ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

灯台もと暗し

2019-06-28 | アメリカ事情

pixabay.com

ロサンジェルスのゲティ・センター

 

 

 

 

日本の方々のブログには、学ぶことが多い。 祖国について(と大仰だが)改めて教えられることが頻繁にある。植物や鳥類の和名もさることながら、美術や演劇に至るまで新しい知識を得ることができる。まさに新約聖書ヤコブの手紙第一章五節にあるように、「...、知恵に不足している者があれば、...願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」に近い。パーソナル・コンピューターやインターネットの発達や利便性というのは、悪影響も多大だが、こうした恩恵をもたらしてもくれている。


日本は小さな国ではあっても、注目すべき絵画展や美術展が始終催され、そこへ訪れた方々の感想ブログを拝読するのも楽しい。先日は、ある方がクリムト展へいらしたことをブログにお書きになった。そして今日は別の方が明治神宮外苑美術館での展覧会についてお書きになっていらした。それを読み、「うわぁ、羨ましい!日本はいいなあ」とつぶやくのが常の私。そのつぶやきを見逃さなかった夫は、目が点になるという表現の典型的な顔つきで、「え? ロサンジェルスのゲティ・センターやゲティ・ヴィラやSFMOMA(San Francisco Museum of Modern Art)だってあるじゃないの! 灯台もと暗しだね。」と言う。「それにスミソニアンだって、捨てたもんじゃないでしょう?」と追い打ちかける。そうだった、そういえば、アメリカにも美術・博物館はあるんだった。なんでも日本だから、もっと良い、と思うたちの私である。


うちから運転して四時間かかるかかからないかでゲティ・センターに行ける。405フリーウエイ(サンディエゴ・フリーウエイ)からも丘(というよりも崖)の上に白亜の建物が見える。ストリート・レベルに位置する駐車場に$20支払うとゲティ・センターのトラムが頂上のセンターまで運んでくれる。入館料は只。この八月から十月までセンターでは18世紀のパステルによる肖像画展を催す。ゲティ・センターは、スイスの巨匠と呼ばれるリオタール(Jean Étienne Liotard 1702-1789)の「七歳のマリア・フレデリーケ」の肖像画を所蔵しているから、それももちろん展示される。この肖像画は、薄桃色の頬をした七歳の少女が生きているかのように愛らしい。パステルの持つ柔らかさがそれを助けている。これは是非行かなくては。


一方サンフランシスコ現代美術館SFMOMA(San Francisco Museum of Modern Art)は、興味深い。現在アンディ・ウォーホール展を九月二日まで行っている。「1960年から後のドイツ美術」も面白そうだ。しかしながら、よほど気に入った作家と作風でない限り、現代美術は、モンドリアンは許容できるが、たいして「跳んで」いない私の美的感覚にはあわないことが多い。ルイーズ・ブルジョワの巨大な蜘蛛の彫刻を目のあたりにしては、到底夢見がいいとは思えず、どうせなら円谷プロダクション全怪獣図鑑の頁をくくるほうが平和な気がする。現代美術が気難しいのと同様に私も現代美術に関しては気難しい。



    

SFMOMA/Photo: © Henrik Kam     

                                          サンフランシスコ現代美術館か円谷プロダクションか。         



サンフランシスコにはウオルト・ディズニー・ファミリー博物館もある。四万平方フィートの敷地にあり、ここではディズニー・キャラクター達が出迎えはしないが、様々な趣向を凝らした展示物には歴史的価値もあり、また子供も大いに楽しめる博物館である。ここはサンタ・ロサにあるチャールス・シュルツ博物館(別名:スヌーピー、あるいはピーナッツ博物館)よりももっと規模があり、展示物も多いが、同じように楽しめるはずである。




ウオルト・ディズニー・ファミリー博物館


SFMOMAよりも、私はラ・ブレア・タール・ピット博物館(La Brea Tar Pits)を再訪して、天然アスファルトの池から見つかった太古の剣歯虎や馬や鳥の骨でも見ていたい。このアスファルト池は現在もぷくぷくとメタンガスを噴き出させ、タールの匂いがあたりに蔓延している。ロサンジェルス市内にあるまさに生きている自然博物館である。つい先日博物館近くの街角で、このアスファルトが滲み出してニュースとなった。タールの匂いにむせて頭痛も起きがちだが、この博物館は私の好きな場所である。




