珈琲もう一杯

3月6日、2010年Jリーグ開幕

日韓戦後に感じたこと

2010-02-15 03:17:15 | サッカー
東アジア選手権の日本-韓国戦について、やはり語ることにしましょうか。記述を見送ろうかという思いを
ふりきって(笑)。といっても、試合内容そのものについて語る気はありません。僕らファン・サポーターの
態度というものについて、感じるところがあったのです。なお当エントリーに、現在の代表に対する
短期的な解決策の提言等は全くありません(笑)。

僕は東京の試合後の語らいの場などで何度となく語っていますし、当ブログにおいてこのような文章を記したことも
あるのですが、もはや代表よりも東京だよという気持ちが強いことを否定しない。ただそれならば、
代表の試合に対し結果だけは求め、結果が出なければ強い口調で批判する、といった態度をとっていいのだろうか
という思いをどうしても感じるんですよ。代表強化を意図して行われる親善試合に東京の選手が招集されることを
半ば迷惑がっていた感があったことも、僕は否定しませんし。上記リンク先のエントリーでも記しましたが、
代表の試合にマイクラブの選手が呼ばれることを半ば迷惑がるという姿勢は、つまりは代表軽視と
同義なのではないか。そのような意識を持つのなら、代表が苦杯を喫した時にもその苦い結果を
淡々と受け入れる姿勢というものがスジではないか、という思いを自分に対して凄く感じるんですね。
おかしな表現ですが、代表の試合を観戦する態度に迷いを感じている、とでも言いましょうか。

ここ数年、マイクラブを最優先という風潮が強まっていますよね。またJリーグ自身が、その方向に
舵を切っていたのも間違いないですし。それ自体は正しいことなんですよ。選手にとってはクラブでの
日常の積み重ねの延長線上に、代表でのプレーがあるわけですから。ただ僕としては少なくとも
2002年の頃までは、クラブの盛り上がりと代表はイコールの関係にあると思っていた。Jでの戦いへの思いが
熱を帯びればそれは自動的に代表強化につながるのだと、無邪気に思っていた。でももはや、そうではないのだなと
いう思いを感じざるを得ません。僕自身これだけ代表に対しての求心力低下を危惧する当エントリーを
記していながら、じゃあコール氏は東京よりも代表を優先するのかと問われれば、それはハッキリ
No!と言うわけです(苦笑)。自分自身に対して「アンタ代表を応援してないだろ」というツッコミを
入れたくなるんですよ(笑)。

もちろん、自分のクラブを応援しているから代表は応援できないなんてことはない。代表が試合していれば
勝ってほしいと願う。それは当然です。ただ、もう97年のフランス予選や2002年のような代表への意識には戻れない。
そこは改めて抑えておかねばならないのでしょう。サッカー好きとしての意識なら、マイクラブ優先というのは
まあ正当だとは思いますし。しかしながら、悩ましいことにまだまだ「サッカー好き以外の世間一般」においては
代表の影響力がはるかに大きいはずで、そこがツライというのはありますけどね。

サッカー強豪国は、概ねどの国もマイクラブ優先の意識が強いだろうと推測します。バルサのソシオが
バルサよりもスペイン代表を第一義に置くなんてことは、まさかないでしょうし(笑)。ブラジル人なら、
イタリア人なら、ドイツ人なら、いいんですよ。彼らが代表よりもクラブだというのは、それはいいんですよ。
ただスペイン人も含め、彼らにはほぼ100年に渡る歴史の積み重ねがあるわけですよね。日本の場合
プロリーグであるJがスタートしたのが1993年。わずか17年で今の意識を持つに至ったのは、ちょっと早すぎたのか、
という思いも感じなくはない。プロリーグのスタートがほぼ最後発であるがゆえ、先駆者の参考例が
豊富にあり、それを貪欲に吸収していったため今の状況に至ったわけで、それ自体は正当なことなんですけどね。

なんだかんだと言っても、J初年度の93年に比べれば、今の日本サッカーは飛躍的に進歩しているわけです。
ただ学校の試験をイメージすれば分かりますが、0点を80点にするのと、80点を100点にするのは絶対に
後者の方が難しいんですね。その難しさに直面しているのが、今の日本サッカー界なのだろう。そう思います。

あと、岡田氏のチーム作りおよび多くの試合における采配には疑問を感じます。それは間違いない。
ただそれはそれとして、誹謗中傷の類の言葉を浴びせるのはやめようよ、と思いますね。岡田氏への
不満のあまりでしょうが、「メガネを叩き割れ」なんて言葉を目にしてしまって…。まさか本気ではないでしょうし、
僕自身がメガネをかけているため、つい過敏に反応してしまう面があるというだけのことでしょうが、
代表監督に対する言葉としてあまりに悲しいという思いは拭えなかった。マジメな話、僕らは自分の意志で
勝手にサッカーを見ているわけですよ。イヤだから見ないという選択をする自由も、もちろんあるわけです。
それを踏まえたうえで、最低限の理性を失いたくはない。誰かを罵倒するような発言・行動をとって
憂さを晴らすといった態度は避けたい。批判と罵倒を履き違えないようにはしたい。サッカーへの批判は
サッカーの言葉で行いたい。そこは絶対に持っていたいと僕は考えます。そういったことも含めたうえで、
その国のサッカーの成熟がなされていくのではないでしょうか。あまりに大きな物言いだとは感じますけど。

W杯を自分ごととして楽しめる。それは間違いなく素晴らしい喜びなんですよね。今の状況を見て明るい6月を
語る勇気はさすがに僕にもないですが、代表のサッカーを応援する気持ちを失いたくはない。
そのためにも、日常のJでの時間をきちんと過ごしていきましょう。
コメント (4)
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