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ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

初秋の宵に

2024-10-10 | 家族




世は初秋。私の好むYouTubeの”Relaxing Jazz MelodyのSoft Autumn Jazz Music to Calm, Relax ”を付けて、そのたおやかなメロディに耳を傾けながら、午後や宵に読書や針仕事をする。落ち着いた、それでいてアップリフティングでもある音楽を聴くのが好きだ。(そのリンクは最後に付記)

今宵読んだのは、ジョセフ・マゼラ氏の遠い昔の思い出話。彼の小作品は、読むといつも同感し、つい読み終わって夜空を窓を開けて眺めたくなる。ああ、私もそんな思い出あるなあと、星を見つめる。星の合間のそこここに懐かしい時や人々や家族の古い映像があるかのように。以下はその話。

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分かち合った愛の小さな瞬間

私が子どもだった頃、寒い冬の夜になると、母はよくテレビを見ながら食べるポップコーンを作るのを手伝わせてくれました。母の作り方は昔ながらのもので、薪をくべ、火をつけた鋳鉄ストーブ(竈)の上に、重たい鋳鉄のフライパンを置くのです。フライパンが温まり始めると油を少し注ぎ、バターをひとかけら加えます。次にポップコーンの袋からポップコーン粒を一掴み振り入れます。

私たちは一緒に、油がジュージューと音を立てるのを聞きながら、最初の粒が弾ける音が聞こえるまで待ちます。それからフライパンと蓋を手に取り、ポップコーンが焦げないように、蓋をしてストーブの上で揺らし、振うのです。フライパンが膨れたポップコーンであふれそうになるまで振って振って、粒がポンポンと弾けます。最後に母はそれを全部大きなボウルに注ぎ、塩を全体に振りかけます。

それから私たちは皆リビングルームに座り、父はリクライニングチェアに、祖母は薪ストーブのそばの椅子に座り、私と母と兄弟たちは並んでカウチに座りました。ポップコーンはいつもみんなに十分な量があり、母は弾けきれなかったポップコーン粒を私にかじらせてくれました。

おかしなことに、あの夜にテレビで見た番組は何ひとつ思い出せません。どれもぼんやりとしか思い出せません。でも、はっきり覚えているのは、ポップコーンの香り、膝の上のボウルの温かさ、そのおいしい味、そして何よりも、母が私の隣で寄り添ってくれて感じた喜びです。私はとても愛され、とても安全で、とても幸せだと感じました。家族と一緒にいると、すべてが世界と調和しているようでした。私たちには大きな家も、たくさんのお金も、店で買った高級なお菓子さえありませんでしたが、愛があり、それだけで十分でした。



結局のところ、人生に意味を与えるのは、愛を共有した小さな瞬間だと思います。それは神からの贈り物です。それは私たちがお互いに贈る贈り物です。それは私たちがこの世を去るときに持っていく唯一のものです。そのひとつひとつを大切にしてください。あなたの人生をそれらで満たしてください。なぜなら、そうするたびに、ここ地球上に少しずつ天国を創り出すことになるからです。







親というもの

2024-04-30 | 家族



母の日はあと2週間ほどで再びやってくる。実際に父親、母親となり、育児をして成人して子供を送り出しても、(母)親業に終わりはない。自分を後回しにすることはほぼ癖になっているのは否めない。それが良いかどうかではなく、私自身は子供と共に親の私も成長させてもらったと思う。下記は、そんな母親についてのメモをいつかどこかで新聞から切り抜いた作者不詳のもので、「なんでもとっておきたいファイル」から取り出してみた。


誰かは、出産後、物理的にあるいは精神的に通常状態に戻るのに約6週間かかると言った…その「誰か」は、母親になると、「通常」は過去のものになるということを知らない。

母親になる方法は本能で学ぶ、と誰かが言った… その誰かは3 歳児を連れて買い物に行ったことはなかったのだろう。

母親であることは退屈だと誰かが言った…その誰かは、仮免許証を取得したばかりの十代の若者である息子や娘が運転する車に乗ったことはないのだろう。

あなたが「良い」母親であれば、子供は「良い子に育つ」だろう、と誰かが言った…その誰かは、子供には取扱書と保証書が付いてきている、と思っている。

母親になるのに教育は必要ない、と誰かが言った…その誰かは、一度も小学4年生の我が子に算数を教えたことがないのだろう。

最初の子供を愛するほどには 5 番目の子供を愛することはできない、と誰かが言った… その誰かは、 5 人の子供を持っているわけではない。[注:長子であろうが、5番目の末っ子であろうが、親指だけが大切で、残りの指は必要ないことは決してないと私ははっきり断言できる。]