 The La Brea Tar Pits Credit: Graham via flickr

ラ・ブレア・タール・ピット博物館


そして時間と余裕と$があれば、やはりスミソニアンに行きたいものだ。長女のクラスのシャパロン(付き添い)として、最後に行ったのは、もう20年少し前だ。呪われている青く妖しく輝く巨大なホープダイアモンドもいいが、博物館も美術館も国立航空宇宙博物館もみな圧巻である。ワシントンD.C.まで飛ばずとも、南加サンディエゴのバルボアパークにも博物館や美術館がある。そこでは数年前に死海巻物の展示会があって、家族全員で見にいった。バルボアパークやサンディエゴ周辺には素晴らしい博物館がたくさんあるのだ。


travelingmom.com



灯台もと暗し。同じ州内で、国内で、ここだってかなり「文化」を感じられ、楽しめる施設があったのだった。つい神宮の森に惹かれて展覧会は東京で、日本で見たい、と思ってしまう狭量な私だった。この夏アメリカを訪問なさる皆さまが、こうしたアメリカが誇る博物館や美術館を是非ご覧になられることを願っている。

 

 

 

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初めてのスマートフォンで

2019-06-26 | わたしの好きなもの

etechparts.com 

 

 

 

以下のテキスト(ライン?)メッセージは、実際に両親が息子や娘に出したものである。(記事はヴェロニカ・フランコ記者による2019年5月22日付のリーダース・ダイジェストの記事から抜粋したもの。)こういうことは「あり、あり」で、特に自動変換での間違いはよくあり、それがおかしさを醸し出すし、慌てさせたりする。両親(つまり私達の世代)がとうとうスマートフォンを使いだした時のテキストの実際にあった例である。

 

 

子:とうとうおかあさんもデジタル時代に突入して、スマートフォン手に入れたね!

子:どう?

子:おかあさん?

子:ハロ~~~?

子:どうして答えないの?

母親:Howdoyoudoaspace (明らかにテキストする指使いに慣れていない)

 

 

 

父親:お前のお母さんと私は来月離婚(divorce)するから。

子:なんですって??? まあ!! 電話して、お願い!

父親:ディズニー(Disney)へ行くと書いたら、この電話が変換しちゃったんだ。私達はディズニーへ行くんだよ。


 

子:おかあさん、どこにいるの?

母:ウォルマートを出ているところよ。半分うちまできているわ。どうして?

子:おかあさん、私(僕)をウォルマートへ一緒に連れて行ったよね?

母:あら、しまった!すぐにそこ行くから。


 

 

 

母親:皿洗い器の洗浄済みの食器、戸棚にちゃんと戻すの忘れないでね。

母親:宿題終えたの?

母親:お父さんと私はあなたたちのおばあちゃんの家へ感謝祭で行くから。

母親:お父さんと話したんだけど、来月あなたに車を買うわ。

子:そうなの??? わー、どうもありがとう

母親:いいえ、買わないわよ。あなたがちゃんと私からのメッセージを受け取っているか確かめたのよ。

 

 

 

母親:私の携帯、なんかおかしいと思うわ。ちゃんとメッセージが送れていないみたい。

子:ああ、ちゃんと届いているよ。

母親:どうしてそうわかるの?


 

 

父親:お前、携帯電話うちに忘れて行ったよ

 

 

 

母親:週末留守にするから、食事代の100ドル札をあなたの部屋に隠したわよ。あなたの部屋を片付ければ、見つかるわよ。



 

母親:素敵な日よ!あなたもここに居られたらね!ちょっとこの景色をごらんなさい!

子:おかあさん、指がレンズをおおちゃっているよ。

母親:おっとと!今度は見える?

子:同じ写真を送っただけでしょ。別の写真を撮らなきゃ。

母親:今度は?

子:...素敵だね、おかあさん。

 

 

母親:これから<3のために出かけるから。あなたも少し欲しい?

子:私(僕)が欲しいかって?...愛?

母親:愛?わかんないな、欲しいの?

子:何の話しているの?たった今「愛のために出かけるわ」と言ったじゃないの。

母親:あら!それは横倒しのハート型なのね!てっきりアイスクリーム・コーンかと思ったのよ!

 

 

娘:お父さんがたった今おかあさんが車を買ったと言ったの。余裕があるの?

母親:YOLO (You Only Live Once=人生一度きり)

娘:それがどういう意味かわかっているの?

母親:いいえ:)でもわたし、それ、ちゃんと使えている?

娘:悲しいことに、ええ

 

 

親:通常英語では使わない字体で、"Andy! There's something wrong with my phone!?"(アンディ!私の携帯電話何か変なの!?)

