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私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『ジュリアス・シーザー』 シェイクスピア

2008-09-21 09:28:13 | 戯曲

シーザーが帰ってきた! 凱旋する英雄を歓呼の声で迎えるローマ市民たち。だが群衆のなかには、彼の強大な権力に警戒心を抱くキャシアス、フレヴィアスらの姿があった。反感は、暗殺計画の陰謀へとふくらむ。担ぎ出されたのは人徳あるブルータス。そして占い師の不吉な予言……。
世界文学史上最大の作家の一人、ウィリアム・シェイクスピアの傑作戯曲。
安西徹雄 訳
出版社:光文社(光文社古典新訳文庫)


400年以上の長きに渡り、残っている作品だけあって、本作には優れた面がいくつか見られる。
その中でも最たるものは、やはり半ばにあるポピュリズムを象徴するような市民の姿だろう。
ブルータスの意見に賛同し、ブルータスの言葉を賞賛していた市民が、アントニーのアジテーションに簡単に手のひらを覆す様は恐ろしくさえある。そこにあるのは批判精神に乏しく、周りの状況や雰囲気、心地良い言葉、一時の感情で大事なことを決定していく安直な民衆の姿だ。
シェイクスピアがこの劇を書いたのは16世紀末で400年も前のことだが、そこにある姿は現代と何一つ変わっていない。それは人間が簡単には進歩しないことを如実に示すものであり、人間の愚かしさについて考えずにはいられなくなる。

そのほかにも良い面は多い。
成り上がったシーザーに嫉妬心を見せるキャシアスの姿には人間の業のようなものを見る思いがするし、解説にも触れられていたが、芝居っ気を見せる政治屋たちへの皮肉な言辞や、ブルータスの自己を欺瞞する独白も読んでいて何かと考えさせられるものがある。
人間の心理の綾に分け入っていく様相がそこから仄見えて興味深い。

しかしそれらの美点は認めても、どうも僕の胸には深く響いてこなかった。
僕はこれまでシェイクスピア作品を「ハムレット」「マクベス」「オセロー」「ヴェニスの商人」と読んできたが、どれも今回と同じ印象である。すばらしい面はあるけれど、これが傑作と呼びうるほどには見えない、そういうことである。
多分そう感じてしまうのはシェイクスピア作品ということで、心が身構えてしまっているということがあるのかもしれない。あるいは物語の焦点が次々とずれていくからということもあるのだろうか。

いい作品であることは確かだ。読んだら、それはそれで楽しめるだろう。
でも僕にとって、シェイクスピアは好んでは読むものではないらしい。単純に趣味でないということもあるかもしれないし、読解力もあるが、シェイクスピア作品は読んだという結果を得るために、読むものだという気が、僕にはしてならない。

評価:★★★(満点は★★★★★)

『夜の来訪者』 プリーストリー

2007-11-27 20:25:45 | 戯曲

裕福な工場主のバーリング家では娘シーラの婚約パーティが開かれていた。華やかで落ち着いた雰囲気の食堂に、突然警部が来訪したことが伝わる。警部は今夜自殺した若い娘の事件を語り始める。そしてそこからバーリング家の面々が関わった真実が明らかになる。
イギリスの劇作家J・B・プリーストリーの代表戯曲。
安藤貞雄 訳
出版社:岩波書店(岩波文庫)


物語は娘の婚約が決まった一家団欒のパーティの席から始まる。そこに訪れた夜の来訪者である警部が、家族の中の隠された真実を暴き出していく様は刺激的のひと言に尽きるだろう。
パーティの席にいる人間がすべてひとりの女性の自殺に直接、ないし間接的に関わっており、それを追求する少し倣岸な警部と家族とのやり取りは迫真性に満ちていて、非常に楽しい。何より次から次へと息をもつかせぬ勢いで事実が明らかになっていくのが見事だ。
それによって打ちのめされる者もいるし、懸命にそれを否定しようとする者もいる。しかし誰もが最後、警部の前に屈していくのがおもしろい。

そういった展開の妙だけでなく、最後のどんでん返しも非常に刺激的である。
いま警部によって語られた物語は真実なのか? そこから不安定な感覚が立ち上がってきたときは、読んでいてドキドキとさせられた。警部が誰なのかといった疑問が引っかかるがそれも瑣末なことでしかない。

そしてそのどんでん返しで、各人の心の動きに微妙な違いが明らかになっていくのが印象深い。
真実ではないのかもしれないということを理由に、警部に追及されたことをなかったことにしようとする人と、それでもそれはあり得たかもしれない現実と真剣に向き合おうとする人とに二分されている。
多分現実世界でもこの二者に分かれるのだろう。そしてそれこそ、各人の人間性の生々しい真実を露わにしているとも言え、注目に値する。その中に人間の醜さとどうしようもなさとを見る思いがした。

