ココロの居場所

平穏な居場所を求めるべく、日々、感じた事を掲載していきます。

中国経済に異変?

2008-05-10 00:55:36 | 社会情勢
「オリンピック開催を目前に控える中国、好調だった経済に今、異変が起きている。去年11月に最高値をつけた上海の株価は今年に入って、半値に暴落、不動産価格の下落も始まる一方で、物価は前年比8%の猛烈なインフレ状態にある。中でも、中国の人々が好んで食べる「豚肉」は2年間で2.5倍に高騰、庶民の生活を直撃している。」(クローズアップ現代より引用)   中国の農村では、男は、高収入である街の工場へ出稼ぎに行き、農作物の出来高に影響しているとの事でした。食生活に打撃を与えているのは、単純なインフレではなく、経済構造に歪みがでていると思われます。そのインフレを抑えるため、人民元を切り上げる政策もとられてきました。また、そのことにより、輸出に対して価格面で競争力が落ちてきていると述べられてました。ここにきて、大幅な設備投資も、重荷になってきている模様です。今、胡錦濤(こきんとう)国家主席が来日中ですが、いろいろな思惑が感じられます。

クローズアップ現代
http://www.nhk.or.jp/gendai/

養老孟司氏、「感覚世界の多様性」とは。

2008-05-08 22:57:08 | ココロ
多様性は重要かどうかという点について、養老孟司氏は、次のようにコメントされてます。「重要かどうかではなく、この世はそもそもが多様なんですよ。生物の世界というのは多様性の調和の上に成り立っている。人間社会も当然そうです。例えば、僕たちはテレビの映像を見ますね。あれは客観的で中立のものだと考えられていますが、実は、特定のカメラの視線がとらえた特定の映像を見ているだけです。カメラが2台あったら、それぞれが映す映像は当然別のものになる。100台のカメラがあったら、映像は100種類になる。...この考え方は、とても大切なんですよ。例えば、家族の中で深刻な対立が起こったときに、その対立の原因はどこにあると考えるか。家族は皆が同じ視線を共有して、同じものを見ている。だから、もしそこに齟齬(そご)が生まれるとしたら、お互いの内面や価値観にズレがあるからだ──と、こう考えてしまうケースは非常に多い。アホなことを言ってはいけません。家族であろうが何であろうが、それぞれの人間の視線は常に異なるのです。見ているものが違う。当然、感じていることも違う。つまり、異なるのは、内面や価値観ではなくて、「感覚」なんです。それを僕は「感覚世界の多様性」と言っているわけです。...感覚とは、「違い」を発見する力です。それが鈍ると、すべてが同じに見えてしまう。現代人の多くは、自分の感覚が鈍っていることに気づいていないですね。だから僕は、どんどん外に出て行って、身体を使え、感覚を磨けと言うんです。 」(wisdomより引用)   相変わらず、ばっさりと明解に説明されています。日本人は、お互いの感覚的な違いを認め合うのが、苦手だと思います。しかし、これも、心の持ちようかもしれません。私は自分が受け入れられたと感じた時は、その人を身近に感じるので、自分と違った価値観の方でも、その方を理解しようとする努力が重要だと改めて感じました。

wisdom
http://www.blwisdom.com/pr/kenja/02/

「サッド ヴァケイション」、女性には頭があがない男たち

2008-05-06 23:09:13 | 映画
「小説家としても名高い、青山真治監督の同名小説を基に描く人間讃歌。『Helpless』『EUREKA ユリイカ』に続く“北九州三部作”の終章として、運命に翻弄(ほんろう)される男たちを包み込むかのような、芯(しん)の強い女性たちのドラマをつづる。『Helpless』同様、健次役の浅野忠信、『EUREKA ユリイカ』に続き梢役を演じる宮崎あおいほか、石田えり、オダギリジョーら豪華キャストの共演が実現。本作で新境地を開拓した監督の優しさに満ちた視点が感動を呼ぶ。」(YAHOO!映画より引用)
ヴェネツィア映画祭、参加作品でもあり、出演者が豪華というだけで、Helpless、ユリイカを知らずに観ました。前半、些細なシーンでも、妙に長く単調で、暗めときてますから、映画好きでないと、ちょっと辛いかもしれません。しかし、後編になるほどに急展開します。過去を語れない、または、軸を失い、その日暮らしの男たちを、支える母親を中心とした女性。女性には頭があがない男たちです。浅野忠信氏、名演です。石田えりさんが、観音菩薩にみえてきました。宮崎あおいさん、出番が少ないのが寂しかったです。

YAHOO!映画
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tydt/id328124/
オフィシャルサイト
http://www.sadvacation.jp/

脳科学者、茂木健一郎氏、脳活用法SP

2008-05-05 01:18:15 | テレビ番組
「なぜ、脳から心が生まれてくるのか。」と科学と哲学がクロスする命題。それを解き明かすために、いろいろなヒントが詰まってました。クオリアやネオフェリアといった概念が飛び交う脳科学の世界で、ためになると思った事を列記してみます。
まず、脳を頻繁に使っていると使っている脳の部分が成長するとの事です。よって、暗記できない時は、声に出しながら、ひたすら書き、テキストから目を離しては、声に出して書く。五感を使う事により脳の言語をつかさどる部分が活性化し、記憶力の定着につながるとの事。その姿は、人に見せられたものではないため、「鶴の恩返し勉強法」と呼ぶそうです。
集中力が続かない時は、無理にでも、すぐ始める事(短時間集中法)。いつでも、脳のスイッチを入れる訓練をする。そして、歩く(散歩)などの行動している時のほうが集中できるとの事でした。
そして、人を育てるには、タイミングよく、本気で褒める。それは、相手のことをよく見てないとできませんし、どんな人でも、いい所は必ずあると茂木氏のコメントでした。
最後に脳は、好奇心や新しい刺激を求め、それがないと飽きてくる、でも、飽きたら自分で、さらに探し、脳は変わり続けるとの事でした。老化は確実に進みますが、脳は、訓練次第で、回転がよくなるのかと、自分なりに前向きになりました。

補足
クオリア: 花であれば、色や形、そして質感のこと。
ネオフェリア: 脳は新しいものを欲している、つまり新しいもの好き。

プロフェッショナル NHK
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/080429/index.html

いまの僕ではない僕を考えてしまう。

2008-05-01 01:22:42 | ココロ
「どんなに考えても、やり直しがきかないことぐらいわかっている。実際には選ばなかった「もしも」の道筋をたどることで、なにかの教訓を得ようとしているわけでもない。だいいち、僕は僕の選んだ道を悔やんでなどいないのだ。なのにー「もしも」を思う。ピッチャーの牽制球にひっかかるのがわかっているのに、ついふらふらと塁を離れてしまう間抜けなランナーのように、いまの僕ではない僕を考えてしまう。」(重松 清著 「三月行進曲」より引用)   私は、もし、...だったらと考える事は、無しだと割り切って生きていくべきだと思うのですが、どうにも、物事がうまくいかない時、この「もしも」が顔をだします。一種の逃避的思考ととられても仕方がないのですが、ノスタルジー的な要素も、混ざっているような感覚です。