KOFUKUの家から

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芸術的田舎暮らし真っ最中

わたしのパレットさがして~18:10追記

2014-11-24 | KOFUKU日記




《絵本「夢の島ノア」より 画・米澤観児》




最近、ある曲を聴いて、その歌詞に深く胸打たれた。
私がこんな風に書けたらいいと思うような世界がそのままあったから。

昔、地元で参加していた劇団のお稽古に、
某劇団研究所の同期を連れて里帰りしてきたことがある。

私の原点である少年記と言う劇団の合宿に里帰りチームで参加した懐かしい思い出。
劇団のオリジナルミュージカルのある歌を聴いた同期の彼女がしみじみ言った。

「これはこの夕焼けを知ってるから書ける歌詞、歌える歌だね。
だから本当にこころに迫ってくる。」

その時、本当にそうだなぁ、ととっても嬉しく思ったのだけれど、
まだ全然若造だった私は当時はそこまで深くその言葉の意味を考えてはいなかった。
それでも、その時の彼女の表情や感動が深く胸を打って、
どれだけ時間が経っても手に取るようにその瞬間が蘇る。

でもある程度年齢を経て、演技人として、多分一般的な俳優さんよりも、
遥か多くのいろんな規模のステージに立たせていただく経験をさせて頂いて、
それを経た上で、自分が作品を作るということに関わり始めたとき、
その人生の時々で出会った人、コト、モノ、全てから与えられた胸に響いた瞬間が、
自分の信じるものが何か、美しいものが何か、強さや優しさや
黒いものや闇の数々が一体何かを教えてくれたと感じている。
だからこそ、自分が何をするべきなのかも、信念として存在するようになった。

私は舞台芸術に関して特に貴賤はない。
どんなものにもそれをやる方の魂があると思うし、貴さを感じる。
機会があれば喜んで観せて頂く。

ただ演じる側、提供する側として、苦手とするものははっきりある。
そう言う感覚もひっくるめて、私はシンプルなものが好きだ。
単純とも言えるもの。普遍的なもの。
人間が生まれながらに持ってうまれる感覚を震わすものが好きだ。

だから私の作るステージは基本的に限りなくシンプルに作る。
派手な衣装とか特殊な小道具にはあまり頼らない。
声帯潰すようなが鳴った台詞回しの役者も必要としない。

もちろん提供できるだけの力と魂を持った役者さんが何よりも重要。
だけど、ただ歌える人、ただ台詞回しが上手い人、それだけならいらない。
必要なものは、もっともっと他にある。
目に見えないモノ、かもしれない。
だけど、ただの思いやつもりだけなら、もっといらない。
やっぱりお客様に対して、エンターテインメント(最高のおもてなし)
でなくちゃならないっていつも思ってる。
そんな魂と力を宿すシンプルなストレートなモノを目指す。

究極、役者が一人そこにいれば、それで成立する、それが一番だと思ってる。
だから、自分の作品は、およそ舞台というに必要ないろんなものを
削ぎ落として、削ぎ落としていって何もなくなった時にでも成り立つように作る。
これは、自腹で日本中巡って、劇場も音源も明かりも何もない所に芝居に行って、
あれも使えない、これも使えない、と言う環境を経験し、
どうしたらこれができるかと常に考えたからこそ思う事なんだろう。

でもだからこそ、私は明かりの素晴らしさを知ってる。
そこに音楽があることの素晴らしさを知ってる。
衣装や道具たちのありがたみを知ってる。
それらが舞台において、どれだけ尊いものであって、大きな存在であるか知ってる。

だからそれらが舞台で必ずイノチを宿らせるように、
お客様と役者と共鳴する様に演出を考える。
中でも、一番大事にしていることは、「お客様が作品を理解できること」 
0歳でも、100歳でも、出来る限り、お話がわかること。感じるものがあること。
人は向き合う相手の何かを理解したいし、共感するためにこの世に生まれてきてる。
それが感動することだと、そう思うから。