母親は子育ての疑問に対するすべての答えを育児書で見つけることができる、と誰かが言った。自分の子供がその鼻や耳に豆を詰め込ませて、おかあさん、見て!と誇らしげな時があることについてはスポック博士も書いてはいない。

母親であることの最も大変な部分は陣痛と出産だ、と誰かが言った…彼女の「赤ん坊」である息子や娘が幼稚園の初日にバスに乗るのを見たことはないのだろう…あるいは我が子が軍隊志願をし、「新兵基礎訓練所」に向かうのに飛行機に搭乗するのを見たことがないのだろう。

母親は目を閉じて片手を後ろ手に縛っていても仕事ができると誰かが言った…ガールスカウトのブラウニー(茶色のユニフォーム着用のため、そう呼ばれる)たちの所属隊の基金設立のために、その母親たちがガールスカウト・クッキー販売を組織したことはないのだろう。

子どもが結婚すれば母親は心配しなくても済む、と誰かが言った…結婚が母親の心の琴線に新たに息子や嫁を加えるということをその人は知らないのだろう。

母親の仕事は最後の子供が家を出たときに終わると言った…その誰かは、孫を持たなかった人なのかもしれない。

誰かが、あなたのお母さんはあなたが彼女を愛していることを知っているから、お母さんにそれを言う必要はない、と言った…その人は母親ではないのだろう。

お母さんたちへ、毎日が幸せな母の日であらんことを!





家族の時間

2024-03-05 | 家族



昨年は夫の発病と葬儀で2回訪米した次男は、今回は慶事で来加した。アリゾナ・メサで妻の親族の結婚披露宴があるためだが、ついでに南アリゾナのツーソンへ足を伸ばして伯父夫婦へ挨拶に伺いたいと言うので、長男と二人で訪う。次男の義理弟がアメリカ人と結婚し、アメリカでの披露宴を開く。スェーデンからは義理両親も出席するのだが、次男の妻は再び大学へ戻り、今度は教師となるため勉強しており、小学校での実習に入り、我が子7歳と4歳を置いていけないとのことである。それで次男が来米となった。披露宴は今週末でそれまで次男は長男と共に我が家で過ごす。

思いがけない小さなヴァケイションになり、ちょうど母親の様子を見に、そして姉妹兄弟、甥たちに会いたいとのこと。私?私は死ぬまで死なないし、大丈夫よ、と言った。

朝の新鮮な搾りたてのオレンジジュースを振る舞おうと、末娘の夫(別名:婿殿)は、土曜日の朝早く、家庭果樹園のネイブルオレンジを沢山収穫してくれた。赤ちゃんの頭ほどの大きさのオレンジがゴロゴロあって、今年もかなりなってくれた。

大きな物は、グレイプフルーツの隣にこの木々はあり、グレイプフルーツの花粉が混入したのか、こんな大きくなったのかもしれない。生食でもジュースでも甘くて美味しい。婿殿によれば、まだまだなっていて、マンダリン(日本みかん、サツマ)も全て取り切っていないと言う。このオレンジの半分以上は婿殿の実家に持って行ってもらった。彼の母親は、レモンは色々な方からいただくが、ネーブルオレンジはなかなかない、と以前ぼやいていたので、お渡しすることにした。夫の丹精してきた果樹がどなたかに喜んでいただけたら、本望である。



私は、カレーライスに餃子にチキンの唐揚げ(我が家ではチビチキンと呼ぶ)に、と極々庶民的な「ご馳走」を、と心づもりしていたが、再会してまず次男は、「おかあさん、コスコに買い物に行ってくるから。」と言う。自分が夕食を作るから、と言う。

下のような父親のエプロンをつけた「あですがた」で次男は手慣れた手つきでエンジェルヘアパスタを茹で、ソースはクリーム仕立てで、アーティチョーク、庭で取れたマイヤーズレモン、少々のガーリックなどで作った。おまけにライムチーズケーキもあっという間に全て手作りし、ついでにメキシカンソルサも。彼のソルサは沢山トマトを玉ねぎと共に湯通しし、それをフードプロセッサーにかけ、セラントロやハラピニョを生のまま入れて撹拌して作る。これは家族には大ヒット。



こんなところ、まるで夫のよう。最後に後片付けも皿洗いも全てこなし、ますます彼の父親のようである。レセピを見ながらでなく、手順はすべて覚えている。長男も三男も次男と同様で、夫はこうしたことを妻や家族にしなさいと、言っていたことは一度もない。せっせと家事をする夫の背を見て、息子たちは学んだに違いない。あの父親の息子たちだなあと思うことしきり。

