ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

小さな人々のいる家

2024-01-24 | 私の好きなこと





かなりの間、10年以上、夫と二人きりの家で、週末には孫たちがどっと押し寄せてきてはいたが、のんびりと二人のペースで生活していた。昨年それこそ怒涛の一年を過ごし、最後の月には小さな二人のいる一家4人が加わった。そして家の様子は変わった。

朝階下へ向かうとき、ウッデイが階段の途中で行き倒れている。「あらまあ、どうなさったんですか」と思わず声に出して拾い上げる。


居間には、新しい「図書館」がすっかり出来上がっていて、来館者のヘッジホッグのソニック、ディズニー映画モアナのチキンたち、パンダ、グローワームのトーディ、ちっとも怖くないドラゴンのスクウィッシュマロウなどの面々が、すでに子供コーナーでひしめき合っている。



そしてキッチンのマイクロウェイブ・オーヴンの上には、Dr. Seuss(ドクタースース)の登場生き物のような方達がたむろしている。




これらは、この二人兄弟の「企画」である。孫#7と#10は、今年5歳と今月8ヶ月。この二人の計画は、祖母家を絵本と玩具と何故か靴下片方をそこらじゅうに置いてみる事らしい。


「セイリセイト〜ン!」と声かけして片付けもするが、いかんせん、この8ヶ月児、このお顔にノー!とおっしゃられる方はいらっしゃるのやら。



すると、従兄弟たちを訪問している4歳の孫#9がお馬にまたがってパトロール中。この「荒野のカウボーイ」は、パトロール常務に専念するので、「お片付け」はしない、そうだ。




それでは私は二階で繕い物をしようとすると、今度は赤いパワーレインジャーが交通事故に巻き込まれた模様。付近にはアメリカ原住民が倒れているし。その下は、竜巻にあったに違いない。


寝室の私の書斎コーナーに座って繕い物を始めんとすると、机の上に夫の聖書バッグが置いてあり、ふと開いてみようと思った。夫は聖典学習をこまめにしていて色鉛筆で丁寧に印をつけたページだらけで、リファレンスとして私は時折使っている。その時バッグのポケットを開けてみると、なんと夫が長年大切にしていた三男の小さなおもちゃが入っている。チープなものだが、三男がいつも聖餐会で静かにこれで遊んでいたものだ。やがておもちゃなしでも日曜の礼拝に参加し、話を聞くことができるようになると、そのおもちゃは必要無くなり、夫の聖典バッグのポケットにずっと入れられていたのだが、夫には捨てられなかった。そんな夫だったから、そのグリーンのおもちゃを取り出し、手に取って、私は遠い日々を思い出していた。


こんなちいさな宇宙人にさえおおきな思い出がある。




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ふとした事

2024-01-21 | わたしの思い

私たちが後に残すものよりも、はるかにはるかに良いものがこの先にある。

C.S. ルイス

 

末娘一家4人は新年早々から風邪引きで、しかも私を含めて喘息持ちだから、ネビュライザー使用とインヘイラー2種使用で忙しいこと。治りは遅々としているが、先週よりはましになった。娘はいわば病み上がりの私の「世話」をするのも同居の目的と一人で決めていたが、実際は逆で、私が一家の世話をする方が多くて、申し訳ないと言う。

勤めていた大学院を引いた私は、それが今の仕事だと思うし、幼子2人を抱える娘の手助けをするのは一向に構わない。かつては5人の子供たちが全員水疱瘡にかかったことも経験している。一応今のところ、キャンサーフリーの状態なのは、ありがたく、再発すればすれで、夫が早く迎えにきてくれれば、などと構えている平和さ。



私の喘息も多少落ち着いてきた金曜日は、Whole Foodsというオーガニック・健康志向者向けの食糧品やアロマオイル中心のグローサリーストアへ出かけることにした。気に入っているサワードウのパン2種を仕入れたかったし、ここのオリーブ・バーで、オリーブオイルに浸かったピクルスマッシュルームとオリーブを備えてある容器に入れて買うことも。そして青果売り場では、オーガニック栽培のサツマイモを選んだ。その他の必要な品をカートに入れ、最後にベイカリーで焼き立てのブーレと呼ばれる丸いサワードウのパンを選んだ。レジに並ぶ前に生花コーナーで小ぶりのバラの花束を一つ。今月で半年経った夫の墓前に供えようと思ったのだ。

この店は、Amazonと提携して、携帯電話で店内コードを使うと、割引になる。キャッシャーがすぐスキャンしやすいように、コードの画面を取り出しながら、レジの列に並び、支払う時、私の後に並んでいた紳士に、「グローサリーショッピングに、花束を加えるのは、なんと素敵なことでしょう。」と声をかけられた。

「夫の墓前にお供えしようと思いまして。」と返すと、彼はレジ台の上にあるバラ売りのキャラメルの一つを私に差し出し、「これはとても美味しいですよ、あなたに差し上げます。」と言い、キャッシャーに代金を渡した。

