臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(11月14日掲載・其のⅢ)

2010年11月18日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]
○ 子供らのユニフォーム洗うわが日々にまだ着る側の伊達公子あり  (佐倉市) 船岡みさ

 本作の作者・船岡みささんは、往年の女子テニスプレーヤーであったのでありましょうか?
 そして、最近、<クルム伊達公子>というカタカナネームを背負って復活した伊達公子選手が未だ<第一次の現役>の頃に、彼女と伊達公子選手とがフルセットマッチの大試合を演じたのでありましょうか?
 その往年の名プレーヤーが、今は家庭の人となって、「子供らのユニフォーム洗うわが日々」を送っていたのである。
 事がそのままで進めば、船岡家にとっては万々歳であったのでありましょうが、そうは問屋は卸しません。
 ごく最近、船岡家の主婦としての家事労働に余念の無かった<みさ>さんの胸を掻き立てるような大事件が発生したのである。
 その大事件とは、申すまでも無く、<クルム伊達公子>選手のカムバックとその後の衝撃的かつ予想外の活躍振りである。
 一首全体、<悔やんでも悔やんでも悔やみきれない>といった、往年の名選手の怨念の籠った傑作である。
  〔返〕 ご亭主の酒の相手をする時も銚子二本を左手に持つ   鳥羽省三


○ 柿の葉のたより桜の葉のたより 風のたよりもなき日のたより  (城陽市) 山仲 勉

 「柿の葉」も「桜の葉」も真っ赤に紅葉しているのである。
 本作の作者・山仲勉さんのところには、長距離恋愛中の彼女から、最近、ケータイのメールはおろか、「風のたより」さえもも無いのである。
 11月の日曜日のある日、近所の子供公園で、ぶらんこに揺られて、ぼんやりと彼女のことを考えていた山中勉さんの眼前に、その「風のたよりもなき日のたより」として、真っ赤に紅葉した「柿の葉」や「桜の葉」がひらりひらりと舞い散って来たのである。
  〔返〕 あの赤さあの不気味さが心配だ離れて暮らす彼女の危機か?   鳥羽省三


○ 部屋裡に入る秋の陽が連れてくる伐られし欅の影の記憶を  (羽村市) 竹田元子

 かつてのこの部屋には、今は伐られて無くなってしまった「欅」の木の「影」が揺曳していたのである。
 春は淡い色の影が、夏は濃い色の影が、秋は木の影に加えて、舞い散る木の葉の影も、そして、冬の晴れた日には、透け透けの冬木の影が、思い思いの趣きで揺曳していたのである。
 しかし、今は、その欅の木が伐られてしまったから、この部屋には、その欅の木の影が漂わなくなってしまったのである。
 そして、ある「秋」の日の午後、この部屋に「秋の陽」が射し込み、その「秋の陽」は、あの懐かしい「欅の影の記憶」を「連れて」来たのである。
  〔返〕 影たちがかけっこしてたこの部屋に今は秋陽が射し込むばかり   鳥羽省三


○ 二つ三つうつせみすがるままを咲きさはさは香るひひらぎもくせい  (東京都) 山本律子

 本作については、稿を改めて「あなたの一首」で以って、詳細に鑑賞させていただきますから悪しからず。


○ 一滴の涙のごとき形して西域匂う正倉院五弦琵琶  (横浜市) 竹中庸之助

 「正倉院」御物の「五弦琵琶」を「一滴の涙のごとき形して」と述べた直喩が素晴らしい。
 ちょっと見には、この<直喩>はかなり飛躍した無理のある表現と思われるが、よくよく熟慮してみると、「正倉院」御物の「五弦琵琶」に限らず、「琵琶」の形を縮小して行くと、その究極には「一滴の涙」の「形」に行き着くから、竹中庸之助さんのこの<直喩>の凡庸ならざることを知るに至るのである。
 あの「正倉院」御物の「五弦琵琶」が、はるばると駱駝の背に揺られ、船に乗せられて、「西域」から我が国まで運ばれて来た来歴を想像している、本作の作者・竹中庸之助のロマンティズムに乾杯。
  〔返〕 ウイグルの王女の涙のひとしずく西域渡りの五弦の琵琶は   鳥羽省三   

