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私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『夜の公園』 川上弘美

2009-07-06 21:08:18 | 小説(国内女性作家)

「申し分のない」夫と、三十五年ローンのマンションに暮らすリリ。このまま一生、こういうふうに過ぎてゆくのかもしれない…。そんなとき、リリは夜の公園で九歳年下の青年に出会う―。寄り添っているのに、届かないのはなぜ。たゆたいながら確かに変わりゆく男女四人の関係を、それぞれの視点が描き出し、恋愛の現実に深く分け入る長篇小説。
出版社:中央公論社(中公文庫)



心理描写が的確な小説は、読んでいても心地よい。
それは登場人物の思いを読みながら追体験でき、どっぷりと物語の世界に浸ることができるからだ。
だから僕の場合、登場人物にほんの少しでも共感できなかったら、そういった小説をすなおに楽しめなくなる。共感できずとも、興味深いと少しでも思わなければ、物語の世界には没入できない。
そういう点、心理描写が巧みな小説は、好きと嫌いの差が大きくなりがちだ。


『夜の公園』は不倫をし合う男女四人を中心に据えた小説である。
川上弘美特有の淡々としたタッチで、登場人物の心理を直接的に、あるいは間接的に的確に表現している。

個人的な趣味で言うなら、この小説は好きじゃない部類に入る。
それもこれも、幸夫と春名という二人の人物が、個人的に気に食わなかったからだ。
実際、幸夫は少し独善的で卑怯な面があって、それが僕は読んでいていらっとしてしまう。春名は複数の男と関係を持ち、それが原因で人を傷つけてしまっている部分が気に入らない。
そのため、文章は美しく、物語に入り込める要素はあるのに、僕は一歩引いて読んでしまった。
その点は残念としか言いようがないだろう。


だが、何気ない心情をすくい取る、淡々とした川上弘美の文章が、非常に冴えている点は否定できない。
特に僕が興味を持ったのは、リリと春名のパートに共通して出てくるフレーズだ。
「わたし、どうすればいいんだろう」とか「わたし、どこにいるんだろう」、「わたし、どこに行くんだろう」、「どうして、わたしここにいるんだろう」という言葉だ。
そこから僕が感じたのは、リリと春名が共通して抱え持っている、寄る辺のない感情だ。

リリや春名は、基本的に、自分の心のことがよくわかっていない。
リリは自分が夫にどんな感情を抱いていたのかわからないし、春名はこの先どうしたいのか、自分でもよくわかっていないように見える。
そのほかにも二人は、自分の心がよくわかっていないためか、いろいろなことがよく見えていないように思える。

そういった二人の寄る辺のない感情は、たゆたうという言葉がもっともマッチしている。
そして二人はたゆたうばかりで、どこへも行かないし、明確にどこかへ行こうという意志は感じられない。
その雰囲気の描き方はさすがで、共感できないまでも、最後まで読ませる魅力があったのは見事だ。

最終的にリリは、「今わたし、ここにいる」と強く思い、ほろほろと流れる時間の中、子供を産むため未来へと生きていくこととなる。
はっきり言って、その心情に至るまでの過程は、あまり効果的とは思えない。
だけどその一文からは、たゆたうばかりだった感情に、明確な立ち位置が与えられたように見え、力強く映った。


個人的な趣味ではない作品だが、本書の文章と描写、ラストシーンなどはすばらしい。
川上弘美らしい世界を味わえる一品であることは確かだ。

評価:★★★(満点は★★★★★)


そのほかの川上弘美作品感想
 『パレード』
 『光ってみえるもの、あれは』

『八日目の蝉』 角田光代

2009-06-26 21:38:59 | 小説(国内女性作家)

逃げて、逃げて、逃げのびたら、私はあなたの母になれるだろうか…理性をゆるがす愛があり、罪にもそそぐ光があった--心ゆさぶるラストまで息をもつがせぬ傑作長編。
出版社:中央公論社



冒頭からぐいぐいと読み手を引っ張っていく作品だ。
ここで描かれているのは愛人の娘を誘拐し、逃亡生活を続ける女の話なのだが、その生活のディテールが丁寧に描かれている点が、物語に惹きつけられた要因かもしれない。

そこで描かれている乳児を誘拐した女、希和子の生活は見るからに危うい。子供を育てるという点では、決して好ましい状況ではないだろう。
だが薫と名づけた愛人の娘を、希和子は本当に大事に育てている。
彼女が犯した行動は基本的にまちがっていると断言できるのだけど、彼女が本物の母親のように愛情をもって少女と接している点は、どうあっても否定できないのだ。
そのため、単純に希和子を責める勇気が持てなくなる。
心のどこかで、希和子の生活を応援してあげてもいいかなという気持ちも、まったく湧かないわけではない。

だがそんな彼女の逃亡生活が長く続かないことくらい、誰もがわかるだろう。
そのため、文脈から適度な緊迫感が漂っていて、なかなか忘れがたい。


希和子はやがて予想通り捕まり、少女は実の親の元へと帰ることになる。裁判により、希和子の有罪が確定し、世間的にはそれで事件のすべてが終わる。
だが当然、関係者の人生はそれですべてリセットされるわけではない。

誘拐された少女、恵理菜の人生はその後も続き、事件の影響も彼女を襲い続けることになる。
それらは決していい傾向とは言えない。

恵理菜は長じて後、そんな悪い状況をつくりだした希和子を憎むようになる。
自分が望んだわけでもないのに、たった一つの事件のため、その後の人生に悪影響が出る。それは本来的には悲劇だ。
そのため、恵理菜が希和子を憎んでしまう気持ちはわからなくはない。希和子の愛情を知っているだけに、少し悲しくはあるのだけど、恵理菜の感情が正当なのは理解できる。


