


Photo Credit: Kitson & Partners
フロリダの未来がここにある。
先日のハリケーン・イアンのフロリダ襲撃は甚大な災害をもたらした。AccuWeather(アキュ・ウェザー)社 の創設者兼 CEO である ジョエル・マイヤース博士によると、ハリケーン・イアンによる米国の損失総額は1,800億ドル(約26兆2,428億9,254万9,934円)から 2,100億ドル(約30兆6,167億797万4,924円)に達する見込みだと言う。 データ会社 Enki・Research (エンキ・データ)の予測によると、このハリケーンによる経済的損害は 最大750億ドル(約10兆9,345億3,856万2,473円)。 同社は、イアンが米国史上最も被害の大きかった10の暴風雨の1つになると述べた。 10月10日現在では、おそらく100名が犠牲となったと思われている。
10月9日CBS局の番組60ミニッツを観て、その被害状況を目の当たりにして惨憺たる思いに駆られたのだが、その後に報道したトピックには、一つの実現可能な希望が見えた。 以下はそのセグメントの概要である。
Photo: Mark W. Wilkerson
大きな被害を受けたフロリダ州フォート・マイヤーズは、ハリケーン・イアンからの回復を始めている。 そのひどい損傷を受けたフォート・マイヤーズから、北東へわずか12マイル (19.3キロ) にあるのがバブコック・ランチの計画されたコミュニティである。シッド・キットソンと彼のパートナーは、Sustainable Development Goals (SDGs)可能な環境にやさしく、ハリケーンにも耐える、完全に持続可能な町をアメリカで初めて建設することを望んでいた。
環境に配慮を真面目に念頭に置く開発者で元プロ フットボール選手のキットソンは、バブコック・ランチでハリケーン・イアンを見事に乗り切ったのだ。信じられないことに、嵐の最中に5,000人の住民のうち停電したのは誰一人もいなかった。
キットソンは、10月9日日曜日夜の番組CBS「 60ミニッツ(60分)」で特派員リポーターのビル・ウィテカーに、「私たちは的を射ていたのです」と語った。 「そして嵐の時、私はここに座っていたことを覚えています。 私は天気予報を観ていたのです。 気象担当者は、『このカテゴリー 4のハリケーンは今、バブコック・ランチに向かっています』と言っていました。」
「そして、それはバブコック・ランチに向かっているだけでなく、最悪の場所を壁とするとその東側になるでしょう」と言っていたとキットソンは言った。
「ハリケーンはどれくらいここの頭上に留まっていたのでしょうか?」とウィテカーは尋ねた。
「約8時間から10時間でしたね。」とキットソンは答えた。
嵐の最中、キットソンが iPhone で撮影したビデオでは、湖に大きな白波が立っていた。
「そのため、翌朝太陽が昇るとすぐに、車に飛び乗って車を走らせました。 被害は、2、3の倒木と屋根の瓦が2、3枚だけでした。」とキットソンは言った。 「それだけです。だから私たちの地域の修復はほぼ1日で済みました。」
バブコック・ランチは、フロリダの気候と生態系に適応するように設計されており、土着の植物と排水用の自然の水路がある。 さらに高潮による洪水を緩和するために、海抜 25 ~ 30 フィート(7.62~9.1m)の高さに嵩上げして建設された。 持続可能な上下水道システムがあり、すべての電線と電話線が埋設されている。
「私たちはアメリカで最初の太陽光発電による町です。」とキットソンは語った。 「150メガワットの太陽光発電所があります。」
それはフロリダ電力会社によって構築された700,000枚のパネルを配列させた巨大な太陽光発電所である。それらのパネルは、ハリケーン・イアンの残忍な殴打に耐えたのだ。
CBS News: Babcock Ranch
太陽光熱パネルが海のように700,000枚きっちりと配列され、イアンの強風にも浸水にも一つのパネルも壊れなかったし、吹き飛ばされなかった。
「(パネルの地所には)多く水が入り込んでいますが、取り外され、破壊されたパネルは 1 つもありません。 ここ数日、かなりの風が吹いていたのですが。」と キットソン氏は語った。 「時速150マイルを超える突風でも、ここから 1 枚のパネルも飛ばされませんでした。これは本当に驚くべきことです。」
「それは、たまたま、洪水に流されたフロリダのほとんどの地域よりも高地レベルにいることが幸運だったのではないですか?」とウィテカー記者は尋ねた。
「それは(高地に位置していることは)重要ですが、強風や洪水、豪雨の場合はそれだけではよいとは限りません。インフラが適切に構築されていないと、家屋が浸水することになります。」とキットソン氏は述べている。 「そして強風による被害を受けるでしょう。 特に、時速 150 ~ 160 マイルの風が吹いていれば。 もし、これが適切に構築されていなければ、どんな家屋も崩壊したでしょう。」
キットソン氏によると、バブコック・ランチには現在約 5,000 人が住んでいるが、近く50,000人の居住者に増やしたいという願望があるそうである。
Naples Daily News
教会の歌に、「賢者は岩の上に家を建てる」という子供向けの歌がある。それはキリストの山上の垂訓からの譬え話からで、幼い頃から夫も私も子供たちもその歌を知っている。 今回のハリケーンの凄まじい被害状況に、この歌が脳裏を駆け巡ったのは誰も否めない。 そしてシッド・キットソン氏とその仲間の叡智と信念は、多くが学ぶことによって将来フロリダ州民以外の人々をも自然災害から救う可能性が大きい。
