2007年度作品。イギリス映画。
24年の生涯のほとんどを一般社会から隔離されて過ごした青年―彼は、新しい名前“ジャック”を選ぶ。生き直そうとする彼をサポートするのは、ソーシャルワーカーのテリー。不安げなジャックにテリーは「過去の君は死んだ」と力強く言い聞かせる。ジャックの新しい職場は運送業。ペアを組んでいるクリスとは日を追うごとに親しくなり、職場にはミシェルという、気になる女性もいた。新しい世界は、何もかもが上手くいっているようだった。しかし偽りの自分でいる事は、ジャックにとって祝福であると同時に苦しみでもあった。
監督は「ダブリン上等!」のジョン・クローリー。
出演はアンドリュー・ガーフィールド。ピーター・ミュラン ら。
たとえばこの映画のように、自分と親しく接してきた人間が、過去に残忍としか言いようのない犯罪を犯したことがわかったとき、自分ならどうするか、どのような感情を覚えるだろうか。
想像力は貧困な方だが、なるべくリアルに考えてみた。
僕の場合で言うなら、多分恐れのような感情を覚えるような気がする。
目の前にいる親しい人間と、過去の事件を重ねることは絶対するだろうし、その人がふとした拍子に豹変して、自分の身に危害を加えることがあるかもしれない、と確実に一度は考えるだろう。そのときに恐怖心を抱くことは絶対に避けられそうにはない。
ただそれを知った後、自分がどう行動するか――避けるか、できる範囲でなら、力になってあげたいと考えるかは、相手の人物の性格と、築いた関係性に左右されるだろう。
ありきたりで、無個性な一般論になってしまうが、それが僕個人のすなおな考えだ。
この映画の主人公ジャックは見ている限りは、悪い性格ではない。幾分ナイーブなところのある、普通の若者だ。適応力もそれなりにあるらしく、新しい職場で良好な関係を築き、女性とも親しくなる。
事件の背景が説明されないことや、気弱そうな少年期の描き方もあって、世間から糾弾されるほどの残忍な殺人犯には到底見えない。もっとも世の殺人犯は大概そう言われるのだけど。
彼はそのナイーブな性格もあって、自分が過去を犯したことを言えず、苦しむことになる。それが実に繊細なタッチで描かれていてなかなかに見応えがある。
そして見ているうちに、彼なりに新しい人生を歩み出そうとしている姿を応援したいという気持ちになってくる。
だが彼の素性がわかると、周囲の人間は手のひらを返したように去っていってしまう。
それは彼が更生されたとしても、犯した罪自体は赦されるものではなく、逃れることができないほど重いものだということを伝えていて、なかなか心が滅入る。
だとすれば、そういうとき、人は、周りはどうすればいいというのだろうか。そんなことをやはりなるべくリアルに考えたくなる。
だがこの映画は、少なくともそのような僕個人の疑問に答えてくれるわけではない。
映画自体はバッドエンドへと着地しているだけでしかないのだ。それがいくらか不満である。
大体、そのエンディングには救いがあるわけでも、何かしらの教訓があるわけでも、悲劇の先に何を見据えればいいかという建設的なものも、感情が揺さぶられるような要素も、何一つとしてないのだ。
あるとすれば、たとえ赦す人が出ても、罪人は所詮どこまでいっても、罪人でしかないのだ、という(風に言っているようにしか見えない)主張くらいだろう。
別にそれが監督の考えなのかもしれない。あるいは悲劇性を強調して、それで満足しているだけなのかもしれない。
だが、それでは、ただ後味が悪いという以上のものなどないではないか?
バッドエンディングが悪いわけではない。だが観客は2時間も主人公に付き合っているのだから情ぐらい湧く。
ならば、製作者はバッドエンディングにする必然くらいは出してほしいと、こっちは思ってしまうということなのだ。
繊細なタッチが心地よく、いい映画である。だがなぜこれで終わらせるのだろうかと、個人的には残念に思う次第だ。
評価:★★★★(満点は★★★★★)
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