唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

臆人

2006-10-11 18:16:11 | Weblog
「張昌宗や易之達を斬るのは当然だがな・・・」

「母皇帝を驚かせるようなことになるのは困る・・・」

桓彦範達は気が気ではなかった。

兵力を集めて則天廃位のクーデターが始まったのに

肝腎の皇太子がぐずぐず言って出馬しようとしないのだ。

どんどんムダな時間が経っていく。

このままでは皇帝側に気づかれてしまうかもしれない。

しびれを切らした李湛が叫んだ。

「太子!、兵士をはじめ皆の者は命をかけているのです」

「失敗すれば家族もろとも最後なのです」

「その者達を見捨てるおつもりですか」

「いや、そんなつもりはないが、他に方法はないのか・・・」

太子はなおも煮え切らない。

「兵が待ちかねています、太子みずからおさとしください」

そういって、彦範達はむりやり太子を抱えて連れ出した。

そして馬にのせて、進軍を始めた。

殿中に乱入し、出会った張易之・昌宗を切り棄てると

さすがに太子=中宗も覚悟を決めることとなった。

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涕泣

2006-10-10 18:02:16 | Weblog
「おい、見てみろ、泣いているぜ」

居並ぶ官僚達は居すくんでざわめいていた。

則天皇帝が廃されて上陽宮に移される日

宰相姚元之は人目もかまわず独り泣いていた。

元之とともに廃位に働いた桓彦範や張柬之達は近づき

「あなたも廃位に協力したんじゃないか」

「こんな時に泣くと、あなたに禍が及びますよ」

「黙って見送るのが臣下の態度です」

元之は答えた。

「理屈はそうなんだがね」

「私は則天様に起用されて、いままで引き立てられてきた」

「臣下の道として、唐再興のために起義したのだ」

「しかし人としての道は違うのだ、禍が及ぶことになっても悲しいものは悲しいのだ」

彦範達は憮然として立ち去った。

数日後元之は宰相を解任され、州刺史として出されることになった。
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田夫

2006-10-09 09:16:33 | Weblog
「なぜこんな男が同僚なんだ」

宰相李昭は宮門を入り、御殿に向かう道すがら

いらついていた、振り返ると

はるか後を太って鈍重そうな婁師徳が歩いてくる。

もう何度も立ち止まってまったことか

宰相として同等である以上勝手に行ってしまうことはできない

才子で鳴る昭はついにがまんできず吐き出すようにいった。

「愚図の田舎者め!」

さすがのことに周囲の官僚達は青ざめた。

ところが師徳はニコニコとして言った。

「私を田舎者と言わずして、誰が田舎者といえるでしょうかな」

昭もそれ以上言う言葉もなくぷぃと歩き始めた。

まもなく昭は失脚したが、師徳は健在であった。
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優柔

2006-10-08 13:06:03 | Weblog
「帝は四海の富の主として君臨されておられます」

「しかるに帝には、一弟、一妹と共に生きることができないのですか」

「ただ一小人が讒言しただけで、血を分けた弟妹を取り調べさせるのですか」

御史中丞蕭至忠は決死の構えで諫言していた。

優柔不断で人に動かされやすい中宗皇帝は、

至忠の強硬な態度にたじろいでいた。

「いや、冉祖雍が反意があるとかもうしてきての」

「朕も信じてはおらんが、調べるだけはと卿に命じたのだが」

至忠はさらに激しく

「相王は天下を帝に譲られました」

「そうであるのに、今さら天下を望もうとされるのでしょうか」

と諫言した。

「そう、そうであったの、反意などあるはずがないの」

もう中宗はこんな話から逃げ出したくなっていた。

「それでは取り調べなど不要でごさりますな」

「そうじゃ、不要じゃ、いらぬことじゃ・・・」

至忠は退出しながらため息をついていた。

「則天様の時のほうが・・・・」と

その姿を讒言の黒幕宗楚客は憎々しげにみつめていた。
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受忍