普段ならば、丁重に断る私だが、その時、この紳士は私の返事に心をつかれたのかもしれなかったと感じ、咄嗟に「まあ、ありがとうございます。いただきましょう。」と一粒50セントほどのキャラメルを受け取るのが礼儀に叶うのではないかと思った。

そんなふとした見ず知らずの方との短い交流は、私に笑みを浮かべさせた。アメリカの詩人で作家のJack Kerouac(ジャック・ケロウアック1922〜1969)を好むような、それでいてその作家の深酒癖とは隔たった人生を歩いていらした方と、その瞬間感じた私は、車に戻りながら、「それにしても、キャラメル貰っちゃうなんて。。。」と苦笑い。生きていることは面白い。


笑みの元

 


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新しい年に

2024-01-17 | わたしの思い

人生に大きな変化の風が吹いて、吹き飛ばされそうになったとき...目を閉じて、しっかりと耐えて、信じる。




最後の投稿から早半年も経て、ようやく記事を書くことになった。 
夫の葬儀・埋葬の翌日から私の化学療法が始まり、3ヶ月余りで終了後、すぐに放射線療法が始まり、11月の感謝祭の週に終了した。夫が私の半身を持って行ったかのような自己喪失感は変わらないが、師走に末娘一家4人が越してきて、自分の声のエコーを聞かずに済んでいる。5寝室、書斎、フロントルーム、居間、食堂、キッチンダイニングというかつて7人家族が賑やかに住んでいた家は、私一人が住まうのには、あまりにも無駄で、用心も悪いからである。

拙宅の後と横の庭にはストーンフルーツ類(核果ー硬い種のある桃、チェリー、杏、ネクタリン)や柑橘類一揃い、それにイチジクの果樹があり、前庭には大きな葉のプラタナスや花無し梨とやはり花のない桜系の樹木もあって、秋の落ち葉集めさえも私一人では手に負えない。夫が今までしてきた果樹の手入れや庭仕事には、私一人ではヤードケアを雇わねばならない。なにせ芝生の手入れさえままならない。ほぼ毎週末に眼科外科医として開業しているニューポートビーチからやってくる長男は、庭仕事をこまめに見てくれてはいるが、その手指を傷つけたりしては手術や治療に差し障ると私は杞憂に過ぎないとは言えず、心配していた。

すると娘夫婦はそれならば、娘一家が一緒に暮らせば、家の世話や私の話相手になれる、と提案してきた。長女家族も近くに住まいを構えているが、気に入った家を買ってまだ10年ほどで、その点末娘夫婦は家を探していた矢先だった。末娘の夫は地元の弁護士事務所の一員となり、なにか必要とあれば、すぐ週末はもちろん、週日でさえ即座に力になれるし、娘の夫の法学校での学生ローンを早く返済するために、賃貸料なしのここで住めば、孫たちが、この地域の優秀学区で就学できるのも魅力である。

夫の亡くなるひと月前には、夫とこの件について話し合い、夫は心から歓迎していた。私一人ここに残していくことを大変に気にかけていた夫だったが、人生の卒業は誰にでもあり、できるなら残される私が不安なく暮らせることを常に願っていた。おかげで、確かに義理息子は週日でも私のさまざまな税金関係書類やなにかの手続きなどすぐに相談に乗ってくれる。ついでに電気配線関係のあれこれにも通じ、日曜大工もお手のもので、実に役立つ「婿殿」だ。特に夜間、私一人が暗い家の一室で怯えずに済む安心を提供してくれている。

二人の孫息子たちは4歳と7ヶ月。兄はプリスクールへ行き、弟は、愛嬌のある乳児である。孫たちのそれぞれの部屋は若い両親らしいアイデアにあふれ、皆すっかりこの家に馴染んでいる。この兄は、たった4歳ではあるが、夫が息を引き取った数時間前に訪問していて、夫の右手を握りしめ、明日また来るね、と話しかけ、夫は、その子の瞳を見つめながら何度も何度も”I love you, I love you..."と囁いてていたのが最後の会話だった。夫は末娘の次男、私たちの10番目の孫の誕生を5月に迎え、とても喜んで会えたことを感謝していた。

夫が「卒業」してから、とても不思議なことがいくつか起こり、夫のいる霊界は、実はヴェール一枚ほどの隔のあちら側だという感覚がある。なにがあったのかは追々書くことにしよう。

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私の忌引や治療中、拙ブログを訪問してくださり、温かいコメントもいただき、感謝に絶えません。ご存知のように、忌引、服喪は、きちんと線引きされた終了があるものではなく、あるいは終了があるのかさえ、個人個人異なりますが、少なくとも半年経って、日々泣き濡れて世を儚む、ということは落ち着いてきていて、それよりも再会の時を希望を持って待っている心境です。それでも日々の細々とした事柄に、津々夫を思い出すことはたくさんあり、そうして思い出に感謝しています。夫は親切で、忍耐強く、まず私や家族のことを常に先行させ、また助けの必要な方々には手を差し伸べ、キリスト者として試しの世を果敢に生きてきた人として、良き模範を示してくれました。学生時代からのお付き合いで培った歴史や思い出は、今は生きていく上での糧となっています。

家族は永遠

故意にぼかしています。
コメント (3)
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