だがどんな事態が起き、どんな感情を抱こうとも、人間は自分自身を引き受け、生きていかざるをえない。

恵理菜は希和子を確かに憎んでいる。だが当の恵理菜が憎むべき対象の希和子を愛していたという事実自体は否定できないのだ。
そもそも、自分の身に起こった不幸や、自分が持っていないものを数え上げても、そこに意味はない。
自分の身に起こった不幸ですら、自分自身をつくり上げるパーツであり、自分という存在そのものでしかない。
それを否定することは、自分自身を否定することと同じなのかもしれない。

最後に人ができることは、あるがままを受け止めながら、生きていくしかないということなのだろう。
たとえば自分自身ががらんどうだと感じていても、それでも生きていけるし、自分を傷つけるような過去を持っていても、それでさえ、未来を生きていく力を与えてくれるかもしれないのだ。
そういう風に考えると人間は何だかんだ言って、強い生き物なのかもしれない。

読み終えた後には、そのような人間の底力とも言うべき、ポジティブなものが感じられ、心に残った。


『空中庭園』や『対岸の彼女』もすばらしいのだが、本作も非常に底が深い作品である。
角田光代の実力を堪能できる一品だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)


そのほかの角田光代作品感想
 『対岸の彼女』

『ポトスライムの舟』 津村記久子

2009-02-25 19:23:50 | 小説(国内女性作家)

お金がなくても、思いっきり無理をしなくても、夢は毎日育ててゆける。契約社員ナガセ29歳、彼女の目標は、自分の年収と同じ世界一周旅行の費用を貯めること、総額163万円。
第140回芥川賞受賞作。
出版社:講談社


僕と著者の生まれた年は同じで、1978年だ。そういうこともあってか、ここに収録された二作品には、性別は違うものの、近い年齢ゆえの共感を見出すことができる。

表題作の「ポトスライムの舟」の主人公ナガセは、30歳目前の女性で、独身、彼氏なしの契約社員だ。
彼女は小説中いくつかのことを考えるが、大別すれば、仕事、結婚、子どもを持つということ、そしてそれらをひっくるめた人生、といったところだろうか。独身の同世代が考えることは一緒らしい。もっとも女性の方が、男の僕なんかより、もっとナイーブな事情が生じるかもしれないけれど。

彼女の手取り年収一六三万は、世界一周旅行と同じ値段だ。世間一般の基準からして安月給だ。「時間を金で売っているような気がする」中で、その年収をすべて世界一周につぎ込もうと考える。
その一歩踏み出したような思いが、非常に前向きで好ましい。

その意志が彼女の生活の中で、確かな存在を占めることになるのだが、その意志自体に大きな意味はないのだろう。まじめな彼女はどう考えても最終的に古い家をどうにかすることを優先するタイプだからだ。
しかし一六三万という数字は、彼女にとってはうんざりする部分もあるだろうけれど、彼女の生活を引き締めているようにも見えて興味深い。そういう点、意志ってのは重要だな、と読みながら思う。

結婚に関しては、ナガセ自体、結婚願望は薄いのだろうっていうのが伝わってくる。
小説内では、結婚に関する嫌な側面が描かれている部分が多い。そういう例が示されている中、不器用そうなナガセに、唯一の成功例(?)のそよ乃のように愚痴をこぼしながら、上手く主婦業をやっていくようなしたたかさがあるようには見えない。
母親に孫の顔を見せた方がいいか、と考えるが(恵奈の使い方が上手い)、ナガセ自身が自分でも思っているように、この先彼女が結婚してなくても、読む限り大して違和感はないだろう。

だがそういった物事に、まったく悲観はないのだ。彼女はただ淡々と日々をつましく生きて、近しい人と仲良くし、なんだかんだで働いて、毎日を生きていく。それで充分なのだろう、っていう気もする。
彼女は意志的な部分もあり、適度な笑いもあるので、いくつか悲観に見えかねない事象がありながら、物語の底から明るさが立ち上がってくるのが印象的だ。

細部描写や、女性四人のキャラクターなどの描写が非常に丹念で、手応えが感じられるのも忘れがたい。
地味ではあるが、巧みとしか言いようのない等身大の作品である。主人公の性格と近い部分もあるので、すっと物語世界に馴染むことができる。個人的には結構好きだ。


併録の「十二月の窓辺」は、欠点を上げればいろいろある作品だ。
特に、アサオカに関するミスディレクションや、通り魔については、意図はわかるものの作者がねらったほど効果的でもなく、つくりすぎのきらいがある。

だがこの作品も細部に関する描写が鋭い。
女だけの職場で、上司がパワハラという環境を、迷惑なことに、極めてリアルに表現している。
津村記久子のインタビューを読む限り、実際に体験したことも(演出はあるだろうが)描かれているので、心理描写はかなり真に迫る。主人公の、自己否定を乱発する独白には、読みながら心の底からへこんだ。

そのため、暗い気分にはなるが、作者の観察眼の上手さを再確認する一品にはなっている。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


そのほかの芥川賞受賞作品感想
 第128回 大道珠貴『しょっぱいドライブ』
 第134回 絲山秋子『沖で待つ』
 第135回 伊藤たかみ『八月の路上に捨てる』
 第136回 青山七恵『ひとり日和』
 第137回 諏訪哲史『アサッテの人』
 第138回 川上未映子『乳と卵』
 第139回 楊逸『時が滲む朝』

『デッドエンドの思い出』 よしもとばなな

2009-02-11 21:10:43 | 小説(国内女性作家)

「幸せってどういう感じなの?」 婚約者に手ひどく裏切られた私は、子供のころ虐待を受けたと騒がれ、今は「袋小路」という飲食店で雇われ店長をしている西山君に、ふと、尋ねた……(表題作)。つらくて、どれほど切なくても、幸せはふいに訪れる。かけがえのない祝福の瞬間を鮮やかに描き、心の中の宝物を蘇らせてくれる珠玉の短篇集。
出版社:文藝春秋(文春文庫)


