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私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

「そして、私たちは愛に帰る」

2009-03-01 09:07:44 | 映画(さ行)

2007年度作品。ドイツ=トルコ映画。
ドイツ、ブレーメン。妻を亡くたアリは、同じトルコ出身の娼婦イェテルと出会い、一緒に暮らしてくれるよう依頼する。大学教授の息子ネジャットは、金に物言わせようという父のやり方をあまり良くは思っていない。だが、イェテルが稼いだ金を、トルコの娘の教育費として送金しているのを知り、気のいいイェテルが好きになる。 しかし、突然訪れるイェテルの死によって、父と息子の距離はさらに遠くなる。ネジャットはイスタンブールに渡り、イェテルの娘、アイテンを探す。
監督は「愛より強く」のファティ・アキン。
出演はバーキ・ダヴラク。ハンナ・シグラ ら。


何が良いと、具体的には言えないけれど、何とはなく良い、と思える作品というものが存在する。
いくらか自意識過剰でイタい邦題の、この作品もその一つだ。

描かれるテーマは家族といったところだろう。
ここでは3組の親子が登場するが、その3組はある部分では表層的に、ある部分ではまったく無関係なまま、そしてある部分では深く作用しあってつながっている。

そこから立ち上がってくるのは普遍的な家族の姿だ。いくつかの問題や衝突など、個人的な事情は違えど、最終的に相手のことを思いやるという近しい者同士だから起こる感情が浮かび上がってきている。

その描写に、押し付けがましいところがない点が興味深い。家族の間に起こる対立や様相を、適度に距離を取りながら、過度に同情するでも、反発するでもなく、なるべく中立的な視線で描き続けている。
その中立性ゆえに、いくらか物足りない面もないわけではないが、心地良さがあることも事実だ。

その淡々としたあるがままの描写のゆえに、画面を通して繊細な雰囲気もにじみ出ており、なかなか良い。
地味ではあるが、それなりの佳品といったところだ。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


製作者の関連作品感想
・ファティ・アキン監督作
 「愛より強く」

「その土曜日、7時58分」

2009-01-14 20:40:44 | 映画(さ行)

2007年度作品。アメリカ=イギリス映画。
一見、だれもがうらやむ優雅な暮らしをしていた会計士のアンディは、離婚し娘の養育費もまともに払えない弟ハンクに企てを持ちかける。それは、実の両親が営む宝石店への強盗計画だった。その土曜日、7時58分。だれも傷つけるはずのなかった完全犯罪は、たった一つの誤算をきっかけに悲劇の連鎖へと姿を変える。
監督は「十二人の怒れる男」のシドニー・ルメット。
出演は「カポーティ」のフィリップ・シーモア・ホフマン。「トレーニング・デイ」のイーサン・ホーク ら。


おもしろく、そして後味が悪い。
それが本作を見終わった直後に思ったことである。一応両方とも誉め言葉だ。

おもしろいと感じた点はやはりプロットの組み立て方にある。
兄弟が起こした強盗殺人事件がどんどんとやばい方向へと転がっていく過程はきわめてサスペンスフルで、序盤から画面に釘付けになってしまう。
自業自得とも言っていい二人にはまったく同情はできないけれど、その転落の様子や、ミスによりどんどん袋小路に追い詰められていく過程は丁寧に組み立てられているし、伏線も周到に張られていて驚くばかりである(個人的には麻薬の売人の使い方が優れていた、と思う)。

そしてそのプロットは俳優の演技力によって、さらに力を発揮していたように思う。
特にフィリップ・シーモア・ホフマンがすごい。ラスト近くで、エゴの塊のような殺人者に変わっていくが、その狂気の表情の恐ろしいこと。
イーサン・ホークもなかなかいい味を出していて、頼りない弟を熱演している。

そしてそのような二人の男の転落から、家族の関係性が浮上してくる様が実におもしろい。
父と長男と次男、そこにある関係性は表面的に見るだけ以上に複雑なのだろう。
長男アンディは父を恨み、父は次男ハンクを愛して、長男にはつらく当たっている。そして多く語られないけれど、そのため、多分アンディはハンクに対して嫉妬をし、多分次男ハンクは有能な長男に対してコンプレックスを持っている。

その人間ドラマの複雑さが愚かしく、どこか悲しく、そしてその関係ゆえに、復讐のため父が息子に手をかける過程があまりに後味が悪いのだ。
多分あのとき病院に運ばれたのがハンクだったら、たとえ妻の死に絡んでいたと知っても、父は殺人を犯さなかっただろう。長男のアンディを殺したのは、主犯だからという以上の理由があるように見えてならない。
アンディがハンクに銃口を向けるシーンも、それまで積み重ねられた兄弟のかくされた感情の表出とも見え、憐れでならない。

