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私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『思い出トランプ』 向田邦子

2007-08-06 22:40:23 | 小説(国内女性作家)


いたずらっぽく明るさもあるものの残忍な性格を持つ妻を描いた「かわうそ」、夫の浮気と妻の心理を描いた「花の名前」など、人間の暗部を描いた13篇の作品を収録。
劇作家としても活躍した直木賞作家、向田邦子の短編集。


すべての作品を読み終えた後で思ったのだが、向田邦子は女性作家のゆえか、日常の瑣末なクセやしぐさの描写が実に上手い。
たとえば、「マンハッタン」という作品には、寿司の上のネタだけを食べる女性が出てくる。それは何てこともないシーンなのだが、実際にそういうことをしそうな人間は現実にもいそうな気がして変なリアリティを感じさせる。そしてその小さなシーンから、その人間の性格や、周りの人間が抱く嫌悪感をさらりと描出している辺りが、なんともすばらしい。
それに「花の名前」には、相手の女性の着付けのゆるさを演技と見破るシーンがあるが、ここもその観察力の上手さに舌を巻く。
こういった些細なシーンを丁寧に描くのは女性作家らしい細やかな観察の結果だろう。そしてそのディテールがあるからこそ、一個一個の作品が虚構の世界とは思えないほど、生々しいものになっていることが目を引く。

加えて丹念な心理描写の描き方によって、人間の暗い部分が立ち上がってくる様も秀逸である。
たとえばこの作品で個人的に一番好きな作品の「かわうそ」。この作品に出てくる妻の厚子はそんなに悪い人ではないし、おもしろみのある人間であるのはまちがいない。だが大事な面が若干足りず、残虐な顔をときどき覗かせる。そこから僕は人間の二面性という暗部を見せられた気がした。その微妙な齟齬がきわめて恐ろしい、と感じた。
また、「男眉」も個人的には好きだ。女性らしいもったりとした感情の変化から、妹に対する憎悪と、憧れが仄見える様が見事である。

ここに収録されている作品はほかにも技術的にも、内容的にも優れている作品が多い。向田邦子という作家の天才性を見る思いがする。とは言え、これだけまとめて読むと、似たような印象を持つものもあるし、いい加減暗い気分になってくることも否定できない。
しかしこの技術の高さは賞賛するほかにないだろう。上手な小説というものを、そして人間の深みというものをこの作品を通して知らされた次第だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『ブラフマンの埋葬』 小川洋子

2007-04-24 20:38:35 | 小説(国内女性作家)


夏のはじめのある日、ブラフマンが僕の元にやってきた。サンスクリット語で「謎」を意味する生き物と僕との短い交流を描く。
小川洋子の泉鏡花文学賞受賞作。
出版社:講談社(講談社文庫)


小川洋子は個人的には好きな作家である。その理由は人間の悪意やエロティックな感覚を、静謐な文章で描き上げていることで、その独特な雰囲気が個人的には好みであった。
そういった傾向は初期の作品によく見られたものだが、本作「ブラフマンの埋葬」の中にはそのような初期作品にあった面はさほど感じられない。
どちらかと言うと、『博士の愛した数式』に通じるものがあり、物語世界そのものが基本的には優しさに包まれている。
当然それは僕の好きな小川洋子の世界とは違うため、どこか物足りないものがあった。

しかし彼女の文章は相変わらず静かで美しくて惚れ惚れする。それに物語自体、けっしてつまらないわけではないので、特にむちゃくちゃ不満を感じることはなかった。

物語は、恐らくは日本ではない、別の国が舞台で、ブラフマンと名づけられた不思議な生物との交流が描かれている。
すべての世界を説明しすぎないようにしているために、具体的にブラフマンがどのような生物かはわからない。しかしそのすべてを説明しようとしないスタイルは、死のにおいが漂い、現実からやや浮遊しているような、この世界に合っている。
具体性を省かれている分、個々の関係性だけが浮かび上がるように感じられた。

「僕」と「ブラフマン」の交流は穏やかなものである。そこには過度の愛情も感じられないし、決して押し付けがましいものがあるとも思わなかった。しかしそこにある関係性の描き方も、人間の描き方もとにかく丁寧である。
その丁寧さゆえに、どこか浮遊したような舞台設定ながら、普遍性を強く感じさせるものがあったのが個人的には印象深い。
特にラストの「ブラフマンの埋葬」の描写は見事だ。事実だけを丁寧に描きながら、そこにある「僕」の悲しみを強く感じさせられる。さすがにそこは小川洋子だと思った。