本作は爽やかな作品が多く、読んでいて大変心地よい気分になる。
その理由はいろいろあるけれど、基本的にいい人しか出てこないからだと、と僕は思う。

もちろんそこには失恋だったり、毒を混入されたり、児童虐待もどきの事件も起きているけれど、主人公の周囲にいる人たちはどれもおっとりしていて、主人公のことを真剣に思いやっているのが伝わってくる。何てことのない会話や、親しい人がそこにいるという空気の優しさにより、読んでいる最中、少しずつ癒されていく感じが伝わってきた。
そのような物語世界に漂う空気の温かさは印象的で、読み手にまでその温かさが伝わってくるのが好ましい。
ここまで気のいい人間だけで、世界は構成されているわけではないんだろうな、と思うのだけど、それはそれとして、この物語の品の良さは否定できないだろう。

個人的には「幽霊の家」がお気に入りだ。
ストレートな恋愛小説を最近はとんと読んでいなかったので、こういう展開は逆に新鮮で、素直に胸を打たれた。幽霊の老夫婦の穏やかな雰囲気と相まって何とも切なく、そして温かい気持ちにさせてくれる。

「ともちゃんの幸せ」もラスト以外はかなり好きだ。
ともちゃんにはあまりろくなことは起こらないのだけど、小さな幸せをこつこつと積み重ねている感じがして、非常に好ましく、そのつましい雰囲気はすてきだ。

そのほかの作品も大体において印象は良い。
だが、あえて個人的に引っかかる、というか気に食わない面をあげるなら、2つ。
一つは、登場人物を癒してあげようとする作者の優しさが、ときどきだが妙に鼻につくということだ。それは、居心地の良い箱庭の中に、登場人物を閉じ込めているように、僕には見える。根拠は示せないけど。
二つ目はたまに挿入されるスピリチュアルな言葉が少しイラっとすることだ。

その2点は、ほかのばなな作品にもわりかし見られるポイントで、読むたびに、いつも引っかかりを覚えてきた。
そのため僕にとって、ばななはいい作家と思うが、熱心に読み続けるタイプの作家ではない。

だが鼻につくときもあれど、内容の心地よさは光っており、なんだかんだで、ばななの資質を再確認できる。そして何よりもストーリー自体がおもしろい。
いろいろあるが、納得できる一品であることは確かだろう。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『リアルワールド』 桐野夏生

2009-01-18 08:36:29 | 小説(国内女性作家)

高校三年の夏休み、隣家の少年が母親を撲殺して逃走。ホリニンナこと山中十四子は、携帯電話を通して、逃げる少年ミミズとつながる。そしてテラウチ、ユウザン、キラリン、同じ高校にかよう4人の少女たちが、ミミズの逃亡に関わることに。遊び半分ではじまった冒険が、取り返しのつかない結末を迎える。
登場人物それぞれの視点から語られる圧倒的にリアルな現実。高校生の心の闇を抉る長編問題作。
出版社:集英社(集英社文庫)


この小説を読んでいる最中、僕は気分が滅入ってならなかった。
母親を撲殺した少年と、彼を幇助する女子高生四人、彼らの心理が事細かに描かれているのだが、そこでは露悪的とすら思えるほど、人間のいやな部分がクローズアップされているからだ。
あまりの悪意的な雰囲気に、何で俺はこんな話を読んでいるんだ、と自問自答することも結構あった。
しかしいやな気分になるにもかかわらず、僕はこの小説を投げ出すことはできなかった。それは不快だと思いながらも、この小説には僕の心を惹きつけてやまない強い力があったからだ。

その力とは少し触れたが、少年と少女の心理が克明と言えるほど、精緻にそして圧倒的なリアリティをもって描かれているからである。
解説で斉藤環は、そのリアリティは関係性から生まれると書いているが、なかなか上手い表現だ。
実際四人の少女と殺人を犯した少年との間に浮かび上がるのは、人間の関係性の中にふっと浮かび上がる、相手に対する憎しみだったり、不満だったり、軽蔑だったり、疎外感だったりの感情だ(改めてふり返ると負の感情が多い、それだけでもないけれど)。
個人的にはキラリンがおもしろい。女を前面に出してそれをうまく利用しながら、相手を軽蔑するしたたかさと、意地悪な視点には苦笑してしまう。

しかしそういった感情は、水のようなもので、その折々の気分で次々と変化してしまう。一定ではありえないものだ。
もちろんそういった感情をシンプルに語ることは容易ではある。ならば、事細かに、そこまで悪意をもって書かなくともよいのに、と思わなくもない。
だがシンプルに語ることで失われることもまた多いのだ。
なぜなら、物事の事象やそれを引き起こした感情は、一面的に語ることのできない、もっとどこまでも複雑なものなのだからだ。
ラストの方で、ホリニンナが刑事に言われて、アホらしいと感じたように、シンプルに語ることによって、複雑な感情はどこまでも矮小化されてしまい、本質が見えなくなってしまう。

だからこそ作者は、五人の心理を悪意を含め、リアルに描かなければいけなかったのだろう。
それゆえに重たく、ラストなどは胸に突き刺さるように痛々しいのだけど、テラウチ言うところの「取り返しの付かないこと」は、そういった現実の中にある複雑さを受け入れたときにしか、見えてこないのかもしれない。
つまりは、悲惨なことはわかりやすいことに飛びつくことでは解決にならない。悲惨なことを悲惨なまま、受け入れて初めて、物事を進めることができる、ということなのだろう(この解釈は、それこそ、シンプルに語りすぎている気もしなくはないな)。

個人的には、「取り返しの付かないこと」から先、どのように行動するかを描いた『残虐記』の方が、「取り返しの付かないこと」の描写に終始してしまった本作よりも好みなのだが、これはこれで優れた作品と思う。
他人に勧められない作品だが、改めて桐野夏生という作家の存在感を見せ付けられた次第だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)