人間は多分ちょっとしたことでどこまでも愚かになれるのだ。そんなことをこの映画を見ると思ってしまう。
それはわざわざ突きつけられるにはあまりに苦々しく、ペシミスティックだけれども、一つの真理ではある。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)


出演者の関連作品感想
・フィリップ・シーモア・ホフマン出演作
 「M:I:III」
 「カポーティ」
・マリサ・トメイ出演作
 「さよなら。いつかわかること」
・アルバート・フィニー出演作
 「ボーン・アルティメイタム」

「12人の怒れる男」

2008-10-11 08:15:02 | 映画(さ行)

2007年度作品。ロシア映画。
ロシアの養父殺しの容疑がかかっているチェチェン人少年の裁判は、当初は明らかに有罪だと思われていた。しかし、いくつか腑に落ちない点に気付いた1人の陪審員が、ほかの陪審員に疑問を投げ掛ける。無罪の可能性が浮かび上がってきたことから、審議の場は二転三転していくが…。
シドニー・ルメット監督の「十二人の怒れる男」を現代ロシア版にリメイク。
監督は「太陽に灼かれて」のニキータ・ミハルコフ。
出演はセルゲイ・マコヴェツキイ。ニキータ・ミハルコフ ら。


映画などで古い作品をリメイクする以上は、リメイクをするに足る理由が必要だ。何しろオリジナルがあるのだ。同じ作品ならば、新しい作品ではなく、オリジナルを見ればすむだけのことだ。
そのために、たとえば物語に新しい視点を盛り込んだり、展開を真逆にするなど、少なくとも冒険をしようという意志だけは注がねばならない、と僕は思っている。「椿三十郎」のように、古い作品をトレースするだけなどは問題外だろう。

そういう意味、この作品は古い作品のリメイクながら、そこに現代ロシアを浮かび上がらせるという手法を取っており、新しい視点を持ち込んでいる。リメイクする以上、それくらいはしなければなるまい、という見本のような作品だ。

旧作はだいぶ前に見たので、忘れてしまったが、基本的な物語構造は一緒だ(と思う)。
しかし各階層の人間が集まる陪審員制度だからこそ、立ち上がってくるロシアに対する問題意識がおもしろい。チェチェンに対する差別や、自由化された後も修繕されていない学校、不正の蔓延や、旧体制側だったからといって報われているわけではないといった事実の積み重ねから、現代ロシアの矛盾が立ち上がってくる。勉強にもなるし、作り手の姿勢も伝わり好印象だ。

特にすばらしかったのはラストの採決だ。
あれは自由主義に対する皮肉であり、共産主義と自由主義の価値観の相克と見たがどうだろう。
若者を釈放することだけが必ずしも幸福を呼ぶとは言えないロシア社会の中で、自由を与えるということが持つ重たさがよく伝わってくる。
自由というのは吹雪の中に鳥を放つようなものなのだろう。それに耐えて、ときに好意的な人たちの力を借りて、人は生きていくほかないのかもしれない。そんなことを映画を見て、僕は思った。

2時間40分は少々長くはあるけれど、ともかく見応えのある一品である。

評価:★★★★(満点は★★★★★)

「白雪姫」

2008-09-28 08:21:37 | 映画(さ行)

1937年度作品。アメリカ映画。
森の中の大きな城に住む女王は毎日魔法の鏡に「この世で一番美しい者は?」と問いかけていた。ある日鏡は、白雪姫の方が美しいことを告げ、怒り狂った女王は、白雪姫を殺そうとする。なんとか難を逃れた白雪姫は、森の奥の小さな小屋に住む7人の小人に助けられ楽しい時間を過ごす。それを知った女王は、リンゴ売りのおばあさんに化けて白雪姫を殺そうと近寄った。
監督は「バンビ」のデヴィッド・ハンド。
声の出演はアドリアナ・カセロッティ。ハリー・ストックウェル ら。


白雪姫を見たことがなくても、それがどんなストーリーか知らない人は少ないだろう。
裏を返せば、誰もが理解できる程度に単純な話だといえる。継子いじめの構図といい、七人の小人と出会って幸福に過ごす時間といい、毒リンゴにあっさりだまされる典型的なお姫様の図といい、最後のキスといい、むかしはいざ知らず、いまの視点から言えば基本的にすべてはベタで、ツッコミどころだって満載だ。
しかし、だからつまらない、ということにならないのが、この「白雪姫」のすごいところだろう。

まず賞賛すべきはその絵の美しさだ。特に白雪姫を始めとする人間たちの何とスムーズな動きだろう。アニメーションだというのに、それを感じさせないほどのなめらかさには舌を巻く。