2006-10-06 15:26:59 | Weblog
宰相婁師徳の所に弟が代州刺史就任の挨拶にやってきた。

「儂が宰相、お前が刺史となり我家の栄えは恐いほどだな」

「こういう時は人のねたみそねみを受けやすいものだ」

「儂はいつも人に気をつかっているのだよ」

「お前も人のうらみを受けないようにしてくれよ」

弟は言った

「私も、忍耐をするようにこころがけていますよ」

「人が顔にツバを吐きかけてきても、黙ってぬぐってがまんします」

師徳は嘆息した。

「だから、お前は心がけができていないのだ」

「ツバをぬぐうということは、反抗をしめすのだ」

「私なら、笑って受けて、乾くまでそのままにしておくよ」

則天時、多くの宰相が罪せられたが、

師徳は職を全うして引退することができた。
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推挽

2006-10-05 18:10:18 | Weblog
則天時の宰相婁師徳は田舎の農夫という風采で

動作ものろのろしており、愚鈍としかみえなかった。

新任宰相狄仁傑からみると無能で保守的な俗物の代表としか思えなかった。

「陛下、師徳は同僚としては我慢できない愚物でございます」

「彼には政見も、人を見る目もございません」

仁傑は則天皇帝を懼れず上奏した。

「そうかな?」

則天はにやりとして答えた。

「師徳は人を見る目のない愚物か?」

「いかにも」と仁傑

則天は書棚より書類を取り出した。

「これは師徳が、お前を是非とも宰相にと推薦した上奏文なのだがな」

「人を見る目はありそうだが・・・」

傲岸な仁傑もさすがに顔を真っ赤にしうつむいた。

そしてあわてて退出していった。
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短気

2006-10-04 21:13:06 | Weblog
「大変な事を受けてしまった」

「交州=今のベトナム といえば猛暑熱帯の地だ、到底生きてかえってはこれまい」

瀛州刺史盧祖尚が太宗に呼び出されたのは昨日の事であった。

「交州の政治が乱れている、卿にお願いしたい」

唐初の群雄の一人ではあったが、周囲より押し立てられただけ

民治にはすぐれ、大望はない祖尚であった。

しかし年老いて、故郷を離れることを考えると後悔の念が突き上げてきた。

「やっぱり断ろう、たとえ官を免ぜられることになっても」

祖尚は上書して命を断った。

太宗は驚き再考を促した。

「匹夫といえども、一度受けたことは守るのだ。ましてや卿ほどのものが」

しかし祖尚は頑として受けなかった。

元々短気で血の気の多い太宗である。

軽んじられていると感じると我を忘れる事が多かった。

「朕の命を受けられぬというなら臣ではない、斬ってしまえ!」

祖尚は引きずり出され、殿下で斬られた。
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左遷

2006-10-03 18:53:32 | Weblog
「疉州?、そこの都督だと?」

李勣にはすぐには理解できなかった。

つい数日前に、太宗は自分が亡き後はお前がたよりだと言ってくれた。

頼りない皇太子を、長孫無忌とともに支えてくれと泣いたはずだ。

ところが突然左遷の命が下った。

疉州などは都督どころか、刺史すら不要の僻地である。

流されるのと変わらないしうちである。

しかも理由はまったくつげられなかった。

勣はすぐに思い当たった。

「俺は疑われている。少しでも逆らえば誅殺されるだろう」

そこで自宅にも帰らず勣は任地に向かった。

太宗は皇太子の治に言っていた。

「勣は悍馬だ、俺には恩義を感じているが、お前にはない」

「俺が死んだら、お前が復帰させて宰相にしろ」

「そうすれば、お前にも恩義を感じるだろう」

しかし勣は山間の道をたどりながら考えていた。

「もう皇帝などを信じることなどやめよう、俺は俺自身のために生きよう」
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走狗

2006-10-02 18:20:46 | Weblog
「俺はもういらんのだよ」

「昔のことを知っている奴はうとましいのだ」

司空裴寂が理由にならないような罪で免ぜられたのは貞観三年のことだった。

僧法雅が妖言を吐き、その言葉を聞いたにもかかわらず上言しなかった。

それが謀叛にあたるというのだ。

寂が謀叛の準備や謀議をしたわけでもなかった。

「太宗は自分の地位が固まったので俺が邪魔になったのだ」

寂と並ぶ唐建国の功労者である劉文靜はとっくに誅殺されている。

「まだ爵位が残っているだけましかもしれん」

寂は一族とともに郷里に帰っていった。

しかしさらに追い打ちがかけられた。

狂人が寂に天命があると言ったといういいがかりである。

「俺がなにをしたというんだ、キチガイがそう言っただけだろう」

しかし太宗は爵位を取り上げ、はるか嶺南に寂を流した。

寂は流地でつぶやいた

「狡兎死して走狗煮らるというのは本当だな」

「命があるだけましかもしれん」

確かに太宗は命までは奪わなかった。

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代筆

2006-10-01 09:32:57 | Weblog
「あいつにこんな学才があったのかな?」

「ろくに字も読めないとおもっていたのだが」

太宗は首をかしげていた。

先頃、政治について直言しろと布令した。

一応文武官とも全員が提出してきたのだが

武官の文章はひどいものだった。

しかし中郎将常何のものは名文であり、内容も優れていた。

さっそく何を呼び出して下問した。

「この文はお前が書いたのか?」と太宗

「私に書けるわけがございません」

「なにも書けずに苦しんでいたら、食客の馬周が代筆してくれたのです」
しゃあしゃあと何は答えた。

太宗は苦笑いしながら

「周とやらすぐよべ」

周がやってくると終日下問して飽きることがなかった。

そして周を監察御史に任じ、何も人材を知る功により賞賜を与えられた。
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