goo blog サービス終了のお知らせ 

KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

pray for all

2015-02-01 | KOFUKU日記



2月になりました

今日、この時を生きて過ごせていることに感謝を込めて
この世界のすべてに平和が訪れますように祈ります



この笑顔の向こうに たくさんの悲しみがあるの
どんなに笑顔を作ってみても 悲しみは癒されない
この笑顔の向こうに たくさんの悲しみがあるの
どんなに笑顔を作ってみても こころから消えることはない

大きすぎる悲しみの向こうから
幸せだだったあなたたちとの日々が
今の私に優しく手を振っている
それが心の支え

この夜空の向こうに たくさんの思い出があるの
あなたの姿を探してみても さみしさは癒されない
この夜空の向こうに たくさんの思い出があるの
あなたの姿を探して見ても 愛しさがこみ上げるだけ

大きすぎる悲しみの向こうから
幸せだったあなたたちとの日々が
今の私に優しく手を振っている
それが心の支え
それが心の支え



一つの命には、かならずひとつの人生があります。
そのひとつの人生には、必ず、たくさんの人生が寄り添っています。
たとえ天涯孤独でも、たったひとりで生まれてくる人は誰もいません。
誰の手も借りずに大きくなった人は誰もいません。
自然でさえ、雨や風や光の助けてがあって、初めて成長するのだから。
人であるなら、尚更です。
いうなれば、思いやり、助け合い、支えあって生きていくことは
私たち人間の使命のように私には思われてなりません。
その為には人種も性も姿かたちも思想も宗教も何もかも
すべてを超えて行かねばならないのでしょう。
こころにただ愛と思いやりを宿して。
願わくば、この天と地の全てが愛と平和で満たされますように。


「憎むは人の業にあらず。裁きは神の領域」

ジャーナリスト後藤健二さんのツイートより抜粋

1・17

2015-01-17 | KOFUKU日記



1月17日になりました。
阪神大震災で亡くなられた多くの尊き御霊に、
そしてそのお哀しみとともにあられるご家族に、また今も震災と向き合っておられる方々が
少しでも安らいだ毎日を送られますように心からお祈り申し上げます。
合掌。



あの日、それこそ神戸に公演に行く予定でした。当時、学校巡回演劇で各地を回っていました。
出発は7時半だったけど、早朝の地震を受けて全員早めに事務所に入り、その後の動向を見守りました。
朝もやの中、画面に映るのはあちこちで崩れた建物や燃え立つ火の手が街を襲う様子。
運転手の子のご実家が明石で、彼は事務所入りするまで地震の発生を知らず、
来てから大騒ぎになって、全員で手分けして安否確認したりしました。
結局、その日の公演は延期になり、二日後、岡山方面の公演に向うことになりました。

まだ混沌としてた時期、高速は隆起で通行止めになり、渋滞の下道をひたすら西に向かいました。
神戸が近くなるたびにブルーシートに覆われた家が増えて行きます。
夜、流れるカーラジオからは4千人、5千人と亡くなられた人の数が増え、名前が読み上げられていました。
今考えても、いつも歌ったり喋ったりしていた私のチームがあんなに静かだったことはありませんでした。
静かに心友のまりちゃんは涙を流していました。
まるで空気を飲み込んだような空間の中で、それでも誰ひとりラジオを消そうという人はいませんでした。
ひとり、またひとりと名前が読み上げられる度、みな心の中で祈りを捧げていたのではないかと思います。

私のチームは自慢じゃないけど、俳優としてはココロのできた人たちで構成された素晴らしい班でした。
みんなが生きることと人生のすべてを、演じることに、お客様のために捧げていたといっても過言ではないと思います。
だけど、あの日、その時、上手く言えないケド、
演劇人としての、芸能人としての無力さをみんな感じていたんじゃないかって思うのです。

演じることで、歌うことで、踊ることで、笑わせることで、
誰かの心の喜びのかけらになりたいと願ってこの道を選んだのに、
こんな時にこそ、誰かを助けたいと心底願っているその時に、何の役にも立てていない現実。
大きな悲しみがダイレクトに襲っている時には何も役にたてないと言うジレンマ。
本当に辛かった。