基本的にスケッチのような物語だが、小川洋子らしさの出た作品である。
小川洋子のベストとは思わないし、他にもいい作品はいくつもあるが、これはこれで好きな人もいるんだろうな、と感じさせられた。

評価:★★★(満点は★★★★★)


そのほかの小川洋子作品感想
 『完璧な病室』
 『博士の愛した数式』
 『ホテル・アイリス』

『二十四の瞳』 壺井栄

2007-03-05 20:24:01 | 小説(国内女性作家)


昭和三年、岬の突端にある小豆島の分教場にやってきた大石先生。彼女が担当するのは12人の教え子たちだった。戦争という激動の時代の中、精一杯生きる教師と生徒たちの姿を描く。
映画化、ドラマ化もされた壺井栄の代表作。
出版社:新潮社(新潮文庫)


特に予備知識もなく読んだために、この有名な作品がこうもストレートに反戦を訴えていることに若干驚いてしまった。小学校時代を中心にしたもっとほのぼのした味わいのものと思っていただけに、意外な思いだ。

もちろん本作の前半部は子供たちとの交流が描かれていて、ほのぼのした味もある。
その中で個人的に目を引いたのは田舎の人間たちの姿である。これがまたリアルで、ゾワッと来た。
望んではいないのだが、僕は田舎に暮らしているわけで、その閉鎖性に日ごろからいらだっている。それだけにこの雰囲気には身に覚えがありすぎて、読みながらわがことのように腹立たしくなってしまった。そのリアルな空気のすくい取り方は特筆ものである。

子供たちとのやりとりが描かれていく中、中盤以降から徐々に戦争の色合いは濃くなっていく。
もちろん重くなりすぎないように、ほのぼのとしたやり取りも挿入されるのだが、戦争について語る言葉はかなりまっすぐだ。それこそ作者が伝えたい言葉だからだろう。それだけに、人を苦しめ死に追いやる戦争と自由に言葉すら吐くことのできなくなっていく時代に対する怒りが直裁的に伝わってくる。特に時代や戦争に対する女性の気持ちが女性作家らしい立場でつづられているのが印象的だ。
そのまっすぐさゆえに、僕の心にもそのテーマ性がまっすぐに響いてきた。

しかし田舎であっても、戦争は平等にこの国を苦しめていたのだな、ということにあらためて気づかされる。戦争下における島の住民の空気と時代の様相を知ることができたのは感銘的だった。
個人的に衝撃的だったのは、戦争少年である大吉の描写だ。名誉の門標の件などはどこか衝撃的ですらある。
当然僕には、プロパガンダで洗脳された少年の気持ちなどわかりっこない。なんでそんなことを思うのか理解もできない。
しかしこれを読むと、そういった少年は現実にいたし、起こっていたということを知らされる。気が滅入る話だ。

戦争を知らない世代に、こういった悲惨なことがあったのだということを伝える上でも、この作品は充分に意義ある作品だろう。小学生以上の子供たちにも読んでほしい。時代を告発する不朽の作である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『ひとり日和』 青山七恵

2007-02-25 16:06:18 | 小説(国内女性作家)


親元を出て、母の知り合いである七十歳近い吟子さんの家に来た「わたし」。バイトをし、恋をし、日々を生きる「わたし」の一年を描く。
第136回芥川賞受賞作。
出版社:河出書房新社


「メッタ斬り」コンビに酷評されていたのでどれほどひどいのだろう、と、ある意味わくわくしながら読んだのだが、思った以上に悪くなくて拍子抜けである。たしかに地味で冗漫な作品とは思うけれど、少なくともけちょんけちょんにけなすほどの作品には思えなかった。

ロー・テンションな物語である。
文章の底にもったりと漂う女性的な、倦怠感すらただよう雰囲気が印象深い。その中で、悪意や思惑や、激しさのない控えめな感情を丹念につむぎ出しており、悪くない。

そういった中から浮かび上がってくるのは、主人公の孤独だろう。
手くせが悪くて収集したものを集める箱を眺めるシーンや、「死にたいな」、と思うシーンなど、様々な場面からそこはかとなく伝わる、ひとりであるということや、やるせないような雰囲気がゆるやかに描かれている。その描写にはわざとらしくなく、技巧的になりすぎてもおらず、さりげないところが良い。
そしてそういって積み重ねていった時間も、日常の暮らしの中で過去となり、埋没していく。そんな予感を感じるラストの電車でのシーンは個人的には好きだ。