一方長男は手伝いはいらないからと言う次男に炊事は任せ、1500ピースのジグソーパズルをほとんど一人ここへくる度仕上げていき、とうとう完成させた。最後のシンデレラのドレスの裾の穴の一つは、一人娘にそのピースをはめさせる栄誉を与えて、そんなところはやはり父親にそっくり。完成写真を撮り、すぐほぐして、今度は1000ピースの次男の手土産のコペンハーゲンのパズルである。長女と二人で早速取り掛かり始めた。

 

長女が焼いてくれたサワドゥブレッドをディナーに添えて、みなで食事をしながら、なんでも次男はヘルシンキで売られている一つUS$8のオニギリで梅干しに目覚めたそうで、大好きになり、おかあさん、作って、と言った。OK,これで母の面目がたつ!

それに胡麻のサラダドレッシングも大好きになったと言う。彼の妻はほとんどなんでも日本の物は大好きだが、そのドレッシングだけは好まないと言う。わかった、次男用に明日仕入れてこよう。

思いがけず、次男の成長(?)ぶりを目にできて、親は嬉しかった。そして兄弟姉妹お互いに思いやり、心から家族を大切に思ってくれていることをしっかり感じ、感謝している。これは夫や私がなによりも子供たちに願ってきたことである。

末娘の末息子がちょっとでも機嫌が芳しくなくなると、まずは兄たちが姉妹よりも先に手を伸ばす。そんなところも夫に酷似している。これも父親の背を見てきた子供たちだからだろうか。「私は、だから大丈夫よ、あなたに再会する時まで頑張れます。」と見えない夫にそっと言った。

 




夏の思い出

2022-08-05 | 家族

今夏の湖での家族キャンプで、末娘の息子は、父親とカヌーを楽しむ。背後の木々の根元近くまで水際だったのが、長く続く旱魃と夏の高温でかなり後退している。それでも3歳児にはよい思い出となった。

 

 

先日夏が始まったと思ったら、いつの間にか8月で、すでにBack-To-School(新学期)に向けた文房具や衣類や靴やバックパックのセールが喧しい(かまびすしい)。 あと二週間足らずで、幼稚園・小中高は新学期である。私の勤める大学もほぼ同時期に始まる。昔ながらの9月の第一月曜日のレイバーデイ(祝日)翌日が新学期初日、は、近年8月半ばまで押し上げられている。マサチューセッツに越した三男一家の子供たちくらいが、9月まで夏を楽しめる。

40年前までは、夏休みは2ヶ月半で、州によっては5月の半ばから9月初めまでのほぼ3ヶ月ほどの長さだった。ところが日本をはじめとする諸外国の学業成果が芳しく、その理由は短い夏休みとでも思ったアメリカの教育者(政治家も然り)が、アメリカの子供たちの夏休みを短縮し始めたようである。

この秋学期(アメリカでは新学年の初学期)の始まりは、子供たちよりも母親の私が沈鬱な気持ちになったものである。せっかく子供たちと一緒にいられたのに、もう学校へ行っちゃうのかと、夕暮れを悲しむような気持ちになった。母親の中には、「早く子供が学校へ行ってくれると助かる」と喜ぶ方もいらしたが、5人の子供たちに私自身の目が届き、子供たちと一緒にいろいろな工作プロジェクトやベイキングプロジェクトなどを家で行い、夏に封切られる子供映画をわざわざ町はずれのドライブインシアターへ、家族総出で大きなサバーバン(8人+乗り)で観に行ったり、また州外への家族ヴァケイションに繰り出すなど、楽しい計画をたくさん作り、こなし、毎夏思い出がたくさんできたのだった。

 

夏が暮れて行くのを、暮れ泥む(くれなずむ)思いのこの祖母だが、9人の孫たちは、学校へ行くのが待ち遠しいという。保育園でさえ、楽しみ、と言う3歳児たち。それでも家族で過ごすこの夏楽しい夏だとそれぞれが口々にする。

家族キャンプでは、乾燥しきっている草地の名残の泥をかき集めては頭からその泥をかぶって喜ぶ3歳児(そう、例によってあの「やっちゃった子」。)、可愛らしい(あぶなくない)小さな蛇を父親が見つけると、早速愛でる別の孫、8歳になる孫は、森のキノコを調べたり、従弟の従姉弟と昆虫採集したり、星空を見上げては歓声をあげたり、それなりに楽しんで、それぞれが面白い思い出を作った。そんな孫たちの夏のできごとは、毎年色が褪せて行くかもしれないが、楽しい思い出はこれからも目に浮かべられることだろう。

