我は弓なり、乱世の用なり、
今(いま)治世なれば
川中島の土蔵に入らるるなり
福島正則(まさのり)[1561-1624] 『名将言行録』
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元和(げんな)元年(1619)、豊臣恩顧大名・正則(まさのり)は安芸(あき)広島49万余石を収公され、信濃(しなの)川中島4万余石へ移された。この減転という処罰に、ある家臣が、これまでの徳川家に対する武功を考えれば、この措置は如何(いかん)と嘆いたという。対して、正則はおのれを弓に喩(たと)え、このように述べた。弓は、適がいる時は重宝であるが、平時には袋に入れて土蔵にしまわれる。我も、平和な世になったため川中島の土蔵にしまわれる、述懐したのある。
魂を揺さぶる偉人の一言「名将名言録(平成23年版)」
株式会社トライエックス(http://www.try-x.jp/)
今(いま)治世なれば
川中島の土蔵に入らるるなり
福島正則(まさのり)[1561-1624] 『名将言行録』
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元和(げんな)元年(1619)、豊臣恩顧大名・正則(まさのり)は安芸(あき)広島49万余石を収公され、信濃(しなの)川中島4万余石へ移された。この減転という処罰に、ある家臣が、これまでの徳川家に対する武功を考えれば、この措置は如何(いかん)と嘆いたという。対して、正則はおのれを弓に喩(たと)え、このように述べた。弓は、適がいる時は重宝であるが、平時には袋に入れて土蔵にしまわれる。我も、平和な世になったため川中島の土蔵にしまわれる、述懐したのある。
魂を揺さぶる偉人の一言「名将名言録(平成23年版)」
株式会社トライエックス(http://www.try-x.jp/)