絶賛するほどでも、けなすほどでもない、シンプルな佳品といったところだろう。

評価:★★★(満点は★★★★★)

そのほかの芥川賞受賞作品感想
 第128回 大道珠貴『しょっぱいドライブ』
 第134回 絲山秋子『沖で待つ』
 第135回 伊藤たかみ『八月の路上に捨てる』

『家守綺譚』 梨木香歩

2006-12-19 20:24:22 | 小説(国内女性作家)


児童文学の分野でも活躍する梨木香歩の作品。
百年ほど前、庭付き池付きの二階家に住まう作家、綿貫征四郎と、亡友や小鬼、草、花、木たちとのゆるやかな交友を描く。
出版社:新潮社(新潮文庫)


不思議な味わいの物語である。
舞台は琵琶湖の畔の大津あたりだろうが、そこで語られるのは現実と異界との交じり合った世界だ。
死んだ人間は掛け軸から現れ、庭のサルスベリは家に住む売れない作家に懸想する。河童が現れ、狸や狐が化けて人を騙そうとする。
そして一番の不思議はそのことを誰も不思議な奇妙な現象とも思っていないことだ。湧き起こる現象をすべてあるがままに受け入れて、物語は展開する。それが実におもしろい。

舞台は明治に設定され、小道具等も含め和のテーストで彩られている。そしてその風景が読んでいても心地よかった。
むかしの日本で普通に見られたかのように語る風景。その展開や詩情を感じさせる豊かな自然の描写によって、美しい景色が目の前に広がってくるようであった。
物語の中に吸い寄せられるような心地すらした。

全体を貫くストーリーというのはこの中に存在しない。だが、それが逆にこの作品集の良さを高めているような気がする。
短編一編一編に深く意味を付けようとしない。それゆえ描かれた光景が味わい深くなってくる。さながら連続している散文詩を読んでいるような感覚である。

僕はこの作品は結構好きかもしれない。
手にとって開いたページの一編を楽しむ。そういう感じで読んでみたい、そんな作品集である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『光ってみえるもの、あれは』 川上弘美

2006-12-12 21:43:38 | 小説(国内女性作家)


ああ、やっぱり僕ははやく大人になりたい。友がいて、彼女がいて、規格はずれの家族がいる16歳の高校生、江戸翠の春から夏の日々。
『センセイの鞄』などを手がけた川上弘美の青春小説にして、家族小説。
出版社:中央公論新社(中公文庫)


本作の16歳の主人公、江戸翠は母と祖母の母子家庭に育っている。それだけなら普通だが、たまに父親が遊びに来るという点がいくらか規格はずれの家庭と言えるだろう。

そんな本書で、まっさきに誉めるべき点といえば、家族と主人公を描き取る文章にある。
川上弘美独特の淡々とした語り口が、少年の一人称にもうまくはまっているのである。その文体によって、少年の目線や心理が、非常にセンシブルなものになっている。しかも無駄な言葉がほとんどないだけに、一文一文が深く心に響いてくる。
短い言葉で的確に、人の心理を描写し、重要なことを伝えていく作者のセンスは本当に鮮やかだ。文章の繊細さに、ぞくぞくしてしまう。

そしてその淡々とした文体が、シーンの印象をより深いものにしている。
たとえば佐藤さんと母の寄り添い方が自然であったことに動揺するシーンや、大鳥さんが謝らなかったことで、うやむやのまま許し許されることにならず助かったと思うシーン、ココロボソイんだよ。と平山水絵が言うシーンや、彼女が島まで来て少し緊張している描写などは見事だ。
それらのシーンは実に淡々としている。だけど、そこには静かな叙情が流れており、描かれた心理描写と相まって、引き込まれるものがあった。

プロットも、文章と同様淡々としたものだ。
一応、本作は成長小説ってことになるのだろう。
自分なりに考えてそれに対して自分なりに結論付ける行為をくりかえすことが成長というのなら、翠はちゃんと成長をしている。
しかし成長しましたって、読み取ること自体にはきっと大した意味はないだろう。
淡々と生き、日々悩みながら生きていく。その姿を眺め慈しむことこそ、本作の味わいなのではないだろうか。