そんな孫たちの夏の垣間見たスナップを集めてみた。それにしてもなんと成長の早い孫たちだろうか。

 

三男一家の夏至祭が毎年夏の合図。

 

コペンハーゲンのティヴォリ公園で北欧の束の間の夏を楽しむ5歳。

 

その画風や主人公たちは子供向けだが、実際には、とても哲学的な大人にも人気のある漫画のキャルヴィンとホッブス。それを読み始めてハマっている、11月に8歳の孫。このコレクションは長男の高校時代の物。この孫にとって祖父母の家は、本の宝庫。

 

Bill Watterson's Calvin and Hobbes

幼少期は短く、成熟期は永遠

 

家族キャンプの持ち物リスト:Kindleキンドルが入っているのは現代っ子。一番下のはまだ7歳を物語る。

 

キャンプに、読書に、博物館巡りに、最後はサッカーキャンプ。

 

越したばかりのマサチューセッツ州での最初の誕生日を迎えたのは5歳の孫娘。夫が5ドル札を20枚誕生日カードに挟んで送ったので、このおもちゃを自分で選んで自分で払えたのが嬉しい子。

 

出張でフロリダへ出かけた長男は家族も連れていき、この5歳児もディズニーワールドをしっかり楽しみ、この夏は水泳教室も卒業し、なつかしのフロリダビーチも楽しんだ。

 

家族キャンプで誕生日を祝ってもらった末娘の3歳児。となりは父方の従兄。

 

右のグリーン長靴は長女の次男。従兄の従弟と。同じ年であることから結びつきは固く、泥だらけになって遊ぶ趣味も同じ。

 

Covid-19の小児用接種も受けたんだった。

 

おまけ

三男は犬派だが迷い込んできた猫をアダプトし、チップを入れ、手術もして、マサチューセッツ州まで連れてきた。この窓辺がお気に入り。 

 

それではみなさま、残暑厳しい折、お身体に十分お気をつけくださいませ。

 

 

 


北へ

2022-06-30 | 家族

Photo courtesy of David Rosen

 

 

時々その意味もわからないで、なにかに導かれるように行動することがある。別に犯罪的な意味合いではなくて、もっと普通のことで、そんなことを経験なさった方々もいらっしゃるだろうと思う。そしてその行動の後で、理由をはっきり知ることがある。カール・ユングなら、それはただのsynchronicity(シンクロニシティ=意味のある偶然の一致)と判断するのだろうが、信仰を持つ者には、それが「ただの」偶然の一致ではないことが多々ある。特にそれが生死に関わることになると。

私は通常6月に旅行はしない。大学は夏学期に入り一月目で、仕事は一段落しているが、秋学期の支度をするには絶好の時期で、ヴァケイションを取るなら、暑い盛りの7月末か8月、北の姉を訪問するのは、義兄の命日である9月30日前後にしている。それなのに今年は、5月にすでに6月の北への航空券を入手し、先日旅を終えた。

訪問してから2、3日経って、朝姉が起きてきて言うのだ。「まるで雲の上を歩いているような気持ちがするのよ。」そして話し方がどことなくはっきりせず、アルコール類を嗜まない人の呂律が怪しくさえ聞こえた。テーブルに着く姉のそばへ寄り、その腕をつかんで私は、「今からER(救急救命室)へ行きましょう!検診と検査でなにもなくてもそれは安心料と思えばいいのよ。」と言って、躊躇する彼女を車に乗せた。

ERの病室では、ただちに心電図や血圧計やら装着され、その数値が刻々とモニターに映され、その高さに驚いていると、医師がやってきて、瞳孔検査をしながら、「おそらくマイルドなストロークがあったようですね」と言った。その後広い一人部屋の病室へ移された姉は、MRIやCTスキャンやエコー検査などの様々な機器が病室に持ち込まれ、血液採取や、またIV(静脈内注射によって生理食塩水とともに降圧剤などを注入するため)の針が腕に刺され、またたくまに入院患者の体裁となった。

ことの発端はそのひと月ほど前に、ナースプラクティショナーが、姉が毎日血圧ケアのために摂取していた子供用アスピリンを「もうお辞めになっては?」などと申したので、辞めていたことらしい。その頃ニュースでは高血圧を制御するアスピリンは、人によっては胃潰瘍、胃癌を発生するので命取りになるかもしれない、という科学者のコメントが報道されていたのだ。そのつけは、たちまち牙を剥いて姉を襲ったようなものだった。だから、別の医師の二次、三次の意見を聞くのは、大切なわけだ。

