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同窓会2010

2010-08-17 | Weblog
5年毎に開かれる中学校の同窓会の案内状を持って、ホテルに向かった。受付を見ると見た顔と名札をこっそり見ないと思い出せない顔が半分ずつ。私は小中学校の記憶は断片的でみんなが「そうだったよね!」と言う話題に入りづらいことがしばしばだ。私の記憶は標本棚の水晶の鈍い飴色とか、剥製のワニの目に埋め込まれたガラス玉の深い緑色などに埋め尽くされている。今日も卒業以来初めて会った友達に、中学のときはもっと口が悪いけど面白かったのに普通の会話をするようになってつまらないと言われた。中一の時に担任の英語の授業で「教え方がよくないから、みんな分からないんだ」と直接言ったようで、同じ教師の道に立った今、生徒からそう言われたとしたら……確かに扱いにくい子どもだったのではなかったかと思う。 先生ごめんなさい。
 会ではそれぞれが2・3人の小さなグループになって話が弾んだ。私はいつも会うメンバーには悪いが卒業以来初めての友人にと話すことが多かった。ここでも中学のときを引きずって、良くも悪くも基本形を保っているのと、当時のイメージからすると良くも悪くも意外な一面を伸ばしてきているものとが半分半分だ。中学時分の自分を払拭するために、今の地位や金やライフスタイルをしきりに吹聴するもの、逆に中学時代の自分に戻りきって、イケテル気分で盛んにお目当ての異性に接触を図るもの、何人かの仲間とつるむことで自分たちの存在をアピールするもの、一通り回ってしまうとさまざまな人間関係が見えて、もちろん楽しい雰囲気なのだが、ドロリとしたものがフロアに横たわっている。……なんてことはない中学時代の教室の再現だ!そう言う私も、話は聞くが決して自分からは行動することのない傍観者というよくあるキャラであることは十分承知している。その分ますます扱いにくい生徒になっているのかもしれない。
 普段自分の歳を意識することはないが、同級生を見て改めて自分の年齢を知る。時間は残酷なくらい平等にやってきて、かっこよかった男子(中学に戻ってあえてダンシ)もそれほどでもなかった男子もその差は限りなく近づいてきている。それは女子も同様で気になっていた女子が変わってしまって、ひどい言い方だが所々面影があるだけによけい思い出が損なわれていく。そんな男女が駆け引きしているのを見るのはかなりイタイ…もう少し歳を経れば、それもほほえましいと思えるのかもしれないが今はまだ生々しく感じる。
 何歳ぐらいから自分の歳の感覚を無意識のうちに止めてしまうのだろう、基本的なものの見方は中学卒業あたり!?異性に対しての感性は大学あたり!?体力は厄年あたり!?冒険心は!探究心は!?社会を見る視点は!?イマジネーションは湧き続けているのか!?…
 でも、年齢を止めてしまったら、いつもそこの歳でいられるのかと言うとそうではなく、年齢が止まった時から退行が始まっている。しかし誰もそのことには目を向けない。俺はやる気になればいつでもできるさ!今はやる気にならないだけ!とできなくなってしまった自分に何か理由を見つけてきたごまかしながら生きている。一見エネルギーを持ち続けているように見える人でも。それは特殊化を進めているのであり、他のものに変化できる柔軟性を持つものではない…
 同窓会で進化論まで暴走することはないか。
 
 気分を変えて、
K君は小学生のとき体が小さくいじめられていたそうだ。子どものときは物理的な力が大きく作用する。弱いものは否応なくみんなのカバンを持たされたり、置いてけぼりを食らったり、反論する機会さえない。中学ではそんな素振りはまったくなくて今年初めて知った。この歳になったから言えるのかもしれないが、いじめた当人は隣の席で(くじとは言えこれも縁)たぶんK君は彼に聞こえるように話しているのだと思うけど聞こえない素振りで背を向けていた。小学校のときは私自身も嫌な相手には毛嫌いするようにして避けていたので、いじめと言えばいじめていたことになる。この歳になって会うとしたら正直どういう顔をしていいか困る。たぶん先に目をそらしてしまうだろう。K君に背を向けている彼の気持ちに近いものを感じた。
G君は中学卒業と同時に就職のため上京した。この頃には集団就職と言う言葉は聞かなくなっていたので、ずいぶんと心細い気持ちで上京したと思う。彼によるとそれからしっかり働き団体職員になり今ではかなり高給をとるまでになったそうだ。小学校のときか物静かでちょっと引いたところのある彼が懐かしくて一番に話かけにいった。彼は相変わらず口数は少ないが久しぶりの再会を楽しんでいるのは分かった。もっと話したかったが途中から別の友人から話しかけられて相手をしているうちに彼は席を立ってしまった。その後2次会でも席は遠く話す機会はなく、遠くで目線があって会釈するだけだったが、なんとなく彼も同じ気持ちだったのかなと思うことにした。

二次会のスナックを後にして駐車場に向かうときに大きく息を吸い込んで肩の力を抜いてみた。予想以上に力が入っていたのを感じながら生ぬるい風をより強く浴びるためにあえて急ぎ足で歩いてみた。
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