まとまりを欠いたが、本作は、川上弘美のすごさと、その小説のおもしろさを再認識できる優れた作品ではないかと僕は思う次第だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『グロテスク』 桐野夏生

2006-10-24 21:56:50 | 小説(国内女性作家)


「OUT」や村野ミロシリーズなど現代女性の生を描く桐野夏生の、東電OL殺人事件をベースにした作品。泉鏡花文学賞受賞作。
その美貌ゆえ男性遍歴を重ねるユリコ。競争意識丸出しで階級社会に溶け込もうとする和恵。やがて同じQ女子高にいたユリコと和恵は娼婦となり殺さる。妹ユリコに憎悪を抱いていた「わたし」の語りを中心に描く。
出版社:文藝春秋(文春文庫)


正直、どんな感想を書いていいのかわからない。本作は確実に何かを心に打ち込んだのだが、言語化するのが難しい。僕個人の読後第一印象はそんなところだ。
ただ強く思ったのは、本作は「グロテスク」というタイトルにふさわしい作品だったといった点である。本作は実に恐ろしく生々しく、人間の、主に女性の暗部を徹底的に突き詰めた話であった。

語り手の「わたし」にはユリコという美貌の妹がいて、その妹や他者に対する悪意を語り始める。
目を引くのは彼女が在籍しているQ女子高の生々しいくらいの悪意の描き方だ。他者を徹底的に差別する生徒たちの姿、その人間のもつ醜さに対する描きこみが実に丹念である。

その中で生き抜くには人はどうすればいいのだろう。
たとえば、ミツルは勉強することを武器とし、「わたし」は悪意を武器にしようと試みている。だが「わたし」に関しては、僕個人の印象から言うと、自分を格好よく言っただけでしかないという風に思った。語り手である彼女は可能な限りそのことを隠そうとはしているが、現実にはコンプレックスの塊で、ひがみを抱えて生きている弱い女でしかないからだ。
本作は「わたし」以外にも、真実を隠そうとしている語り手が登場する。あるいはそういった悪意に満ちた階級社会の前では人は嘘をつくことでしか、身を守ることができないという事実の裏返しなのかもしれない。

さて、本作のある意味、メインと言える部分は和恵かもしれない。彼女にはほかに選択肢はなかったのだろうかと読んでいる最中何度も感じた。
必死で差別されている感覚から逃げようと思っても、彼女は決して他者の視線を獲得できていない。そんな和恵の姿は、最後の手記ではないけれど、可哀想としか言いようがないものがあった。
排除され、そこから抜け出そうと彼女なりの方法を取ったものの、その過程で致命的にバランスを崩してしまう。それでも大抵の人はもっとニュートラルな立場を獲得することだってできたはずだ。
しかし和恵に関してはそれができなかった。そこには悲壮さも滑稽さも越えた絶望的な姿しか見えない。
そしてそれゆえに読み手の側も、和恵の、そしてその他の女たちの姿に、重々しいとしか言いようのない何かを見出すのである。

何かまとまりを欠いてしまったが、この作品は実に優れた作品だ。桐野夏生のベストとは思わないけれど、ベターな作品である。一読の価値はあるだろう。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『しょっぱいドライブ』 大道珠貴

2006-09-18 07:57:04 | 小説(国内女性作家)


三十代の女性と六十代の男性が車に乗って重ねるデート。二人の微妙な恋愛模様が浮かび上がってくる芥川賞受賞作。


表題作の「しょっぱいドライブ」は主人公の一家に常に金をたかられている九十九という老人と三十代女性の物語である。
この作品で目を引いたのは女性の心理の描き方だ。主人公が九十九に求めるのは、感情や生活といった現実的な心の安定であり、その様は何とも打算に満ちている。そして九十九と関係を持ちながらも実はむかしの男のことを忘れられない。
乱暴に要約すれば、妻という立ち位置と、恋人という立ち位置の間に揺れ動いているという状況だ。
そういう観点からすると、この作品は、いかにも三十代女性の話としてはふさわしいだろう。「しょっぱいドライブ」というタイトルがうまく生きた設定と言える。

だけど、その展開や構図は、いかにも芥川賞を狙って書かれているという気がして、読んで僕は興醒めしてしまった。それに僕が男性のためか、この種の設定は構図的にはおもしろくとも、心に訴えるものをほとんど感じることができなかった。

