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randomnote

日記。

郡山市にイッテキマシタ

2011年11月30日 | 台湾ー郡山
11・26
郡山は肌寒かったけれど、天気が良くて、時間の流れが少しゆっくりしていた。
お墓参りを済ませたあと、母と母の姉の叔母さんのうちで、かなり長い間、台湾について語り合いました。

叔母の回想>日本に戻ってきたのは、叔母の記憶によると、終戦の少し前に台湾の方に手伝ってもらいながら。5歳の叔母と生まれたばかりの母をおぶって森永夫妻は、京都の舞鶴港についたそうです。トイレが板を二枚渡しただけで、とても便利な怖かった。また、生まれたばかりの母は、風邪をひいて死にそうだったのですが、乗客していた方が薬を分けてくれて、一命をとりとめたそうです。
舞鶴からまず福井に行きます。でも途中で、京都にいた大谷賢逸さんという伯父さんに会いに行ったかもしれない。(とても仲の良い親戚で森永信光の妻みさ代さんの弟。)
この方も花蓮で商売をやっていて、朴子の家で同居していた事もあった。聞くと、叔母さんはこないだ京都にこのひとの息子に会いに言いてきたそうです。息子と言っても、もうお爺さんだけれど。
まだ京都にいるそうです。

その他いろいろいい話がたくさん出来たと思います。