大和8年楊志誠を逐って自立した史元忠ですが、牙軍を統率できなかったようで
會昌元年9月
幽州軍が亂し、節度使史元忠を[旧唐書]逐う/[新唐書.通鑑]殺すと混乱しています。首謀者は牙將陳行泰です。元忠は親唐朝派であったようで、朝廷は行泰の継承をすぐには認めません。
會昌元年閏9月
再び軍乱が起き、牙將張絳が行泰を殺し自立します。宰相李徳裕は現地が混乱している状況を察し、継承を慎重にするよう提案しました。
會昌元年10月
再度軍乱が起き、絳は逐われ、雄武軍使張仲武が幽州に入り自立しました。絳と仲武は事前に連絡があったようですが、乱後に仲間割れしたようです。仲武は衆心を得ており、宰相德裕との事前了解もあったのですぐ留後に任ぜられました。そして親唐朝派として対回紇対策に協力しました。
會昌元年9月
幽州軍が亂し、節度使史元忠を[旧唐書]逐う/[新唐書.通鑑]殺すと混乱しています。首謀者は牙將陳行泰です。元忠は親唐朝派であったようで、朝廷は行泰の継承をすぐには認めません。
會昌元年閏9月
再び軍乱が起き、牙將張絳が行泰を殺し自立します。宰相李徳裕は現地が混乱している状況を察し、継承を慎重にするよう提案しました。
會昌元年10月
再度軍乱が起き、絳は逐われ、雄武軍使張仲武が幽州に入り自立しました。絳と仲武は事前に連絡があったようですが、乱後に仲間割れしたようです。仲武は衆心を得ており、宰相德裕との事前了解もあったのですぐ留後に任ぜられました。そして親唐朝派として対回紇対策に協力しました。