だから誰でもが揺さぶられるところをシンプルに描く作品が好きだ。
真っ直ぐに心に飛び込んでくるような単純さを心底美しいと思ってる。
何もない空間にいろんなものが浮かび上がってくるような空間が好き。

ひねったり、難しかったり、豪華だったり、賑やかだったり、
そういうのは他の人がいくらでもやってくれるから。
だから、あたしは自分が出来るやるべきことをやる。

そう、私はどんな劇場であっても、大切なものの変わることのないもの、
小さな村の小さな家の広間でも、明かりも何にもなくても、
おばあちゃんと膝に抱いたお孫さんが一緒になって、
ないたり笑ったりしてくれるような作品を作っていきたいと思っている。
見終わってからココロにホンの少しの灯りをともせるような、そんな作品。
そして、ちょっとでも作る人に思いを馳せたとき、
その人のタマシイが、そこに暖かくにじむような作品が作りたい。

舞台だけじゃなく、手仕事でも、なんでも、
自分のすることは全てそういう作品でありたいと思ってやっている。
それは生き方も同じだから。それはもう、全てだから。
そんな人生をこれからも生きていくと決めているから。

思いは今までよりも日を追うごとに強くなる。
けれど、相反して今の私は昔のように早く動くことも、何かをこなすこともできない。

でも、それは好機だと捉えている。
だからこそ時間がかかってもいい。自分のやるべきことを、丁寧に生きていく。
だからこそ、やりたいことの本質を学ぶチャンスを与えられてる。
本当に本物を作る機会を与えられたんだと感じる。

嘘のない真実の世界を生きる。

これは何をしていても変わらない。
何が大事って、それがなければ成り立たない。
それを今ある環境の中で、恐れず受け止めて生きる。
今の自分ができることの精一杯で向きあう。
自分のパレットで色を作り続ける。
そう決めている。


出逢った歌詞はそれらを再確認させてくれるような歌詞だった。
あの日、友人が言った「それを知ってるから書けるモノ」
といった意味の深さや大切さを改めて胸に抱きしめた瞬間だった。
人が読んだら、きっと単純な単純な歌詞かもしれない。
でも、私は思う。
きっとそれを心が知らねば書けない、そんな詩。

そんな歌にあの日の友のように私は胸打たれた。
それはきっと、
そこに書かれているすべてが、その人の心や生き方
見ている人たちの心そのもの、
という事が今の私にはちゃんとわかっているからだろう。






あか あお きいろ むらさき おれんじ
みどり くろ ぜんぶならべて
おえかきしましょ そうしましょ
まっしろなきゃんばすいっぱいに

おひさま うみ おさかなになすび
みかんのきからのびるかげ
たくさんかきましょ そうしましょ
もっともっともっといろをつけましょう

たりないいろはつくりましょ
ぼくだけのいろつくりましょ
はみだしたってかまわないさ
ゆっくりゆっくりあわてないで

さいごのしあげにかくもの
どんなときでもだいたいおんなじ
わらってるぼくとてをつなぐ
かわいいきみをかいてできあがり
ほらね
たのしいな







「人生、それこそがミュージカル(ここはみなさんの好きな言葉に変えてどうぞ)」

私のオリジナル座右の銘。
自分たちの店で仲間たちと伝え続けた言葉。

それはね、ホントにホントだよ。


追記
この場をお借りして、少年記の仲間たちと、その心ある作品たちに深く感謝いたします。
昔も今も変わらず少年記は私の中で原点であり、永遠。

そして、そこで出会った仲間たち。
人生の一瞬一瞬で出会った人々。
今もご縁のある人も、ない人も、それには必然の理由がある。
良いこともあれば、そうでなかったことも。
本当のことは自分しか知らないこともたくさん。

けれど、それら以上に、出会ったことの必然という宝物は何にも代え難いモノです。
その瞬間と出来事がなければ今日の私は決していない。
みんなが私を作り上げて、今日に運んでくれたのです。
善きこと、そうでなかったこと、全てに感謝しています。
すべての出会いにこころからありがとう<(_ _)> 
であってくださった全ての人が今日も明日も幸せでありますように…




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