○ 昼と夜めぐるこの世の庭さきの檸檬に兆すレモンイエロー  (須崎市) 森 美沢

 <南国土佐>と歌われる、高知県須崎市ともなれば、「庭さき」で「檸檬」を栽培しているのでありましょうか?
 その南国土佐・高知県須崎市にお住いの、本作の作者・森美沢さんのお宅の「庭さき」、陽の射す「昼」が訪れ、陽の射さない「夜」が訪れ、そして亦、南国の陽の射す「昼」が訪れる。
 こうした「昼と夜」とが交互に「めぐる」「この世の庭さき」に於いて、「檸檬」の色は益々その<色>を深めて行き、あの美しい「レモンイエロー」が現出するのでありましょうが、本作は、「庭さき」の「檸檬」に、あの独特の「レモンイエロー」が兆し始めた頃合を捉えて一首を成したのである。
 「昼と夜めぐるこの世の庭さきの檸檬」という表現に、「檸檬」の成熟を心待ちにしている作者の気持ちが込められているのである。
  〔返〕 昼と夜交互に廻る片隅に我は息して歌を読み詠む   鳥羽省三


○ 恋話いつも聞き役わたしには失恋さえも眩しいひびき  (八王子市) 青木 凪

 「失恋さえも眩しいひびき」とは、また何と気弱で哀れなこと。
  〔返〕 青木凪お名前通りの女性にて風の便りに独り身と聞く   鳥羽省三


○ 白子乾しに蛸まじりゐて職場での個性豊かな友思はしむ  (東京都) 上田国博

 今から四十年ほど前のことである。
 その頃扱っていた現代国語の教材に、そのジャンルは忘れてしまったが、「白子乾し」に小さな「蛸」が混じっていることについてふれた文章があったが、私はその説明を補強する為に小田急江ノ島線の三ツ境駅前のある魚屋を訪れたことがある。
 その時はたまたま運悪く、「蛸まじり」の「白子乾し」を買い求めることが出来なかったが、数日経って、その魚屋を再訪したところ、先に対応して下さった女子店員の方が、「先日はすみませんでした。あなたからあんな話があったので、あの翌日から『白子乾し』に混じっている『蛸』を探していたのですが、これだけ見つけましたので、あなたの訪れるのを今日か今日かと待っていたのです。でも、今日お会いすることが出来て大変嬉しいことです。それに、よく注意して見ると、『白子乾し』の中には『蛸』ばかりでは無く、こんな物も混じっているのですよ。よろしかったらお持ち下さい」と言って、小さな『蛸』を二十数匹、その他に、小さく赤い蝦や鯵の赤ちゃんや微小な貝や蝦蛄などが数匹ずつ混じったポリ袋を手渡して下さった。
 あいにく、その授業は数日前に終わっていたが、それでも、その翌日、それらを教室に持って行って生徒に見せたところ、生徒たちの多くは、目を輝かせてそれを凝視していたが、事の序でにと、その親切な魚屋の女子店員さんのことを生徒たちに話したところ、翌日から、生徒たちの何人が件の魚屋に買い物に行ったと思われ、ある生徒は、「私も昨日お母さんと一緒にあの魚屋さんに行って、『蛸まじり』の『白子乾し』を買って来ました。その時、先生のことを話したら、『あの先生は少し変わっているけれど、真面目な先生ですね』と、あの店員さんが話していました。先生、あの若くて綺麗で親切な店員さんに、真面目な先生と見られて良かったね。あの店員さんは、どうやら独身らしいですよ。何でしたら、奥さんに内緒でお休みの日にでも、デイトに誘ってみたらどうですか。<蛸が愛を生む>とは、この事でしょうね」などと言うのであった。
 町場の魚屋がスーパーマーケットやデパ地下などに放逐される前の、言わば<古き良き時代>の思い出話である。
 ところで、本作の三、四、五句目に「職場での個性豊かな友思はしむ」とあるが、「個性豊かな友」とは、この鳥羽省三のことでは無いかしら、とも思ってしまうのである。
 あの若くて綺麗で親切な店員さんも還暦を過ぎて、今頃は数人の孫持ちの<梅干婆さん>になっているに違いない。
 確か、「梅干と蛸とは食い合わせが悪く、食べたら最後、腹痛を起してしまう」と、子供の頃見た、越中富山の置き薬屋さんから貰った錦絵に書いてあったような気がする。
  〔返〕 あの時にあそこの角を曲がったら腹痛起して死んでたかもね   鳥羽省三


○ 雨合羽着たる男が目瞑りて<モデルハウス↓>の看板を持つ  (調布市) 水上香葉

 「↓」は、どう読むのでしょうか?
 絶不況下の今日では、本作に書かれているような光景に出くわすことが多い。
  〔返〕 モデルとも思えるような美少女が工事現場の旗振りしてる   鳥羽省三


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