そのほかの桐野夏生作品感想
 『グロテスク』
 『残虐記』

『卵の緒』 瀬尾まいこ

2009-01-11 19:40:24 | 小説(国内女性作家)

僕は捨て子だ。その証拠に母さんは僕にへその緒を見せてくれない。代わりに卵の殻を見せて、僕を卵で産んだなんて言う。それでも、母さんは誰よりも僕を愛してくれる。「親子」の強く確かな絆を描く表題作。家庭の事情から、二人きりで暮らすことになった異母姉弟。初めて会う二人はぎくしゃくしていたが、やがて心を触れ合わせていく(「7’s blood」)。優しい気持ちになれる感動の作品集。
出版社:新潮社(新潮文庫)


一概に言えるものでもないのだが、日本の女性作家が書く作品は、登場人物たちの間に漂う場の雰囲気を大事にしているという印象を受ける。主観的な言葉を使うのなら、ほんのりと柔らかい。そんな空気が小説の文章中からにじみ出る作品が多い。
この本には2作品が収録されているが、両方にそのような柔らかい空気が流れていたように思う。

たとえば「7’s blood」という作品。
この作品には異母姉弟の二人が主人公だが、二人は会ったばかりであるということや、相手の顔色を読むような行動を取る弟が鼻につく、と姉が思っていることもあり、最初はいくらかぎくしゃくしている。
だがその関係性がいくつかのエピソードを積み重ねていくことで少しずつ溶けていく。その過程が非常に麗しい。
ケーキのシーンといい、アイスを食べようと弟を誘うシーンといい、眠れない姉に話しかける弟のシーンといい、二人の会話や行動からは相手を思いやる感情が仄見えてくる。それは純真といっていいくらい素直なものであり、そのまっすぐさが胸に響いてならない。

その空気からは、血という物理的なきずな以上の説得力があるように見える。
確かに血はわかりやすいきずなであるし、ほかにも髪を切るという物理的な行動でも(このシーンもいい)、よりリアルにそのきずなを確かめることができるのかもしれない。
だが根本的には、互いを思いやり、一緒に過ごしてきた、という二人の時間と思い出こそが重要なのだろう。
わかりやすいものではなく、その形にならない時間と場の空気から生まれた感情からこそ、ほんのりと柔らかく、温かくも強いきずなが生まれるのではないのだろうか。そしてそこから家族という関係性は生まれるのかもしれない。

表題作の「卵の緒」も、血というものを超えたきずなを感じさせてくれ、小説内の場の雰囲気も心地よい。
ラストが、ねえよ、と叫びたくなるような展開だったのが残念だが、雰囲気の描出力は優れていた。

瀬尾まいこは初めて読む作家だったが、なかなか悪くはない。
積極的に読み続けるタイプではないが、決して無視できないタイプの作家という印象を受けた。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『残虐記』 桐野夏生

2008-12-21 09:14:00 | 小説(国内女性作家)

自分は少女誘拐監禁事件の被害者だったという驚くべき手記を残して、作家が消えた。黒く汚れた男の爪、饐えた臭い、含んだ水の鉄錆の味。性と暴力の気配が満ちる密室で、少女が夜毎に育てた毒の夢と男の欲望とが交錯する。誰にも明かされない真実をめぐって少女に注がれた隠微な視線、幾重にも重なり合った虚構と現実の姿を、独創的なリアリズムを駆使して描出した傑作長編。
出版社:新潮社(新潮文庫)


解説でも触れられていたが、この作品でもっともすばらしいのは物語に漂うリアリティだろう。
新潟少女監禁事件に着想を得た作品だけあり、ここでは少女が男に誘拐され、一年以上も監禁されるという残酷な事態が描かれている。それは現実に起きた事件とは違う設定がなされているが、そこには現実よりも現実らしい圧倒的なリアリズムがあって驚くほかない。

小説では少女の生まれ育った町や親との関係性から筆が起こされているが、その描写の細緻さにはうなってしまう。
気の弱い父や、見栄を気にする母の描写は本当に存在しそうだと感じさせる手応えがあるし、それを理由にいじめられる少女の姿もリアルだ。その様を観察し描写する作者の視点はとにかくするどい。

だがそのような日常風景のリアリティ以上に、もっとすばらしかったのは、少女の監禁生活という誰にも理解できない特殊な体験まで実にリアルに描かれているという点だ。
孤独に恐怖したと語る監禁生活や、生活のリズムさえ作れば耐えていけるという描写、夜における少女と監禁する男の関係の逆転性、ケンジという男のずる賢さなどは、本当にそうかも、と感じさせるような、驚くほどのリアリティで描かれる。もちろん監禁から解放された後の生活の描写にも納得せざるをえないような説得性がある。
このように世界を説得力もって描写する力は並の作家にはできるものではない。桐野夏生の筆力の力強さに完全に圧倒されてしまうばかりだ。

そしてそのような物語を通し、性の玩具の対象となってしまう女性性の問題と、好奇心や詮索好きな感情によって自分のことを想像されることに対する嫌悪感が立ち上がってくる。
その二つは種類は異なれど、共に被対象者の感情をないがしろにした行為と言えなくはない。
「皆が勝手に私を思い遣り、どんなことをされたのか、好きなように想像するのだ。(略)子供ほど屈辱に敏感な存在はないのだ。屈辱を受けても晴らす術を持たないからである。」という文章に漂う訴えの強さには本当に感心してしまう。

少女はそれらの視線に対して、想像力を駆使して立ち向かおうとしているように感じられる。だがその想像力は結局想像でしかなく、現実というやつに到達しうるものではない。
実際、少女は男の性欲のために監禁されたが、その性欲というものを想像できず、絶望じみた思いを味わうこととなる。
だが少女は何とか自分なりに折り合いをつけたかったのだろうか。『泥のごとく』を書き、想像によって自分に起こったことの輪郭でも形にしようとしているように見える。