またアニメーションらしいデフォルメされた、動物や小人たちの動きには躍動感があり、その点も見事というほかにない。彼らの動きにより、全般的に映像の中には楽しい雰囲気が出されている。
森に逃げ込んだ白雪姫が(このときの恐怖を覚える描写もすばらしい)、動物たちと親しくなるシーンの明るい雰囲気は見ていて幸福な気分になるし、歌いながらの家事も微笑ましくノリノリな気分になることができる。
もちろん動物だけでなく、コミカルな小人たちの描写も見事だ。
有名なハイホーの歌といい、後半の楽しいダンスと歌のシーンといい、小人たちのキャラクターが前面に出ており、うきうきとした気分で映像を体感することができる。

この雰囲気をつくり出したセンスは並大抵のものではない。すでに公開から60年以上を経過しているのに、まったく古さを感じさせず、いまでも映画関係者にとっては見習うべき点が多いのではないだろうか。
ベタであっても、センスと技術でここまで傑作に成りうるかととにかく驚くばかりだ。
名作と言われる理由も納得のすばらしい作品である。

しかしこの作品が公開された1937年は、日本が日中戦争という泥沼の中国戦線に足を踏み入れていた時期だ。これだけのものをつくりうる余裕のある国にそりゃ勝てるわけないよな、とつくづく思う次第である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

「接吻」

2008-06-29 08:51:38 | 映画(さ行)

2006年度作品。日本映画。
都内の会社に勤めるOLの遠藤京子は幼い頃から周囲に馴染むことなく孤独な日々を送ってきた。そんなある日、テレビから流れてくる一家惨殺事件の犯人逮捕のニュースに映し出された坂口秋生の笑顔に直感的に自分と同じ孤独と絶望感を見いだし、急速に犯人坂口に惹かれていく。
監督は「ありがとう」の万田邦敏。
出演は「恋愛寫眞」の小池栄子。「八つ墓村」の豊川悦司 ら。


この映画を見ていると、附属池田小の事件よりも時期的な関係か、秋葉原の通り魔事件を思い出してしまう。
もちろん事件の状況や主人公を取り巻く環境はまったく異なるけれど、いくつかの面では共通する部分がある。僕が見た共通点は孤独に対する感覚と、社会の下層にいるという意識だ。

小池栄子演じる主人公は要領よく立ち回ることができず、他人から仕事を押し付けられがちだ。そのためか、他人から見下されていると思いこみ、他者に対して心を頑なに閉ざし、ときに攻撃的な感情を相手に向けている。
中盤で、他人から死ぬんじゃないか、と思われる気持ちがわかるか、というセリフがあるが、そこには主人公の自意識が仄見えるようで、興味深い。幾分コミュニケーション能力に欠けた彼女の行動は基本的に、そんな自意識に由来していると僕は思う。
そんな彼女に対して、やや異常だと感じる部分はあるが、僕も少なからず似た部分があるので、理解できなくはない。ただし共感はできそうにないが。

そんな彼女はテレビの中に、自分と似た相手を見つける。殺人犯でもあるその男こそ、自分の理解者だと思った彼女は徹底的に行動し、最後は男と結婚するに至る。
彼女の、理解者ができたという喜びと、自分は彼とだけ理解し合っていればいいという閉じた意識は、自己本位で、あまりに周りが見えていないという風に僕には映る。

実際、ものごとは主人公の思い通りに進まない。
男は彼女と出会ったことで、心に変化が起き、人を殺してしまったという意識に悩まされることとなるからだ。男も彼女と同様、人に理解されなくてもいいと思っているかもしれない。だが、本質的には強い男ではなく、他者を完全に拒絶することができない。
両者の思いのすれちがいが何とも皮肉だ。

だが女はそんな男の変化に気付こうとはしない。
後半で、女は留置所にいる男を相手にブランコに乗った話を無邪気にするシーンがある。僕はこのシーンを見たとき、この女性がかわいそうに見えてならなかった。
そのシーンは男と女のダイアローグのふりをしている。だが、手紙を書いているときと同じく、結局女のモノローグでしかない。
彼女は理解者ができたと思っているが、それは錯覚でしかない。彼女は誰にも理解してもらえていない。彼女は自己愛に溺れているだけで、理解者と思っていた男を、要は他人の存在をちゃんと理解してはいなかった。
その様子がそのシーンからありありと伝わってくるだけに、見ていてどこか痛々しいものがある。

しかしラストの刺殺シーンでの男の表情からして、少なくとも男にとって、女の自己愛の入り混じった愛情は救いになったのかもしれない。人生や人の心の関係というものはよくわからないものだ。

ラストの接吻は解釈がわかれそうだ(えっ、そっち? と思ってしまった)。
僕は、理解者はいないという絶望と、それでも誰かに理解してもらいたい、という意識から、弁護士と接吻したと思ったが、どうだろう。そしてその接吻こそ、いつかは彼女にも殺人犯の男のように、救いがもたらされることを示唆しているのかもしれない。

