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ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

今更ながら、幾重にも述べたい感謝

2024-10-18 | 考え方




幼い二人の息子を連れて末娘がほんのすぐそこの小さな公園へ歩いていき、しばらくすると、「雨がパラパラと降ってきたの。」と帰宅した。窓外を覗くと、空が暗く、重たい。でも本当にパラパラで終わった。残念。今年も秋からの雨季に無事入れるといいのだけれど。

これを書きながら再び窓外を伺うと、息をつくような美しさで残照が庭の高い高いレッドウッドのてっぺんを照らし、空は空で、灰色でいたいのか、空色でいたいのか決心がつかないようである。私にはそれだから美しいと思える。

さっきいっとき前庭に出て東の空を見上げたら、長さにして10cm(地上から見て)ほどの長さの虹が見えた。ちょうど虹のアーチのてっぺんのかけら。やっぱり、空が重くても、私の背後には太陽があって、こうして虹のかけらを見せてくれている。今日1日の締めくくり、これで決まった。今日も良い日だったと。

今朝、一年余ぶりにヘア・スタイリストへ行った。一昨年暮れに行って以来、年が明けて早々から夫の発病、介護・看護、逝去、葬儀、ついでに私自身の癌診断、手術、各種治療、とあり、特に化学治療が始まったすぐから、毛髪は消えていった。

今年の初春頃から再び頭髪が戻ってきたが、以前のような真っ直ぐさはなく、多くの化学治療後の女性が経験するというが、毛質はウェイヴィで、伸びも遅い。尤も私は、治療に入る前にすでにウィッグを用意していたので、周りの人々をショックに陥れることはなかった。

ところが自然に髪が増えたり伸びたりすると、ウィッグをしっかり固定できかねないことがある。それならばウィッグを使わねばいいのだろうが、実を言うと、ウィッグはとても便利で身支度もすぐできる利点があるのだ。

第一"Bad hair day"(朝から何をやってもうまくいかない、髪をうまくまとめられない、寝癖のついた髪をきちんとできないことから発する俗に言う「ついていない」日)がない!ウィッグは自分にあっている形ならば、なおさら気分上々で1日を始められたり、人に会う時もなにげに落ち着いていられる。

ただ他に客やスタイリストの何人かいるサロンへ行くことが、私には多少憚られたのだ。ウィッグを外して、不揃いな自毛の頭を晒すことも、ああ、化学療法を受けたのだな、と不憫さを感じさせてしまうことも避けられるなら避けたい。

ところが、実は自毛のままハンカチーフを頭にそこへ出向いたのは、そんな小さなつまらぬことで自尊心を誇大に持つことが、自分で嫌であったからだった。複雑な心境でいざサロンに入ると、なんとこの25年来の私のスタイリストは、個人専用の美容室を持っていて、そこへ入れてくれた。大きな安堵!一年何ヶ月かぶりの再会に彼女と私はまずハグをして、お互いの家族について語った。

さすがにプロだから、さっさと髪を整え、見違えるようにその魔法の手技を披露してくれた。女性(男性でも然り)の化学療法経験者は、熱心且つやさしい癌外科医師団と、放射線技師、そして腕のよい人情味のあるヘアスタイリストが、味方にいらっしゃれば、人生は捨てたものではない。

久しく会えなかった彼女との話は尽きなかった。Covid-19の時には、我が家へ出向いて、夫の整髪も商売抜きで世話してくれた彼女に、夫はここにはいなくとも、その気配は絶えずあり、様々なことでその存在を感じることが多い、と話すと、「ああ、やっぱり。お二人とても仲良しでしたものね。」とうなずくのだった。

別れ際に外まで送ってくれて、彼女は、「立て続けの試練に会っても、あなたは、希望をますます輝かせて前向きな歩き方をしていて、嬉しいわ。」と言い、また大きなハグをくれた。

だから先ほど見えた虹のかけらは、良い日の締めくくりにふさわしかったのだ。







クォーター硬貨のレッスン

2024-05-29 | 考え方
カリフォルニアの5月の夏の陽光で、駐車場の木陰は大人気


私の住むところには異なったチェーン店のグロサリーストアが多数ある。それでも行き付けているストアは、いつ行っても駐車場がぎっしりと使用されて、なかなか思うようなところに駐車できない。それが面倒に感じる時は、オンラインで注文し、支払い、配達してもらう。これは、本当に役に立ち、去年はとてもありがたかった。最近は自分で買い物に行くことが多くなった。そして駐車する場所も、ストアの入り口に近いところよりも少し歩く距離にしている。良い運動になるのが良い。

先日も入り口に近いわけではないが、木陰になっている場所が空いていたので、そこへ行こうとすると、前方から来た車にあっという間に駐車されてしまい、しかたないと、別の場所の木陰を見つけてそこへ向かうと、なんと再び同じように、そこも取られてしまった。そうか、そういうこともある、と3番目の木陰を少し離れたところに見つけてやっと駐車した。
 
