たぶん2017年のブログです
この時に初めて詩人キーツさんの重要さに気づいたようです (2019. 1 記)
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土居健郎さんの有名な『新訂・方法としての面接-臨床家のために』(1992・医学書院)を再読しました。
もう何回目になるでしょうか。
本は付箋とアンダーラインで大変な状態です。
初版本はじーじが家庭裁判所に就職をした翌年の1978年に購入していますから、かれこれ40年近いおつきあいです(うちの奥さんより長いおつきあいです)。
新訂本も25年のおつきあいで、じーじは両方の本に大変お世話になっています。
今回は、付箋とアンダーラインの中でも、また何か新しい発見があるのではないかと思って読んだのですが、やはりありました。
自慢には全くならないのですが、これまでノーチェックの箇所がやはりいくつかありました。
ひとつは、有名な、わかるということは、わからないところがわかること、ということについて、詩人キーツさんの言葉である「早く事実や理由を掴もうとせず、そこに居続けられる能力」が大切、と述べているところ。
キーツさんはいろいろな人が注目をしている詩人ですが、土居さんが引用していたのは今回初めて気がつきました。
もうひとつは、転移についてフロイトさんが、反復強迫や想起、中間領域、遊び場、などを述べているところで、じーじはフロイトさんのこの部分を修士論文を書く時に下坂幸三さんが訳している文章を読んで感動したのですが、すでに土居さんがここで引用していることに今回まで全く気づきませんでした。
40年前に気がついていたら、とも思いますが、やはり臨床の経験や勉強を積み重ねないと、凡人は読んでも素通りしてしまうのでしょうね。
しかし、今になってでも、大切なことに気づけたことに感謝したいと思います。
フロイトさんやキーツさん、まだまだ勉強していこうと思います。 (2017?記)
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2018年9月の追記です
先日、届いた『遊戯療法学研究』の最新号を読んでいたら、山中康裕さんがキーツさんについて述べておられます。
やはり重要な詩人のようです。
さらに勉強が必要です。 (2018.9 記)
いつも拝見していろいろと考えさせっられることが多いです
再読 グランマは全くやらないタイプです
姉は宮本武蔵が大好きであのシーンは何ページあたりだった
と覚えるほど読んでいました
いつまでたってもいい加減さが直らないグランマです
今はミステリー小説しか読まなくなりました
しかもすぐに睡魔が・・・
一番の理由は、2~3年すると、中身をすっかり忘れてしまうこと。まったくまっさらな気持ちで読んでしまいます。
あとは、若い時に気づけなかったことに、気づくことがあること。年をとる意味を感じることもたまにはありますかねぇ。