だが想像はどこまで現実に対抗可能なのであり、現実を克服しうるのであろうか。
少女は自分を理解できるものはケンジなのではないか、と考えているが、体験を通してしか、人間は何者かとつながることはできない、と少女は思ったのかもしれない。実際、宮坂と少女が結ばれたのは、自分の苛酷な体験を理解する対象として宮坂がふさわしいからだ、と思ったからではなんて皮肉な見方をしてしまう。

ならば作家となった彼女はケンジに会いに行きそうなものである。だが作者はそうはさせなかった。
そこが作家なりの想像力への信頼だと見えなくもない。つまり自分の特殊な体験を共通理解してくれる可能性があろうとも、決して加害者の方になびいてはいけない、という風に言っているように見える。そして、人間は苛酷な体験に対してあくまで想像力でもって対処をするしかないのでは、というような姿勢にも見えなくはない。
それは単純に僕の誤読かもしれないだろう。だが一つの視点としては有りなのではないだろうか。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)


そのほかの桐野夏生作品感想
 『グロテスク』

『時が滲む朝』 楊逸

2008-09-07 16:58:59 | 小説(国内女性作家)

1988年夏、中国の名門大学に進学した2人の学生、梁浩遠(りょう・こうえん)と謝志強(しゃ・しきょう)。様々な地方から入学した学生たちと出会うなかで、2人は「愛国」「民主化」「アメリカ」などについて考え、天安門広場に行き着く――。
第139回芥川賞受賞作。
出版社:文藝春秋


日本語以外を母語とする作家ということで、本作が芥川賞を受賞したときにはそれなりに話題になった。
だが中国人作家ということもあり、日本語の文章としては決して美文とは言い難く、どうしてもぎこちなさを感じてしまう。
たとえば冒頭、「突然、頭のてっぺんから、グラスの底のような厚いメガネのレンズを突き通して自分を見つめる父の視線を感じ、ボールペンがまた走り出した」という文章があるが、さすがに表現も比喩もくどいと感じた。せめて文を区切るか、もう少し滑らかで柔らかい表現にすればいいのに、とそういう文章を読むと思ってしまう。
タイトルだって、なぜこんなタイトルをつけたのかよくわからない。どう見ても大仰で、しかも内容と対してつながりが見えない。

しかしそんな硬い文章も読み進めていくうちにさほど気にならなくなっていく。それは単純に物語の筋運びがおもしろく、文章よりもそちらに気が逸れるからであろう。
中国の青年たちの十年以上に渡る物語というのはいかにも時代がかった設定だ。まるで山崎豊子のようである。そういう意味、山田詠美の言うように直木賞向きなのだろう。

その中国人青年の雰囲気が本当にいい。特に冒頭で浩遠と志強が湖で叫ぶシーンや、湖畔で詩を読むシーンなどは最高である。そのいかにも田舎者の行動は瑞々しい印象があり、見ていて微笑ましい気分にさせてくれる。
それが作家の力か、中国東北部という場と時代の力かは知らないが、それを構築しえたという点はすばらしいだろう。

そんな彼らは天安門事件に巻き込まれていく。若者の青臭い思いが簡単に打ち砕かれていく姿はかなりリアリスティックな雰囲気がある。浩遠の父の描写といい、天安門事件での対応といい、国家の前に人の思いが否定されていく姿は悲しい。
そしてさらに心に残るのが、日本に来てからの浩遠の挫折だ。
彼らの青臭い思いも、現実的な行動を取る同じ中国人の前に否定されてしまう流れがリアルだ。「誰だって生活があるんだ。民主だけじゃ生きていけないってことよ」という言葉はありそうな風景で、その意見も正しく、それを否定したいという浩遠の思いも正しい。その思いのどうにもならない感じが僕は好きである。

いろいろ否定する意見が多い作品のようだが、個人的には好きな部類に入る作品かもしれない。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


そのほかの芥川賞受賞作品感想
 第128回 大道珠貴『しょっぱいドライブ』
 第134回 絲山秋子『沖で待つ』
 第135回 伊藤たかみ『八月の路上に捨てる』
 第136回 青山七恵『ひとり日和』
 第137回 諏訪哲史『アサッテの人』
 第138回 川上未映子『乳と卵』

『でかい月だな』 水森サトリ

2008-03-07 20:17:07 | 小説(国内女性作家)

満月の夜、友人に崖から蹴り落とされた「ぼく」。命は助かったが、右足に大怪我を負う。そんな「ぼく」の前に、二人の変人――科学オタク・中川と邪眼を持つオカルト少女・かごめ、そして「やつら」が現れる…。
第19回小説すばる新人賞受賞作。
出版社:集英社


鮮やかなセンスが全面にみなぎる新人離れした作品だ。

そのセンスを示す面のひとつはキャラだろう。
霊界通信機を作るとうそぶく中川や、邪眼の持ち主で毒舌屋のかごめなどは奇抜ながらも上手につくり上げたな、と感心する。
特に中川がすばらしい。ちょっと変人チックだが、決して押し付けがましくなく、主人公のユキの心を気にかけているところが非常に印象深い。
たとえば初めて中川のマンションを訪れるシーン、「理由はどうあれ、君は夜にひとりでびしょ濡れで、だったらぼくは君の夜に付き合うのみさ。他に何ができるっていうんだ。ぼくには太陽は作れやしないんだ」と言い、「太陽は昇らない。だけど錬金術師はぼくの心に夜を照らす灯りを点した」とユキが思うシーンなど最高ではないだろうか。それに「君が死ねば綾瀬ってひとは人殺しになっていた。だから君は生き残ったんじゃないの」というシーンも美しいと思った。
中川というキャラを造形した時点で、この作品の成功は決まったようなものだろう。