車のドアを開けた途端に、なにかがドアのすぐ横の地面できらりと光った。はて、とよく見ると一枚のクォーター(25セント)硬貨。その時、2度見逃した駐車の機会は、この硬貨がここで待っていたからだったと、都合よく理解した。こんなこともあるんだ、と笑みが浮かんだ。その硬貨は、孫#7の「クリスマスに救世軍の赤いケトル」に寄付するための日本の赤いポスト型の貯金箱に入れた。
 
短気を起こさず、立腹することもなく、別の木陰を見つけられたのだから、それでいいと思うと、その日は、なんとなく愉快に過ごせた。せっかちに、瞬間に気分を害し、ついていない、と思ったら、きっとその日一日、苦い気持ちを持っていたかもしれない。そしてたった一枚の2021年にだけ発行された25セントのぴかぴかコインの力もあったのだろう。

小さな、つまらないことに怒りを持つほどのエネルギーよりも、小さな、つまらないようなことを楽しめるエネルギーを持つ方がずっといい。一時は、病にこのまま、と思うこともあったのに、今は健康になって、残された時間がすこし延びたのだから、無駄な神経を尖らせるような思いは抱くまい。

Slow to anger, quick to forgive (怒るに遅く、許すに早く)という言葉をモットーにして、そのように生きた夫は、私にそれを思い出させようと、きっとそばにいたに違いない。私が、特に合衆国建国の祖、ジョージ・ワシントンの歴史マニアであるのをずっと知っていた人は、生きている妻が、このコインの裏のデザインを嬉しがるだろうと。そのデザインとは、”Washington Crossing the Delaware"「デラウェア川を渡るワシントン」である。


ニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵の「デラウェア川を渡るワシントン」は、ドイツ系アメリカ人の画家エマニュエル・ロイツェによる 1851 年のキャンバス油絵で、コインの裏面のデザインはこの絵画からである。 

アメリカ独立戦争中の 1776 年 12 月 25 日から 26 日の夜, ワシントン将軍が大陸軍(当時の北アメリカ13植民地の軍隊)と共に、敵軍(英国軍)に奇襲攻撃を仕掛けるため、厳冬で氷結したデラウェア川を渡った、という史実に基づいて描かれている。



ワシントンと大陸軍は、デラウェア川を超えてのこの奇襲によって、アメリカ独立戦争勝利へと一歩近づくが、1977~1978年には、厳しい寒さをヴァレーフォージで耐え、その上食糧も底をつき始め、苦境に陥った。下の継続する油彩画を見ると、その苦悩と祈りの気持ちがよく現れている。 結局ワシントンと大陸軍の兵士たちも、その苦しみをそれぞれの信仰と祈りで、耐えぬき、窮地を無事脱し、独立戦争の勝利を獲得し、アメリカは独立したのだ。

Winter at Valley Forge by Arnold Friberg The Prayer at Valley Forge by A. Friberg
 


そんな絵画からのデザインのついたクォーター硬貨は、フェイスヴァリューの25セント(25円くらい)よりも私にとっては、はるかに価値のあるご褒美である。





物思いの夜長

2022-10-28 | 考え方

bookbub.com

ホットチョコレートにマシュマロいくつか入れて夜長の読書

 

 

 

夜長に読んでいた本に次の言葉を見つけた。 非常に現実的で、崇高で、そして妙に考えさせられる、 特にそれがヴィンセント・ヴァン・ゴッホの言葉だから。

 

「人はただ幸せになるためにこの世にいるのではない。 人は人類のために偉大なことを実現し、気高さを獲得し、人間が存在する下品さを克服するためにそこにいる。」

                                                      -ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ

 

 

 

 

 

 


時の種

2022-08-31 | 考え方

Historical Society of Michigan

この写真の男性は、ウィリアム・ビールが埋めたボトルの 1 つを持っている。 これは、おそらく 1920 年か 1930 年に撮影されたもの。

 

 

 

1879 年にウィリアム・ビールを見た人は、おそらく彼の頭はいかれているに違いないと思ったことだろう。 そう思った人々は、ビール植物学教授が20 本の瓶に少量の砂と共にさまざまな種を入れ、密閉して、それらを深い土中に埋めているのを見たのだった。 彼らが知らなかったのは、ビール教授が何世紀にもわたる種子の生存可能性実験を行っていたということであった。 20 年ごとに瓶を掘り起こして種を植え、どの種が発芽するかを確認していた。

去年2021年、ビール教授の属したミシガン州立大学で、そんな瓶の一本が掘り出された。 瓶の中の種子は大学研究者によって植えられ、142 年以上生き残ったいくつかの種子は発芽したのだった。

