信州松本囲碁同好会 よね研 活動日記

長野県松本市で活動する若者を中心とした囲碁の同好会です。
活動の様子などを発信していきます。

未完成の歴史

2020年05月24日 | ブログ
非常事態宣言が解除されましたね。
オレはまだ引きこもっていたいけどな~w
ネットやYouTube見てるとあっという間に時間は過ぎていくよね。
最近、週刊碁も面白いし、わりと囲碁界もいろいろやってて面白いですよね。

それと先日は、こちとん君がやっているネットリーグ戦に参加させてもらったのが楽しかったです。
ネット碁なんて2年ぶりくらいにやった気がする。またぜひ企画してもらいたいですね。
(なんか、参加者みんな強くなかったか?w)



また間があいてしまったけど、この振り返り記事もあとひと頑張りして書いていきたいと思います。
オレの中では平成27年以降は、1年ごとにカラーが違って面白いんだけど、まとめるのに時間がかかるんだよね(;^ω^)

簡単に言うと
平成21~23年 南信で囲碁を頑張ってた期
平成23~25年 南信強すぎて囲碁諦めてた期
平成26年 再び囲碁やろうと思った期
平成27年 大会出まくって全力で戦う期
平成28年 知り合いが増えて友好路線に変わった期
平成29年 よね研はじめました期
平成30年 県本部に加担するようになった期
平成31年 なぜか知らんけどオレ強くなった?期

という感じなんですよね。
まだ26年までしか書いてないとは! 先は長いなw

でも、こんな記事の何が面白いんだろうと思うこともあるけどね。
なんかもっと立派な人物とか、成功した人の人生の振り返りだったら見る価値あるんだろうけど、オレみたいな平均より下の人生の振り返りの記事って需要あるのか?と思っちゃうよね。
でも自分が書いてて楽しいからいいんだけどね!

またゆっくり更新していくので、ハンターハンターの連載よりはマシだと思って気長にお待ちください。
(キングダムもいま休載中だよね。。。)
暑くなってきたけど体調に気を付けてお過ごしください~。またね!


人間なのさ

2020年05月10日 | ブログ
<平成26年後半 囲碁の情熱が再燃期>
26年はもう1回だけ大会に出ます。それが11月の信州アマ棋聖戦の中信大会です。
これも思い出深い1日だったんですよ。
これがまた囲碁の情熱が再燃するきっかけになるんですよね。


まず地区大会があって、それを勝ち抜くと県大会があるわけなんですが、実はこの県大会の日に別の用事がありました。
行きたい音楽のライブがあったんですよね~。
囲碁の県大会と音楽ライブ、オレはどっちにいくべきか迷っていました。
普通だったら地区大会に出て、その結果次第で決めれば良いのではと思いますよね。そんなに迷うくらいなら。
勝って代表になれば県大会、負けて予定が空けばライブ、というのが普通だと思います。

でもその時のオレは「負けてライブに行く」というのが許せなかった。
ライブのステージに立つ人っていうのは、音楽の才能があったうえに努力を欠かさなかった人じゃないですか。
それに比べて自分は才能も無ければ努力もしないし、こんなところでコロコロ負けて、なにをノコノコと観に来ているんだ、っていう考えに至ってしまったわけです。(べつに普通に観に行きゃいいものをw)
なので結論としては、「勝ってライブに行く」ことにしました。
地区大会を全力で戦って、勝ち抜いたら県大会は辞退してライブに行くと。
やっぱこのころは充実感がほしかったんだと思いますね。
本気で取り組めるものって良いよね。そういうところは囲碁って良いものだと思うんだよな~。

そんな熱い想いで挑むわけですが結果は2敗を喫して、代表ならず! というね(;^ω^)

こんなに情熱をもって挑んで、8人枠を落ちる人なんているのかな?と思いましたけどねw
もう、ただの人間ですよ、オレは。

で、暇になったからライブは行きましたw めっちゃ良かった。
これが人間。(なんだこの結論)