何かまとまりがなくなってしまったが、いろいろなことを考えさせられる力作であることは確かだ。個人的にはドツボの作品である。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)


出演者の関連作品感想:
・豊川悦司出演作
 「椿三十郎」(2007)
 「日本沈没」
 「フラガール」

「JUNO ジュノ」

2008-06-21 19:06:00 | 映画(さ行)

2007年度作品。アメリカ映画。
16歳の秋、ジュノは友だち以上恋人未満のポーリーと興味本位でした1度きりのセックスで妊娠してしまう。突然降りかかってきた妊娠という大きな壁、親友のリアに相談する。両親にどう伝える? ポーリーとの関係は? 生むべきか生まざるべきか、それとも・・・。
監督は「サンキュー・スモーキング」のジェイソン・ライトマン
出演は「ハードキャンディ」のエレン・ペイジ。マイケル・セラ ら。


この映画の主人公ジュノは非常に特徴的な女の子だ。
まじめな場面で茶化した言葉を言ったりとやんちゃな面があり、明るくて元気いっぱい。よく言えば個性的、はっきり言ってしまえば、世間の感覚とずれていて変わっている。
しかしそんなジュノの明るさは魅力的でもあり、映画を見ていると、彼女の姿に微笑みすら湧いてくる。エレン・ペイジもそんなジュノを上手に演じている。

そんな彼女が予定外の妊娠をするのだが、ツメの生えた胎児の中絶に恐怖を感じたため、生んでよその理想的なカップルにあげようと計画する。
そのストーリーの流れはおっさん手前の僕からすれば、「いやいや、いいの?」とつっこみたくもなるのだが、あっけらかんとした子どもっぽさを残した彼女のキャラにはまっているとも言えなくはない。

ストーリーそのものは、その生む→あげる、という流れにつっこみを入れたくなったために、必ずしもはまりきれなかったきらいはある。ラストのラブソングも、30なりたての男性の目にはそれってどうよ、と思ってしまう。

しかしシリアスになりやすいストーリーを明るく描き上げたセンスはなかなかのもの。
それに大人の夫婦のすれちがいや、頼りない男性陣に対し、たくましく生きるガーリッシュなパワーの描写には説得力がある。
いくつか問題点もあるが、これはこれでありかもしれない。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


制作者・出演者の関連作品感想:
・ジェイソン・ライトマン監督作
 「サンキュー・スモーキング」

「さよなら。いつかわかること」

2008-06-20 21:01:00 | 映画(さ行)

2007年度作品。アメリカ映画。
シカゴに住むスタンレーには長女ハイディと、次女ドーン、そして陸軍軍曹でイラクに単身赴任中の妻グレイスの家族がいた。ある日、グレイスが亡くなったという報せがスタンレーの元に届く。突然の訃報に途方に暮れるスタンレーは幼い娘に真実を告げることができず、衝動的にフロリダにある遊園地まで行くことにする。
監督はこれが初監督のジェームズ・C・ストラウス
出演は「ハイ・フィデリティ」のジョン・キューザック。シェラン・オキーフ ら。


この映画で描かれる父娘の姿を、僕は大変好ましく感じた。
妻を亡くし、混乱しているためにちょっと頼りなく見える父親と、しっかり者だが妹と戯れる子どもっぽさも持った姉、そして無邪気でやんちゃな妹という三人の姿は誰もが愛らしく、彼らに寄り添うようにして映画の世界に浸ることができる。

そんな家族の関係性の描き方はとにかく丁寧だ。
家族のつながりを感じさせるエピソードを、こまごまと静かに積み重ねることで、父と娘が互いを思いやっている姿が伝わってくる。その情景は心に深く沁み入ってくるものがある。
混乱しながらも、娘を思う父親の姿は真摯で胸を打つし、真相をそれとなく察しながら、父を気遣う姉の行動はあまりにいじらしい。そんな彼らの姿を見ていると、心の中で小さく応援したくなってくる。
また最後の方の遊園地の映像などは本当に楽しそうで、見ていても心がほんわかと温かくなる思いがした。

そしてそのような積み重ねがあるからこそ、妻の死を娘に告白するラストのシーンが胸にジーンと響くのだ。
僕は基本的に泣ける映画は嫌いなのだが、この映画は押し付けがましくなく、静かに情景を積み重ねることで、エモーショナルな部分に訴えかけることに成功している。皮肉屋の僕も素直にいい映画だ、と思い、何のためらいもなく感動することができた。

さりげなく戦争に対する批判を入れたり、キャラクターにテーマ性を語らせる手腕も押し付けがましさがなく、センスが光る。
地味な作品ではあるが、もっと注目されてしかるべきだろう。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