またその中川が象徴しているとも言えるが、本作で鮮やかに描かれているのは、人との関係性や倫理感に対する思春期らしい距離の描写だ。
特にやさしさブームないし協調ブームが優れている。人の心をわかったようなふりをして労わったり、善なるものを進んで推進することに対する違和感を描いているあたり、思春期の感性と時代の空気を上手くつかんでいると思った。僕も普段ニュースを見ていて感じる違和感だっただけに、その着眼点に喝采したい気持ちだ。
善いことを押し付け、他人の立場に立ってみても、そこにあるのは当人の心を踏みにじるだけの行為なのだ。何が良いかは自分が決めるものであり、決して他人が判定すべきではない。なぜなら必ずしも世界は善意だけで物事が収まる世界ではないからだ。
だから家族が綾瀬を許すと言って主人公が荒れるシーンは僕個人は特に好きである。

しかし困ったことに主人公も家族の愛情に気付いていることが問題なのだ。愛情がその場に存在しても、必ずしもそれが上手く交じり合うとも限らない。
そしてそれは綾瀬と浜辺で花火をするシーンにも現れている。綾瀬はユキに許される気がない、という辺りが胸に迫る。
普通ならここで和解に走るはずだが決してそうしようとはしない。罪悪感を描き上げ、被害者と加害者の関係を解いて、友だちに戻りたいユキの態度を拒否する。なかなかこうは書けるものではない。
この作家は中川と同じく「闇は闇だと言える」作家なのだ、と心底思う。

それでも何もかも交わらないラストの中で美しい余韻にひたれたのは、交わらないことを知りながら美しい世界を夢見るような雰囲気が残っていたからだと思う。その予兆を描くことで、世界を鮮やかに照射している。
並みのセンスではなかなか書けない。本当に新人とは思えない出来だ。
僕はこの人の作品をほかには知らないが、このレベルで次々と小説を書いていったらとんでもない作家になることだろう。水森サトリ、期待大の作家である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『乳と卵』 川上未映子

2008-02-29 20:01:27 | 小説(国内女性作家)

娘の緑子を連れて豊胸手術のために大阪から上京してきた姉の巻子を迎えるわたし。その三日間に痛快に展開される身体と言葉の交錯をつづる。
シンガーソングライター出身の川上未映子による第138回芥川賞受賞作。
出版社:文藝春秋


「乳と卵」は、大阪弁を交えた口語体の文章でつづられていて、そのリズムが大変心地よく、テンポ良く読み進めることができる。
そしてその文体のためかところどころに散りばめられたユーモアが大変おもしろく楽しむことができた。「色も大きさもなんでここにオレオがっていうこれはないよ」とか、「いや、今月も来月も受精の予定は、ないですよ」とかの言葉のセンスは最高で、大いに笑った。
それに笑いに関する間の取り方も絶妙に上手い。巻子が「わたし」に胸を見せ「どう思う」と言うシーンや、母子が卵を頭にぶつけ合った後、「もう卵はないの」と聞くシーンはシリアスなのにとぼけた雰囲気がある。並みのセンスではなかなかこういうシーンを上手には描けないだろう。見事なものだ。

物語は女性性がテーマになっており、ユーモアだけでなく真摯さも感じられる。そのテーマ性を、メタファーを駆使することにより徐々に立ち上がらせている辺りが抜群に上手い。
メタファーの挿入や使い方、出す順番などは緻密に計算されているのがわかり、そこから女性性と、それに絡んだ自分の体に対する違和感を、母娘の対比の中、あぶりだしていく手腕に心底舌を巻く。

そしてそのテーマ性はキャラの力でさらに魅力的なものに仕上がっているのが印象深い。
特に緑子の造形はすばらしい。豊胸手術に熱心になる母親に嫌悪感を抱き、口をきかないといったケンカをしながらも、実は母のことを愛している姿は素直に胸を打つ。思春期特有の複雑さはあるものの、基本的にいい子であるところが好印象だ。
また生理がやがて自分に訪れることに不安を覚える姿もリアリスティックで、男だけど共感するものがある。

そんな緑子の丁寧な描写があるからこそ、ラストでカタルシスを得ることができるのだ。
僕は男であるので、女性の体のことは頭の中でしか理解できないが(生理の描写を読むと、本当に女性は大変だな、と思ってしまう)、そこにある矛盾なり、答えの出ない部分には性別を越えた共感を抱くことができる。
ラストの和解も、女性性を越えたところにある愛のつながりを感じることができ、感動した。
綿矢、金原からかかさず芥川賞をチェックしてきたが、本作が近年の芥川賞の中では一番好きである。

併録の「あなたたちの恋愛は瀕死」も個人的には好きだ。
性交と人間との関係性に対する思考もおもしろいが、ラストの関係性の孤絶を思わせる不気味さも忘れがたい。くどいくらいの饒舌体も作品にマッチしていて、作者の才能は本物だと再確認することができる。

ともかくも、これからも注目していきたいと思わせる豊かな才能に出会えて、満足そのものである。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)


そのほかの芥川賞受賞作品感想
 第128回 大道珠貴『しょっぱいドライブ』
 第134回 絲山秋子『沖で待つ』
 第135回 伊藤たかみ『八月の路上に捨てる』
 第136回 青山七恵『ひとり日和』
 第137回 諏訪哲史『アサッテの人』

『にごりえ・たけくらべ』 樋口一葉

2008-02-05 20:20:04 | 小説(国内女性作家)

銘酒屋菊の井の酌婦として生きるお力の一生をつづった「にごりえ」、遊郭の養女美登利を中心に、彼女が思いを寄せる竜華寺の信如、田中屋の正太など、少年少女の争いと生活を描いた「たけくらべ」の二編を収録。
明治女流文学の第一人者、樋口一葉の代表作。
出版社:岩波書店(岩波文庫)


