臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(7月14日掲載・其のⅣ・梅雨明け待望版)

2014年07月17日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]

(高石市・中村玲子)
〇  朝5時のフローリングの冷たさに夢のつづきの渚踏む足

 昨今の私たち日本人の居住空間は、到るところ「フローリング」流行りで、かつての文豪・永井荷風が、倒錯的に愛好していた「畳み敷きの四畳半」といった風情ある狭空間に身を置く事などは、今や絶望的かつ骨董品的な願望に過ぎなくなってしまったのである。
 本作の作者・中村玲子さんの場合は、世の流行に従ってフローリングの居住空間に生活して居られるのであるが、一夜の眠りから覚めたばかりの「朝5時」に、フローリングの廊下にもたつく足を踏み入れ、住居内の何処かの空間(恐らくは‘ご不浄’)へと歩みを進めようとしている時、突如「冷たさ」を感じ、その感覚がそのままに、「夢のつづき」としての「渚」の濡れた砂を「踏む」ような幻想的な爽快感に繋がっているのでありましょう。
 だが、それこそは正しく「年寄りの冷や水」であり、「その中に必ずや坐骨神経痛などの不治の病に侵されること必定であります故に、決して決してご無理をなさらないで下さいませ!」と、私・鳥羽省三からも一言申し添えさせていただきますから、その旨ご承知置き下さいませませ!(笑)
 〔返〕  朝4時の目覚めの水は水道水スポーツドリンク不味くて飲めず


(和泉市・井上閏日)
〇  人波の荒いたそがれみずからをスマートフォンにしっかり舫う

 本作の作者の井上閏日さんは、何を以って「人波の荒いたそがれ」と仰るのでありましょうか?
 井上閏日さんがお住いの和泉市は、いにしえの和泉の国に因んでの和泉市ではありましょう。
 だが、その名に相応しくも無く、住民の気風が滅法界荒い岸和田市などと並んでの大阪府下の一衛星都市に過ぎませんから、或いは「たそがれ」時ともなれば、住吉競艇や岸和田競輪などで無惨に負けて「おけら」化してしまったおっちゃんたちが大挙して駅前辺りに屯しているのかも知れません?
 という事になると、井上閏日さんは、和泉市内のそうした荒涼とした夕方の情景を以って「人波の荒いたそがれ」と感じて居られるのかも知れません。
 それはともかくとして、そうした「人波の荒いたそがれ」時に、本作の作者の井上閏日さんは、「みずから」の心と身体を「荒い」「人波」の中から救い上げようとして、胸のポケットの中に入っていた「スマートフォン」の画面に没入したり、メールの文字を親指一本で入力したりして気を紛らかそうとしているのでありましょう。
 だが、其処をはっきりと素直に「自分はスマートフォンの画面に身を没入したり、メールの文字を親指一本で入力したりして、気を紛らかそうとしている」と仰らずに、「みずからをスマートフォンにしっかり舫う」と文学的かつ抽象的に表現したところに、この一首に於ける作者の工夫が認められるのである。
 それにしても、「人波の荒いたそがれみずからをスマートフォンにしっかり舫う」とは、これぞ正しく末期症状的な超現象と云わなければなりません。
 〔返〕  マスコミの世論誘導拙くも我が定見をブログに舫ふ
      性差別今しも崩壊寸前の性の渚に我が身を舫ふ 


(東久留米市・関沢由紀子)
〇  体育のあとの授業はほやほやと湯気たちのぼる一年B組

 「体育のあとの授業」。
 それが自らが担当せざるを得ない「一年B組」の現代国語の授業であったりすると、授業中の教室に「ほやほやと湯気」が「たちのぼる」どころか「お昼寝」の時間のようになってしまうのが、ごく当たり前の現象であったが、「其処をそのようにさせないところに授業担当者としての、私・鳥羽省三教諭の明晰と発明があったのである」とは、現役国語教師時代の我が身を振り返っての自慢話の一つである。
 東久留米市にお住いの関沢由紀子先生としては、その打開策として、如何なる授業展開をなさって居られるのでありましょうか、其処の辺りのところを、一度、武蔵野台地を背にした、とある瀟洒な喫茶店などで、とっくりとお聞きしたいものである。
 〔返〕  眠りたきゃ眠るがいいさ!自由だよ!体育の後の授業は眠い!