「ザ・マジックアワー」

2008-06-13 18:50:55 | 映画(さ行)

2008年度作品。日本映画。
街を牛耳るボスの愛人に手を出してしまった手下の備後。命の代償に伝説の殺し屋「デラ冨樫」を連れて来ると誓うが、期日が迫ってもデラは見つからない。窮地に陥った備後が取った苦肉の策は、無名の俳優村田大樹を雇って、殺し屋に仕立てあげることだった。
監督は「ラヂオの時間」の三谷幸喜。
出演は「雪に願うこと」の佐藤浩市。「ジョゼと虎と魚たち」の妻夫木聡 ら。


コメディに対するこだわりの強い三谷幸喜だけあって、素直に笑えるコメディに仕上がっている。
売れない俳優とボスとの最初の顔合わせなどは大笑いだし、そのほかにもいくつかの笑いが適度に盛り込まれていて、笑えるポイントでのはずれは基本的にない。笑いほど難しいジャンルはないだけに、三谷幸喜のセンスを感じさせるつくりだ。

しかし「ラヂオの時間」や「THE有頂天ホテル」に比べると、笑いの量が少ないように感じられてやや物足りなさを感じた。別個の映画なのだから比較するのは筋違いだろうが、実績のある監督の、これも宿命と言えるのかもしれない。

プロットに関してはあまりピンと来なかった。
コメディだからつっこみを入れるのも野暮だろうが、銃撃戦で敵があっさり撤退するなんて、絶対ありえないし、そのほかにも、いやいやそれ強引でしょ、と思う場面は多々あった。リアリズムで行く必要は皆無だけど、僕としては多少強引でも、それなりの辻褄くらいは合わせてほしかった。
そのほかにも売れない俳優の心情の移ろいの描写など、中途半端だった気がしなくはない。

しかし深津絵里や綾瀬はるか、戸田恵子らが演じる各キャラなどは、丁寧に造形されているのはわかるし、グダグダなりに温かみがあるのは良かった。
人に積極的に薦められるほどの出来ではないが、それなりに楽しめることだけは確かだろう。

評価:★★★(満点は★★★★★)


制作者・出演者の関連作品感想:
・三谷幸喜監督作
 「THE 有頂天ホテル」
・佐藤浩市出演作
 「暗いところで待ち合わせ」
 「THE 有頂天ホテル」
 「天然コケッコー」
・妻夫木聡出演作
 「クワイエットルームにようこそ」
 「憑神」
 「どろろ」
・深津絵里出演作
 「博士の愛した数式」
・綾瀬はるか出演作
 「HERO」
・西田敏行出演作
 「憑神」
 「THE 有頂天ホテル」

「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」

2008-04-27 08:54:55 | 映画(さ行)

2007年度作品。アメリカ映画。
20世紀初頭のアメリカ、しがない鉱山採掘者だったダニエル・プレインヴューは石油を掘り当て、実業家としての基盤を築く。やがて西武の小さな町リトル・ボストンに目をつけた彼は、幼い一人息子H.W.でさえ相手の警戒心を解くための道具に使い、言葉巧みに有望な土地を買い叩く。町はにわかに繁栄するが、カリスマ牧師イーライだけはプレインヴューの存在を疎ましく思っていた。
監督は「マグノリア」のポール・トーマス・アンダーソン。
出演は「ギャング・オブ・ニューヨーク」のダニエル・デイ=ルイス。ポール・ダノ ら。


この映画の中には、見ているこちらまで痛いと感じるようなシーンが幾度も見られた。梯子から転落してケガを負ったり、鉄の杭が頭上から落ちたり、爆発があり、殺人があり、と体を痛めつけられるシーンからは観客の痛覚に訴えかけてくるような迫力がある。
そしてそういった映像から漂ってくるのはどことなく殺伐とした世界観だ。その雰囲気がタフで狂気の男を主人公とした映画の世界にうまくマッチしている。

この映画の主人公は目的のためには手段を選ばず、石油のためには見下していた宗教にひざを屈することができ、自分を傷付ける言葉もあえて吐けるような男だ。
そういう人物であるせいか、彼は他人を信用していない。孤児を引き取り、愛情をもって育ててもするが、自分を優先するあまり、突き放すこともできる。
もちろんそこには彼なりの悲しみがあるのだろうが、そういった次元をこの主人公は超えたところにいるのが強烈なインパクトを残す。

そしてそんな主人公をダニエル・デイ=ルイスが熱演している。
特にラストの完全に狂気に落ちてしまっているシーンなどは圧巻だ。
そのシーンからは痛覚に訴えかけてくると同時に、人間の狂気が暴走したときの恐ろしさをまざまざと見せ付けられる思いがした。その迫真の演技の力強さに僕は思わず身震いし、顔をしかめてしまうほどであった。