川上未映子の「乳と卵」が「たけくらべ」を元ネタにしているとどこかで聞いて久々に再読してみた。
学生時代に読んだときはそれなりに楽しめたという以上の印象を持っていなかったのだが、久々に読み返して、それなりどころかあまりにおもしろかったので、非常に驚いてしまった。
そのときの僕は文語体の文章がわずらわしいと思ったのだろうか、それとも単純に、登場人物の繊細な心情を理解できなかっただけなのだろうか。何はともあれ、歳を取ると感性は変わるという事実をこの本は改めて思い出させてくれた。

「たけくらべ」は少年たちの争いと少年少女の淡い恋を描いた作品だが、その文章がやはりいい。
三五郎を打ちのめすときのリズムは非常に心地よいし、鼻緒の切れた信如の元に行こうかと悩んでいるときの、やきもきしているときの文章のあわただしさと現実のギャップとがいいリズムになっていておもしろい。

そのようにして語られる物語の中でもっとも光っているのがまぎれもなく美登利だ。彼女はいわゆるツンデレなのだが、彼女を巡る風景には甘酸っぱさがあり、切ないものがある。
特に美登利と正太と信如をめぐる恋が切ない。「顔を赤らめざりき」という風に切って捨てられる正太も切ないが、気の強いくせに信如に友仙を渡せなかった美登利と、恐らく美登利に惚れていながら、坊主としての立場から(だと思う)美登利と親しくできなかった信如のすれ違いが胸に迫る。見事なものだ。

ところで「たけくらべ」ラストの美登利の行動について、恩田陸はどこかの小説(いま調べたら『木曜組曲』っぽい)で、あれは初潮のため、と解説する者がいるが、実は初めて客を取ったことを意味する、そういう解釈がまかり通っていたこと自体、文壇が男性中心だったことを示唆している、っていうことを書いていたような気がする(むちゃくちゃうろ覚え)。
確かによくよく読んでみると、生理よりも客を相手したととらえた方が、物事の流れは実にスムーズだ。
しかしだとしたら、この話は非常に残酷なものになってくる。恐らく贔屓の客が、美登利の初めての客になったと思われるが、想像するだけで嫌な気分になる。個人的にはキム・ギドク「悪い男」で、女が初めて客を取るシーンを思い出してしまった。

初潮だと文壇が判断したのは確かに男性中心ということもあるだろう。
しかしそれまでの牧歌的な世界が、客を取るという残酷な展開で破壊されてほしくはない、という美登利のキャラに対する愛情に満ちた視点もあったのではないだろうか、と思う。
ともかく、このラストはあまりに残酷で、遊女という存在の悲しさを静かに伝える。
「たけくらべ」は実を言うと、少年少女小説の皮をかぶった社会派小説なのかもしれない。


併録の「にごりえ」もすばらしい一品だ。特に「行かれるものならこのままに唐天竺の果てまでも行ってしまいたい、ああ嫌だ嫌だ嫌だ」というお力の独白は非常に切なく胸に残った。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『対岸の彼女』 角田光代

2007-11-07 20:24:02 | 小説(国内女性作家)

専業主婦の小夜子は女社長の葵が経営する会社で五年ぶりに働くことになる。葵とも気が合い、そこでのハウスクリーニングの仕事にもやりがいを見つけていくが…
人気作家、角田光代の直木賞受賞作。
出版社:文藝春秋(文春文庫)


この作品では、専業主婦の小夜子のパートと、後に女社長となる葵の高校生時代のパートが交互に描かれている。
それぞれのパートの冒頭で描かれているのは、友人たちとの間に生じる距離感だ。専業主婦の小夜子は主婦仲間との関係のつくり方に悩み、高校時代の葵も友人にハブにされ、疎外されるという様子が描かれている。
誰と親しくなるかに始まり、密やかな対立があり、陰湿な無視という攻撃が始まる一連の流れは男の僕には理解できない。それだけに恐ろしいものがあった。特に何気ない悪意や、思いこみによる感情のもつれを繊細に描く筆は冴え渡っており、余計こわさは際立っていたように思う。

そんな物語の中で僕の心を捕らえたのは、葵の高校時代のパートだ。
そう思えた理由の多くはまちがいなくナナコの放つ魅力にあるだろう。
彼女は楽天的そうに見えるが、「こわくないんだ」とか「そんなとこにあたしの大切なものはないし」と言える強い一面があったり、「あたしだけは絶対にアオちんの味方だし、できるかぎり守ってあげる」と言える優しい一面もあれば、「帰りたくない」と泣きじゃくる弱い一面もある。
そんな鮮やかで多面的な彼女の存在感は、この小説の中でも一等抜きん出ていた。

そんなナナコと葵との友情の描写は、読んでいて切なくなった。
特にバイト先からの逃避行は心に迫るものがある。少女期特有の閉塞感が感じられうそのエピソードは、この小説の中でもまちがいなく白眉だろう。
中でも逃避行に疲れて「ずっと移動してるのに、どこにも行けないような気がするね」とナナコが口にするシーンが好きだ。そのセリフと、そこから生じる心情と二人の姿が、このシーンを美しく、悲しいものにしていたのが印象的である。

そんな過去があるからこそ、その後の葵の行動に確かな説得力が生まれている。
人は誤解や立場の違いなどから、相手に敵意を持つことがある。絆はそんなとき簡単に壊れてしまうかもしれない。けれど、人を信頼することからしか、人との関係は始まらない。
そんなシンプルな事実を、前向きに描いたラストは美しい。読後感はなんとも爽やかであった。満足の一冊だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『パレード』 川上弘美

2007-10-08 17:49:29 | 小説(国内女性作家)

センセイとそうめんをつくった昼下がり、昼寝をしてまどろむわたしは「ツキコさん、むかしの話をしてください」と言うセンセイにうながされ、少女のときのふしぎな体験を話し始める。
川上弘美の代表作「センセイの鞄」のサイドストーリー。
出版社:新潮社(新潮文庫)


