ろごするーむ

聖書のみことば と 祈り
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「主の祈り」マタイ6:9-13

2007-07-28 19:54:55 | 主日以外の説教
6:9 だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。6:10 御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。6:11 わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。6:12 わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。6:13 わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。
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 クリスチャンの歩みは祈りと切り離すことができません。主イエスは、弟子達に祈りを教えられました。それが今日の福音書の箇所にある『主の祈り』です。カトリック教会も、プロテスタント教会も、東方教会も、すべての教会が祈り続けてきた祈りです。一度祈ったらおしまいというような祈りではありません。繰り返し繰り返し、教会は祈り続けてきたのです。そして、皆さんは祈り続けてこられました。『主の祈り』を祈りつつ歩む歩み、それがまさにキリスト者の歩みなのです。
主の祈りは弟子達が考え出した祈りではありません。主イエスご自身が、このように祈ったらいいんだと教えて下さったのです。

 この主の祈りの中に、わたしたちの主の姿が見えてきます。わたしたちの父となり、御国を備え、日ごとの糧を与えて下さり、試みから守り、悪から救い出してくださる神がおられるのです。それと同時に、わたしたちの本当の必要が何であるか見えてくるのです。主の祈りを味わってみてください。これほどまで、私たちのこころ、私たちの必要をあらわした祈りがあるでしょうか。

 この祈りは決して空しく地に落ちることはありません。なぜなら、こう祈りなさいと言われた主イエスがおられる。そして、この祈りにあるとおり、天の父がおられるからなのです。
 私たちは、この主が下さった祈りを祈ることで、神様にどこまでも信頼するのです。わたしたちの天の父は、私たち一人一人を深く配慮し心にかけて下さるのです。同じマタイ6章にこのような御言葉があります。「きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。」

『子よ』と、あなたのことを呼んで下さる天の父への信頼、それがキリスト者の祈りの根底にあるのです。キリストが父なる神にどこまでも信頼されたようにです。

祈りましょう。

天にまします 我らの父よ、
ねがわくは み名をあがめさせたまえ。
み国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく 地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を 我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ。
国とちからと栄えとは 限りなくなんじのものなればなり。アーメン。



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