個人的には、まだ併録の「タンポポと流星」の方が楽しく読めた。ただし比較級の話でしかなく、二人の女性の微妙な関係の様がそれなりにおもしろかったもののそれ以上ではない。

この作品集は単純に僕とは肌が合わなかったようである。

評価:★★(満点は★★★★★)

『夜のピクニック』 恩田陸

2006-09-12 21:38:58 | 小説(国内女性作家)


全校生徒が夜を徹して歩き通すという伝統行事、歩行祭。学校生活の思い出を親友たちと語り合いながら、甲田貴子は小さな賭けを胸に秘めて望んでいた。
第2回本屋大賞を受賞した恩田陸の代表作。


恩田陸を読むのは、本当に久しぶり、数年ぶりってレベルだ。なので忘れかけていたのだけど、恩田陸という人は高校生のような、ティーンエイジャーの人物を描くのが抜群に上手い。本当に感嘆する。

この作品は高校の行事を主題に置いている。そのため、主な登場人物は高校生だ。
その中に出てくるどの登場人物も実に魅力的で、いきいきとしているのが。心理描写も含めて、キャラがとにかく立っている。人物の造形、そしてその動かし方も含めて、最初から最後までひきつけられてしまった。

たとえば忍みたいにクールそうに見えて、実は熱いものを底に抱え、しかも友達のために適切な言葉を口にする奴。美和子みたいに賢く行動できる女性。他にももちろん貴子もいいし、融も杏奈もそれぞれが魅力だ。
そのキャラの造形の確かさとリアルさはどうだろう。自分たちの周りにもこういう奴がいそうだという感じが読んでいてしっかりと伝わってくる。その手応えにはただただ舌を巻くばかりだ。

筋だけを聞けば、本作は実に大したことはない。一日中ひたすらに歩く。ただそれだけだ。
しかしその中で友人たちと行なわれる会話、たわいない話、そしてそれぞれの悩み等が飽きさせない形で提示されていて、それぞれの心理や些細な葛藤を通して青春小説としての輝きを成しているのが何よりも印象深い。
そしてそういった小さな積み重ねがあるからこそ、メインである貴子と融の心の距離が縮まっていく過程が丁寧に、それゆえ鮮やかに浮かび上がってくる。その様は心震えるものがある。

  賭けに勝ってしまった。
  貴子は興奮しながら、コーヒーの残りをぐびりと飲み干した。

という文章のときには読んでいて、貴子と同じように興奮しどきどきした。それに、ラスト近く、二人で会話をするシーンには、その美しさに淡い感動を覚えた。

そして本作はそのように青春小説としてすばらしいのみならず、成長小説としても一級の出来となっている。
特にラストでの融が気付いていく姿は感動的である。
杏奈が作中で言う言葉ではないが、みんなで夜を歩くだけなのに、それが融や貴子なりの心の内側に一つの大きな何かを生み出していく。その奇跡めいた展開に素直に感嘆し、感動し、感慨にふけることができる。
こういう作品をこそ傑作と呼ぶに足るのだろう。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

『神様のボート』 江國香織

2006-07-25 20:24:56 | 小説(国内女性作家)


女性を中心に人気を集める江國香織の恋愛小説。
昔、骨ごと溶けるような恋をし、消えた男を待つ母葉子とその傍らで成長する娘草子の旅の物語。


江國香織は苦手な作家だ。確かに彼女の小説はうまいと思うし、文章も美しく感性も優れている。人気の出る理由は充分にわかる。
だけど、僕は彼女の小説を読んでも心になじむことはなかった。理由はうまく言えないけれど、どうもそのあまりに女性的な世界観が男性の僕にはピンと来ないというのが大きいのかもしれない。
そんな僕だが、江國作品の中でもこの作品は極めておもしろいと思ったし、心に訴えるものがあった。

物語は母と娘の話である。
母である葉子は昔の恋に溺れ囚われ縛られて、旅がらすのような人生を続けている。そんな母と共に生きるのが娘の草子だ。
本書は二人の人称が交互に現われ、両方の視点から物語は進んでいく。

多分葉子のほうだけで話が展開されたら、ここまで面白いと感じなかったろう。
葉子の感情は理性的には理解できる。そういう恋もあるだろうとは思う。しかし僕には、いつまでも幻想のような恋の記憶に溺れ、「現実」から逃れる姿に、感覚として納得しきれないものがあった。そのためどうしても半分批判的な視線を送ってしまいがちで共感とは程遠くなってしまうのである。
僕はこの先何年生きても、大恋愛はできないタチかもしれない。