川上弘美は物語の空気をつくり出すのが格段にうまい。
冒頭の本当においしそうなそうめんの描写や、センセイとツキコさんの軽妙な会話の心地よさに、その物語にすっと入り込むことができる。
『センセイの鞄』自体、だいぶ前に読んだ作品だが、そんなのは関係なかった。センセイが手をぽんぽんと叩くシーンでのツキコさんの心理の精緻さを読むだけで、数年前に読んだ作品の雰囲気を思い出させてくれる。これは川上弘美の個性であり、良き特色であろう。

物語はリアリズム色の強かった『センセイの鞄』の世界にしては、ファンタジックな設定で、いささか異色だ。しかし無理なくその世界と『センセイの鞄』の雰囲気とを重ね合わせることができる。

そこで登場する天狗たちの描写は非常に愛らしい。特に彼らが触れると、パレードの灯りのように光るというシーンが美しくて心に残る。少女期に体験した後ろめたさという心の傷と、そのパレードの灯りとが絶妙なリンクしており、さすが川上弘美とうなるばかりだ。

個人的にはこの作品は結構好きな作品だ。
あえて苦言を呈するなら、短すぎるという点だろう。挿し絵があるとはいえ、これだけの分量しかないのに一冊の本にまとめる、という発想は僕としては納得いかない。もう一編くらい追加してから、本にしてほしかったというのが率直な思いだ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


そのほかの川上弘美作品感想
 『光ってみえるもの、あれは』

『うさぎパン』 瀧羽麻子

2007-09-17 21:51:18 | 小説(国内女性作家)

高校一年の優子の過ごすゆるやかな日々。義理の母のミドリさん、家庭教師の美和ちゃん、ボーイフレンドの富田くん、多くの人と過ごす時間の中、ある日、死んだ母の聡子が目の前に現れる。
第2回ダ・ヴィンチ文学賞大賞受賞作。
出版社:メディアファクトリー


高校生が主人公ということもあってか、爽やかな作品に仕上がっている。
そこで描かれている高校生たちの姿は、キャラ造形も含めて実に清々しい。優子や美和ちゃん、富田くんなどは印象も良くて、青春小説らしい美しさが出ている。

そのほかの点でも青春小説と呼ぶにふさわしい清新さがあり、目を引く。
特に前半部での、優子の周辺を描いた描写はいろいろな意味で若々しく、読んでいても楽しかった。
そこでは先入観をもたないでいようとする優子の生活描写が基本を占めているのだが、家庭教師との会話や高校生活の描写など、ディテールが丁寧に描かれているのが好ましい。
中でもパンについての会話がおもしろい。さすがにコンビニのパンはパンをばかにはしてないと思うけど、パン好きでパン専門店の味を愛する僕としては、彼らの会話を共感を持って読むことができた。

だが中盤の展開は個人的には納得できない。
それまでせっかくリアリズムで積み重ねてきているように見えただけに、ある程度話が進んでから、いきなり伏線なしでファンタジーを出されるのは僕としては不満だ。せめて少しだけでもよかったから、幽霊が出てきてもふしぎではないな、という程度の下地作りくらいはしておいてほしかった、と思う。
その他にもいくつか粗が目立ち、引っかかる面がないわけではない。

しかしいくつかの欠点を認めつつも、総じての印象は悪くない。
それは、最初から最後まで高校生たちの爽やかな雰囲気が保たれていたことが大きいだろう。それを成し得たのも作者の資質の賜物だと思う。
個人的には、積極的に読み続けたい作風でもないが、光るものもあり、楽しんで読むことができた。デビュー作としては上出来の部類に入るのではないだろうか。

評価:★★★(満点は★★★★★)

『村田エフェンディ滞土録』 梨木香歩

2007-08-25 22:45:32 | 小説(国内女性作家)
   
1899年、トルコの首都スタンブールに歴史文化研究のため、村田こと「私」は滞在することになる。下宿先の各国の仲間との議論、トルコの人と文化との交流など、楽しい時間が流れていく。
児童文学から現代文学まで幅広く手がける梨木香歩の青春小説。
出版社:角川書店(角川文庫)


『家守綺譚』にも登場した土耳古に行っている友人の村田くんが主人公だ。断章形式の物語の構成、単行本発売日の近さから見て、本作は『家守綺譚』の姉妹編と見なしてもいいだろう。
ただし『家守綺譚』が幻想を前面に押し出していたのに対して、こちらは幻想味はひかえめで、トルコにおける風土と交友関係などを中心に描いている。

個人的には幻想的で詩的な雰囲気の出ていた『家守綺譚』の方が好みである。
『家守綺譚』は現実的にはありえない風景を描くことで、それぞれの断章があたかも散文詩のような趣きをたたえていた。すんなり心に染み入る美しい世界観がそこにはあった。
一方、本作は、村田の感情や友との交友には心惹かれるものはあるものの、それ以上のものが見受けられず、幾分物足りなく感じられてならなかった。

個人的にはアヌビス神のどたばた騒動がお気に入りだ。稲荷と張り合うように自己主張する辺りや、ちょっと非難されただけで失踪するというエピソードが実に愛らしくユニークだ。こういう非現実的なエピソードの方が梨木香歩はいい味を出すと(主観だが)思う。

現実的なエピソードとしては、ラストがなかなか切なく印象深い。
一つの国に共に暮らした時間と思い出があるからこそ、ラストの友の「その後」が悲しいのだ。鸚鵡の「友よ」という言葉には熱い意味がこめられている。鸚鵡の使い方の上手さが目を引いた。

好みの『家守綺譚』と比較してしまうため、どうしても評価は辛くなるが、これはこれで良質な作品である。

評価:★★★(満点は★★★★★)


そのほかの梨木香歩作品感想
 『家守綺譚』