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2月の宿題

2009-02-06 | Weblog
河童(かっぱ)

 節分前日温泉に行ってきた。温泉といっても立ち寄り湯である。「恵荘」という旅館が山鹿に行ったときのお決まりの湯である。
 私がなぜここを利用するのか
 理由その1、まず何といっても源泉の掛け流し。これは譲れないところである。シャワーも温泉のため間違っても「あちちっ」などということがない。上がり湯が温泉シャワーというのは成分がそのまま残っていてありがたい。
 その2、次に泉質。弱アルカリ単純泉で肌がつるつる。温度はこれがまたぬるめ好きの私にぴったりの温度で1時間は楽に入っているし、時にはウトウトできるほど。
 その3、あまり混まないし、入浴料が200円と良心的。
とまあ、そんなこんなでよく利用しているのだが、その温泉の浴槽脇に河童の像がある。男湯には女の河童がいるし、女湯には男性の河童がいるらしい。女性の河童は手に鯛らしい魚を持っている(河童は川だから鯉かもしれないが)私は浴槽につかる前に必ず頭のお皿にお湯を掛けてから入らせてもらっている。ただの石像になんでと言われるかもしれないが、河童は決して想像上の生き物ではないからである。
 私は河童を見たことがある。
 これは以前から周りの人に言い続けているのだが、周囲の共感を得ることが少ない。これが幽霊を見たといえばみんな一様にうなずくのだろうが、河童は幽霊ほどメジャーではないし、カエルと亀と人のキマイラみたいで、何となくユーモラスで、これを見たと言ってもほとんどおとぎ話みたいに思えるのだろう。
 平成4年の夏休み。当時私は苓北の海岸端にある職員住宅に住んでいた。部屋は一番南側で狭い庭の先は空き地という状況だった。たしか昼前あたりだったと思う、別に居眠りをしていたわけでもない。ただ、居間から何気に庭を見ていると3m位先の

庭先をぴょこぴょこと横切るものがある。それは手を大きくしならせるように振り、頭は大きく上下しながら、茶色というか灰色というか、まさに立って歩く猫(大きさも大きめの猫で全身毛が生えているように見えた)といったものだった。辺りをうかがうようなそぶりも見せずにゆっくりと通り過ぎていく。あわてて立ち上がって追いかけたが、そのときは隣の垣根に入ったのかもう姿はなかった。しばらくはまた会えないかと散歩の途中など草むらや川端などよく目を凝らしたりしていたが、もう会うことはなかった。
 その後地区の飲み会のときに地元の人に聞くと、昔はここらでも河童を見たという人がよくいたということであるが、最近は聞かないということであった。私が見たのは頭に皿のある河童ではなく、山童(ヤマワロ)に近いものだった。
 私たちの常識で固められた日常世界のすぐそばに、まるで違う世界があるということが体験できた。
なんとも不思議なことだが、そうしたものに対立したり恐怖や混乱など無く、さりげなく出会えたことはラッキーだったと思う。

 夜釣りをしているときに、得体の知れない鳴き声が聞こえることがある。大方は鳥だろうが、その中には河童の声もあるんじゃないか耳をそばだててみる。河童たちはどこからきてどこへいくのか?考えてしまう。
コメント (2)
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