(青森県・中村範彦)
〇  清志郎生きていたならどう叫ぶ原発輸出解釈改憲

 今は亡き、あの忌野清志郎の昔懐かしきモンキー声!
 あの忌野清志郎があのモンキー声を駆使して、今さらに「原発輸出ハンターイ!解釈改憲絶対阻止するぞー!」などと叫んでみたとしても、公明党を丸め込んでしまった安倍晋三は、微動だにしないのかも知れませんぞ!
 それにしても、本州の隅っこの青森県にお住いの中村範彦さんの、人並み外れた「迎合精神」及び「平衡感覚の欠如」には、呆れ果ててしまいましたよ!
 滋賀県知事選挙で原発再稼働推進派の候補が惜敗してしまった現在、作中に「原発輸出」と「解釈改憲」とを並立させる手はありませんよ!
 旬の話題は「解釈改憲」であって、「原発輸出」は、一昔も二昔も前の話題でありましょうが!
 〔返〕 三島由紀夫生きていたならどう叫ぶ?解釈改憲海外派兵?  


(浜松市・桑原元義)
〇  原発のせいとは誰も言わないで目立たぬように住む人は減る

 浜岡原発から浜松駅までの直線距離は約35kmとか。
 まさかとは思われますが、静岡県内に住む人々は、東北、九州、四国地方などに住む人々と比較してみると年収が圧倒的に多く、いわゆる「お金持ち層」が多いとの評判でありますから、退職後には原発から離れている地方に住もうとする傾向が無きにしも非ず、というところでありましょうか?
 以上、勝手気儘な弁ばかり並べ立てたりしてご免なさい。
 ところで、先般、朝日新聞に掲載されていた記事を拠りますと、我が国の農山村部に於いての人口減少数が最も多いのは神奈川県愛川町であり、また、都市部のそれは神奈川県横須賀市である、とか?
 いずれにしろ、私の住んでいる神奈川県に所属する地域であり、これは亦、如何なる理由で以って、こうした現象が生じているのでありましょうか?
 それにしても、静岡県浜松市に於いて、「原発のせいとは誰も言わないで目立たぬように住む人は減る」とは、これ亦、不可思議極まりなき現象ではありませんか?
 仮に是が私の場合だったら、「私はお金をたんまりと貯めているし、それに浜松市は直ぐ近くに浜岡原発という、超恐ろしい爆弾を抱えているから、近々、原発で遣られる怖れの少ない岐阜県の山奥の村に引っ越すつもりだ!何だったら、君たち一家も私たち一家と行動を共にしないか?お金だったらいくらでも貸して上げるぞ!、無利子かつある時払いの催促無しでな!」なんちゃったりするんだけんど、人間みなみな私のようなお人好しとは限りませんからね!
 その点に就いての読者の方々のお考えの程は如何なものでありましょうか?
 〔返〕  原発の所為でも何でもあるまいにただひたすらに寂れ行く秋田

 
(大阪市・原正樹)
〇  缶コーヒー飲みつつ思うきみのこと夢の途中の停車駅にて

 私の年齢は七十四歳。
 若い女性に向かって「君」だの「俺」だのと言ったりするような時期は既に過ぎてしまいましたが、それでも尚且つ、本作を途中まで読んだ時、少しぐらいは羨ましくもなりました。
 ところが驚いた事に、本作の題材となっているのは夢の中の出来事ではありませんか!
 「夢路千里を行く」と言って、夢の中の出来事だったらどんなことだって言える訳だが、本当のところは、本作の作者・大阪市にお住いの原正樹には「君」と呼べるような女性なんか居ないのかも知れません。
 仮に居たとしても、お袋さんよりもずっと高齢の歯欠け婆さんだったりして!
 〔返〕  缶ビール飲みつつ思う税のこと酒税と消費税と二重取りだね!  