それはともかく、書くべきことがもう1つあったんですよ。
G先輩と再会したことです。これは本当に大きな出来事でした。

高校の3つ上の先輩なので、高校では入れ違いだったわけですが、当時も何かの時に1度は会ってるんですよね。
10年ぶりくらいに再会したので最初は誰だかわからなかったです。
この日の4回戦で当たって、たしか終局後に「県陵のGさんですよね?」と話しかけて判明した、という感じだったと記憶しています。

この日のオレは前述の通り、盤面に全力で挑むつもりで来ていたのでそれなりにオーラを出していたみたいで、Gさんからみると「あの人強そうだから当たりたくないな~」と思ってたらしいです。
オレはオレで、「あれ、この珍しい苗字ってひょっとして県陵の先輩のあの人じゃね?どえらい強い人じゃなかったっけ?」とうっすら思いながら打ってたので、お互いビビりながら打ってたようですねw

2勝1敗同士のその対局の結果はというと、Gさんの勝ちでした。たしか20目近く差がついちゃったかな?
とにかくこの日は並々ならぬ決意(?)で臨んだだけあって感情の起伏が激しくて、中盤で劣勢になってからずるずると差が開いていったけど、この激動の1日の最終局ということもあり、とにかく最後まで頑張って打とうと思った記憶はありますね。大差になってしまったのは申し訳なかったですが(;^ω^)

なんにせよ、これで囲碁の友達がSくんと3人になったわけですよ!(しかも県陵棋道部出身という共通点)
やっぱり3人いるとね、話は弾むよね。
大会出るのも検討するのも楽しいですよね。チームも組めるし。
こっから囲碁の情熱が再燃し、平成27年は力の限り県内各地のいろんな大会に出続けます。

こうして激動の26年が終わりましたw では、またね~!


マイティROCK

2020年05月09日 | ブログ
<平成26年前半 人生低迷期>
この頃は仕事の悩みも多かったり、だいぶ人生に迷っていた時期でもあります。
それでも再び囲碁をやったり、何かこの不毛な現状を変えたいと思ってあれこれ考えていた時期です。

26年5月に久しぶりに地区大会に出て、県大会を目指してみようと思いました。
今度は中信の地区大会に出てみました。レベルとしてはたぶん南信と変わらないけど、新鮮さがあるしね。
このときのアマ名人戦中信大会の会場がたまたま、あがたの森文化会館でした。普段は勤労者福祉センターなんだけどね。
この日は天気も良かったし、風情のある会場がすごく良いなと思いましたね。





ちなみにアマ名人戦地区大会の結果はこんな感じです。

今でこそだいたい知り合いだけど、当時は全然知らない人ばっかりでしたね。
この年に県アマ名人を獲ったKさん(妹)と、信大のN君が1回戦で当たってるという。
オレもN君に当たったけど、えらい強かった記憶はあるよね。
余談だけど、当時大学1年生だったN君が1人で参加してる時点で、たぶんこのときの信大囲碁部の活動はあまり盛んではなかったんだろうなと思いました。しかしその後の数年で強い人も増えて、団体戦で全国出場を目指して部が盛り上がっていく感じは、傍からみても応援したくなるものはありましたね。

これも結局、オレは代表にはなれなかったのは残念だったけど、初めての中信大会は新鮮さもあって良かったかもしれません。
ここからまた半年ほど囲碁から離れます。



なにしろこの頃は人生に迷っていた時期です。
あんまりネガティブなことを書くのも気が引けるので、できるだけポップに書きますね。

もう、いつ死んでもかまわないなと思っていたんですよ (ポップさはどこいった)
仕事の悩みもあったけど、とにかく毎日が不毛だったし、生きててもしょうがないなと思っていた時期です。
死ぬという作業が怖いから自分から死ぬのは絶対嫌だけど、サラッと死んでしまうならそれはもう何の悔いもないという状態。
まあ、職場でもプライベートでも、話す友達がほとんどいなかったのが良くなかったですね。
縁もゆかりもない土地で1人というのはけっこう大変だよね。