プリーストリーは寡聞にして今回初めて聞く作家だったが、このような優れた書き手がいたのかと驚くばかりだ。やはりいろいろな作家のいろいろな作品に触れるべきだし、これからも触れていきたい。この作品を読んで改めてそう思うことができた。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『遭難、』 本谷有希子

2007-10-30 20:28:47 | 戯曲

里見の勤める学校の生徒が自殺未遂を起こす。母親の仁科は息子が出した手紙を学校側が無視したのが原因だ、と連日抗議に来る。その手紙を破棄したのは里見だったが、同僚の石原の糾弾に対して里見は白を切ろうとする。
「劇団、本谷有希子」第11回公演の戯曲。鶴屋南北戯曲賞受賞作。
出版社:講談社


本谷作品はこれまで少ししか読んだことはないのだが、自意識の強い人間を描くのが上手いという印象がある。この作品に出てくる里見という女性も、本谷有希子らしく自意識の強さを感じさせるキャラである。
作者の言葉を借りるなら里見は「性格の悪い女性」だ。自分の責任を棚上げして逃げまくり、その責任を他者に押し付けている。その姿は非常に醜く、同時に強烈な個性を感じさせる。
しかしその醜さも個性も笑いを交えて描いているため、不快ないやらしさを感じさせないのが、賞賛すべき点だろう。

物語は適度に笑いあり、小さな山場が適度に挿入されていたりで、なかなか楽しめる。
途中で、トラウマというありきたりな手を用いたときは若干げんなりしたが、そこからひねりを入れるあたりがすばらしい。あとがきにもあるが、苦しみながら書いた成果が読み手に伝わってきて好印象だ。

しかしトラウマにすがる、という里見の姿には人間の弱さが感じられて、少し悲しい。
自分の性格の悪さを自覚していても、どうすることもできず、他人に責任を転嫁せずにはいられない姿はある意味、かわいそうになってくる。自分の心が守るよすががそんなものにしかないのだとしたら、里見という女性はただ哀れだ。

しかしラストのあくびからして、彼女はそれでもしぶとく生きていくのだろう。トラウマというよすがを失っても、新たな責任転嫁を見つけて、それで心を安定させていくような気がする。
そう感じさせるラストシーンには苦笑の交じった余韻があり、独特の印象を残した。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『ガラスの動物園』 テネシー・ウィリアムズ

2007-10-13 20:20:20 | 戯曲

不況時代のセントルイスの裏街、アマンダは内気な娘ローラの結婚相手を探そうと、躍起になって動き回っていた。彼女は倉庫で働く文学青年の息子トムにも、工場でいい人を連れてくるように頼み込む。やがてジムという青年を家に連れて来ることになるが…
アメリカの劇作家、テネシー・ウィリアムズの出世作にして、自伝的作品。
小田島雄志 訳
出版社:新潮社(新潮文庫)




『ガラスの動物園』という作品を読んで、僕はいろんなことを思ったのだが、特に目を引いたのが、その人物造形である。

テネシー・ウィリアムズの人物描写は実に精緻である。
過去の栄光にすがりつく母のアマンダも、内気で自分の殻に閉じこもっている娘のローラも、自分の夢を持ちこんな家から抜け出したいと願っている息子のトムも、どれもリアリスティックで、現実にこのような人間はいるだろうと思わせる存在感を放っている。
作者の観察力のたまものだろう。


さてそんな人物が織り成す悲喜劇は、人物がリアルである分、感情移入してしまい、非常にせつなく感じられるのだ。
愚かで猪突猛進型のアマンダの心情も、ローラとトムの心情も、僕には非常によく理解できる。
加えてこの作品内には、一人の悪人もいないだけに、悲劇に向かって落ち込んでいく、彼らの状況に、胸を締め付けられてならない。

特にトムは男で年齢も近いだけに、自分と重ね合わせるように読んでしまった。
「僕があの倉庫に首ったけだと思ってるのかい?」と語りたくなる気持ちや、母親とケンカをする心情も他人事とは思えない。
それでも、トムが家族を愛していることも伝わるだけに(ガラスの動物園を拾うシーンは悲しい)、読んでいて心が痛む。


彼らを描き出すテネシー・ウィリアムズの視線は叙情的な世界観も相まってか、きわめて優しい。
しかし著者は優しいからと言って、彼らを安直に救うわけではない。
ジムとローラのシーンは美しく感動的だが、ローラの思いは儚く砕けてしまうし、ラストのトムの行動により、アマンダとローラが悲劇的な状況に至ることは容易に想像がつく。
そこにあるのは絶望的なくらいの悲劇なのだ。

