弱で繊細な子供で、子供独特の罪のない残酷さで他の子供たちはボブを遊び仲間にいれなかった。ボブは絶えず悲しい涙を流していたものだ。やがて入学したダートマス大学では、1926年に卒業するまで、その非常に小柄な体つきの為に、彼は常に誰かの弟のように間違われていた。

 

成人してからの生活でも、ボブは幸せを感じたことが少なかった。同窓生の多くのように、ダートマスを出ても、華々しい職につけたわけではなく、シカゴの大きな通信販売会社、モンゴメリ―・ワードの控えめなコピー・ライターだった。そして今彼は33歳にして多額の借金があり、妻は重病で伏せ、悲惨な状態にあった。

 

膝の上のいたいけない幼い娘に、ボブがその時与えた答えが、その後、彼を名声と幸福へ導くとは、想像だにしないことだった。彼の答えは、バーバラのような子供たち多くに喜びをもたらすことでもあった。この貧しい父親は、12月の夜、シカゴのおんぼろアパートで、ある物語を答えの代わりに話したのだった。


「昔々、ルドルフという名のトナカイがいました。世界で唯一、大きな赤い鼻を持ったトナカイでした。」ボブは続けてルドルフについて語り、バーバラに、神の創造された生き物の一部分は奇妙で他と異なっていても、そうした生き物はなかなか大した能力を持っていて、人々を幸せにすることさえあるのだ、と言い聞かせた。


「ルドルフは、」とボブは続けた、「自分の風変わりな鼻をひどく恥ずかしいと思っていたんだ。他のトナカイは彼のことを笑った。ルドルフのお父さんもお母さんも姉妹も辱められたんだよ。だからルドルフも、自分がかわいそうだ、と思っていたんだ。」


「どうして僕はこんな鼻で生まれたんだろう、とルドルフは嘆いたんだ。」とボブは語った。「するとね、あるクリスマスイブ、サンタクロースは、たくましいトナカイのチーム、それぞれの名前は、ダッシャー、ダンサー、プランサー、そしてヴィクソン、って言うんだけど、そのトナカイ達と毎年恒例の世界を回る旅に出る準備をしていたんだ。 大勢のトナカイ仲間はこれらのトナカイたちを偉大なヒーローと見ていたんだよ。でもその夜ひどく濃い霧が地球を覆ってしまったんだ。これではどの煙突を見つけられないのをサンタは知っていたんだ。」


「すると突然、そこにルドルフが現れた。彼の赤い鼻はこれまで以上に明るく輝き、サンタはこのルドルフが問題解決の答えだとすぐわかって、ルドルフをそりの先に連れて行き、ハーネスで固定して、そりに乗り込んだのさ。その夜、ルドルフはサンタをすべての煙突に案内できたんだよ。雨や霧、雪やみぞれにもめげず、ルドルフの赤く光る鼻は、まるで濃霧の中の灯台の明かりのように働いたというわけさ。」


「それでルドルフはすべてのトナカイの中で最も有名でみんなに愛されるようになったんだよ。恥ずかしいと思って隠そうとしていた大きな赤い鼻は、今や世界のみんなの憧れになったんだ。サンタクロースはクリスマスを救った、とさえ言った。そしてそのクリスマスからルドルフは恥ずかしく思わないで幸せに暮らしたんだよ。」


小さなバーバラは、父親が話し終えた時、大喜びで笑った。それ以来毎晩バーバラは眠る前に父親にその話を何度も何度もせがんだ。ボブはやがてこの話を「クリスマスの前夜」という題の詩にして、バーバラに贈るために粗雑ではあったが、そう良く撮れてはいない写真で本の形にした。

 

ボブはそれから毎晩バーバラが寝付くとその話の詩を書いた。娘にプレゼントを買う余裕がなくとも、質のいい贈り物をしたかった。そのボブがルドルフの詩の最後の仕上げをしようとした時、妻のエヴェリンが亡くなった。

 

愛妻の死は彼の希望を打ち砕き、悲壮な面持ちのボブが唯一正気を保てたのは、愛娘のバーバラがいたからだった。その後彼は涙を浮かべながら、ルドルフを執筆した。クリスマスの朝、バーバラは父親の手作りの贈り物を泣いて喜んだ。その後でモンゴメリー・ワード社の従業員クリスマスパーティに招待され、気の進まないボブはその場で皆へのプレゼントとして自作の詩を読んだところ、最初はさんざめいていた会場で人々はその話を気に入り、最後には拍手が鳴りやまなかった。1938年のことであった。

 

1947年のクリスマスには、約六百万冊の冊子が配布あるいは販売され、赤い鼻のルドルフは世界で最も広く配布された本の一つになった。この話の需要は非常に多様にあり、教育者や歴史家はこのルドルフがクリスマス伝説となるだろうとさえ予告したのだ

 