それから一ヶ月後、京都の小学校に公演に行きました。
一番笑顔が増えるシーンで大声で笑う子供たちを見守る先生が泣いていらっしゃるのが目に入りました。
気になって終演後伺ってみると、その小学校には阪神の震災でご家族を亡くし、
疎開してきている子たちがいて、その子達が何をしても笑うことがなかったのに
今日、このお芝居を見て、それは楽しそうに初めて笑っていたんです、と。
それが嬉しくて思わず涙が溢れました。お芝居の力ってすごいんですね、って。

それを聞いて、とても嬉しかったし、本当に良かったと思いました。
こんな時に芝居していてもいいのか?と、
どこか迷っていた私たち自身も、とても救われた気持ちになりました。

それまでも、私たちのチームは自分たちで資金を出し合い、劇団から作品を買って、
自分たちで訪問先を探し、お休みの日にチャリティで各地をめぐって公演していたのだけど、
あの時から、本当に稼いでるお金を全部注ぎ込んでも、
そんなことよりもっともっと大事なことがあると言うような気持ちで
心底から心を捧げるチャリティを行うようになった気がします。
私たちのイノチとする仕事は、誰かのココロの、
笑顔のかけらになれるかもしれないのだと確かに知ったからでした。

長い時が流れ、今は環境が変わり、私は業界からも、志を共にする友人からも遠く離れて
病もあり、人にも会えずにいるけれど、決してその気持ちはなくしていません。
自分の状況によって、できる規模や内容の波はあるけれども、
お芝居に限らず、今ここでやることのできるいろんな形で
そういう思いは一生持って、一生続けていくと思います。

命をかけ、一生をかけて選び、行っている私の仕事は、
イノチそのもので、イノリそのもので、聖なる遊びであって、
愛そのもので、真実、そこには平和があると信じています。

震災という悲しみに、多くの苦しみに、喜びに、日常の全てに寄り添える何かを、
生きることを通じて行っていきたいなと思っています。
自分の出来る範囲で、雨の雫のいってきにしかならないかもしれないけれど。
それでも、その一滴になることを続けていきたいと思います。
どんなに世の中が悲しく苦しみに満ちていたとしても、
そこだけは確かに「平和」を生むことができるから。


重ねまして阪神淡路大震災をはじめ、震災や災害等、
不慮の出来事で亡くなられた方々のご冥福を深くお祈り申し上げます。

2014-2015 明るい方へ

2014-12-30 | KOFUKU日記


《明るい方へ》


「明るいほうへ」
金子みすゞ


明るい方へ 明るい方へ。

一つの葉でも 日の洩るとこへ。

やぶかげの草は。


明るい方へ 明るい方へ。

はねはこげよと 灯のあるとこへ。

夜とぶ虫は。


明るい方へ 明るい方へ。

一分もひろく 日のさすとこへ。

都会に住む子らは。






毎日寒い日が続いていますね。皆様いかがお過ごしでしょう。
この夏、最愛の母が帰天いたしまして、来春はすこし寂しい新年の年明けとなりました。
喪中にて新年のご挨拶は控えさせていただきますが、
本年中の感謝を込めてご挨拶申し上げます。

2014年も皆様のお支えあって、無事に一年を過ごすことができました。
本当にありがとうございました<(_ _)> 

私にとって大きな支えであった母の死は、わかってはいたものの
今もなお色濃く寂しさを募らせているようです。
大事な人はみんな逝ってしまったと言うような
自分でも思いがけないほどの切なさが私の中に今あります。

思うよりも心身に影響が有り、ずっとずっと自分の支えであり、
楽しみにしてきたお手紙も書けなくなってしまいました。
ペンを持つ手に力が入らず、書き始めても思考がまとまらず文にできない。
そんなことが頻繁起きるようになり、それに合わせるように視力が落ちていき、
メガネが手放せなくなって、モノが見えない。それが一番辛かった。

