神々のいる山を訪ねる

巡礼登山家を目指して修行中、 一人淋しく霊山を訪ね歩いています。

諏訪の守屋山

2012-03-21 11:33:10 | 信州の山
古事記の神話伝承の舞台をなぞり宗像大社の事を調べていたら、対馬海流に添って諏訪大社に行きついた。諏訪大社の鎮座は1500~2000年前と推定。ご祭神はタケミナカタノカミ(建御名方神) 大国主神の子とされているが、日本書紀でも、祭神やその来歴は不明。タケミカズチノカミに敗れ諏訪の地より外に出ないことを条件に命を救われたと言われるが、出雲風土記に登場しないなど謎が多く、諏訪地方の国取り神話に組み込まれたと考えられる。


上社前宮:かつて現人神としてこの地を統治した「大祝」の宮居があった場所で原始信仰の形が残る前宮、背後に守屋山


上社本宮:布橋と呼ばれる長い参道をUターンして、弊拝殿・片拝殿に向き合うが、なぜか神体山(守屋山)が正面ではなく右手となっている事に違和感を感じるのは私だけ??



「ミシャグチ神」:上社の本宮と前宮の間にある。邸内は神長官守矢史料館を併設。ミシャグチ神の上方にある磯並山には、大祝が即位すると必ずこの山に登拝する決まりだった。背後に位置するのは守屋山。


諏訪地方には、外来の神のタケミナカタが土着のモリヤ神を破り、諏訪を支配するようになったという伝承がある。

上社の大祝(現人神として祭祀の頂点にたつ)はタケミナカタの子孫の神家(後に諏訪氏と名乗る)の世襲でしたが、祭祀の実権は代々諏訪のご神体山・守屋山に鎮まる洩矢神(モレヤガミ)の子孫と言われる神長官の守矢家が握っており、この氏族の奉じる「ミシャグチ神」こそ古来より諏訪地域の人たちが崇めてきた神と考えらています。


太古の信仰を連綿とつたえる諏訪大社・・・。一帯は「縄文時代の大都会」と呼ばれるほど太古の遺跡が集中している地域で よそ者が軽々しく語ることなど不謹慎な謎に包まれた深い深い神社。 八ヶ岳の帰路幾度となく訪れているけど 昔は神社に関心が無かったので印象が薄い。厳かで安易に人を寄せ付けない雰囲気は出雲大社と似ている。 岡本太郎は魅了され30回以上通いつめたらしいが、私の目的は守屋山。ご神体山と言われるのに、杖突峠からは立派なハイキングコースとなっている、これも不思議。


守屋とは物部守屋! 蘇我氏と聖徳太子連合郡に敗れて八尾の地で戦死したと伝えられるが、ところがどっこい!一族は美濃や諏訪の地に・・・。古文書には次男の武麿が信濃の「州羽(すわ)」に行き、神長守矢家の養子になったと書かれている。史料館の建つ邸内には 武麿の墓と言われる古墳があり、裏の守屋山には物部守屋公を祀る祠があるという。でもフツーに考えて守屋よりミシャグチ神のほうが先。

先住民族の神の名は『洩矢神』(もりやのかみ)27代目に武麿の名が記され、『弟君』と付記されているとか。物部ファンとしては何とも魅力的なミステリー。



村屋坐弥冨都比売神社(むらやにいますみふつひめ)摂社 物部神社:奈良盆地のど真ん中、田原本町に建つ日本書紀に由来する古社で、地元では「森屋の宮」と呼ばれている。神社の宮司さんの名は守屋さん。物部守屋の血筋を引く方だと言われ 物部神社が祀られています。

河内で戦死したとされる物部守屋は替え玉で守屋は琵琶湖の北東で生をまっとうされ、伊吹山の麓、波久奴神社の岩屋に祀られているとの説もあります。 

「講釈師、見て来たようなウソを言う。」古代史はなんでもあり。八ヶ岳の神はどこにいる?


※諏訪の神は古くから、水、雨、風に関係のある農業の守護神として信仰されてきた。諏訪信仰の本源は竜神、霊蛇に関わる信仰でないかと考えられる。さらに風の神としての性格。 日本書紀(691)には『龍田の風神、信濃の諏訪(大社)、水内社などの神を祀り晴雨の祈願を込められた』との記述がある。軍神として武士に重宝されたが、原始は自然信仰的な地方神だったのだろう。