医師や看護師は、症状が出始めたごく初期に姉をERに連れてきたのは大正解で、たまたま私が訪問していたことが姉の命を救えた理由だ、と話してくれた。その時、初めて今この時期に私がここへ来なければならないとほぼ焦って決心した理由ではないかと気がついた。

姉はつい最近ホンダのパイロットの新車を購入したばかりで、それを初めて私が運転することこそ、心臓麻痺を起こしかねない私だったが、留守にした姉の家には、二頭のオールドイングリッシュシープドッグと一匹の猫がいて、その世話のため、入院することになった姉を残して夜半に帰宅した。

結局その夜に325ミリグラムのアスピリンを摂取するよう処方され、その他諸々の薬の処方箋を手配され、様々な処置をされた姉はようやく翌日夕方退院となった。大きな一人部屋の病室にはピクチャーウィンドウがあり、そこからは遥か彼方のオリンピック半島の山脈がまだ残雪を乗せていた。

今まで背中は悪いが、健康に恵まれてきた姉は一番ショックを受けただろうと思う。口数も少なくなり、食欲も減退し、これからの食事に憂いを覚えるような困ったような表情をしながら、姉は、「せめてこの子たち(二頭の大型犬と一匹の猫)を最後まで見てあげなきゃいけないわね。」とつぶやいた。そして森のある裏庭を見遣って、「ああ、鹿の餌を買わなきゃ。」と言った。そんなことを聞いたら、多くの果樹を庭に植えている隣人たちは「狂気の沙汰」に思うのだろうが、森の奥の境界フェンスをひらりと超えて庭へやってくる小鹿や親子鹿が給餌器から溢れ落ちた鳥の餌を啄むのを見ては、哀れに思うのだ。

鹿用の餌や牛馬用の固形塩を置く店へ行って重たい餌の袋を二つ買いに出かけた。すでに野鳥の餌はガラージにスゥエット(牛や羊の腎臓付近の脂に種子を入れて四角な固形状にした餌)を含めかなり蓄えている姉宅である。野鳥はまるで商品見本のように、キツツキは大中小数種類がやってくるし、そのほかの野鳥もとにかく色とりどりにやってくる。

リスも大中小と3種類がやってきては用意してあるピーナッツを食べていき、残すまじと最後まで口にためて運んでいく。白頭ワシ、オスプレイ、そしてグレートホーンドと呼ばれる大きめの耳をたてたような大型フクロウも姉の森には住んでいる。そうした猛禽類は、野鼠やドブネズミ、はたまた子ウサギなどを獲物にしている。

まるで白雪姫の生活環境に一人住む姉である。大学生の頃私は夏にやってきてはポーチやパティオにハンモックチェアを置いて、木々を渡る風の音や小鳥の鳴き声に耳を澄まし、ぴょんぴょんと飛び回る子ウサギや鹿を目の端に湛えて日がな1日読書して過ごしたものだった。

そうすることは姉の「冒険」後の静養にはうってつけのように思える。一人きりの家だが、実は母を気遣い助ける孝行息子のような隣人が常に姉の様子をチェックし、一週間に一度は必ず食事を共にし、買い物の際には何が必要か尋ねてくれ、グローサリーストアで、ワサビのチューブを見つけては、気を利かせたつもりで買ってくる。その隣人の16歳の娘と14歳になる息子のふたりは週末には家の掃除をしてくれるし、冬には薪を用意して、きっちりとパティオの端に置いていってくれる。

現金を決して受け取らない父子家庭の人たちに、姉はちょこちょことアマゾンのカードを送っている。姉と亡き夫は子供がなく、今まで多くの人々を親身になって助けてきたのが報われているのかもしれない。同じく未亡人となった弁護士の妻も子供がなく、姉の人生のかけがいのない友人で、こまめに姉を見守ってくれている。

そんな素晴らしい人々が遠くに住む妹たち(一人は日本在住)の心苦しさを少なからず和らげてくれる。遠くの家族より近くの他人、とは本当にあたっている。人の字のごとく、人間は実に頼り、頼られているもので、心からありがたい。

私自身が帰宅する前日には、姉の食料品を仕入れ、軽く掃除をして、家事をこなしてから床についた。翌朝、空港へのシャトルバスに揺れながら、窓外に万年雪(氷河も含む)の厚いベイカー山の勇姿に目を奪われながら、やがて機上の者となり、夫の待つ我が家へ向かった。

当初はわけがわからない気持ちで馳せた姉宅だったが、今はその気持ちに従ったことを喜んでいる。帰宅一番に、夫は、”I'm glad that you heeded the warning."「君が『警告』に従ったのは良かったね。」と言った。そんなことはあるのだ。

 

常連の面々