ここからちょっと話がわかりづらくなると思いますがご容赦を。
オレという人がいかに特殊な人かを話すことになりますが。。。

充実感の無い毎日で、唯一楽しみだったのがエレ片のラジオなんですよ。
エレ片っていうのは、お笑い芸人のエレキコミックとラーメンズ片桐がやっているユニットです。(ほとんどの皆さんは知らないと思います)
もともとオレはラーメンズが好きで、そこから派生してエレキコミックも好きになっていったんですけど、ほとんどの人はラーメンズもエレキコミックも存在を知らないと思います。テレビに出ないからね。
コントライブとかの舞台を中心に活動していて、ラジオもやっています。
そのエレ片のラジオ放送はインターネットで配信していて、ダウンロードしておけば好きなときに何度でも聞けたんですよね。ポッドキャストっていうシステムなんですけど。

朝起きて、無心で仕事に行って、帰ってきて、一日を振り返って「何も良いこと無かったな」と思うばかりの日々だったけど、エレ片のラジオはめちゃくちゃ面白くて元気をくれた。
エレ片を聴いて、「あ、今日初めて笑ったんじゃ?」と思うことがよくありました。
ラジオの内容自体はくだらない話がほとんどなんですけどねw
もしこのオレの話をきっかけに初めてこのラジオを聴く人がいたとしたら、その内容がくだらなすぎて驚くと思いますけど。こんなものにこいつは心救われていたのかとw
ほとんど中学生男子3人が休み時間に騒いでいるような内容です。
でも自分より10歳も上の人たちがこんなくだらないことを話しながら笑っているところに元気をもらっていたんだよね。
もちろん、ただくだらないだけではなく、エレキコミックもラーメンズも知れば知るほど魅力的な人たちで、めっちゃ尊敬してます。

こうして、なんかやかんやでメンタルを保っていたわけですが、エレ片に頼るとそれはそれで弊害もあるんですよね。。
最大の問題はもちろん、「他人に話せない」ということです。共感してくれる人がいないという。
エレ片の存在を知ってる人はいないからね。テレビに出ないから。
だからどんなにエレ片が面白くてもそれを人に話せないため、より孤独になっていくという(;^ω^)

これは囲碁もそうだけど、マイナーな趣味を持つと必ず経験することですよね。
たとえばアルファ碁がセドルに勝ったとき、ものすごい衝撃だったじゃないですか。
めちゃくちゃ驚いたし、AIの碁の進化にとても興味を持ったはず。
でもそれを話す相手があなたの周りにいましたか?ってことですよ。
そりゃニュースになったから「コンピューターってすごいんだね」という意味では話せたと思うけど、我々が言いたいのは囲碁的な意味での驚き、盤面のことで驚いたということじゃないですか。その話ができる人なんてあなたの周りにはいなかったですよね?

だからなぜこの囲碁ブログにエレ片の話を書いたかというと、「マイナーな趣味を持つ人同士、仲良くすべきだよね」という気持ちが、後に研究会・同好会を始めるきっかけになったからです。
本当にオレの中では全部つながってるんだよね~。つなげていると言うほうが正しいかもしれない。


26年の前半だけでけっこうな長さになったので、いったんこのへんで。またね!


ONLY MY NOTE

2020年05月06日 | ブログ
<平成23~25年 囲碁もうムリ期>
仕事もそれなりに忙しく悪戦苦闘している時期でした。
囲碁の方は南信の大会がだいたいどういうものかわかってきて、若干飽き気味になってきた時期です。
地区大会に出ても代表になれないことが続いたため、せっかくの日曜日を丸一日使って負けて帰ってくることが嫌になってきた時期です。
自分はたいして強いわけでもなかったからね。

やっぱりね、囲碁が好きというのには「囲碁そのものが好き」と「そのコミュニティーが好き」の2種類があると思うんですね。
大会とか行っても年の近い友達がほとんどいなかったので、主に前者の気持ちで参戦し続けていたんですけど、途中でポキッと折れてしまったんですよね。
このへんの体験も、後のこの研究会をやり始めるときに活かされてくるんですけどね。