息子:今すぐそこへ行くから。

 

 

 

 

 

 

 

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遠い夏の輝き

2019-06-24 | アメリカ事情

 dlpng.com

ルートビア・フロート(Rootbear Float)はルートビア

(アルコールなしのオリジナルはササフラの根のエキスに甘味をつけてソーダ水を加えたソフトドリンク)で、それにアイスクリームを入れたもの

 

 

 

 

驚くことに、私にも十代があって、あれは16歳の頃だったか、モーリン・デイリの小説17歳の夏を読み、その自然描写や感情描写が非常に繊細で美しいのに圧倒された。最初は和訳で読んだが、実際に原書ではどのようなのか大変に気になって読んだ。すると和訳以上に瑞々しい素晴らしい作品でとても気に入ったのを覚えている。今でもふとした時にこの本を手にして読んでみる。私はオリジナルの文庫本と英語の原書本をいまだ持っている。「断捨離?なんですか、それは。」の態をもって。

 

 

  

 

古い版の原書

 

日本語版 1971年

 

 

どのような内容なのか、というと、1940年代高校を卒業したばかりの十代の男女のはかない恋の物語である。恋愛物とさえ本当は私は言いたくはないほど、美しいのだが。物語は実に淡々と書かれ、ある人は退屈と言い、ある人は主人公のアンジーが冷静過ぎるのが気になる、と批評するが、私はそれでいい、と思う。作者のモーリン・デイリがこれを書いたのは、出版が彼女が21歳の時であるからして、おそらく17歳か、少なくとも20歳前に書いたのだろうと思われる。彼女の文才は非常にたけていると推察できる。


舞台は、ウィスコンシン州フォンデュラックとその周辺。大人からすれば実に他愛ないことが高校を卒業したばかりのアンジーの夏に始まる。彼女は私立女子高の生徒だったが、公立高校ではちょっとした人気者の同年のバスケットボールの花形少年ジャックに出会い、マクナイトのドラッグストアのソーダファウンテンやら近辺の湖やらカウントリークラブのダンスやらでデートをし、夏の終わりにはアンジーは予定通り大学へ進むために町を去り、ジャックは父親の商売のベイカリーで働き、どうやらそのまま仕事を続けるようだ。その後二人はそのままそれぞれの道を進み、もう二度と会うことはないかもしれない、少なくともガールフレンド、ボーイフレンドとして。


読み終わった十代の私は、それでいい、と思ったのを覚えている。そこかしこに、アンジーの育ちの良さ(裕福というわけではない)が滲み出ている文章がいくつかあり、テーブルマナーやテーブルセッティングについて書いていることや、遊びに行くとき(つまりデート)には、きちんと母親や父親の許可を伺い、家庭菜園で野菜を引き抜くとき裸足で泥だらけになっているわが身をジャックに見られて恥じたり、きちんとした家庭の躾をうけて育ち、当時女性でも高等教育を重要なことと考えているのがわかる。繰り返すが、彼女の両親は、裕福ではないが、実直に生きている人々である。だから読み手によっては、彼女が堅苦しい、冷静過ぎる、面白みがない、などと思うのだろう。まるできちんと糊がつけられ、丁寧にアイロンのかかったテーブルクロスのような心地よい清潔さを感じた私は、現代のように、とかく先へ先へと進ませる恋愛形態よりもずっと居心地のよい小説であった。四角四面というわけではない。人生は長いのだから、決して急いで生きたくはなく、まだ若いうちにいろいろなことを勉強して、大きく目と心を拡げていきたい、と16歳の私は考えたものだった。


 

 

1940年代のウィネベゴ湖

夏のはじめの頃の晩、ジャックは友人のスィードと共に小さなボートに帆を張ってアンジーと初デートをする。

 

 アンジーがふいに現れそうなフォンデユラックの町並み

 

Earnshaw Drugstore - East Greenwich, RI  - 1940sの絵葉書。

ロードアイランド州東グリーンウィッチの1940年当時のドラッグストアのソーダファウンテン。ウィスコンシン州や他州でも同じようなドラッグストアがあった。こうしたソーダファウンテンにたむろして、十代の若者は恋を見つけたり、育てたりしたのだろう。おそらくコーク・フロートやルートビアフロートをストローでかき混ぜながら。



