あれは2003のことだったと記憶しています。
何度目かの台湾に旅行に行ったとき、僕は台湾の音楽にも興味があり、
ちょうどロックフェスみたいなたくさんのバンドがでるイベントが台北であるので様子を見に行きました。
帰国の時間の都合でイベントが始まる前の準備をしている所しか見れなかったんですが、
その時にとあるブースに並んでいるCDを手に取って眺めていると、
これは僕たちのバンドなんだよと気さくに話しかけてくれた若者たちがいました。
「きみたちのバンド名は?」とか、たどたどしく日本語と北京語と英語で
「僕は日本人ですが先祖が台湾で暮らしていたことがあります、台湾の人はみんな音楽が上手だし歌もうまいね」と話すと、
うちとけて、台湾の原住民の血をメンバーの何人かは受け継いでいるので、音楽が好きなのはそのおかげかもしれないと話してくれました。
帰りにCDを買おうと思ったら、
あいにく台湾ドルを帰りの飛行場までの切符代しか残していなくて、日本円しかなかった。
日本円だけど換算して「1000円でいい?」と交渉すると、「OK喜んで」と言って笑って売ってくれた。
そのうち日本にも来てね、と言ってその場を後にしました。
彼らの歌はすばらしい。楽しいし、CDを聞いてすぐに好きになりました。
今思えばCDにサインをしてもらえばよかったね。
何度目かの台湾に旅行に行ったとき、僕は台湾の音楽にも興味があり、
ちょうどロックフェスみたいなたくさんのバンドがでるイベントが台北であるので様子を見に行きました。
帰国の時間の都合でイベントが始まる前の準備をしている所しか見れなかったんですが、
その時にとあるブースに並んでいるCDを手に取って眺めていると、
これは僕たちのバンドなんだよと気さくに話しかけてくれた若者たちがいました。
「きみたちのバンド名は?」とか、たどたどしく日本語と北京語と英語で
「僕は日本人ですが先祖が台湾で暮らしていたことがあります、台湾の人はみんな音楽が上手だし歌もうまいね」と話すと、
うちとけて、台湾の原住民の血をメンバーの何人かは受け継いでいるので、音楽が好きなのはそのおかげかもしれないと話してくれました。
帰りにCDを買おうと思ったら、
あいにく台湾ドルを帰りの飛行場までの切符代しか残していなくて、日本円しかなかった。
日本円だけど換算して「1000円でいい?」と交渉すると、「OK喜んで」と言って笑って売ってくれた。
そのうち日本にも来てね、と言ってその場を後にしました。
彼らの歌はすばらしい。楽しいし、CDを聞いてすぐに好きになりました。
今思えばCDにサインをしてもらえばよかったね。