このあたりは登山や旅行に多く行ってきます。
しばらく登山からは離れていたのですが、平成23年10月に高校山岳部のメンバー7人で空木岳に日帰り登山をしてきました。そのあたりから登山にハマりだしたんですよね。
24年1月には再び山岳部メンバーで冬季の上高地へテントとスノーシューを持って1泊しに行き、鍋を楽しむという上高地作戦が企画され、そのためにザックや登山用品を揃えたことで登山にハマりました。
家のすぐ近くに駒ヶ岳ロープウェイがあり気軽に行けるので、一人でもよく木曽駒ヶ岳へ登山をしてきました。
噴火する1年前の御嶽山にも登りました。天気も良くてすごく良い山行でした。
1年後に噴火するわけだけど、1年の差なんて僕らにとってみれば長いけれど山の側から見たら誤差みたいなものなので、無事に帰ってこれて良かったなと思いました。

ドライブも好きだし、先代NOTE君とともに車中泊で日本中を走り回った時期でもあります。
この3年間で青森から山口まで旅しているんですよ。日本の世界遺産や温泉地を目的地にすることが多かったかな。
西は姫路城とか、石見銀山、熊野古道へ。
東は、夏休み6連休をめいっぱい使って青森まで単独ドライブしてきたこともありました。
それは白神山地や三内丸山遺跡を目的に、途中で秋田の白瀬記念館や、将棋の天童市、最後は尾瀬に寄って東北最高峰の燧ケ岳に登るという、今考えるとなかなかハードなプランでしたね。全部車中泊だったし。
GO WEST作戦と名付けて、1日で車で西へ走れるだけ走って、辿り着いた地を1日観光して、1日かけて帰ってくる2泊3日の単独ドライブ旅行なんかも考えた。結局それは山口の秋芳洞とか松陰記念館を観光してきました。

ごろーのBRZで福井~天橋立に行ったこともありました。
あの青いスポーツカーにテントと寝袋を積んでオートキャンプ場に泊まるというねw
ごろーとは2人で仙台も行ったし、石見銀山も行ったし。懐かしい限りだな。

この数年で日本中を旅行したことはとても良い思い出になっています。
この内容を書き出していけば、ブログ1年分の記事になりそうなくらいなんだけどね(^_^)



そして平成26年後半にまた囲碁熱が再燃します。つづく。
書き始めると、思った以上にいろいろ書きたくなってきてまとめるのに時間がかかっちゃうんだよな(;^ω^)
たぶん土日にまた書きます。またね!




駒ヶ根市の空木岳(うつぎだけ)

小さな生き物

2020年05月04日 | ブログ
早くも5連休の3日目が終わりましたね。暇だと言いながら、あっという間に過ぎていってしまいますね。
昨日の続きを書いていきたいと思いますのでよろしくお願いします。



<平成21~23年 南信の戦い期 その2>
大会にもいろいろありますが、一番力を入れたのはやはりアマ名人戦やアマ本因坊戦のような大会ですね。
地区大会→県大会→全国大会と繋がっている大きな大会で、年に6棋戦あります。

囲碁に限らずどういう競技でも、人口の多い北信か中信が強い傾向にあると思いますが、オレのイメージでは当時の南信も強かった記憶があります。
まずは県大会出場を目指して地区代表になれるよう頑張りました。

県大会に出場できる地区代表が、4人枠の大会と8人枠の大会があります。
地区大会はだいたい20数名の参加者がいて、スイス方式4回戦で行います。
そうすると4勝者が1~2人出て、次に3勝者の中から勝ち点の高い人を選出します。
4人枠だと、3勝してもスイス方式の点差で落とされちゃうんですよね。
スイス方式を否定する気はないけど、点差でハジかれるのはけっこう悲しいものですよね。
なので今自分は中信大会の運営をやっているけど、賞品を用意するときには4位まで用意するのではなく、3勝したけど点数でハジかれちゃった人の分まで用意するのが良いかなと思っています。

代表が8人枠なら、2勝者の中からも1人か2人くらいは代表に選ばれます。
これならけっこう余裕がある感じでした。(とか言いつつ落ちたこともあるけどw)