叙事詩的な世界の中に、人間の狂気と獣性を描き上げる手腕はただただ見事の一語である。
これほど鬼気迫る世界をつくりあげたポール・トーマス・アンダーソンの手腕とそれに応えたデイ=ルイスを見るだけでも一見の価値はあるだろう。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)


出演者の関連作品感想
・ポール・ダノ出演作
 「リトル・ミス・サンシャイン」

「サラエボの花」

2008-03-17 20:14:50 | 映画(さ行)

2006年度作品。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ=オーストリア=ドイツ=クロアチア映画。
シングルマザーのエスマは12歳の娘サラとつましく暮らしている。サラの一番の楽しみは、もうすぐ出かける修学旅行。戦死したシャヒード(殉教者)の遺児は旅費が免除されるというのに、エスマはその証明書を出そうとしない。かわりに金策に奔走する母に、サラの苛立ちは募るばかりだ。12年前、この街でなにが起こったのか。
2006年ベルリン国際映画祭金熊賞受賞作。
監督はこれが初監督作のヤスミラ・ジュバニッチ。
出演は「アンダーグラウンド」のミリャナ・カラノヴィッチ。ルナ・ミヨヴィッチ ら。


戦争犯罪で心に傷を負った女性を中心に描き、新しい恋人の予感と、娘との関係を絡めて、希望めいたものをつむぎ出そうとしている(ように見えた)。そのアプローチの仕方は平凡といえば平凡だが、個人的には嫌いじゃない。

僕の印象に残ったのは、主人公の過去のトラウマを呼び起こすような何気ない映像の数々だ。
それは映画のところどころに現れて、彼女の心の傷の深さを如実に示している。その様はPTSDそのもので見ていてもなかなかつらいものがあった。

そのほかとしては娘の存在感も印象に残る。同級生の男子との関係や母との関係、反抗期の描写などは際立っていて、見ていても楽しい。
この作品には光る物がある。

しかし全体的に見ると、物語のダイナミズムに乏しいため、上記の点以外で心に引っかかる部分が少なかったのは否定しようもない。特に物語の肝となる娘の出生の真相も予告編で早々に明かされてしまっているので、興味が半減してしまったのは痛いだろう。
また男との関係や、男が絡む暗殺の話などいくつか中途半端なエピソードが散見されるのも難だ。そのせいで散漫な印象となり、物語のフォーカスにぶれが出てしまった。

ところどころに光る部分があるし、決して嫌いなタイプの作品ではないが、人に勧めるほどのおもしろさはない。
正直言ってもったいない作品である。

評価:★★★(満点は★★★★★)

「潜水服は蝶の夢を見る」

2008-02-24 18:23:14 | 映画(さ行)

2007年度作品。フランス=アメリカ映画。
ジャン=ドミニクは3人の子供の父親。ELLE誌編集長として華やかな人生を送っていたが、ある日突然倒れて身体が動かなくなる。唯一動くのは左目のみ。そしてその20万回以上の瞬きで、彼は自伝を書き上げる。
2007年カンヌ国際映画祭監督賞ほか、多数の映画祭で受賞。
監督は「夜になるまえに」のジュリアン・シュナーベル。
出演は「ミュンヘン」のマチュー・アマルリック。「赤い航路」のエマニュエル・セニエ ら。


思考は明晰なのに体の自由が利かない。その設定を聞くだけでもそこにある絶望は想像するに余りあるだろう。ついこのあいだまで健康だと思っていた自分の姿が、急に動かなくなったと考えるだけで非常に恐ろしいし、そんな自分の姿をみたくないと思うのは、そして死にたいと考えるのは、心情としては自然なことだ。
その状況を少しにじんだ感じの映像を使い、うまく表現しているのが印象深い。その臨場感ある映像に、観客である僕も主人公と一体になったような気分で見ることができる。
それだけに主人公の感情に寄り添うように映画を楽しむことができた。

そんな自分の体にロックインされた主人公が自分自身と向き合い、まぶたしか動かせない状況で自伝を書こうと試みる姿には人間の可能性を見る思いがする。
自伝を描きながら自分の罪悪感や、過去と向き合う時間が彼の人生の最後に与えられたのは、よいことなのか悪いことなのかはわからない。
しかし彼が懸命に生きている証しがその時間の中に濃密に凝縮されているのが伝わってきて、どこか感動的であった。

そしてそんな不幸を乗り越えられたのは多くの人間が彼を支えてくれたからだ。それも彼の人徳によるものだろう。言語療法士や自伝執筆を手伝う女性、友人、家族の存在が、傷付いた彼を支えていく姿を見ていると、非常に麗しく温かい気分に浸ることができる。
特に父との会話は感動的だ。互いの運命を嘆く姿は普遍的な親子の情愛が流れていて、胸を打つものがあった。

