シーザーが帰ってきた! 凱旋する英雄を歓呼の声で迎えるローマ市民たち。だが群衆のなかには、彼の強大な権力に警戒心を抱くキャシアス、フレヴィアスらの姿があった。反感は、暗殺計画の陰謀へとふくらむ。担ぎ出されたのは人徳あるブルータス。そして占い師の不吉な予言……。
世界文学史上最大の作家の一人、ウィリアム・シェイクスピアの傑作戯曲。
安西徹雄 訳
出版社:光文社(光文社古典新訳文庫)
400年以上の長きに渡り、残っている作品だけあって、本作には優れた面がいくつか見られる。
その中でも最たるものは、やはり半ばにあるポピュリズムを象徴するような市民の姿だろう。
ブルータスの意見に賛同し、ブルータスの言葉を賞賛していた市民が、アントニーのアジテーションに簡単に手のひらを覆す様は恐ろしくさえある。そこにあるのは批判精神に乏しく、周りの状況や雰囲気、心地良い言葉、一時の感情で大事なことを決定していく安直な民衆の姿だ。
シェイクスピアがこの劇を書いたのは16世紀末で400年も前のことだが、そこにある姿は現代と何一つ変わっていない。それは人間が簡単には進歩しないことを如実に示すものであり、人間の愚かしさについて考えずにはいられなくなる。
そのほかにも良い面は多い。
成り上がったシーザーに嫉妬心を見せるキャシアスの姿には人間の業のようなものを見る思いがするし、解説にも触れられていたが、芝居っ気を見せる政治屋たちへの皮肉な言辞や、ブルータスの自己を欺瞞する独白も読んでいて何かと考えさせられるものがある。
人間の心理の綾に分け入っていく様相がそこから仄見えて興味深い。
しかしそれらの美点は認めても、どうも僕の胸には深く響いてこなかった。
僕はこれまでシェイクスピア作品を「ハムレット」「マクベス」「オセロー」「ヴェニスの商人」と読んできたが、どれも今回と同じ印象である。すばらしい面はあるけれど、これが傑作と呼びうるほどには見えない、そういうことである。
多分そう感じてしまうのはシェイクスピア作品ということで、心が身構えてしまっているということがあるのかもしれない。あるいは物語の焦点が次々とずれていくからということもあるのだろうか。
いい作品であることは確かだ。読んだら、それはそれで楽しめるだろう。
でも僕にとって、シェイクスピアは好んでは読むものではないらしい。単純に趣味でないということもあるかもしれないし、読解力もあるが、シェイクスピア作品は読んだという結果を得るために、読むものだという気が、僕にはしてならない。
評価:★★★(満点は★★★★★)