しかし草子の視点を配置されたことで、僕でも共感を覚えることができた。はっきり言って本書は草子と同じ視点で物語の世界を味わっていたといってもいい。
成長していくにつれ、ゆっくり草子は自己主張を開始する。その成長の過程で生まれる感情は僕レベルでも充分に伝わってくる。「別に」という言葉を使う感覚、母に対する反発、母親が傷付いているのを見て覚える悲しみ、苦しみはなかなかリアルだ。特に寮に行くといってからの感情の揺らぎはどこか切なげで胸に迫るものもあった。その繊細な感情の機微がありありと感じられるのが心地よかった。

これは僕の思い込みかもしれないけれど、僕と同じように江國作品が苦手な男性読書はそこそこいると思う。だがこの作品はそんな人でも、というか明らかに万人に受ける作品だと思う。
僕が言うまでもないけれど、江國香織はやはり優れた作家だと再確認できる作品だ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『イッツ・オンリー・トーク』 絲山秋子

2006-06-08 19:18:00 | 小説(国内女性作家)


「沖で待つ」で芥川賞を受賞した絲山秋子の文学界新人賞受賞作。
蒲田に引っ越してきた女性がEDの議員、鬱病のヤクザ、痴漢、元ヒモの居候といった個性的な面々と触れ合い、別れていく日常を描く。


この手の日常系小説は感想を述べるのが難しい。とらえどころがないからだ。しかし、どこか切なさの混じったラストと押し付けがましくない展開はさすがにうまく、読後感は決して悪くはない。
特に本作に登場するアクの強いキャラの面々との繋がりの描き方はなかなかのものがある。そのキャラクターたちと主人公とは深い関わりというほどのものはない。つかず離れずで表層的な関係を積み重ねているように見える。
しかしそのつかず離れずの中から、それぞれの人生に対する暗さみたいなのが仄見えてくる。デビュー作だが、このうまさはなかなかのものだ。

しかしそういった点を認めても、何か物足りないという印象はぬぐえない。軽く読めるし、読後感も悪くない。だけどどこにも強く引っかかるところはない。
それが絲山の良さであり個性ではあるのだけど、やっぱり+αはほしい様な気がする。高望みなのだろうか。

個人的には併録の「第七障害」の方がお気に入りだ。シンプルでわかりやすく、過去に対する決別と恋愛になる前の心を丁寧に描いていて、好印象である。

評価:★★(満点は★★★★★)

『プラナリア』 山本文緒

2006-04-12 20:37:11 | 小説(国内女性作家)


乳がんの手術以来、社会復帰できない無職の女性を描いた表題作をはじめ、5本の作品を収録した短編集。
第124回直木賞受賞作品。


直木賞と芥川賞の境界が曖昧になっているとは聞いていたけれど、こういう作品を読むと、本当にそうなのだと実感できる。少なくとも、僕はこの作品が芥川賞作品であると言われても不思議には思わなかったろう。
前回芥川賞を取った絲山秋子といい、文学とエンタメとを分けようとする行為自体、こういった作品には当てはめることができないのだな、と感じる。

この作品集には、決して性格の良い人間ばかりが登場するわけではない。
例えば表題作の「プラナリア」。
主人公は自分の不幸をこれ見よがしにひけらかし、その状況に甘え、いろんなことから逃避しようとしている。本人にもその自覚はあるのだけど、自分を変えようと積極的に思っているわけではない。
多分、読者の多くはこのキャラに共感を覚えることはないだろう。でも現実にこういう人間はいるわけで、その描き方のうまさと切り取り方のうまさにただただ感嘆した。実に見事な作品というほかにない。

個人的には「ネイキッド」がこの作品集の中では気に入っている。
主人公の自尊心や自意識やその心の弱さの描き方、チビケンと私の思いの対比が実に鮮やかだ。

山本文緒を読むのは今回が初めてだったのだけど、極めてお話作りの上手い作家だな、という印象を強く残した。他の短編も実に読み応えがあり、文句なしに楽しむことができた。
ぜひとも彼女の他の作品も読んでみたいものである。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『沖で待つ』 絲山秋子

2006-03-08 23:10:57 | 小説(国内女性作家)