しかしそのように悲劇的な主人公を描きながら、決して受難者のように描いているわけでないところも興味深い。
女好きらしい視線の動きはもちろん、そのほかにも生身の人間らしい部分を描いている。特に妻を介した愛人との会話は実にえぐい。しかしそれこそ、主人公の人間性をよく伝えていると言えるだろう。
安っぽいお涙頂戴に流れることなく、人間を描ききった作り手の誠意に敬服する思いだ。

主人公は自伝発表後、まもなく亡くなっているが、人生の最後を懸命に生き抜いたその姿には素直に感動できる。人間の可能性について思いを馳せることができる優れた一品だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)


出演者の関連作品感想:
・マチュー・アマルリック出演作
 「ミュンヘン」

「その名にちなんで」

2008-02-03 16:27:01 | 映画(さ行)

2006年度作品。アメリカ=インド映画。
列車事故から奇跡的に生き延びて後、見合い結婚した妻を連れ渡米した男。二人はやがて子を成し、息子にゴーゴリという思い入れのある作家の名をつける。後年、成長したゴーゴリは自分の名前に嫌悪感を覚え、インドの習慣に違和感を覚えるようになる。
監督は「モーンスーン・ウェディング」のミーラー・ナーイル。
出演はカル・ペン。タブー ら。


インドからアメリカに移住した夫婦の話から物語は始まるのだが、その夫婦の心のきずなは見ていて大変心地よい。
異国というなじめない環境で孤独をおぼえる妻を、夫が労わっている姿には優しさと愛情があり、見ているこちらまで優しい気持ちになることができる。そのおかげで映画の世界にすっと入り込むことができた。その二人の愛情に満ちた関係が最後まで維持されていたのも個人的には好ましく映った。

夫婦に子供ができるが、成長して後の親と子の世代の価値観の違いはなかなか深刻だ。アメリカに移住した世代と、アメリカで生まれ育った世代であるため当然なのだが、インドの価値観を持って生きる者と、アメリカナイズされた価値観の相克は見応えがある。
孤独を覚える母の気持ちもわかるし、そこまでべったりするより彼女と一緒に過ごしたいと願う息子の浮ついた感情も理解できるために、その親子の距離感はなかなかやきもきさせられる。

そんな息子のアイデンティティは後半、父の死をきっかけに転換を迫られる。
家族との結びつき、インド系の出自、名前の問題、そういった諸々の問題と相克を自分のものと受け入れ、息子は生きていこうとしている。
もちろん時代の流れや人との関係のため一筋縄ではいかないのだが、自分の中で積み重ねられた記憶や人生を抱えて生きていく息子の姿と、子離れをしてインドで自分の生活を生きる母の姿には前向きなものが感じられた。

正直、後半1/4から物語はあからさまに失速している感はあったし(親世代の物語が、息子世代の物語よりもおもしろすぎたためだ)、列車事故の件も「何だよ、その中途半端さは」と感じたことは否定できない。しかし前半の夫婦の愛情や、アイデンティティの模索というモチーフは丁寧に描いていたと思う。
個人的には好きな作品だ。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)

「再会の街で」

2008-01-22 20:14:56 | 映画(さ行)

2007年度作品。アメリカ映画。
歯科医のアランは街でかつてのルームメイトのチャーリーを見かける。チャーリーは911で家族を失い、自分の殻に閉じこもっていた。家族と過ごしながらも物足りない思いを抱えていたアランはチャーリーと、再び友人関係を築き始めるが…
監督は「ママが泣いた日」のマイク・バインダー。
出演は「50回目のファースト・キス」のアダム・サンドラー。「ホテル・ルワンダ」のドン・チードル ら。


主人公の一人チャーリーは911で家族を亡くした男だ。
彼はそれ以降、反社会的な行為をくりかえし、空気を読むこともできず、自我を押し通して他人を困らせている。またテレビゲームばかりをしていて、引きこもりの生活をしている。
そのような状況を描くことで、彼が家族を失ったことで、心に傷を負っていることが伝わってくる。

また友人のドン・チードル演じるアランは決してチャーリーを見捨てず、親友関係を続けていることが好ましい。それによって、チャーリーがアランに心を開いていく様子は伝わるし、後半で自分の心の傷を語る気になるという展開も理解することができる。
実際、チャーリーが家族のことを語るシーンでは泣いている人もいた。

しかし僕個人はどうだったかと言うと、はっきり言って、まったくそれらのエピソードに心が動かされることはなかった。
丁寧にエピソードが積み重ねられて、物語に説得力はある。けれど、ああかわいそうだな、という以上の印象が湧いてこない。
それは僕が家族を失うという喪失感を、頭の中じゃなく実感として理解できる年齢に達していないことが原因なのかもしれない。よくわからない。