しかし言ってみれば、それが現実でもあるのだろう。
この世は、常に幻想を生み出してくれる場所とは限らず、人の幻想はときとして打ち砕かれてしまう。
そのまぎれもない現実を描く著者の筆は容赦ない。

それでもこの作品に優しさを感じられたのは、そうして現実の前に敗れていくローラたちを、寄り添うように描写しているからだろう。
そのため悲劇的な結末を迎えながらも、気が滅入るような思いには至らない。


僕は本作を読みながら、登場人物たちの悲しみに共感し、我が事のように受け止めた。
その悲しみの深さは、再読で結末がわかっていたにもかかわらず、初読のときとほとんど変わらなかった。
『ガラスの動物園』はこの先も何度も読み返し、また同じような悲しみを味わいたい、そう思わせるだけの力を持った作品である。
まぎれもない傑作だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『夜叉ヶ池・天守物語』 泉鏡花

2007-08-29 21:10:51 | 戯曲
   
竜神が封じ込められているという夜叉ヶ池。鐘撞守となった晃は美しい娘百合と暮らしながら、竜神との約束の言い伝え通りに、日に三度、鐘を撞き続けていた。夜叉ヶ池伝説に取材した『夜叉ヶ池』と、姫路城天守に住まう富姫の伝説を基にした『天守物語』を収録。
近代日本文学における幻想文学の先駆者、泉鏡花の代表戯曲。
出版社:岩波書店(岩波文庫)


収録の戯曲2編は両方とも、怪談めいた世界を舞台にしており、その主筋にはロマンチシズムが貫かれている。そのためか物語の基本構造はメロドラマとも言っていい。一人の女が男を愛し、その愛が物語の展開に影響を及ぼすというつくりなどはまさにメロドラマの極致だ。
僕個人としては、そういう濃く可憐な恋愛ものが嫌いではないので、楽しんで読むことができた。それに2作品とも、プロットにうねりがあり、エンタテイメントとして優れたつくりとなっていたのも楽しめた要因だろう、と思う。

個人的に目を引いたのが妖怪の類が引き起こす、幻想性と怪奇性の部分だ。
特に『天守物語』での生首のシーンはなかなかグロテスクで、印象に残る。舌長姥が血をペロペロと舐める部分にただよう異常な雰囲気は独特で、一読忘れがたいものがあった。
幻想と怪奇とを大事にした、いかにも鏡花らしい世界観とも言えよう。
その強いインパクトもあり、僕としては『天守物語』の方が『夜叉ヶ池』よりも好みである。

とはいえ、現代小説を読みなれている人間としては、この戯曲2編に、若干の食い足りなさがあるのは否定できない。話の流れにやや齟齬が見られるのも個人的には引っかかる。
しかし、この作品にただよう雰囲気は鏡花らしい強い個性がある。その個性が現代でも鏡花が好まれる所以なのだろう。

評価:★★★(満点は★★★★★)

『出家とその弟子』 倉田百三

2006-12-18 21:55:25 | 戯曲



宗教文学に一境地を拓いた倉田百三の代表作。
浄土真宗の開祖親鸞とその弟子唯円を主人公に、浄土真宗とキリスト教の教義を表現。人間の矛盾や弱さを描ききる。
出版社:岩波書店(岩波文庫)


主題や登場人物の関係もあり、宗教的な側面が強く出ている。
僕は基本的に宗教的なるものに懐疑的な人で、ここで語られる「他力」という結論には納得いかない面はあるのだが、それによってこの戯曲を説教くさいと感じることはなかった。
きっとそれはここに出てくる人物が、自分たちの懊悩や迷いに対して真剣に、「一すじに」対峙しているからだと思う。そしてそれゆえにこの内容に、無宗教の人間でも感動することができるのだ。

この戯曲で展開される思想には心を打たれるものが多い。
たとえば悪に対する思想。誰が真に悪か、善か、突き詰めれば答えがないわけで、言ってしまえば誰もが悪人だとも言えるだろう。少なくとも善になりきることはできない。しかしそれでも叶わなかろうと、人は善を目指す。そのことを願う姿はただすばらしい。

ほかにも、裁かずにゆるすという思想、運命と祈り、人を傷つける愛といい、心に響くものが多い。
ここには人間が経験しうる多くの問題が提示されている。そしてその深さとそれに立ち向かう登場人物たちの真摯な姿は真に心を打つ。

すばらしい作品であると素直に思える。一読の価値ある一品だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)