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「受難節の歩み」

2008-02-07 23:58:17 | 主日以外の説教
「受難節の歩み ~十字架から復活の朝へ~」 

6日の水曜日は、「灰の水曜日」でした。この日から「受難節」(四旬節)がはじまりました。「受難節」とは、主イエス・キリストが十字架にかけられた聖金曜日、そして復活の主日(イースター)に向けての40日間の歩みです。
 古くから教会は復活祭の朝に洗礼式を行ってきました。この受難節は、いよいよ復活祭に洗礼を受ける者たちにとって最後の準備期間でした。受洗者が、キリストの復活にふさわしく与るための準備期間とも言えます。その意味では、既に洗礼を受けたすべてのキリスト者にとっても受難節は意味深い歩みなのです。自らの罪を悔い改め、罪の自分を十字架につけると共に、キリストの復活に共に与らせて頂くのです。
 騒がしい日常にあって私たちは、気がついたら受難週を迎え、イースターを迎えていたという事もしばしばです。しかしそういう日常にあるからこそ、一日にひとときでも十字架にすべてを差し出して、私たちを探し求めておられる主イエスの前に心を静めて祈る。主イエスの方へと丸ごと自分を向けてみる。そうして受難節の歩みを歩んでいきたいのです。
 受難節の開始にあたって朗読される福音書はマタイ4章1節以下です。主イエスが荒野で試みられた出来事が記されています。荒野とは人間の生きることの限界を示す場所です。そこでパンにすがるのか、パンを与えて下さる神にすがるのか、そのことが問われているのです。主イエスは「わたしはいのちのパンである」(ヨハネ6章)と仰せになりました。私たちは聖餐の度に、十字架に裂かれた主イエスのからだに与ります。小さなパンですが、これこそ私たちのいのちの糧なのです。私たちを真に生かし、天への旅路を導くのはこのいのちのパン、主イエスご自身なのです。私たちは、見えるパンがあるからではなく、このいのちのパンであるお方にすがるからこそ、平安のうちに地上の旅路を歩むことができるのです。




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