書く、演じる、歌う、創る、それらは私の魂と直結しているから
そういう部分が揺れると、魂まで揺れるものなのですね。
人間って本当に繊細で脆いものなのだなぁと実感した半年でした。

それでも、されど人間、そんなに簡単には壊れないということも実感しました。
どうあっても、これまで紡いできたモノが私の中から消えることがないのです。
これは、本当にイノチをかけて自分のやるべきを生きてきたからだなと感じています。
自分の魂が確かにそれを知っている以上、大事なものは決して失くならないのだと実感しました。

ですから、ゆっくりゆっくりの歩みではありますが、今日まで生きてきて、
ソウルメイトや相方さんと作り上げてきた情熱の火は胸に絶やすことなく歩んでおります。

相方さんとこの世でのイノチの結晶として紡いできた芸術の世界は
日々の中のひとつひとつと密接に結ばれたものでした。
華やかなスポットライトの下にのみ咲き誇るようなものでなく、
時の流れのひとかけら、宇宙や自然の全て、人の生きる様のなかにそれはあるのです。

ソウルメイトも相方さんも「生きる」ということに、特に強い思いを持っておりました。
それがこの世の全ての答えだ、というように、その思いはすべての根本にあり、
その見えない想いが生きるもの全てを動かしていると感じていました。
リアルで、生命力に溢れた彼らの演技や作品はそういう信念から生まれたものでした。

以前、裏方としてサポートする私に、
「表に出ない役者になんか何もわからない」
とおっしゃった俳優さんがいました。

その時、相方さんが
「気にしなくていい。誰よりあなたが役者だってことは俺が知ってる。
君は生きているすべてを昇華させて本物の舞台に立つことができるけど、
世の中の一部しか見ることのできない役者は本当の舞台には立てないよ」
と言ってくれたことがあります。

私の目指す世界には、どこを見ても「生命」が宿っているのです。
「生命」とは嘘のない「真実」「本物」であり、「愛」そのものです。
これは相方さんとも、ソウルメイトとも、信念としてきたことです。

相方さんと作り上げた夢の街では「愛と真実」の信念の下に、天と地思いをつないで、
今も静かな活動ではありますが、演劇・芸術活動と並行して
ナチュラルクラフト製作や、様々な愛宿る活動なども続けております。

たとえボロボロになっても、その時を精一杯に生きて、
その時のちからの全てで、真っ直ぐに、偽らずに、
先人の、そして共に生きてきた人の思いをつなげていくこと。
これからも大切にしていきたいと思います。

残念ながら、まだまだスッキリ元気にというわけには行かないようですが、
これもまた人生。病を得て知ることが多く、善い日々だと感じています。

2015年はDVDなどで在りし日の相方さんやソウルメイトの舞台で輝く姿や
絵本などで彼に宿していた才能の姿をお目にかけられたらと願っております。

こうして思うことができますのも、皆様一人ひとりの存在のおかげです。
その存在を感じるたびに私は嬉しくなって強くなれるのです。
みなさま、生きていてくださって本当にありがとう<(_ _)>





2014年、本当にお世話になりました。
2015年が皆様にとって虹色に輝く美しい年でありますように.☆.。.:*・゜



PEACE ON EARTH

2014-12-25 | KOFUKU日記



《 PEACE ON EARTH 》


クリスマスに愛を祈ります
すべての世界に愛と平和が満ちますように…





愛は寛容で情け深い




愛は妬まず、自慢せず、高慢にならず、礼儀に背かない




自分の利益を求めず、怒らず、受けた悪を気にしない




不正を喜ばず、真理を喜ぶ




愛はすべてを包み、すべてを信じ、すべてを希望し、すべてを耐え忍ぶ








24日は相方さんと彼の愛娘チワワ次女ピピちゃんのお誕生日です。
ちわわんずとにゃんこさんたちと共にささやかなお祝いをしました。

今年は母が帰天したこともあり、こちらからはお祝いの言葉は申し上げられませんので
クリスマスカードもお年賀状もお出しすることはできないけれど、
いつもいつもひとりひとりのお顔を思い浮かべながら皆様のお幸せを祈っています。