長男はフロリダ各所で眼科医のレジデンスとして4年のうちの3年間を勤務医をしながら専門分野の角膜について学び、やっと昨年それを終えて、南カリフォルニアの大学病院で、フェローとしての一年を来月で終了することになっている。 その後来年の一月までその大学病院に教授として医師として勤務し、その先はすでに南フロリダで開業することに決まった。
息子は、フロリダは東西南北の地を経験し、バブコック・ランチについてもすでによく知っていて、少し高価だが、ハリケーンの被害額が数千億ドルに上ることもあることや、何よりも大切な人命が失われることもあるのを鑑みると、その対価は適正と言えようか。
このキットソン氏の構想が、実現可能であり、実用的なのはハリケーン・イアンで今回証明された。 あとはフロリダの他の自治体や建設会社などにそれが広がり、人の命を守り、ライフラインを確立させた安全で丈夫で長持ちするコミュニティがこれから増えていくことを切に願う。 そうすれば、洪水や浸水に悩む他州にも大きな恩恵をもたらすことだろう。
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満月を頭上に抱くようなエルク(アメリカアカシカ)
今週に入って気温は少し上がり、100度Fまで届きそうな日もあるが、朝晩はさすがに涼しい。 秋は一番好きな季節で、それは夜空が美しく、空気もどことなく澄み透っている感じさえし、屋内にいても、夜は落ち着いて読書や調べ物(系図関係は特に)に余念がなくなる。 アメリカ西部には東部ほどのスペクタキュラーな紅葉がないかもしれないが、それなりに美しい紅葉はある。 大学のキャンパスでさえ、木々は非常に美しく色変わりをする。 秋が来た、と実感するのは、学舎やオフィスのある建物の廊下に、人々が踏み締めてきた靴についている落ち葉がはがれ、床に残っているのを目にする時だ。
秋分で季節が変わり、暗い夜空が待ち受けている今は、明るい惑星や流星群を見るのに最適である。 まず手始めに、10月8日~9日のジャコビニ(10月りゅう座)流星群がある。 しかしながら、10月9日の満月のために明るすぎる傾向があるかもしれない。 もし見られるとしたら、10月8日夜遅くの北西の空がベストだと言う。(ただしこれは米国西部にて。)
この流星群は、北西の夜空にドラゴン(龍)である龍星座から放射される。 この流星群は主要な流星群ではなく、1時間に約6個の流星だから大したことはない。 このあと12月13日と14日に起こる双子座流星群は、1時間に75個の流星が見られる壮観なものだ。 それは夏8月のペルセウス座流星群の1時間に50個の流星よりも多く、圧巻である。 オフィスのカレンダーにまで流星群の日にちを赤ペンで書き込んでいる私。
さて、近年ではインターネットのおかげだろうか、少し前までは日本では気にもしていなかったアメリカ原住民の各満月の呼び方まで話題にあがるようである。 この10月9日の満月は、ご存知のように狩人の月である。
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これは過去に何度かブログに書いてきたが、東部原住民の満月の呼び方には納得が行くことが多い。 特に北東部の原住民は雪深い厳冬に備えて今頃は、狩猟や森林の木の実や果実採集に忙しかったことだろう。
満月の10月9日は、実は真にアメリカ大陸を発見したアイスランド生まれ、グリーンランドで生涯を過ごしたノース(ノルマン)人航海人(ヴァイキング)、Leif Erikson(レイフ・エリクソン)の日である。少なくとも北米や中南米では。
今から1000年ほど前、グリーンランドの西には森林と鮭の遡上があり、平野部には野生の小麦も育っている地があるとアイスランドでは囁かれていた。(ということは、レイフ以前に誰かは新世界を発見していた) 航海人たるレイフは、そこで西への航海を始めて、おそらく現カナダのニューファンドランド島やバフィン島に到着したようであった。
そして南下して現在の合衆国ニューイングランド地方の海岸部へも行き着いたようで、そこをVinland(ヴィンランド=葡萄のなる地)と名付けた。 しかしながらアメリカ原住民との軋轢などから、入植には至らなかった。 結局レイフはグリーンランドへ戻り、ノルウェイ王の影響でキリスト教に改宗し、グリーンランドでキリスト教を広めた。 こうしたことは史実としてアイスランドの古文書には記されている。
合衆国では19世紀以来、10月9日は、レイフ・エリクソンの大陸到達を記念するレイフ・エリクソンの日としているが、実際には10月第2月曜日に連邦祝祭日と制定されたクリストファー・コロンバスの方が広く知られている。
先月次男は出張でたまたまアイスランドのレイキャヴィックに行き、いくつか写真を取って送ってくれたが、その一枚に、首都レイキャヴィクの完成に40年以上費やした有名な教会堂Hallgrimskirkja(ハットルグリムス)の入り口付近に佇むレイフ・エリクソン像がある。
この教会堂のデザインは、アイスランドの溶岩玄武岩の風景になぞらえているそうだが、私にはヴァイキング船の舳先(へさき)を模しているように見える。 よし、この風景を実際に目にすることを私のバケット・リスト*に追加しよう。
*死ぬ前にやることのリスト
大きめなレイフ・エリクソン像
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