モーリン・デイリ女史の自然描写は、特にカントリークラブでのダンスへジャックと出かけた晩の美しさは、容易に想像ができ、目の前に広がっていくように感じられた。そしてそういう小さなときめきやため息は、もう二度と同じ感性では起こらないことがわかる。この小説は、1940年代に書かれたが、ここに書かれている十代の感性は今でも決して色褪せてはいない。


比較するわけではないが、劇作家ウィリアム・インゲによる1929年の世界大恐慌の前後を舞台にして書かれたやはり十代の男女の物語、Splendor in the Grass (邦題:草原の輝き)は、17歳の夏とはまったく正反対の青春の苦悩への対応を描いている。この原作を読み、映画も観た私は、やりきれなさを禁じ得なかったが、それでもこの題名と本の基にある詩の一節が、中学生時から好きだった詩人ウィリアム・ワーズワースのものであり、それによってこの物語の真の意味を理解したのだった。そして17歳の夏に対しても、この一節はマッチすると思う。下記はその詩の一節で、緑色の字体がこの劇作に使われている。("Ode: Initimations of Immortality from Recollections of Early Childhood" by William Wordsworthより)



What though the radiance which was once so bright 

Be now for ever taken from my sight,

Though nothing can bring back the hour 

Of splendour in the grass, of glory in the flower;

We will not grieve not, rather find 

Strength in what remains behind...

 

 

かつてとても輝いていた光が
わたしの視界から奪いさられたってかまわない。
過ぎた時間をとり戻してくれるものなど、何もなくとも
草の中の光や、花のうちに輝きがあった頃が、もう戻らなくとも
わたしたちは嘆くことはなく、むしろ、見つけたい、
後に残された強さを。



hamandista.com




モーリン・デイリは、2009年パーム・デザートで85年の生涯を閉じた。パーム・デザートは私たちが当時住んでいた南加の街から一時間ほど行った所で、憧れた作家がそんなに近い所にいらしたのかと、こちらに引っ越してから知った私は、庭から少し薔薇を切り、青いメイソンジャーに生けた。せめてもの若き日の感動のお礼に。






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開いた心

2019-06-22 | アメリカ事情

zdnet.com

 

 

 

 

日本ではほとんど、というよりも全くおなじみではないコメディアンで司会者のジェイ・レノーを、私は気に入っているが、9年ほど前に言葉のあやで誤解され(と私は解釈)袋叩きのような批判をされて、その人気は失墜した、とさえウィキには出ている。その真相はわからないが(というよりも芸能人一般についてはアメリカのも日本のもほとんど知らない私が思うに)、少なくともジェイ・レノーは決して悪い人ではない。ごく普通の両親の許で育てられ、その著書でよくスコットランドから10歳でアメリカに来た母親やイタリア系アメリカ人の父親について書き、そこはかとなくレノーの両親への愛が見られ、つまりまともに育った人である。


そんな彼が自身の父親についてこう語っている。


私にはとても良い両親がいました。母は、11歳のときに一人でスコットランドからこの国にやって来ましたが、彼女はあまり教育を受けていませんでした。私の父は街中に育ち、そこから生きるコツをまなんだような子供で、やがて戸別に二束三文の安い生命保険を売る保険事業に入りました。 それは1930年代のことで、アメリカが今よりはるかに人種差別で隔離されていた時代でした。


ある日、父は彼の上司に「保険販売が最も難しい市場は何でしょうね?」と尋ねると、彼は「まあ、黒人たちだね。あの人たちは保険を買わないよ。」と答えました。父は考えました、でも彼らには子供がいて、家族がいる。何故彼らは保険を買わないのだろう? そこで彼は言いました、「私にハーレム地区を担当させてください」。父はハーレムを専売地区とし、安い生命保険を売ったのでした。毎週金曜日、父は保険代の5セントを顧客から徴収し、保険証券の領収書を渡したものです。


父が1994年に亡くなったとき、私は(当時司会をしていた)トゥナイト・ショーで父がハーレムでどのように働いたのかや、二人の息子(レノーには弁護士の兄がいた)にどのように偏見を持たずに、人種差別的なことを言ったり考えたりしないように教えたかを話しました。するとある日、私は75歳くらいの女性から手紙を受け取りました。


この女性が小さな女の子だった頃、保険代金を受け取りに彼女の家に来た人は、いつも彼女に飴を持ってきたものです、と書いてありました。彼女は、この人が自分の家で夕食に来た唯一の白人であり、ほぼ大人になるまでの間、共に夕食を食べた唯一の白人であったと言いました。その人は彼女にとても親切で、名前はアンジェロと述べていました。これは私の父であろうか、と私は思いました。