皆様が善き冬を、愛深き一日を過ごされますように…





わたしのパレットさがして~18:10追記

2014-11-24 | KOFUKU日記




《絵本「夢の島ノア」より 画・米澤観児》




最近、ある曲を聴いて、その歌詞に深く胸打たれた。
私がこんな風に書けたらいいと思うような世界がそのままあったから。

昔、地元で参加していた劇団のお稽古に、
某劇団研究所の同期を連れて里帰りしてきたことがある。

私の原点である少年記と言う劇団の合宿に里帰りチームで参加した懐かしい思い出。
劇団のオリジナルミュージカルのある歌を聴いた同期の彼女がしみじみ言った。

「これはこの夕焼けを知ってるから書ける歌詞、歌える歌だね。
だから本当にこころに迫ってくる。」

その時、本当にそうだなぁ、ととっても嬉しく思ったのだけれど、
まだ全然若造だった私は当時はそこまで深くその言葉の意味を考えてはいなかった。
それでも、その時の彼女の表情や感動が深く胸を打って、
どれだけ時間が経っても手に取るようにその瞬間が蘇る。

でもある程度年齢を経て、演技人として、多分一般的な俳優さんよりも、
遥か多くのいろんな規模のステージに立たせていただく経験をさせて頂いて、
それを経た上で、自分が作品を作るということに関わり始めたとき、
その人生の時々で出会った人、コト、モノ、全てから与えられた胸に響いた瞬間が、
自分の信じるものが何か、美しいものが何か、強さや優しさや
黒いものや闇の数々が一体何かを教えてくれたと感じている。
だからこそ、自分が何をするべきなのかも、信念として存在するようになった。

私は舞台芸術に関して特に貴賤はない。
どんなものにもそれをやる方の魂があると思うし、貴さを感じる。
機会があれば喜んで観せて頂く。

ただ演じる側、提供する側として、苦手とするものははっきりある。
そう言う感覚もひっくるめて、私はシンプルなものが好きだ。
単純とも言えるもの。普遍的なもの。
人間が生まれながらに持ってうまれる感覚を震わすものが好きだ。

だから私の作るステージは基本的に限りなくシンプルに作る。
派手な衣装とか特殊な小道具にはあまり頼らない。
声帯潰すようなが鳴った台詞回しの役者も必要としない。

もちろん提供できるだけの力と魂を持った役者さんが何よりも重要。
だけど、ただ歌える人、ただ台詞回しが上手い人、それだけならいらない。
必要なものは、もっともっと他にある。
目に見えないモノ、かもしれない。
だけど、ただの思いやつもりだけなら、もっといらない。
やっぱりお客様に対して、エンターテインメント(最高のおもてなし)
でなくちゃならないっていつも思ってる。
そんな魂と力を宿すシンプルなストレートなモノを目指す。

究極、役者が一人そこにいれば、それで成立する、それが一番だと思ってる。
だから、自分の作品は、およそ舞台というに必要ないろんなものを
削ぎ落として、削ぎ落としていって何もなくなった時にでも成り立つように作る。
これは、自腹で日本中巡って、劇場も音源も明かりも何もない所に芝居に行って、
あれも使えない、これも使えない、と言う環境を経験し、
どうしたらこれができるかと常に考えたからこそ思う事なんだろう。

でもだからこそ、私は明かりの素晴らしさを知ってる。
そこに音楽があることの素晴らしさを知ってる。
衣装や道具たちのありがたみを知ってる。
それらが舞台において、どれだけ尊いものであって、大きな存在であるか知ってる。

だからそれらが舞台で必ずイノチを宿らせるように、
お客様と役者と共鳴する様に演出を考える。
中でも、一番大事にしていることは、「お客様が作品を理解できること」 
0歳でも、100歳でも、出来る限り、お話がわかること。感じるものがあること。
人は向き合う相手の何かを理解したいし、共感するためにこの世に生まれてきてる。
それが感動することだと、そう思うから。