この3年間の自分の成績は、「3勝1敗」と「2勝2敗」が半々くらいの感じでしたね。
そして「4勝」と「1勝3敗」が1回ずつありましたね。
「0勝4敗」は無かったです。これからも無いといいなあ(笑)

結局この3年間では信州棋聖戦に2回、アマ選手権に1回(都合により県大会は辞退)の計3回、地区代表になりました。(いずれも8人枠)
しかし4人枠の県大会には出場できなかったですね。
4人枠で代表になるということは、その時点で「県ベスト16」に相当するんだからそれなりに大変ですよね。
この「4人枠の地区大会で代表になる」というのが、当時の自分にとって大きな目標になっていきました。
当面はその目標に向けてこつこつと大会に出て、ちょっとずつ顔と名前を売っていくことになります。
名前が知られると何かと有利なことが多いですからね。


こういった大会以外にも、支部が主催する「地域の大会」のようなものがあります。
駒ヶ根支部は活動が盛んでこういった大会も多かったので、オレとS君もよく参加させてもらいました。
2人で大会に出るときは必ずと言っていいほど朝飯は近くの牛丼屋に寄ってから行ってましたね。
オレは玉子とみそ汁は必須で、並盛かミニかで迷うんですけど、彼は常に大盛を頼んでいましたw
そんな彼が並盛を頼んだことがあったんですけど、それはすでに朝飯を食ってきたときでした。(なんだこのエピソード)
それに大会が終わった後、ソースかつ丼を食いに行くのも楽しみでしたね。


こういう地域の大会は、ほとんどがハンデ戦です。親睦がメインという感じですね。
ところでハンデ戦だと、最初に出るときって何段で出ていいかわからないですよね。
段位ってものは明確な基準があるというよりは、「そのコミュニティーの中でのランキング」と言ったほうがしっくりくるので、最初の申告が難しいですよね(;^ω^)
低く申請すると周りの人に悪いし、高く申請しちゃうと恥ずかしいし、といったところですよね。

オレの場合は高校の時に初段の認定状をもらう機会があったけど、その後の大学囲碁部では「段」ってものは使ってなかったし、「段は意味の無いものだよ」とちゃんと教わったので(笑)、卒業して地元に戻ってきて「きみは何段?」って聞かれてもなんて答えていいかわからなかったのをよく覚えています。
たぶん5段くらいだと思いますと答えて打ってみたけど、それでボロ負けしたら恥ずかしいので、そのときはすごい頑張って打った記憶がありますw
その後、北村さんに6段で打つのが良いと認定してもらい、だんだん南信の囲碁界にも馴染んでいくようになりました。


ちなみに大学囲碁界だと基本的にオール互先なんですよね。
仲間内では置き碁もやるけど、外で打つときはほぼ互先です。
どんな実力差があっても互先なので大変といえば大変ですが、勝てなきゃ勝てないでしょうがないし、そこを不満に思ったことはなかったですね。まあ、学生競技だからね。
実際、オレの学生棋戦の最初の試合って、早稲田・慶応・東大の主将を相手に3連戦してるんですよね。
当時の自分は初段くらいで、相手は学生タイトルクラス。
もう勝ち負けの問題ではなく、何分粘ったか?という戦いになるわけですよw
「目標は1時間だな」とか「途中で潰れずに、整地までいけばお前の勝ちだから」と励ましてくれた先輩もいましたw
ただし、どんなにボロ負けしても家に帰ってから棋譜は残しておいて、囲碁部で検討してもらっていました。検討することが一番勉強になったなと思っています。

今でもオレはどちらかといえば大会は互先推奨派なところがあると思うけど、そうなったのはこんな経過があるからです。
学生競技としては当然だよね。野球でもサッカーでも、チームの強さが違うから大会でハンデをつけるなんて聞いたことないし。
もちろんハンデ戦が成り立つことが囲碁の良さだっていう意見もわかるけどね。
段の基準が適正だったらハンデ戦も良いと思います。



それでは今回はこのへんで。また明日!