「申し分のない」夫と、三十五年ローンのマンションに暮らすリリ。このまま一生、こういうふうに過ぎてゆくのかもしれない…。そんなとき、リリは夜の公園で九歳年下の青年に出会う―。寄り添っているのに、届かないのはなぜ。たゆたいながら確かに変わりゆく男女四人の関係を、それぞれの視点が描き出し、恋愛の現実に深く分け入る長篇小説。
出版社:中央公論社(中公文庫)
心理描写が的確な小説は、読んでいても心地よい。
それは登場人物の思いを読みながら追体験でき、どっぷりと物語の世界に浸ることができるからだ。
だから僕の場合、登場人物にほんの少しでも共感できなかったら、そういった小説をすなおに楽しめなくなる。共感できずとも、興味深いと少しでも思わなければ、物語の世界には没入できない。
そういう点、心理描写が巧みな小説は、好きと嫌いの差が大きくなりがちだ。
『夜の公園』は不倫をし合う男女四人を中心に据えた小説である。
川上弘美特有の淡々としたタッチで、登場人物の心理を直接的に、あるいは間接的に的確に表現している。
個人的な趣味で言うなら、この小説は好きじゃない部類に入る。
それもこれも、幸夫と春名という二人の人物が、個人的に気に食わなかったからだ。
実際、幸夫は少し独善的で卑怯な面があって、それが僕は読んでいていらっとしてしまう。春名は複数の男と関係を持ち、それが原因で人を傷つけてしまっている部分が気に入らない。
そのため、文章は美しく、物語に入り込める要素はあるのに、僕は一歩引いて読んでしまった。
その点は残念としか言いようがないだろう。
だが、何気ない心情をすくい取る、淡々とした川上弘美の文章が、非常に冴えている点は否定できない。
特に僕が興味を持ったのは、リリと春名のパートに共通して出てくるフレーズだ。
「わたし、どうすればいいんだろう」とか「わたし、どこにいるんだろう」、「わたし、どこに行くんだろう」、「どうして、わたしここにいるんだろう」という言葉だ。
そこから僕が感じたのは、リリと春名が共通して抱え持っている、寄る辺のない感情だ。
リリや春名は、基本的に、自分の心のことがよくわかっていない。
リリは自分が夫にどんな感情を抱いていたのかわからないし、春名はこの先どうしたいのか、自分でもよくわかっていないように見える。
そのほかにも二人は、自分の心がよくわかっていないためか、いろいろなことがよく見えていないように思える。
そういった二人の寄る辺のない感情は、たゆたうという言葉がもっともマッチしている。
そして二人はたゆたうばかりで、どこへも行かないし、明確にどこかへ行こうという意志は感じられない。
その雰囲気の描き方はさすがで、共感できないまでも、最後まで読ませる魅力があったのは見事だ。
最終的にリリは、「今わたし、ここにいる」と強く思い、ほろほろと流れる時間の中、子供を産むため未来へと生きていくこととなる。
はっきり言って、その心情に至るまでの過程は、あまり効果的とは思えない。
だけどその一文からは、たゆたうばかりだった感情に、明確な立ち位置が与えられたように見え、力強く映った。
個人的な趣味ではない作品だが、本書の文章と描写、ラストシーンなどはすばらしい。
川上弘美らしい世界を味わえる一品であることは確かだ。
評価:★★★(満点は★★★★★)
そのほかの川上弘美作品感想
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『光ってみえるもの、あれは』