だから誰でもが揺さぶられるところをシンプルに描く作品が好きだ。
真っ直ぐに心に飛び込んでくるような単純さを心底美しいと思ってる。
何もない空間にいろんなものが浮かび上がってくるような空間が好き。

ひねったり、難しかったり、豪華だったり、賑やかだったり、
そういうのは他の人がいくらでもやってくれるから。
だから、あたしは自分が出来るやるべきことをやる。

そう、私はどんな劇場であっても、大切なものの変わることのないもの、
小さな村の小さな家の広間でも、明かりも何にもなくても、
おばあちゃんと膝に抱いたお孫さんが一緒になって、
ないたり笑ったりしてくれるような作品を作っていきたいと思っている。
見終わってからココロにホンの少しの灯りをともせるような、そんな作品。
そして、ちょっとでも作る人に思いを馳せたとき、
その人のタマシイが、そこに暖かくにじむような作品が作りたい。

舞台だけじゃなく、手仕事でも、なんでも、
自分のすることは全てそういう作品でありたいと思ってやっている。
それは生き方も同じだから。それはもう、全てだから。
そんな人生をこれからも生きていくと決めているから。

思いは今までよりも日を追うごとに強くなる。
けれど、相反して今の私は昔のように早く動くことも、何かをこなすこともできない。

でも、それは好機だと捉えている。
だからこそ時間がかかってもいい。自分のやるべきことを、丁寧に生きていく。
だからこそ、やりたいことの本質を学ぶチャンスを与えられてる。
本当に本物を作る機会を与えられたんだと感じる。

嘘のない真実の世界を生きる。

これは何をしていても変わらない。
何が大事って、それがなければ成り立たない。
それを今ある環境の中で、恐れず受け止めて生きる。
今の自分ができることの精一杯で向きあう。
自分のパレットで色を作り続ける。
そう決めている。


出逢った歌詞はそれらを再確認させてくれるような歌詞だった。
あの日、友人が言った「それを知ってるから書けるモノ」
といった意味の深さや大切さを改めて胸に抱きしめた瞬間だった。
人が読んだら、きっと単純な単純な歌詞かもしれない。
でも、私は思う。
きっとそれを心が知らねば書けない、そんな詩。

そんな歌にあの日の友のように私は胸打たれた。
それはきっと、
そこに書かれているすべてが、その人の心や生き方
見ている人たちの心そのもの、
という事が今の私にはちゃんとわかっているからだろう。






あか あお きいろ むらさき おれんじ
みどり くろ ぜんぶならべて
おえかきしましょ そうしましょ
まっしろなきゃんばすいっぱいに

おひさま うみ おさかなになすび
みかんのきからのびるかげ
たくさんかきましょ そうしましょ
もっともっともっといろをつけましょう

たりないいろはつくりましょ
ぼくだけのいろつくりましょ
はみだしたってかまわないさ
ゆっくりゆっくりあわてないで

さいごのしあげにかくもの
どんなときでもだいたいおんなじ
わらってるぼくとてをつなぐ
かわいいきみをかいてできあがり
ほらね
たのしいな







「人生、それこそがミュージカル(ここはみなさんの好きな言葉に変えてどうぞ)」

私のオリジナル座右の銘。
自分たちの店で仲間たちと伝え続けた言葉。

それはね、ホントにホントだよ。


追記
この場をお借りして、少年記の仲間たちと、その心ある作品たちに深く感謝いたします。
昔も今も変わらず少年記は私の中で原点であり、永遠。

そして、そこで出会った仲間たち。
人生の一瞬一瞬で出会った人々。
今もご縁のある人も、ない人も、それには必然の理由がある。
良いこともあれば、そうでなかったことも。
本当のことは自分しか知らないこともたくさん。

けれど、それら以上に、出会ったことの必然という宝物は何にも代え難いモノです。
その瞬間と出来事がなければ今日の私は決していない。
みんなが私を作り上げて、今日に運んでくれたのです。
善きこと、そうでなかったこと、全てに感謝しています。
すべての出会いにこころからありがとう<(_ _)> 
であってくださった全ての人が今日も明日も幸せでありますように…