当初このルドルフの版権はボブがコピーライターとして勤務していたモンゴメリー・ワード社が持っていたが、後日それは彼に還された。不幸な年月や妻の死という悲劇を後にして、赤い鼻のルドルフの究極の大成功を通して、ボブはとうとう安らぎを得た。


ロバート(ボブ)・L・メイが娘のバーバラに彼の作品を読み聞かせている。


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12月17日のクリスマス・キャンペイン・チャレンジ:今日は積極的になると心に決めよう。そして出会う人みんなに笑顔であいさつしてみよう。 







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ご先祖

2019-12-16 | アメリカ事情

zazzle.com

このクリスマスあなたの先祖を思い出しましょう

 
 
 
 
 
 

大学にいたころ、知り合いのドイツ人女性が美術を教えていて、ある学期彼女のクラスを取ることにした。その授業は、毎日の必死な勉強の合間のオアシスのように思えて、楽しかった。そのいくつかのアサイメントで一番好きだったのは、墓石拓本をすることだった。その大学町の南のはずれに、開拓者時代からの古い墓地が木々に囲まれて密かにあったので、そこへ行き、クラスメイトと私は、気に入った墓石をいくつか見つけて採拓した。もともと私は墓地を訪ねることが好きで、拓本作業は時間が経つのも忘れて楽しめた。ただし、朽ち始めんとする古い墓石を傷つけないように、慎重に紙をあて、クレヨンでなぞった。そして採拓を終えると、日本人らしく、きちんとお礼を言い、お辞儀をして立ち去った。


系図探求・調査をしていると、墓地へ行くのはむしろ楽しい。墓石から様々な情報が得られるし、時には家族関係もわかる。相棒は夫だが、二人で古い墓地や野山や砂漠の墓地を訪ねる時は、荒れているだろう墓石周辺の草取りや掃除もお礼ついでにしてくる。草取りといっても、砂漠には非常に力強い頑固な植物が墓石を包み込んでいることがよくあり、植物だって生存に必死だから、生易しい力では除去できないことが多い。しかも棘は必ずついている。そのため、軍手や小さな折り畳みシャベルやナイフを使うこともある。そうした清掃をするときは、墓石の状態も確認して、もし亀裂やあるいは破損などがないかを調べる。修理の段階を越えていれば、家族や親戚で話し合い、新しく墓石を建てることもある。いずれにしてもこういう時、携帯電話は本当に重宝する。採拓せずとも、コピーできるからだ。


12月16日のクリスマス・キャンペイン・チャレンジ:先祖の一人について学び,そ の人にまつわるエピソード や思い出を分かち合おう。 (または家系図・家族歴史サイト FamilySearch.orgの https://www.familysearch.org/ja/ 【日本語版】にアクセスしてみよう。)


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オハイオ州シンシナティのBonnie J. Speegボニー・J. スピーグさんは、御自分の体験をGenealogy Todayに投稿しました。


今日はここ中西部の美しい秋の一日でした。私はオハイオ州ルイスバーグまで北に向かうことにしました。私の母方の先祖はその地域の出身です。多くはバプテスト派であり、ブレザレン(Broheren)教会の信者でした。


私はこの日そこにある墓地を捜索することにしました。これは、系統だてて家系図調査をするのにおすすめする方法ではありません。この方法をうまく適用するには、一生のうちたくさんの時間を使わなければなりませんから。


夕暮れ近くに三番目の墓地にたどり着いたのは、二つの興味深い、でも実りのない墓地を訪問してからでした。この三番目の墓地にはおそらく2000ほどの墓石があるようでした。


日の暮れる前の明かりが素早く消えていき、私はほとんどそのまま走り抜けてしまおうと思ったほどでした。ところが奇妙な形をした墓石が道側にあるのに気が付き、それに向かって運転したのです。その墓石を調べてみたかったのです。車から降りたとき、鳥の鳴き声がしました。


私は周りを見回し、空を見上げました。頭上には二つのグループのカナダ雁がそれぞれV字型になって、その羽ばたく音が聞こえるほど低空を飛んでおりました。私は立ち止まって雁の群れが墓地の上空を通り過ぎていくのを見ていました。雁は雅やかでした。


雁の群れが見えなくなったとき、私は「地上に戻り」、その奇妙な墓石を見てみることにしました...しかしながら、私の車の後ろを回ってその墓石へ歩こうとすると、私の姓が石に刻んであるのが目に入ったのです。その墓石のところで私はかがみました、他のいろいろな所で立ち止まることなく、行きついたのが私の高祖母の墓石だったのです!



墓地のような、まるで名前で溢れた草原のような所を歩いた人は誰でも、私の驚きと純粋な喜びを想像できます。高祖母が只一人でここにいて、他の家族が近くにいないのは奇妙でした。しかし、それでも彼女はそこにいて、私はそのような素晴らしい一日の思い出として墓石に紙をあて、上から炭をこすり、採拓(墓石の拓本)をしました。



organizingphotos.net





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