日本では、大賀一郎理学博士を中心としたグループが1951年に千葉県千葉市検見川の落合遺跡周辺の泥炭地で、発見された古代ハスの実(種)を2000年(年代鑑定により)の時を経て発芽させた話がある。 この両エピソードは、類似している。 

現代に発芽し、開花した大賀ハス

 

キリストは種を蒔くことについて多くのことを話し、しばしば種を蒔くことを「言葉」が広まることに例えた(マルコ による福音書第4章15節)。 サタンに奪われた種もあれば、土台がなく根付かない種もあるし、周囲の環境に妨げられて窒息してしまう種もあると教えられた(同15-19節)。 朗報(福音とも言う)を広めるとき、どの種が生き残るかは私たち次第ではない。 私たちのやることは単に福音の種を蒔くこと、つまりキリストについて人々に伝えることである。 神が私たちを通して働き、私たちが自分の信仰を他の人々と分かち合うとき、私たちが分かち合う言葉が根付くかどうか、いつ根付くかはわかってはいない。 

興味深いことは、この大賀博士は内村鑑三の影響を受け、無教会主義ではあったが、キリスト教に帰依していたことだ。ウィリアム・ビールはクェーカー教徒の両親の許生まれていて、これは私自身の「空想」に過ぎないが、両者は、おそらく上記の聖句が脳裏を掠めたことだろうと想像する。

つまり、朗報の種蒔きは、何年も経った後でも、かの教授が土中に埋めた瓶の中の種子のように、あるいは別の国の別の教授の古代ハスの種のように、「それを受け入れて実を結ぶ」人に受け入れられるのかもしれない(4:20)。 

ミシガン州立大学 / ミシガン大学アーカイブから。
若い頃の植物学者ウィリアム・ビール。

彼の始めた研究は、今日でも続けられている長期の検証が必要なものである。

 

 


裏の畑

2022-08-24 | 考え方

istockphoto.com

 

 

 

 

昔話、たとえ話、寓話は非常に少ない言葉で多くのことを伝える。 その伝えることは、聞き手や読み手の心と思いに届き、真実の光を放つものだ。

そんな話の 1 つは、年老いた農夫の話である。 彼は自分の農場、健康、家族の安全について常に心配していて、そのためイライラし、恐れ、怒り、動揺したりした。 そのせいで、しばしば彼は家族にそうした不安から来る苛立ちをぶつけた。

ある日、裏の畑を耕していた彼の鋤が、なにやら固い物に当たり、掘り出してみると、箱があるようで、彼は掘り起こしてみた。 するとその箱にはぎっしり金貨が詰まっていた。 この幸運に驚き、ショックを受けた農夫は、この新しい富で何をするか、何を買うかを考えた。 だが結局、彼は宝物を再び埋めて保存することにした。 それは、苦難の時の彼の安全保障となると考えた。

何年にもわたって、彼は金貨の入った箱を掘り起こすことも、コインの一つも使うことさえ、なかった。 しかしながら、必要な時に助けとなる裏の畑に埋められている金貨の箱を知っていることが、彼に精神的な変化をもたらした。 農夫にはもはや心配も恐れもなかった。 代わりに、彼は平和で幸せに余生を過ごすことができた。 彼は息子たちに優しく、妻には愛情を持ち続けた。彼は慈善団体に寄付し、隣人を助けた。 農夫の生涯はまるで愛の贈り物のようになった。 コミュニティ全体が彼の変化に驚いていた。

最後に死の床で、彼は息子たちを集めて、もう何年も自分自身で守ってきた秘密を彼らに話した。 老農夫が安らかに亡くなった後、息子たちは金貨の箱を掘り起こすために裏の畑に出かけた。しかし、彼らが埋まった箱を見つけたとき、それは空だった。 ずっと前にどこかの誰かがそれを発見し、金貨を盗んでいた。

この人生で私たち全員が見なければならないことは、私たちの真の安心や安全は裏庭に埋もれているのではなく、私たちの心と魂の奥深くに埋もれているということである。 金貨や宝物やお金は一時的なものだ。 神は永遠であり、誰もそれを盗めない。 神を知ることは、大金をはたいて真の価値が不確かな壺を買って得るものでは決してない。 彼は私たち全員をとても愛しており、「ここ」で私たちをサポートし、私たちの人生全体を共に歩むため「ここ」に存在するからである。

何故心を乱し、人生の大部分を心配に専念するのだろうか? 代わりに、あなたの愛の宝物を掘り起こし、それをみんなと分かち合うほうがどれだけ楽なことだろうか。 自身が心豊かになるだけでなく、家族や周りの人々をも幸せに人生を過ごせるようになるのではないだろうか。 そしてあなたが残す本当の遺産は永遠に続いていくのである。

あなたがたのうち、知恵不足しているがあれば、そのは、とがめもせずにしみなくすべてのえるに、願いめるがよい。そうすれば、えられるであろう」

ーヤコブの手紙第1章5節

 

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