(福山市・廣本貢一)
〇  風ゆるくヨット豪快とはならず退屈しつつ凪をゆくなり

 たまには、文語文法に就いての学習も必要かと存じます。
 と言うのは、本作の末尾の助動詞「なり」は、「断定」や「存在」の助動詞「なり」で無いことは勿論であるが、「行く」という動詞の終止形に接続しているとは言え、「伝聞」の助動詞でも無くて、「視覚を根拠にした推定」の助動詞であるからである。
 即ち、本作の意は「風がゆるい為にヨットに乗っている人は豪快な気分に浸ることは出来ず、恐らくは、退屈しながら凪の中を進んで行くみたいだ」といったところでありましょう。
 〔返〕  風ゆるく台風期待外れなり風が吹かねば桶屋儲からず


(宗像市・巻桔梗)
〇  眉のよき木彫りの仏ながれつき浜昼顔の中に据ゑらる

 いつぞや、一、二度、巻桔梗さんの御作を朝日歌壇の入選作として拝見した記憶がありますが、その折には当方の健康事情が許さず、読みっ放しにしていたような気がしますから、今回は久しぶりの巻桔梗さんの御作の鑑賞である。
 「眉のよき木彫りの仏ながれつき浜昼顔の中に据ゑらる」とは、何処かの仏堂の由来を語っている昔話のようにも思われますが、文体から推測すると、その仏様が「浜昼顔」の咲く海端に鎮座せられたのは現代の話のようにも思われるのである。
 それはともかくとして、殊更に「眉のよき木彫りの仏」とことわっているのは、世に「眉欠け地蔵」や「鼻欠け菩薩」なる仏様も存在するからでありましょうか?
 本作の作者の巻桔梗さんと言えば、彼の出身地は新潟県巻町(現在は新潟市の一部)であり、勤務先の東海大学が九州校舎を設立するに伴って福岡県宗像市に居住されるに至ったとか。
 私の記憶しているところに拠ると、新潟県巻町には「弘法の清水」なる、弘法大師縁りの湧水が在り、彼の湧水は、今から遡ること千二百年以上も昔から滾々として湧き出でて居て、道行く人々の乾いた喉を潤していたとか。
 巻桔梗さんは知識人に似合わず、存外に信仰心の篤い方のようにも思われますから、彼の「浜昼顔の中に据ゑ」られた「眉のよき木彫りの仏」を拝むにつけても、「弘法の清水」で喉を潤した少年時代の思い出に耽ったことでありましょう。
 巻桔梗さんと言えば、巻桔梗さんの短歌のお仲間に今泉洋子さんという傑出した女流歌人が居られ、毎年の「題詠短歌マラソン」にも元気なお姿を見せられていたのであるが、今のところ、今年の題詠企画「題詠2014」には、私同様にご出走なさって居られないご様子である。
 巻桔梗さん共々、今泉洋子さんたち九州地方の歌人諸氏は元気でお暮しのことでありましょうか?
 〔返〕  雨風に曝されしゆへ眉の無きお地蔵様在り我が故郷に


(蓮田市・青木伸司)
〇  川面より白き姿を引き抜いて鷺翔び立てり明けの空へと

 「(川面より)白き姿を引き抜いて」という表現が抜群に新鮮な叙景歌である。
 〔返〕  新聞受けより厚き束をば引き抜きて盆の明け日の今朝は始まる


(京都府・島多尋子)
〇  ナンバープレート1188(いいはは)走る誰にでも母さんがいて母さんが好き

 一昨日のお昼過ぎの事、私どもの地域が共同で設営している「来客用の駐車場」に「0001」という縁起のいいナンバーを背負った一台の小型トラックが停まっていて、一人の作業服姿の男性が、麻袋に入った建築残材状の荷物を詰み込んでいる様子であった。
 何と驚いたことに、その作業服姿の男性は、一昨年、我が家のリフォーム工事を手掛けた某建築工房の経営者であった。
 二年振りに出会った彼の話に拠ると、自工房のトラックに「0001」というナンバーを背負わせているのは「縁起を担いで」の事と云う。
 して、彼の会社の今の経営状況は「頗る順調」との事であり、何事に於いても調子のいい彼の話に拠れば、「私の会社が順調であるのは、トラックのナンバーの所為もありましょうが、それよりも、不景気盛りの一昨年の秋にお宅様のリフォームを手掛けて所為かと思われる。今となっては、お宅様の方には足を向けて眠られません!」なんちゃったりするのである。
 「ナンバープレート1188(いいはは)」を背負って走る運転者の方も亦、彼の工房の経営者の如き「縁起担ぎ」兼「C調」の御仁でありましょうか?
 〔返〕  ナンバープレート「000Ⅰ」ナンバーワン経営状態頗る順調


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