だれる部分はあるが上手い作品だと思うし、泣く人がいることもよくわかる。
しかし僕の肌には合わない。結局のところ、それだけのことなのだろう。残念な限りだ。

評価:★★(満点は★★★★★)


出演者の関連作品感想:
・ドン・チードル出演作
 「オーシャンズ13」
 「クラッシュ」
 「ホテル・ルワンダ」

「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」

2008-01-21 19:56:31 | 映画(さ行)

2007年度作品。アメリカ映画。
理髪店を営んでいたベンジャミンは彼の妻に横恋慕したターピンの手により、監獄へと送られる。15年後、脱獄したベンジャミンは、スウィーニー・トッドと名を変え、街に戻ってくる。ミセス・ラベットの協力の元、理髪店を始めた彼は、客を殺すようになる。
監督は「シザーハンズ」のティム・バートン。
出演は「パイレーツ・オブ・カリビアン」のジョニー・デップ。「カンバセーションズ」のヘレナ・ボナム=カーター ら。


モノトーンタッチの色彩で描かれた映画だ。
その映像に合わせてか、ジョニー・デップもヘレナ・ボナム・カーターも白塗りに目の周りを黒く塗るという、陰影を強調したメイクをほどこし、ゴシック風の世界観をうまく体現している。
またモノトーンに血だけが紅など、よくある手ではあるが、映像にグロテスクな遊びをほどこしているのが印象深い。

ストーリーは非常に丁寧にエピソードを積み重ねているという印象がある。
ムダにグロいだけじゃないかと思う部分もあるにはあるが、それもおどろおどろしい世界観を構築するためには意味のあることなのだろう。
また幾分だれた部分もあるが、後の展開を考えれば必要な部分と思われるところも多く、構成はよくできていたと思う。

そしてそのような構成があるからこそ、ラストの畳み掛けるような展開が効果的なものになるのだ。
多くは語らないが、ラストの展開のいくつかは鳥肌が立つ思いがした。陰惨な悲劇として優れていたと僕は思う。

ジョニー・デップやヘレナ・ボナム・カーターの熱演も良かった。歌も大変聴き応えがあり、それらがうまく組み合わさって、上質の作品に仕上がっていたと思う。
ティム・バートンの作品はいくつか見てきたが、個人的にはこの作品が一番好きかもしれない。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)


出演者の関連作品感想:
・ジョニー・デップ出演作
 「パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト」
・ヘレナ・ボナム=カーター出演作
 「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」
・アラン・リックマン出演作
 「パフューム ある人殺しの物語」
 「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」
 「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」

「シッコ」

2007-10-22 20:54:32 | 映画(さ行)

2007年度作品。アメリカ映画。
先進国で唯一、国民健康保険が存在しない国、アメリカ。そこに存在する矛盾と理不尽な制度を、鋭くえぐる問題作。
監督は「ボウリング・フォー・コロンバイン」「華氏911」のマイケル・ムーア。


マイケル・ムーアらしい映画で、問題のある現実をエンタテイメントにうまく仕上げている。
僕個人は医療制度にそこまで詳しいわけではないが、アメリカの医療制度にかなりの問題があることを、この映画を通して知ることができた。

国民保険制度のないアメリカでは、保険会社に加入しても、その保険金が簡単に降りるわけではなく、理由をつけられて却下されることもしばしばだ。それに保険会社に入るだけでも、既往症の履歴などの理由により、あっさりとはねつけられることも多い。
国民から金をむしりとるためのこの制度はまさにボッタクリと言ってもいいだろう。
民主国家を謳っている国がこれほどまでにひどい状況にあるとは知りもしなかった。それを知ることができただけでも、この映画を見て良かったと思う。

アメリカの比較として使われるのはカナダやイギリス、フランスの事例だ。そこでは国民保険により医療費が無料になっており、福祉制度が充分に行き届いていることがうかがえる。
キューバでアメリカ人を治療させる辺りは皮肉が効いていておもしろい。
もっとも恣意的な部分もなくはない。たとえば、税金制度の話でフランスの生活を取材しているが、どう見てもあれは富裕層であり、実態を伝えているとは言いがたい。描写に偏向があるのは事実だが、それも確信的であり、問題提起としては大きな意味があるだろう。

しかしここで描かれた現実をとても対岸の火事として受け止めることはできない。
僕個人、それほど保険制度や政治について詳しくないのだが、それでもこの国が小さな政府の名の下、アメリカ型の制度をいろいろ採用していることくらいは知っている。そして福祉の部門をいくつか切り捨てようと考えていることも。
これはアメリカの問題であるが、将来の日本の問題にもなりうるのではないだろうか。
そういう意味、多くの人が見て問題意識を持つべき映画なのであろう。

評価:★★★★(満点は★★★★★)