その手紙は私を泣かせました。私は彼女に電話をして、はい、実にそれは私の父ですと、言うと、彼女は父が彼女の家族に対してどれほど親切だったかを言いました。白人に対する彼女の考えや態度は、子供の頃に出会ったその親切な人に基づいていました。その人はいつでも親切と尊敬を持って彼女に接し、飴をくれ、彼女が大きくなったら何になるのかと尋ねたそうです。この経験から、私は貴重な人生の教訓を学びました:決して人々を裁かず、心を開いて、親切であるということです。

 

 

COURTESY JAY LENO

ジェイ・レノーの両親、キャサリンとアンジェロ

参照: The Best Advice I Ever Got by Katie Couric, 2011








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朝のキャンパス

2019-06-20 | アメリカ事情

 

 JOHN WALKER JWALKER

この雪量の半分ほどになったが、いまだ雪をかぶっているシエラネヴァダ山脈

 

 

 

 

 

大学は五月の卒業式の翌週から夏学期が始まり、スタッフは夏時間体制に入った。つまり朝7:00から午後3:30勤務で、ランチタイムは30分。ここは午後はとにかく灼熱の砂漠天候だから、朝は早くから就業するのである。今朝は他のオフィスのある建物へ行く途中のキャンパス風景を写してみた。

 

 

パカベルを演奏しているヴァイオリンの音が流れているので音楽学部校舎の方へ眼をやると、ひとり学生が外で練習している。朝方特有の涼しい空気の中でその音は澄んで流れている。この音楽学部の教室では、娘が高校を出るまでドイツ人教授からチェロのレッスンを受けていた。娘が高校を卒業してからしばらくして、その教授は同じ市内にあるメノナイト(キリスト教アナバプテストの教派、メノー派)の大学へ移ってしまった。彼の持つストラデバリウス・チェロの艶やかな音色がふいに脳裏に浮かんでくる。ドイツ人にしては陽気で気難しさがなく、よい教授だったなあ。この教授は娘に様々な演奏の機会を与えたり、各種の名誉オーケストラへ推薦してくださったが、「仕事として弾くチェロはつまらない。趣味としてだから楽しめるのだ」という持論の娘は、大概「どうぞ他のお弟子さんにその機会を回してください」で終わった。何度も他のチェリストたちに挑戦されながらも、一度も主席チェリストの椅子を譲ったことはなかったのは不思議なことである。

 

 

 

 

 

 

 

このセントラル・カリフォルニアには、アルメニア系アメリカ人が多い。故国アルメニアで、当時のオスマン帝国(後にトルコ)によって19世紀後期から20世紀初頭にかけてアナトリア東部から強制移住させられたり、虐殺されたりした。これはアルメニア人ジェノサイドと呼ばれ、世界中から非難されているが、トルコは決してこれを認めていない。そのアルメニア人ジェノサイドを忘れないためにここのアルメニア・アメリカ人たちは、キャンパスに慰霊碑を作ったのだ。アルメニア学も専攻課程としてある。この慰霊碑には、毎年4月24日のジェノサイド追悼記念日にアルメニア・アメリカ人はここに集り、かのカダーシアン家も実際にアルメニアで追悼式に参加し、国際的なトルコに対する批難するキャンペーンを繰り広げている。


下の記念碑入口にある文字はアルメニア文字で、ギリシャ文字からヒントを得ているともいわれる興味深い字体である。アルメニアは世界で最初にキリスト教を国教とした国でもあり、それはアルメニア正教と呼ばれ、この街にもその聖堂がある。この街出身の高名なアルメニア人と言ったら、おそらく「わが名はアラム」でおなじみの作家・劇作家のウィリアム・サローヤンだろう。彼は1981年にたった47歳で逝去したが、ピューリッツア賞を取っても、気取ることなく、自転車で街中を駆け抜けていたということだ。

 

 

 

 

 

 

 

暑くなる前にオフィスに戻った私を出迎えてくれたのは、窓外のこのキジトラさん。キャンパスの有志が避妊手術から食餌から安全に夜を過ごせる所も確保している何匹かの「野良」猫の一匹。こうしてアボカドの木陰になる場所で、トンビやタカに見つからないのをちゃんと知っている。こちらからはしっかりその姿を見られるが、あちらからは窓ガラスに貼られたフィルムのせいで、見えない。ゆっくり休んで行ってね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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