第134回芥川賞受賞作。
住宅機器設備メーカーに勤める女性と同期の男性との恋愛とも友情とも違う関係を描く。
芥川賞候補になった「勤労感謝の日」を併録。


絲山秋子の作品を読むのは初めてだが、この人は日常の一面を切り取るのが上手い人だなというのが第一印象である。

表題作は同期入社した男女の話だ。
僕の同期に女性はいないけれど、「私」と「太っちゃん」の関係はすごく理解できる。僕の場合で言えば、同期との関係は友情でもあると同時に、友情とは違った連帯感を感じることがある。それは多分、他の人でも、そして男と女であっても割に一緒だろうという気がする。いや、男と女だともう少し微妙になるだろうか。
本作の二人は、恋愛関係というほど深い関係でもなく、友人関係というほどプライベートに踏み込みあっているわけでもない。しかし一緒に飲んだりするし、そして同期だから通じ合える心理というものはある。社会人をやっている分、そういった微妙な、しかし確かな繋がりというものは、まるでわが事の様に理解することができる。
正直言って短くて物足りない面もあるのだけれど、この雰囲気とリアルさは見事としか言いようがない。上手い作家だという印象を抱いた。

本書に併録の「勤労感謝の日」もお勧め。
いわゆる「負け犬」のぶちまけるような勢いのある文体が心地良い。個人的には表題作より、こっちの方が好みだ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

『ホテル・アイリス』 小川洋子

2006-03-05 00:10:10 | 小説(国内女性作家)


少女と老人が共有する閉鎖的なエロティシズムの世界。小川洋子が「博士の愛した数式」とは全く異なる世界を描く。


老人と少女の恋愛の話である。

しかし、その愛し方は人とは異なっている。少女は老人に虐げられることによって、快感を得て、繋がりを感じているからだ。その世界は究極といっていいくらいに、徹底したマゾヒズムに貫かれている。
例えば、ひもが体に食い込むことで快楽を見出し、自分の醜さを見ては喜び、首を絞められることで陶酔に至る。そんな少女の姿は狂気的ですらある。

また、この物語の後半で、舌のない若い男というものが登場するのだが、そこで安直なドラマツルギーに走るのではなく、それをすら老人との快楽の道具にする少女の徹底ぶりにはさすがに寒気を覚えた。

当然のことだが、二人の関係が歪んでいることは否めない。しかしそんな暴力を含んだ関係にも関わらず、二人が互いに抱いている感情は間違いなく恋愛感情である。
正直言って、僕はそんな少女の感情や行動には共感もできないし、理解もできない。しかしだから読む気がなくなるということは決してなかった。
それは少女の感情を精緻に、繊細に、耽美的に描ききった小川洋子の文章による所が大きいだろう。この万人に受けるとは思えない世界をこれほど美しい世界に仕上げたのはさすがである。

この文章と、歪んではいるが確固としたエロティックな世界を味わうだけでも読む価値はあると思う。

評価:★★★(満点は★★★★★)

『完璧な病室』 小川洋子

2006-01-19 23:40:06 | 小説(国内女性作家)


小川洋子の初期作品集。デビュー作の「揚羽蝶が壊れる時」や、芥川賞候補にもなった「完璧な病室」、「冷めない紅茶」、「ダイヴィング・プール」の計四作品を収録している。


この作品集には、悪意とグロテスクさが感じさせるものが多い。しかしそれを描きながらもいやらしさはなく、むしろそれとは真逆の静謐感さえ漂っている。そしてプラスして、世界観そのものがどこかエロティックですらある。

例えば表題作「完璧な病室」でチョコレート嚢胞とシチューをダブらせるシーンはどうだろう。
シチューを食べる夫にチョコレート嚢胞という言葉を口にするあたりは淡々としながらも、あまりに肉感的でそれゆえグロテスクに映る。そして同時に冷えた悪意を感じ、読んでいて恐ろしさを感じた。一読忘れ難いシーンだ。

また「ダイヴィング・プール」では嗜虐者の悪意が描写されていて、印象深い。
残酷な行動と感情を冷静に描く辺りはかなり良いが、それにプラスして純の肉体に関するエロティックな描写と、いとおしいという感情の描き方は、残酷さとはあまりに対称的であるがゆえに更なるゾクゾク感を呼び起こすものがあった。

「博士の愛した数式」の小川洋子の方が世間一般では受けるのだろう。けれど、こちらの世界観こそが小川洋子の良さであると個人的には思っている。

評価:★★★★(満点は★★★★★)