ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

クォーター硬貨のレッスン

2024-05-29 | 考え方
カリフォルニアの5月の夏の陽光で、駐車場の木陰は大人気


私の住むところには異なったチェーン店のグロサリーストアが多数ある。それでも行き付けているストアは、いつ行っても駐車場がぎっしりと使用されて、なかなか思うようなところに駐車できない。それが面倒に感じる時は、オンラインで注文し、支払い、配達してもらう。これは、本当に役に立ち、去年はとてもありがたかった。最近は自分で買い物に行くことが多くなった。そして駐車する場所も、ストアの入り口に近いところよりも少し歩く距離にしている。良い運動になるのが良い。

先日も入り口に近いわけではないが、木陰になっている場所が空いていたので、そこへ行こうとすると、前方から来た車にあっという間に駐車されてしまい、しかたないと、別の場所の木陰を見つけてそこへ向かうと、なんと再び同じように、そこも取られてしまった。そうか、そういうこともある、と3番目の木陰を少し離れたところに見つけてやっと駐車した。
 
車のドアを開けた途端に、なにかがドアのすぐ横の地面できらりと光った。はて、とよく見ると一枚のクォーター(25セント)硬貨。その時、2度見逃した駐車の機会は、この硬貨がここで待っていたからだったと、都合よく理解した。こんなこともあるんだ、と笑みが浮かんだ。その硬貨は、孫#7の「クリスマスに救世軍の赤いケトル」に寄付するための日本の赤いポスト型の貯金箱に入れた。
 
短気を起こさず、立腹することもなく、別の木陰を見つけられたのだから、それでいいと思うと、その日は、なんとなく愉快に過ごせた。せっかちに、瞬間に気分を害し、ついていない、と思ったら、きっとその日一日、苦い気持ちを持っていたかもしれない。そしてたった一枚の2021年にだけ発行された25セントのぴかぴかコインの力もあったのだろう。

小さな、つまらないことに怒りを持つほどのエネルギーよりも、小さな、つまらないようなことを楽しめるエネルギーを持つ方がずっといい。一時は、病にこのまま、と思うこともあったのに、今は健康になって、残された時間がすこし延びたのだから、無駄な神経を尖らせるような思いは抱くまい。

Slow to anger, quick to forgive (怒るに遅く、許すに早く)という言葉をモットーにして、そのように生きた夫は、私にそれを思い出させようと、きっとそばにいたに違いない。私が、特に合衆国建国の祖、ジョージ・ワシントンの歴史マニアであるのをずっと知っていた人は、生きている妻が、このコインの裏のデザインを嬉しがるだろうと。そのデザインとは、”Washington Crossing the Delaware"「デラウェア川を渡るワシントン」である。


ニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵の「デラウェア川を渡るワシントン」は、ドイツ系アメリカ人の画家エマニュエル・ロイツェによる 1851 年のキャンバス油絵で、コインの裏面のデザインはこの絵画からである。 

アメリカ独立戦争中の 1776 年 12 月 25 日から 26 日の夜, ワシントン将軍が大陸軍(当時の北アメリカ13植民地の軍隊)と共に、敵軍(英国軍)に奇襲攻撃を仕掛けるため、厳冬で氷結したデラウェア川を渡った、という史実に基づいて描かれている。



ワシントンと大陸軍は、デラウェア川を超えてのこの奇襲によって、アメリカ独立戦争勝利へと一歩近づくが、1977~1978年には、厳しい寒さをヴァレーフォージで耐え、その上食糧も底をつき始め、苦境に陥った。下の継続する油彩画を見ると、その苦悩と祈りの気持ちがよく現れている。 結局ワシントンと大陸軍の兵士たちも、その苦しみをそれぞれの信仰と祈りで、耐えぬき、窮地を無事脱し、独立戦争の勝利を獲得し、アメリカは独立したのだ。

Winter at Valley Forge by Arnold Friberg The Prayer at Valley Forge by A. Friberg
 


そんな絵画からのデザインのついたクォーター硬貨は、フェイスヴァリューの25セント(25円くらい)よりも私にとっては、はるかに価値のあるご褒美である。





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2 コメント

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Unknown (ツヨシ)
2024-06-18 15:03:51
落としたコインと言えば、最近バスの中で、チャリンと100円落とし近くで孫連れたおばあさんに、拾われ彼女はご自身の財布に納めてました。怒りより、驚きです!「100円返せ」とは、恥ずかしいしセコく、混んだ社内で言い出せないですね。(--;)
ママちゃんさんなら、どうされますか!
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ツヨシさま (Unknown)
2024-06-23 11:33:21
それは驚きでしたね。私も驚きますが、私ならば100円硬貨でも、それを必要となさっているのかもしれないと思うと思います。偉そうなことを申しますが。以前夫が購入したばかりのランチボックスメニューを手にしてレストランから一歩でたところで、あるご婦人が、夫にそれを半分でも良いから私にくださいとおっしゃり、夫はそのまま全て彼女にお渡ししたのです。夫は自分で再びレストランにはいり、同じものを注文しました。世の中損得が大事な時が多々ありますが、日々数々の恩恵を私たちは受けているものです。それが直接どの方からなのかわからないことがおおいのですが、次は私の恩送りの番と捉えています。そうすると怒りもなにも湧きません。
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